総選挙論評

 六月二十五日の総選挙は、自公保連立与党と民主党の対決を軸に展開された。結果は、自公保連立与党が大幅に議席を減らしつつも(自民は二七一から二三三へ、公明は四二から三一へ、保守は一八から七へ)絶対安定多数を超える二七一議席を確保するという形に収まった。しかしその中味には、民衆の間で進行する意識の地殻変動、ブルジョア階級の政治的混迷の深化が刻印された。
 第一は、農村部では、依然と従来型公共事業をテコとした利益誘導システムが生きていて自民党が圧倒的優性を維持したが、都市部では、自民党は閣僚経験者を含め軒並み落選し、代わって民主党が大躍進したことである。
 都市部では、公共事業はかつてのようには支持されなくなった。人々は、公共事業がかつてのように景気回復・雇用の拡大につながらないことを実感しだしており、年金財政の近未来的破綻が確実視され老後に対する不安が高まる中で公共事業による財政赤字の膨張を容認しなくなってきており、また公共事業が自然環境を破壊することに反対している。民主党は、新自由主義的なブルジョア改革路線を提示して見せ、こうした都市部住民の意識状況の拡散をある程度ブルジョア的に取り込むことに成功した。
 自民党と民主党の対立は、自民党の過半数割れと民主党の躍進(九五から一二七へ)、自民党における都市選挙区議員の減少と民主党における新自由主義的保守系議員の増大・旧社会党系議員の減少(二七から二二へ)によって、路線的・地域的対立を強める方向で拡大した。
 第二は、自民党が過半数割れしたことである。
 自民党が、参議院だけでなく衆議院でも過半数割れし、ますます他党との連立なしに政権維持が出来なくなった。公明党を連立の相手とせざるを得ないことも、政治的不安定化の増幅要因でありつづけるだろう。
 第三は、社民党が、「護憲」を前面に掲げて、若干巻き返した(一四から一九へ)ことである。
 総選挙直前、首相の森が「日本は天皇を中心とする神の国」と言い放ったことが、戦後民主主義の立場からする支配階級を含む広範な層からの反撃を呼び起こし、小渕弔い合戦で自民優勢かという雰囲気を一変に吹き飛ばした訳だが、社民党は、この「神風」に乗った訳である。民主党が、党内的に改憲派優勢なため「神の国」発言批判を選挙の争点からはずしたこともあって、社民党が有効に風を受けることになった。「護憲」社民党が元気になったことは、改憲阻止にとって一つの有利な要素である。
 また社民党は、当選一九人中一〇人が女性、参院も一二人中六人が女性であるから、議員の半分が女性の党になった。それは、女性の政治的進出と女性差別の打破を求める流れが着実に強まってきていることの端的な反映である。
 第四は、「神の国」発言の森が「私より国粋主義者」だとする小沢の自由党も、党存亡の危機を採り沙汰された中、若干盛り返した(一八から二二へ)ことである。
 民主党とは新自由主義の点で同じだが、軍事・警察・教育での中央政府の強化を主張するこの党が踏みとどまったことも、今後の波乱要因である。
 第五は、主な野党の中で日本共産党だけが議席を減らした(二六から二〇へ)ことである。
 日共は、野党への追い風の中で、なぜ議席を減らしたのか。日共指導部は、自公の「すさまじい謀略宣伝」のせいにしているが、それだけではないだろう。
 今回の総選挙に臨む日共は、民主党の躍進次第では、政権参加に道が開かれるかもしれない立場に置かれた。ここで彼らが打ち出した態度は、日米安保体制については現状凍結でよい、ルールある資本主義でいく、レーニンのブルジョア国家粉砕論そのものが誤り等々という、現代修正主義路線を更に質的に深化させたものだった。しかし、当の民主党から、共産主義綱領(内実は国家資本主義的な修正主義)を掲げる日共との連立はありえないと断言されてしまう。これが大きかった。自公保連立政権にかわる民主党中心の連立政権を求めた都市部中心の世論の風は、これで日共からそれてしまったのであろう。
 朝日新聞も、総選挙直後の論評の中で、日共の綱領・党名の変更問題を指摘した。支配階級は、今回の総選挙を通して日共に対し、政権に参加したければ共産主義の「修正」でなく共産主義の「放棄」を明らかにせよと突きつけた訳である。
 もちろんわれわれは、日共の議席減少の背後には、ブルジョア階級に一段と擦り寄る日共指導部に対する労働者人民の批判の増大もあることを見ておかなければならない。それも現実だからこそ、総選挙直後の各党代表による討論会で日共委員長の不破は、綱領の放棄を力無くも言下に否定しなければならなかったのであろう。
 ともあれ日共は、今回の総選挙での敗北を通して、重大な岐路に差し掛かったと言える。
 第六は、新基地建設が目論まれている名護市を含む沖縄三区で、新軍事位置建設基地阻止―普天間基地無条件全面返還を訴えた候補が当選したことである。
 この間、政府が沖縄サミットと一千億円振興策を振りかざして、沖縄民衆に米軍基地を受け入れさせるべく工作を強めてきた。沖縄でも、これに連動して、稲峰県政による新平和祈念館展示改ざん、県議会の「一坪反戦地主など排除」陳情の採択、高良倉吉ら琉大三教授による日米安保積極支持の「沖縄イニシアチブ」論など反動的巻き返しが強められていた。こうした中で、新軍事基地建設阻止の候補が当選したことは、南北の自主的平和統一を求めて力強く前進し始めた韓国・朝鮮の人々に鼓舞されて、沖縄民衆が反撃の一歩を印したということに他ならない。
 第七は、獲得議席数の増減からだけでなく、以下のように九十六年の前回衆院選比例区と今回のそれの得票数(得票率)の比較から見ても、上記の諸特徴が裏付けられることである。尚、公明党と自由党は、九十八年の前回参院選比例区との比較である。(得票数は万の位を四捨五入、比率は、小数第二位を四捨五入)
 自民党は、一八二〇万(三二・八%)から一六九〇万(二八・三%)へ。民主党は、八九〇万(一六・一%)から一五一〇万(二五・二%)へ。公明党は、七七〇万(一三・八%)から七八〇万(一三・〇%)へ。共産党は、七三〇万(一三・一%)から六七〇万(十一・二%)へ。自由党は、五二〇万(九・三%)から六六〇万(十一・〇%)へ。社民党は、三五〇万(六・四%)から五百六十万(九・四%)へ。
 尚、自・公・保は、合わせて二五〇〇万(四一・七%)で議席二七一(五六・六%)を獲得であった。
  第八は、投票率が極めて低かった(六二・四九%)ことである。
 今回の総選挙の投票率は、投票時間が二時間延長されたにもかかわらず、戦後二番目に低い投票率になった。選挙による政治統合の回復は、ブルジョア階級支配を維持する上での要の機能である。その機能低下も、総選挙評価の中で押さえておかねばならない。
 自民党は金融独占資本を代表する政党であり、他方民主党も寄り合い所帯ながら新自由主義的改革を掲げて金融独占資本を代表せんとしている政党であって、守旧派・改革派と色分けしても、労働者人民にとっては同じようなものである。自民党政治は行き詰まっているが、民主党の新自由主義的改革は、労働者人民に一層犠牲を求める路線。「誰が当選しても同じ」という意識が一層広まって当然である。
 また今日、国家に期待せず、自衛的に生きようとする傾向が強まっている。年金財政の破綻を見越して、保険金の支払いを拒否する人口が、特に若者の間で増大していることは、その典型である。この傾向も、人々の足を投票所から遠ざけた要因であろう。
 ともあれ選挙による政治統合機能の低下は、とりわけ都市部で今後も進行しいくに違いない。
 今回の総選挙は、朝鮮半島の南北首脳会談によって劇的にその一歩が印された東アジアにおける冷戦構造の解体過程の中で実施された。しかし今回の総選挙では、わが国の政治的上部構造において基本的変化は生じなかった。その立ち遅れが際立たずにはいない。わが国の政府・支配階級はこれまで通り、アメとムチの両面を使い分ける米帝の東アジア戦略を受け入れ、主としてムチの側面を補完し続けることになり、確実に国際的立場の悪化を招くだろう。新自由主義的な経済構造改革による産業再編成という点でも国際的に大きく立ち遅れよう。支配階級は、その内部矛盾を深刻化していくに違いない。
 そうした中でわれわれに求められていることは何か。それは、森・自公保連立政権と対決し、新自由主義的改革路線にも組することもなく、敵の内部矛盾を利用しつつ、労働運動を軸に地域的統一戦線を発展させ、改憲阻止をはじめとした共同闘争を押し上げ、階級闘争の新たな時代の幕開けを準備していくことである。また同時に全国の誠実な共産主義者とともに、マルクス・レーニン主義の現代的発展をたたかいとり、共産主義運動の全国的統合をたたかいとることである。団結し奮闘しよう。