再考・戦後左翼の革命路線

       おもにその戦術の問題について

                   千田光也


 わたしは現在、労働組合活動を担うなかで、旧社会党系が主導権を握る労働運動と日本共産党が主導権を握る労働運動との競合・対立の渦中に存在することを余儀なくされている。その中で、わたしなりに、戦後日本における日共や社会党などの政治路線を批判的に学習してきた。
 そして、労働者共産党の一員として、いわゆる新左翼を含むそれら戦後日本左翼の革命路線について、とくに労働運動をはじめとする革命の主体勢力をどのように形成しようとしてきたのか、また我々はどうか、ということについて考察してきた。こんにち、日本左翼の解体・変質というべき状況にある中、これを打破していくためにも、戦後日本左翼を大きな流れで振り返ってみることも有益だとおもう。
 日本共産党は、一九六一年に策定した綱領において、日本の現状を、「現在、日本を基本的に支配しているのは、アメリカ帝国主義と、それに従属的に同盟している日本の独占資本である。わが国は、高度に発達した資本主義国でありながら、いまなおアメリカ帝国主義になかば占領された事実上の従属国となっている」と規定した。そして当面の日本革命は、米帝と日本独占資本という「二つの敵に反対するあたらしい民主主義革命、人民の民主主義革命である」とした。(現行綱領では、「なかば占領された」ではなく、「国土や軍事などの重要な部分をアメリカ帝国主義ににぎられた」となるなど部分的変化があるが基調は同じ)
 そこで、日本の労働者人民の要求を、「真の独立」と民主主義をめざす民族的・民主的なエネルギーとして評価し、それを改良の枠内にとどめることなく、社会主義への道を開く民主主義革命に導くために、革命の主体勢力を「アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配に反対する人民の強力で広大な統一戦線、すなわち民族民主統一戦線」として形成するとする。
 そして、その「党と労働者階級が指導する民族民主統一戦線勢力が積極的に国会の議席をしめ、国会外の大衆闘争とむすびついてたたかう」ことにより、「国会で安定した過半数をしめることができるならば、国会を反動支配の道具から人民に奉仕する道具にかえ、革命の条件をさらに有利にすることができる」(現行綱領では、「道具」を「機関」に改正)とし、この国会で成立する民族民主統一戦線政府を「革命の政府」に発展させる闘いに勝利すれば、「名実ともに国会を国の最高機関とする人民の民主主義国家体制を確立する」ことができるとする。この「当面の革命はそれ自体社会主義的変革への移行の基礎をきりひらく」ものであり、「連続的に社会主義革命に発展する」とする。(現行綱領では、「連続的に」を「国民多数の支持のもとに」と代えるなどの改正がある)
 すなわち、日本革命の性格では当面は人民民主主義革命とし、それを社会主義革命に発展させると規定し、革命の主体形成では民族民主統一戦線の形成と規定し、革命の戦術では議会で多数を得て統一戦線政府を樹立する道として規定している。なお七十年代からの

「民主連合政府」の方針は、綱領上は、民族民主統一戦線政府の樹立の以前に「民主勢力がさしあたって一致できる目標の範囲でも」形成する連立政権として位置付けられている。(また近年はほとんど口にされないが、この「議会の道」による権力の平和的移行の過程で、米日反動が武力弾圧をかけてきた場合には非平和的移行もありうるという「敵の出方」論を語ってきた。)
 国際共産主義運動との関連では、一九五七年のモスクワ宣言、六〇年のモスクワ声明が、「社会主義世界体制」の優位によって「今日のきわめて重要な諸問題を……あらたな仕方で解決する現実的な可能性がうまれている」とし、「議会で安定した過半数をかちとり、ブルジョアジーに奉仕する道具である議会を、勤労人民に奉仕する道具にかえ……社会主義革命を平和のうちに実現するのに必要な条件をつくりだす可能性をもっている」と規定し、また「搾取階級が人民に対して暴力にうったえてくる場合には、べつの可能性、すなわち社会主義への平和的でない移行の可能性」があると述べている。日共の六一年綱領策定の背景に、これら宣言・声明があることは否定できない。
 この綱領策定の過程で、日本帝国主義復活論に立って日帝主敵の社会主義革命を主張し、共産主義者同盟(ブント)を結成した部分(トロツキズムの影響を強く受けた小ブル急進主義という性格をもっていた)や、反独占構造改革・社会主義革命の立場をとった部分は、誤りとして退けられ、日共から離反した。
 また日共党内の共産主義者の中で、ソ連党や中国党との共同行動を志向したグループは、様々な不十分性をこの綱領に見いだしながらも、階級闘争の実践の中でそれを克服しようとしたが、結局、党から放逐されていくこととなり、日共はいわゆる「自主独立」路線を確立していく。
 日共と競合して日本において社会主義革命を追求した政党として、日本社会党がある。社会党は、総評と共に、戦後日本において平和・民主主義・生活向上の闘いを牽引してきた。
 社会党は現在、総評と同じく解散しており、その党員たちは現在、新社会党、社会民主党、民主党の三政党に分かれている。新社会党は非共産党的社会主義運動、社民党は社会民主主義、旧社会党員がその一部を成す民主党は社会主義とも社会民主主義とも縁のない新自由主義、とそれぞれの立場を標榜している。
 社会党が三つの政党に分かれるまで、この党の活動を根本で長期に規定してきたのは、労農派マルクス主義を継承する立場に立つ、一九六四〜六六年に策定された「日本における社会主義への道」という綱領的文書である。(八十年代に入って社会党は、この綱領的文書を構造改革主義的な新文書に取り替えたが、それは党分解の始まりであった。)
 この「道」において、社会党は日共の「二段階革命」論・「敵の出方」論を否定し、「一段階革命」・「社会主義平和革命必然論」の立場、とくに「日本国憲法を通ずる社会主義への平和的移行」の立場に立つことを明らかにしている。革命の主体勢力としては「反

独占国民統一戦線」と規定し、革命の戦術としては国会で社会党政権あるいは社会党を中心とする革新政権を樹立し、これを社会主義政権へ高めていくとする。平和的・合憲的に社会主義革命を達成できることは必然的であり、予想される敵の暴力行使に対しては未然に封殺することが可能であるとしている。
 また、社会党内の労農派マルクス主義の正統を自認する集団である社会主義協会は、一九六八年にテーゼを採択しているが、この「社会主義協会テーゼ」は社会党の立場をさらに明確にしたものであると言える。
 テーゼは、「労働者階級の経済的・政治的な日常の利益のために献身し、憲法改悪反対闘争を中心とする……いっさいの運動に全力をあげるならば、独占資本を孤立させ、社会主義のための『政治的軍隊』をつくりあげることができる。国会における社会主義革命を遂行しようとする政党が、国会外のこの『政治的軍隊』と有機的にむすびつき、広範な国民大衆の支持を得ている場合には社会主義革命いいかえると労働者階級への国家権力の移行は、武装蜂起なしに平和的に遂行される」とすると共に、安保条約破棄・アメリカからの完全独立の運動は、「独占資本の搾取強化の方策にたいする闘争の戦線強化に重点をおくことなしに、真の組織された力になることはできない」とし、「民族の独立と自由のための闘争にのみ重点をおくことは、誤りである」として日共に対抗している。
 また、現行憲法が平和革命の国内的条件となっていることを指摘しつつ、「労働者階級を中心とした広範な憲法改悪阻止の統一戦線」を強調し、「反独占、民主主義擁護統一戦線の結成にむけ、当面の課題を改憲阻止のための国民会議の確立強化におく。この組織化は、我々の社会主義革命への道にとって基本的なたたかいである」としている。
 社会党および社会主義協会の革命路線は、日共と同様「議会の道」であるが、総評労働運動の立場から展望された路線という性格が強く、総評の解体とともに党的にも解体してしまった。
 以上の両党以外に、いわゆる新左翼諸派がそれぞれの立場で、日本革命についての独自の綱領的立場をもち、行動してきたことも見落とすことはできない。
 新左翼の主要な流れであるブント系と日本革命的共産主義者同盟系は、組織観などで対局的な流れではあるが、大枠では共通した綱領的見解すなわち、ソ連がスターリン主義の台頭によって変質して「堕落した労働者国家」となり、国際共産主義運動もスターリン主義によって世界革命を裏切る方向にねじまげられたとする見解を、また社共の路線を民族主義・一国主義あるいは議会主義・改良主義として激しく非難し、プロレタリア世界革命の一環としての日本革命を暴力革命として実現することを唱えてきた。
 新左翼による革命の主体勢力形成の方針は、しいて共通点を見いだせば、日本帝国主義を主要な敵とする「反帝国主義統一戦線」の下からの形成、とでも言うべきものである。新左翼は、六〇〜七〇年代の社共・総評・民青系全学連など革新共闘に対抗し、それを革命を敗北させる「人民戦線派」として批判し、総評などを下から革命化する活動に取り組

んだ。新左翼と社会党とは、一段階の社会主義革命論や日共との対抗という共通項から一定の協力関係や共同行動を取ったこともあったが、基本的な立場の相違によって、真の意味での信頼関係は形成されないままとなっている。
 日共、社会党、新左翼はそれぞれマルクス主義あるいはレーニン主義を日本革命の現実に適用しようとする主観的意図をもつとはいえ、路線と立場が異なり、党派間闘争は不可避であった。しかし、それぞれの党派の影響を受けた大衆が一致点で手を取り合うのではなく、互いに憎しみあい、日本革命を可能にするだけの力を有するはるか以前の段階で、いたずらに対立を続けてきたという観もある。
 わたしは、これら諸政党の主張と実践を批判する基準として次の三点を確認したい。
 一つは、歴史的経験が示すように、社会階級としての資本家を消滅させようとする共産主義運動に対して、またそれに勝利した革命国家に対して、資本家階級とその権力は激しい弾圧を加え、また軍事的にも経済的にも革命政権を転覆させる激しい攻撃を加えてきた。支配階級は自らすすんで歴史の舞台をひきさがることはなく、追い詰められれば今後もまた激しい攻撃を加えてくるだろう。
 一つは、民主主義が確立しているといわれる国においても、それは、社会主義国・労働運動・民族解放運動など国際的な運動に対する支配階級の譲歩の結果であり、その獲得物は不確かなものである。支配階級は、ブルジョア民主主義制度を永久不変なものとみせかけ、人民の闘いがその枠を越えて進むことには譲歩しない。民主主義という言葉を、人間平等の実際の保障として規定するならば、それに代えて共産主義という言葉を使用すべきである。
 一つは、ブルジョア独裁の国家機関をプロレタリアートは、自己の階級支配のために使うことはできず、これを完全に粉砕し、プロレタリア独裁の国家機関に置き換えることなくして革命は成立しない。軍事・官僚機関を粉砕するだけでなく、旧来の立法機関も粉砕し再構築しなければならない。
 これらの諸点をふまえるならば、日共と社会党の立場は、議会を始めとするブルジョア民主主義制度を歴史的・弁証法的に批判できていないと言える。他方、新左翼は、議会主義の路線に反対し、その直接行動の展開と革命的暴力なくして革命はありえないことを明らかにした点などで功績はあるが、革命の主体勢力の形成あるいは統一戦線という課題については未熟であったと言わざるをえない。
 最後に、この統一戦線の課題について若干の考察を述べて、本稿を終えたい。
 日共も社会党も新左翼も、革命の主体勢力を自党派のみの拡大として構想するのではなく、諸政党・諸大衆団体の統一戦線として、社会階級的に述べれば労働者階級を中軸とする勤労人民・諸階層の統一戦線として(その範囲に違いはあるが)構想してきた。そして、日共と社会党および総評は互いに反目しつつも議会を中心にした統一戦線を構想してきたが、今日その結成に失敗して破綻している。また新左翼は、トロキズム的な「人民戦線

戦術反対」の立場にも規定されて、少数の党派共闘的な「統一戦線」を対置して破綻している。新左翼も、広範に大衆を結集する統一戦線なくして革命がないことを頭では理解していたが、その実践は大衆運動の急進的一翼を強化しようとする以上のものではなかった。
 社共対新左翼という構図それ自体が左翼の総破綻として古くなっている今日、過去の政治的経歴に拘泥することなく、新しい地平での革命勢力の結集を求める姿勢、そして労働者人民の統一戦線を大きく進める政治的構えが求められている。
 また統一戦線の今日的論点としては、その共通の要求の現代的特徴とは何か、また統一戦線の中での党の役割についての再検討、といったものがあるだろう。従来の統一戦線論では、要求を最小限綱領的なものに限定し、革命の方法や新社会建設のプログラムをもちこむことは時期尚早とするのが常識であった。しかし、現代の全人類的課題と情報通信の世界化という時代は、ふつうの人間の関心にも大きな変化を呼び起こす。我々のめざす新しい世界とは何か、労働、教育、地域、国というものがどう変わるのか、現代社会の大衆の創意とエネルギーを発揚していくことが重要だ。
 党と統一戦線の関係については従来は、統一戦線の上に立ち統括する党、というイメージが濃厚であった。このことは社会主義の変質にも関わっている。どのような事態の発展にも対応でき、人民内部の矛盾を調整できる能力をもった集団=党が、指導的一部分としてごく自然に権威をもつ、そのような統一戦線が重要だろう。
 私たち労働者共産党は、そのような党をめざすと共に、革命の主体勢力である統一戦線の形成のために全力で闘うべきである。(了)