いじめと 『こどもの権利条約』
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
「僕だってまだ死にたくない。だけどこのまま じゃ『生きジゴク』になっちゃうよ」
東京の当時中学校2年生だった、鹿川裕史君は こう走り書いた遺書を残して自殺をした。この悲 痛な叫びは裁判官には届かなかった。教師までも 寄せ書きに加わった『葬式ごっこ』を「ひとつの エピソードとみるべき」とした判決に、当時多く の批判が出された。
それから3年、今年の5月20日、「自殺はい じめが原因で、適切な指導をしなかった学校にも 責任がある」と訴えた、《鹿川君いじめ訴訟》に 対して、東京高裁は一審判決を覆した。
「多数の生徒に教師まで加わった、鹿川君の存 在を否定するような行為は、彼にとって、教師が 頼りにならない存在だと思い知ったに違いない」 として、『葬式ごっこ』をいじめと認定し、自殺 に対して、学校の責任を厳しく糾弾した。
その日のほとんどの新聞の夕刊は、この判決を 支持し、一面で大きく取り上げた。 その10日後の5月30日、岡山の中学3年生 菅野泰樹君が、いじめた子の名前と、取られた金 額や暴行の様子を書いたメモを残して自殺をした。
この中学の学校長は、はじめは「自殺の原因は、 いじめかどうか断定できない」と言っていたが、 調査され、追求される中で、「自殺の原因はいじ めだった」と認めた。
鹿川君の命をかけた訴えは、新聞、テレビなど、 マスコミで大きく取り上げられたが、この岡山の 中学校には何も届かなかったということになる。
昨年、いじめによる自殺が8月までは、ほぼ一 ヵ月に一度の割合で起こった。一時表面的に沈静 化したかにみられたいじめは再び増加の兆しがみ られるという。
いじめられているこどもたちの多くは、周りに 何らかの、シグナルを送っている。学校側も知っ ている場合が多いが、事の重みを感じず、対応し ようとしない。そして、自殺者が出ても、なお自 らの責任を回避し、いじめの存在を否定する。
もう、学校現場には何も期待できないのか?
《鹿川君いじめ訴訟》の判決が下った2日後の 5月22日、日本においてもやっと、『こどもの 権利条約』が、発効した.1989年11月、国連総会 で採択されてから、多くの国が次々と批准してい く中で日本では、5年近くかかっている。この批 准の遅れは、単に時の政局の事情だけにあるので はなく、日本における人権意義の遅れを表してい ると言えよう。確かに、戦争が自国の中であり、 悲惨な状態におかれているこどもたちに比べ、日 本のこどもは恵まれている。しかし、物質的にも 恵まれてはいる日本で、いじめ、体罰、虐待など、 こどもをめぐる問題は山積している。
前文で言われる、「こどもの人権を十分に配慮 し、一人一人を大切にした教育」が現実になされ ていたら、鹿川君、菅野君のような事件は起こら なかっただろう。
こども自身が声を出せる場を保証し、それを真 摯に受け止める環境をつくらなければならない。
「あの時、いじめている連中が悪いと思ったが、 鹿川君に手を差しのべなかった自分にも責任があ る。それを忘れずに生きていく」との鹿川君の同 級生の声に救われる。そして、この声は、『こど もの権利条約』をこどもたち自身へ、周りのおと なへ、徹底させる必要性を訴える声でもある。
今、『こどもの権利条約』の精神を積極的に学 校教育に生かさなければ、鹿川君、菅野君等、多 くのいじめの犠牲者は浮かばれまい。
月刊情報紙 『Stuttering Now』 1994.7.16 No.2より