<書評> 『日本の公安警察』(青木理・著 講談社現代新書)


 昨年来、警察不祥事がさかんにマスコミに報道され、県警本部長などが頭を下げるの図がテレビを賑わせている。これらは、被害者が相談に行っても事件化してくれない、その結果重大犯罪となったということや、警察自身の身内の犯罪もみ消しなど広範な問題をさらけだしているが、マスコミが取り上げているのは主に刑事警察についての批判である。
 刑事警察への批判は、冤罪を生みやすい自白偏重の捜査への批判など重要な課題があるが、マスコミの批判方向は、警察への国民の信頼をいかに取り戻すかという体制維持の方向へ世論を集約するものとなっている。
 他方、八五年の日共緒方国際局長宅盗聴事件で世論の批判を受けた公安警察は、対オウム事件で回復し、盗聴法を獲得して力を強めている。刑事警察の権威が失墜していることと対照的に、公安警備警察は現在の沖縄サミット警備で我が世の春を唄っている感がある。
 そうしたなかで今年一月に出版された『日本の公安警察』(著者は共同通信社の青木理、講談社現代新書)は、刑事警察と公安警察はどう違うのか、日本の公安警察はどう発展してきたのか、その活動実態は?などについて輪郭を知るうえで手軽な一冊である。
 著者は、公安警察官が外見上は都道府県警の管轄下にありながら、その実際は県警本部長・署長をとびこえて、警察庁警備局の下に組織的・予算的に一本化された「特高」警察として組織されていることを解説している。予算の上でそれを示すのが警察法三十七条で、これは県警経費のうち国費によって支弁する対象の一つとして、「国の公安に係わる犯罪その他特殊の犯罪の捜査に要する経費」を指定している。
 興味を引くのは、その活動実態の紹介だろう。かって公安警察官の教科書的存在だったとされる『警備警察全書』では警備情報収集の七つの手段として、「視察内偵」「聞き込み」「張り込み」「尾行」「工作」「面接」「投入」が示されている。「投入」=対象団体内への公安警察官の潜入は、六〇年代を最後に今は行なわれていないとされている。確かに、われわれ左翼によって内部のスパイを摘発したということはあっても、それが警察官であったということは近年は聞かないことではあるが…。
 しかし、「工作」の主な活動である「協力者作業」=スパイの獲得と運用は、今も昔も精力的に行なわれている基本的活動である。著者は、始めは身分を秘匿してスパイ養成対象に働きかける事例をいくつか紹介している。わたしの見聞では、「〇〇県警学生課」などのデタラメな名刺を示し、公然と接触してくる事例もあった。スパイ摘発は、ときどき中核派が機関紙で発表しているが、対象は党派だけではない。七四年の戸村一作選挙では、選対に潜り込んだスパイが摘発されたことがある。
 また著者は、緒方宅盗聴事件の逆手をとって、九九年の盗聴法の成立へ至る経過を示している。犯人の公安警察官を不起訴とした事件当時の検事総長・伊藤栄樹は、彼の回想録

で、「目的のいかんを問わず、警察活動に違法な手段をとることは、すべきではないと思わないか。どうしてもそういう手段をとる必要があるのなら、それを可能にする法律を作ったらよかろう」と記している。盗聴法がその由来からして、公安警察の強大化そのものであることは明らかだ。
 われわれ左翼はつねづね、「公安警備警察の解体」を改良的要求として主張してきた。しかし事態はますますその逆へ向かって進んでいる。世間では、日共や過激派がいるから公安もいる、と思っている人もいるだろう。しかし真実は、日共や過激派がいなくなっても公安は存在し続けるのであって、それが国家の本質なのだ。
 左翼勢力が権力を批判しているだけでは、権力は揺るがない。民主主義を破壊する権力へのきわめて広範な批判が必要であり、そのためにはどうすればよいのか、と考えが及んでくる一冊である。  (F)