命を守る会東京行動


 八月十日、沖縄・辺野古のヘリポート建設阻止協議会(命を守る会)による東京行動が行なわれた。
 この行動は、去る沖縄サミットの七月二一日に日米両首脳に肉迫して基地移設中止を要請し請願署名を手渡そうとしたものの、両首脳あるいは代理人が出てこなかったため、一旦引き上げた行動(前号一面参照)の続きとして、「命を守る会」の代表団五名および名護ヘリ基地反対協の安次富共同代表とが来京し、米大使館と首相官邸に要請行動を貫徹したものである。辺野古の住民団体自身による、粘り強いたたかいとして特筆されるべきものである。
 この日午後、命を守る会の金城祐治代表ら要請団は、沖縄選出の島袋参院議員や東門衆院議員などを伴って、米大使館、首相官邸を訪れ、クリントン大統領宛てと森首相宛ての二万二千人分の移設即時中止要請署名を提出するとともに、「新基地はとにかく作らせない、あなた達が断念するまでしたたかに闘い続ける」との意志を断固突き付けた。
 米大使館では、フォリー駐日大使は出てこずアンドリュー二等書記官しか出てこなかったが(七月二一日の沖縄では在沖米領事がでてきたが)、「訴えはよく分かりました。大統領、大使に報告します」と回答。首相官邸でも、森首相は出てこず片上官房長官秘書官しか出てこなかったが、彼は沖縄での外務省小役人の失礼を詫びて報告を約したという。
 夜には、中野商工会館で「命を守る会」主催の東京行動報告集会がもたれ、会場一杯の約一五〇人が参加。
 集会は、受け入れ支援の一坪反戦地主会関東ブロックの司会で、最初に金城さんの主催者挨拶。「胸のつかえが少しは下りた、よくやったと自分自身思う。直訴することを決め、署名はサミットの一ヵ月前から開始したもの。辺野古では、苦難の沖縄史をへたオジー、オバーが闘いの核になっている。午前中、点滴を受けたりして小屋に詰めている。平和を水や空気のように考えてはいけない、平和を守り子孫へ伝えていきたい」。
 「命を守る会」事務局長の宮城保さんは、7・21の行動も含め本日の直訴行動を詳しく報告、また「サミット反対と言ったら村八分的状況が生まれ、市長リコールを引っ込めざるをえなくなった。この圧力のはね返しが署名運動の意図だった。首相宛ての方は署名数が少し少なくなっているが、これは『安保が必要というなら全国で米軍基地の負担を均等に』とあるから。『県外移設』は、運動家の人には耳が痛いが、住民・県民としては言わざるをえない」などを述べた。
 前代表の西川征夫さんは、元自民党地域青年部の活動家でキャンプ・シュワブの警備員もしていた経歴の人だが、「代表を下りたとき、賛成派に回ったというデマもあったがそんなことはない。知事の『十五年期限』受け入れは崩れる、賛成派も工法の利権で三つに分裂している。苦しいが、今が大事。皆さんの支援を力に、より地域へ入っていく必要が

ある」と述べた。エネルギッシュな金物屋さんである。
 最後にヘリ基地反対協の安次富(あしとみ)浩さん。「このかん反対協としては心配をかけましたが、サミット後の方針を九月の総会で決めていく。サミット後も基地反対は減っていない。日米は、十二月名護市議会でメドを出そうとするだろうが、新基地はとにかく作らせない」。
 集会は、立川市職労や港区職労など参加者の連帯発言を受けた後、金城さんの音頭の団結ガンバローで締め括られた。
 名護市とくに辺野古区のたたかいは、地元同意という形を許さないためにも決定的に重要だ。宮城事務局長からは、「事務所を守るだけでも大変。もう三年、いつまでやるのかというゆううつな気持ちも。安らかな老後を取り戻してもらいたい」という率直な報告もあった。年老いた住民を苦しめている日本政府に激しい怒りを感じざるをえない。全県的、全国的に辺野古住民のがんばりを支えることが、より重要になっている。(東京W通信員)
 ◆支援連絡先◆
 ヘリポート建設阻止協議会(命を守る会) 名護市字辺野古243  &FAX・0980−55−3131