少年法改悪案が国会提出

   厳罰化で解決できぬ社会の病

与党三党の議員立法である少年法改正案が、九月二十九日に国会へ提出される。
改正案の内容は、 刑事処分可能年齢を、現行の一六歳以上から一四歳以上にさげる、 家裁から検察への逆送は、現行法では家裁の判断次第だが、改正案では殺人、傷害致死、強盗致死などの容疑の一六歳以上は、原則的に逆送とする、 一八歳以上で、罪が成年の無期刑に相当する場合は、現行法では一〇〜一五年の刑に軽減することになっているが、これを無期刑のままにもできる、 家裁決定に対する検察官の抗告権は、現行では不可だが、これを「抗告受理の申し立ては可」とする─などである。
全体的には、処罰を厳しくして、抑止効果をもたせるのが主旨となっている。それは、与党議員の「厳しく罰することで罪を自覚させることができる」、「犯罪予備軍の少年に抑止効果が期待できる」という発言にもみることができる。
だが、こうした狙いをもった改正案は、全くの的外れの一語に尽きる。というのは、改正案は第一に、凶悪な少年犯罪の発生状況を全くといっていいように知らないからである。 「司法統計年報」によると、殺人、放火、強姦、強盗の凶悪犯罪は、一九六六年の七四五三件から以降減少し、一九九一年現在、一二〇三件と、八四%も激減しているのである。九六年一七一一件、九七年二四九五件と最近は、やや増えてはいるものの一九六〇〜七〇年代と比べれれば、はるかに少ない。こうした事実は、テレビなどマスコミでもほとんど報道されないでいる。
そして、重要なことは犯罪の原因がかつてとは大きく変化していることである。かつては貧困などの原因が大きな比重を占めていたが、今は少年たちの精神年齢の成熟の遅さ、対人関係の遅れや幼さなどが顕著である。少年院の職員の言によると、「犯罪を起こす少年たちは非常に幼い。教科教育や職業訓練も必要だが、家族や友人との関係の築き方をまず教えないと、結局再び犯罪に走る」(『朝日新聞』九月二十二日付け)そうである。
犯罪発生の原因をろくに調べも知らないで、マスコミの扇情的な報道にあおられて、ただ厳罰化すればよいなどという安易な方法では、問題の解決にもならない。
 抑止効果などといっても、それはかえって事態をこじらすだけでしかない。そのことは、かつて校内暴力を暴力的に沈静化させるという安易な考えで、一部の体育会系教師などを先頭とし、また警察と連携した抑圧的対処が問題を解決しないで、逆に家庭内暴力、不登校、いじめなどを拡大させたということでも明らかである。この教訓を全く学んでいないのである。
問題発生の原因を正しく分析し、そのうえで適切な対処をするという、当たり前の方法をとれないのは、この少年法の問題だけでなく、教育問題でも同じである。今日の教育問題の原因を正確に把握しないで、国旗国家法の強行や、教育基本法の改悪策動など、国家主義的教育の全面化に利用するだけというのでは、問題は少しも解決しないであろう。今日の教育問題は、詰め込み教育、受験競争など教育制度にかかわることだけでなく、そのような教育を生み出し要求している資本主義社会の仕組み自身にも深く関連しているのである。なにもかも金銭で解決しようとする態度、なにもかも学校に責任をおしつける態度、なにもかも学歴で人間を評価する傾向、これらは今日の資本主義社会が作り出し、再生産しているものである。
今日の一部の少年たちの凶悪犯罪も、この現実社会の矛盾と深く関連しているのは言うまでもない。人工的な都市化空間のなかで、基本的な対人関係さえ作れないというのは、社会自身が病んでいることを意味している。資本の利潤追求にすべてを適合させ、自然のみならず人間性をも破壊して突き進むという、今日の社会自身の改造こそが必要なのである。
 この観点から、少年法の改善をもとめるならば、少年自身の意見表明、審理への参加、被害者・遺族の救済充実などが検討されるべきであろう。(T)