野宿労働者運動の課題

             深山和彦

     運動の戦略目標

 二十一世紀初頭の野宿労働者運動に問われるのは、野宿労働者の根本的解放という戦略的構想に裏打ちされた強固な政治的意識性である。それは、少なくとも二つの領域で試されることになるだろう。一つは、特別立法を闘い取る運動において。二つは、厚生省が計画している大規模シェルターをめぐる闘いにおいてである。
 だがそれらの問題に言及する前に、野宿労働者運動の戦略目標について語っておきたい。戦略目標は、当面の対処療法的対策で十分だするのなら別だが、問題の根本的解決を目指すのならば、その中味を明確にしていかねばならない。
 二〇世紀の最後の一〇年間にわが国においても野宿労働者層が顕在化してきた第一の根拠は、わずかな労働時間をもって社会の物質的必要をまかなえる時代に移行し始めたにもかかわらず、資本主義のもとでは資本が出来るだけ少ない数の労働者に過度労働を強いることでこれをまかなおうとする為、好況期にも生産過程に吸収されることのない(生存を再生産できない)大きな数の失業労働者部分が残存し、この層の膨張をもたらしたという点にある。
 したがってわれわれの戦略目標の一つは、資本の支配を終わらせると共に、労働者階級の一半の過重労働を終われらせ、そのことを通して失業(ひいては野宿)の強制を終われせることにあるだろう。社会的規模で、就労部分は失業部分に労働時間を、失業部分は就労部分に余暇時間を、相互に分与する。そのことを通して、労働が苦痛であることを止め、人々の第一の欲求となり、労働しない人、出来ない人が蔑視され差別されることもなくなる社会へ、歩みを開始する。
 この目標の実現という見地から捉え返すとき、野宿労働者の運動が「仕事」の要求を前面に掲げること意味は一段と大きいものとなる。この要求は、野宿労働者なり失業労働者の階層的団結の要だというだけでなく、労働者階級の就労部分との新たな社会を目指した階級的団結をたたかいとる契機だからである。
 二〇世紀の最後の一〇年間にわが国においても野宿労働者層が顕在化してきた第二の根拠は、物的生産力の発達から一人一人の自由な発展へ、人々の欲求なり社会の目的が移行し始めたにもかかわらず、資本が、人を隷属させ搾取するその本性において人間の発展に敵対的である為、人間の自由な発展を保障する諸条件(十分な余暇時間、育児・学習・技能訓練・福祉などのシステムの充実、良好な労働・居住環境、社会の姿勢など)の建設が抑制され、長年従事した労働領域から排出された高齢の失業者が再吸収されず滞留する事態を生じせしめているという点にある。
 したがって戦略目標の二つは、資本の支配を終わらせると共に、物的生産力の発展から一人一人の自由な発展へと社会の目的の基軸を移行させ、それを保障する諸条件の充実を図ることである。全ての人々が自由に発展できる社会は、各人が社会の重層的分業(それを土台とする差別構造)の特定部分に縛り付けられてきたこれまでの各自の労働と生活のあり方を打破することを通して作り上げていく。こうしたことの上に、全ての社会的諸活動の交代・入れ替わりが各人の欲求に基づいてごく自然にに実現され、その中で管理する富める人々と管理される貧しき人々への社会の分裂も最後的に消滅する。
 この目標を目指す見地から捉え返すとき、野宿労働者が社会の必要とする仕事を要求することと一体に新たな技能を取得するためのシステムの充実を要求することは、緊急切実だというだけでなく、時代を切り拓く意義を持ってくるのである。
 二〇世紀の最後の一〇年間に野宿労働者層が顕在化してきた第三の根拠は、資本蓄積にとってのケインズ主義的財政出動の有効性がなくなり累積赤字が途方もなく膨張する中で、わが国のブルジョア国家が、米帝を主柱とする国際反革命同盟体制下の国際産業再編成に望みを託し、規制緩和へと路線転換を図ったことが、リストラと失業者層の膨張を加速したという点にある。
 支配階級が、社会の生産と生活を成り立たせるその階級独特の仕方の内で被支配階級の生存を保障できなくなるとき、かかる支配階級は歴史の舞台からの退場を迫られる。失業者層が膨張し、野宿を余儀なくされた労働者が街頭に公園に河川敷にとあふれ出てくる今日の事態は、そうした時代の節目の到来を示唆している。
 わが国のブルジョア国家は、まだそこまで認識していないようだが、基本的に失業層・野宿層の膨張を加速しながら、結果に当惑し、地域の支配秩序を脅かす要因としてのレベルで危機意識をつのらせ、そのレベルでの対策に乗り出し始めている状況にある。
 われわれの戦略目標の三つは、このブルジョア国家を打倒し労働者階級の国家を樹立することである。労働者の生存を保障できなくなる旧いシステムを守護するブルジョア国家との決戦は避けられない。
 野宿労働者運動の戦略目標は、以上の三つを核心に含むものであるだろう。運動が戦略目標を見失っていることは、その分散の基軸的要因である。われわれは、今日の運動のこの弱点を粘り強く着実に克服していかねばならない。そして、当面緊急の日常的な闘争、事業、宣伝、渉外などの諸活動を、戦略的課題の実現を準備する観点からもしっかり位置付け、共同的意識性を持って展開できるようにしていかねばならない。
  
  特別立法

 二〇〇一年は、野宿労働者支援の特別立法が焦点になる。
 特別立法への動きは、一九九九年に釜ヶ崎反失連が草案提起と合わせて立法要求を掲げ、大阪市、大阪府、民主党などの諸政党、連合大阪などへの工作を開始したことに端を発する。来る二月に地方議会決議を勝ち取り、国政レベルの工作と攻防に入っていく流れにある。
 ただ特別立法の運動が政治的広がりを獲得すると共に、不可避のことながら、見解の相違が表出してきているようである。特別立法を勝ち取るために、運動の隊列の整頓が必要になってきている。
 生活保護法を正しく運用すれば野宿問題は解決できるとする見解がある。学者やジャーナリストの間では多数派のようである。特別立法に反対する訳ではないが、消極的な雰囲気を醸し出している。
 「住所不定」や「稼動能力がある」といった、野宿を余儀なくされた労働者にとり全く不当な理由をもって生活保護を認めない行政的運用は変えさせていかねばならない。ただ、支配階級が治安維持の見地から譲歩するとしても、また社会全体が人権問題としての認識を深めようとも、社会全体がこの経済的負担を許容する幅は、ブルジョア社会において、現下の経済情勢と財政事情においてそれほど大きくはない。
 実際、この約一〇年の運動においては、生活保護法の活用はその重要な構成部分であっても、主軸を占めてはこなかった。野宿労働者の要求の中心が「仕事」であり、緊急の「やね」だからである。そこから特別立法の要求が生まれてきたのである。したがって特別立法の最大の眼目は、「仕事」の保障であり、「仕事」など出口問題の解決の保障を前提とした「やね」の保障である。野宿労働者の中心的要求から離れたところで野宿問題の解決を構想する態度は、運動を分散させ弱めるものであり、克服されねばならない。
 野宿労働者が「仕事」を要求の中心に据える意味は大きい。
 「仕事」の要求は、野宿の原因が野宿労働者にあるのではなく、この社会の経済システムにあることを明らかにし、国家の責任を問う意味を持つ。この要求は、ただ単に社会に負担を求めるものでなく、社会へ貢献したいという要求であるから、広範な社会的連帯を獲得できる。またこの要求は、野宿労働者自身にとって、生活費を得るためだけでなく、生き甲斐を求めるアピールでもある。生活保護の多くが早死にすると言われる。人は生かされているだけでは生きていけないのである。
 自立支援立法は時期尚早だという見解がある。これは、東京の運動の中に強いようである。一年ほど前には仲間作りの段階だとして、最近は強制排除との闘いが中心課題だとして、特別立法への消極的態度が表出してきた。これは、野宿労働者運動をめぐる政治情勢の変化を見ていないことに根拠を持つ誤りであり、克服されねばならない。
 野宿労働者運動をめぐる政治情勢は、どのように変わったのか。
 九〇年代の半ば過ぎまでは、野宿労働者に対する切り捨て・強制排除に対して仲間を組織し決然と立ちあがることで、広範な仲間を励まし、問題を社会的にアピールし、運動の政治的基盤を大きく拡大することができた。釜ヶ崎の反失業暴動と新宿のダンボール村強制撤去反対闘争は、その典型であった。行政は政治的後退を余儀なくされ、運動に押されて後手ごてで対策を出していくことになる。この段階で最大限成果をもぎ取ったのが釜ヶ崎の運動であった。
 しかし国家は、中央省庁・関係自治体で開催された九九年の「ホームレス問題連絡会議」を転回点に、強制排除でなく「自立支援対策」の策定を基本路線(切り捨て・強制排除の態度を部分的に残す)と定め、問答無用の排除を求める住民部分から自立支援策を介して排除の実現を求める住民部分に軸足をシフトさせることで、政治基盤を立て直してきている。この変化した事態にどう対処すべきか。これが、野宿労働者とその運動にとって、現下の最大の政治問題である。
 われわれは、自立支援策(特別立法や現実の諸策)のあり方をめぐるる攻防にたたかいの中心環を移行させねばならないし、またその中で、「自立支援策」を理由に部分的に強まる地域住民の排除要求や行政の強制排除攻撃と対決していかねばならない。
 強制排除反対が当面尾中心課題で特別立法を勝ち取る運動は時期尚早だとする態度は誤りである。なぜならそのような態度は、「自立支援策」によって野宿労働者(および地域住民)を政治的に分断し取り込む国家の策動を放置することを意味するからである。
 特別立法問題は、野宿労働者とその運動の側から言えば、このブルジョア社会において、野宿労働者の経済的生活条件をできるだけ改善し、地域住民との共生環境を創出し、層としての野宿労働者の根本的解放を目指す運動を強化する点において、有効な諸策をどれだけそこに入れ込められるかという問題である。それは、地域住民の野宿労働者排除要求を代表する政治勢力や政治的安定の確保を要に据える国家等との闘争と妥協・調整の産物として形成される。政治的冷静さをもって、勝ち取れるものを勝ち取っていく態度が求められる。
 
   大規模シェルター
 
 厚生省は、来年度概算要求において、大規模シェルター(一〇〇〇名規模)を二箇所(大阪と東京)に設ける計画を明らかにした。これは、テストケースであった大阪・長居公園の仮設一時避難所建設と基本的に同質のもの、「自立支援策」の一環に位置付け大阪城公園や隅田川河川敷など野宿労働者の大集住を一つ一つなくしていく計画への本格着手と受け止めて良いであろう。われわれは、長居の経験に学び、この計画への対処を誤らないようにしなければならない。
 第一のポイントは、シェルター建設の計画が排除がらみだからといって、頭から建設計画に反対しないこと、自立支援策に相応しいあり方に改変して能動的に勝ち取ることである。
 長居公園問題では、当初、各方面から<ホームレス問題連絡会議=国の排除路線との対決だ>という勇ましい声があがった訳だが、われわれはそれに同調しなかった。
 特別立法のところで述べたように、国家・地方行政府は、九〇年代半ば過ぎまでの間の野宿労働者の決起とその社会的アピールで強制排除が困難になったことから、自立支援策を立て、それをテコに排除の実効を上げる路線に転換してきていた。社会的に強制排除派が少数派になったことから、政治基盤を立て直したということである。強制排除をやらないということではなく、出来るだけ控える、社会の多数派が納得する場合にはやる、ということである。つまり、一方で自立支援策を改善させる道が大きく開かれたが、他方でこれを拒否すれば社会的多数派をも敵に回し、行政による改善無しの強制排除に道を開くということである。そうした中でわれわれは、自立支援策をその名に相応しいものとして勝ち取るたたかいを中心環に据え、強制排除との対決を副軸に位置付ける、という方針を固めたのであった。
 したがって長居公園の仮設一時避難所計画に対しては、強制排除をしないと確約させることと、仮設一時避難所の中味を自立支援策の一環に相応しいレベルへ改善することとをセットで要求し、運動拠点として能動的に闘い取るという方針で臨んだ。計画を白紙撤回させる方針、白紙撤回させかねない方針には断固反対した。
 これは、仮設一時避難所の中味を大きく改善するということで、成果に結実した。 
 第二のポイントは、大規模シェルターをめぐる闘いにおいては、出口問題との関係で、まず自立支援策に相応しいシェルターの戦取を優先すること。これを戦取した後に、全体の仕事保障を求める運動と連動して出口問題を中心課題に押し上げ、シェルター内で闘う(仕事の保障がない限り出ない等)ことである。
  長居のたたかい場合、これが厳格に組織されなかった。施設の中味の改善を勝ち取った後、出口問題まで泥縄式に要求を高めた。これは、野宿労働者の排除を求め、公園内に仮設一時避難所を建設することに反対している地域住民の存在を甘く見る態度であった。建設反対の住民運動は、”出口問題で保障のない仮設一時避難所にホームレスの人たちも反対している”と宣伝し、勢いづいた。着工実力阻止の挙にさえ出ている。
 住民運動との関係は、まず仮設一時避難所の中に入って、公園=施設での生活権をしっかり確保した後に、公園からの排除運動に利用されない形で、出口問題で共闘をしたらよい。仮設一時避難所に入ることは、野宿労働者の側が地域住民の生活に配慮する行為(大きな譲歩)であり、それはそれで地域住民との関係の改善にプラスに作用する。長居公園の周辺地域住民も、単に排除を求めている訳でなく、野宿問題の根本的解決を考えていこうともしているようである。良い関係を創ることは可能だろう。
 
 二〇〇一年を野宿労働者運動の飛躍の年にしよう。