守旧派の院政破綻と自民党の地盤沈下

地域から自治の力を更に

●「加藤政変」の腰砕けと守旧派の政治力後退


リストラ首きり・経済の低迷にくわえ、税のバラマキによる財政赤字の増大、医療・保険制度の未改革、欠陥だらけの介護保険制度など現在・将来にわたる不安と、政治への不満が渦巻く中での、首相自身の、政治家としての資質を問われるような失態つづきで、内閣支持率は、一〇%台で相変わらず低迷している。
 そこに「森内閣打倒」を宣言した自民党加藤派・山崎派の反乱が、勃発した。自民党支持者もふくめ、庶民の多くは、大いに期待をふくらませた。
 だが、この政変劇は、自民党執行部の猛烈な切り崩しの下で、加藤派・山崎派のあっけない全面降伏となり、終息した。
今回の政変劇の結果は、たんに加藤派・山崎派が元来、人民を信頼しない自民党一分派であり、今回そのだらし無さ(彼我の力関係も把握できない見通しの甘さ、野党の内閣不信任案に便乗しながらも自民党籍にこだわる優柔不断さなど)が露呈し、腰砕けによって彼らの政治的影響力が凋落したことにとどまるものではない。反乱鎮圧にあらゆる手段を使い(加藤紘一の側近の切り崩しに公明党も使っている)、効をそうした自民党執行部など「守旧派」もふくめた自民党全体のさらなる地盤沈下を露呈させたところに最大の特徴がある。
それは、政治能力もなく、基本的人権も主権在民原則も理解できず、憲法・教育基本法改悪、戦争のできる国家体制づくりを推進する森(内閣)を支え、操縦する真の中枢が橋本派にあることを満天下に明らかにしたからである。橋本派を中心とする執行部は、ただただ自分たちがかつぎ上げたという理由だけで、加藤派・山崎派の批判を打ち砕き、人民に人気のない森内閣を敏速に代えることもできない不様さ、政治的鈍感さを露呈しているからである。
高度成長に便乗し、肥大化した財政を官僚と結託して利用する利益誘導型政治で長期政権を確保してきた自民党は、田中内閣いこう典型的な院政をしいてきた。院政の最大の特徴は、世間には公表もできないあくどい政治を人民の眼からかくすため、あるいは責任をとることから免れるため、真の権力者は陰にかくれ、表看板の首相には世論受けのする人物をすえて闇から操縦するところにある。
 この方法では、時には表看板の人物選定に失敗する場合もある。かつての宇野宗佑の場合が代表例である。このときはスキャンダルが暴露されると直ちに首相は更迭された。だが、今回の森の場合には、かつてのような政治的機敏さも失われている。
その理由は、以前のように自民党単独政権ではなく、連立政権のため表看板にかつぐ人物の選定範囲が狭められているという事情がある(連立相手の意向も考慮せざるをえない)。だが理由はたんにそれだけでなく、自民党内での人材不足、そして何よりも院政当事者である橋本派の政治能力の後退(現状への危機感のなさ)に最大の原因がある。
今や日本の伝統的な政治手法ともいうべき院政も、橋本派によっては、だんだん通用しにくい状況になってきた。さすがに野中広務も低迷する森内閣の現状を放置できず、できるだけ早い時期での首相更迭のアドバルーンをしきりに上げざるを得なくなっている。しかし、世論に幻想を与えるような人物がはたして残っているのか。人民が院政政治にごまかされるような政治状況がはたしていつまでも続くのか。 利益誘導型政治を払拭できない自民党のなかでも、もっとも頑迷な「守旧派」は、族議員の多い橋本派である。その橋本派の院政政治の破綻が露呈したのが、今回の政変劇の最大の特徴である。

●お上依存脱却し公共事業の見直しへ


自民党の地盤沈下を露呈させた「加藤政変」劇と対照的なのが、このかんの知事選の動きである。
十月十五日には、長野県の知事選がおこなわれ、作家の田中康夫氏が当選し、十一月二十日には、栃木県の知事選がおこなわれ、前の今市市長の福田明夫氏が当選した。
長野県では戦後の半世紀以上も経過しているのに、それまで知事はたったの三人であり、官僚あがりの知事の多選がつづいていた。官僚主導の県政に反発する地元経済人が田中氏をかつぎ出し、これに若者を中心とする「勝手連」が運動をおこし、無党派層が呼応して官僚出身の候補者を打ち破った。田中氏の立候補で民主党は官僚候補の推薦をとりやめ、民主・公明・社民が自主投票となり、自民党も単独推薦を候補者から断られた。だが自民党は全面的に官僚候補を支援した。またほとんどの市町村長、多くの業界団体も官僚候補を推薦した。
田中氏は官主導の長年の県政を批判し、長野五輪帳簿紛失問題の調査、公共事業の見直しなどを公約し、当選後は県政官僚との熾烈な闘いがつづいている。
保守王国といわれる栃木県では、自民・民主・公明・自由・保守・自由連合の六党推薦の渡辺現知事が、五選をめざしたが、今市市の現市長の福田昭夫氏が「現県政は独善的で地方分権の発想に欠けている」と立候補し、情報公開、大型ダムの建設計画縮小などを掲げて、現職を打ち破った。福田氏は、決していわゆる革新派とはいえないが、全国に先駆けて常設の住民投票条例案を市議会に提案したこともある(これは否決された)。
たしかに田中知事も、福田知事も、徹頭徹尾人民の利益を貫き得るかどうかは不明である。多くの庶民の期待をになって登場した青島東京都知事、横山ノック大阪府知事の無残な結末の例もあった。しかし、いかに不十分といわれようとも、そして何よりも、田中・福田知事の行政結果がどのようなものであろうと、庶民の現状でのなんらかの変革への希求は確実なのであり、その変革への希求と意識を自ら発展させることが重要なことであろう。
また、両新知事は、自民党以下、ほとんどの政党にも支援されずに当選している。自民党はもちろんのことだが、最大の野党である民主党も、栃木では明確に現職を推薦し、長野でも田中立候補がなければ官僚候補を推薦する予定であった(十月二十二日には、衆議院東京21区の補欠選挙で、元東京HIV訴訟原告団副代表の川田悦子氏が大きな政党の支援もなく当選した)。明らかに人民は、既成政党への幻想をかなぐりすてつつある。
こうした庶民の動向は、明らかに森内閣のていたらく、「加藤政変」劇での自民党の反人民性とは対照的である。「お上」に依存すれば何か現状が変革できるとか、自民党に投票すれば自分たちだけでも甘い汁がすえるとかは、今や全くの幻想である。人民の一人ひとりが立ち上がり、既存の政治と政治体制の変革の闘いにつきすすむことが切実に問われている。その活動は、なにも選挙時の投票行動だけに限らない。教育問題、原発問題、公害問題、性差別、賃金カット、首きり失業など問題は身近に山積している。あくまでも下からの変革をめざす観点は、自力更生、自力救済であり、自治である。

●労働運動の再編と統一戦線の形成を


今や日本の現状を大きく変革するためには、官僚はもちろんのこと、既成の諸政党にお願いするという姿勢では決して実現できない。さまざまな課題をたたかいとる運動を拡大し、それら諸勢力を大きく団結させ、地域・地方の統一戦線を形成し、地方自治・住民自治を前進させることが緊要である。
 こうしたたたかいで先頭にたって推進すべき労働組合は、現状では残念ながらその責をはたしていない。連合、なかでも大企業労組は、総資本の首きり、リストラ攻勢に反撃もしないで大量失業の現状を放置しているだけでなく、自らの組合員の首切りにも反対できず、ただただ会社の言いなりになっているにすぎない。労働組合運動の現状を変革し、資本の労働者いじめに反対し、政府の憲法改悪・戦争のできる国家体制づくりに全人民とともに反対し、闘う労働組合運動の根本からの立て直しがつよく要求されている。そのためには、失業者や女性パート労働者をはじめとする不安定労働者の利益を重視する新たな労働組合運動を組織し、それを発展させる。とともに、既存の労働組合でも良心的な活動を進める組合や、組合員個人・諸グループとの大きな団結をかちとっていかなければならないであろう。
それだけでなく、各地方、各地域で日常的にさまざまな住民運動・市民運動との交流・共同行動などをつみかさね、地方自治体への影響力を強め、地域づくりでの主体的な自治運営に習熟し、さらには政府・与党、金融・独占資本を包囲する陣型を着実に構築することが切実に問われている。官僚や既成政党に依存するのでなく、自らの闘いと活動で下から大きく現状を変革するためには、下層労働者を軸としつつ全人民の団結、全人民の統一戦線が不可欠であり、自力更生と自治の思想がきわめて重要である。