鳥の歌[2006/2/11]
トリノ冬季オリンピックが開幕。
こちらのトリノではなくて、今日は「鳥の話」。
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私ではうまく説明できませんので以下のアドレスでご確認ください。 http://king-fisher.cool.ne.jp/2005/swebitelist.shtml |
鳥といって思い出すことといえば・・
(1)鳥インフルエンザ
(2)このところ市内では、烏(からす)が多い
今年はこの地方でも雪がたびたび積ったが、雪が積った時の烏と雪(黒白)のコントラストはなかなか見物。困ったことに、ゴミ袋を突く烏が多い。烏は人間に馴染んでいるのか、車で接近してもなかなか避けようとしない。しかも飛んで避けようとせず、歩いてギリギリでかわす。「おいおい、鳥なら飛べよ・・」と言いたい。
(3)一月に「雁」の飛行するところを発見。
「く」の字型になったり、「W」字型になったりして、10羽ぐらいでかなり高いところを飛んでいるのを見つけた。素人の想像だが、北陸などの寒い地方からさらに暖かいところをめざして飛んで来たのだろうか。
要するに、鳥のことはほとんど門外漢で何も知らない。知らないことは書きようがないのだが、ただ鳥の歌については2・3ウンチクを・・
まず、四季を代表する鳥を一種類ずつ選べば・・
春:鶯
古今・春上#14 詞書「寛平の御時きさいの宮の歌合の歌」 |
大江千里 |
鶯の 谷よりいづる こゑ(声)なくは 春来ることを 誰か知らまし | |
鶯(うぐいす、旧仮名遣いでは「うぐひす」) 鶯は、春が来るまでは山間の「谷」に住んでいると信じられた。 |
大意: 鶯が谷から出て来て鳴く声を聞かなければ、春が来たことを誰が知るというのでしょうか。 |
夏:ほととぎす(ほととぎすについては以前に書いた「No144 目には・・」参照)
古今・恋一#469 題知らず |
読人しらず |
ほととぎす 鳴くやさつきの あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな | |
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大意: ほととぎすが鳴く五月のあやめ草ーそのあやめ、すなわち物の筋目(道理)もわからないような恋をすることもあるんだなァ。 |
秋:雁
古今・秋上#207 詞書「是貞のみこの家の歌合の歌」 |
紀友則 |
秋風に 初雁がねぞ 聞こゆなる 誰が玉づさを かけてきつらん | |
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大意: 秋風が吹いて、雁の鳴き声が聞こえるようになった。(雁は)誰の手紙を運んで来たのだろうか。 |
ただ、「帰雁」になると春
万葉・巻19#4144 詞書「帰る雁を見る歌」 |
大伴家持 |
燕来る 時になりぬと 雁がねは 国偲(しの)ひつつ 雲隠(がく)り鳴く | |
燕が来るころが「帰雁」の季節か? |
大意: 燕が飛来する時期になると、雁は故郷を思って高い雲に隠れて鳴いて行くのだろうか。 |
冬:千鳥
拾遺・冬#224 題知らず |
紀貫之 |
思ひかね 妹がり行けば 冬の夜の 河風寒み 千鳥鳴くなり | |
古今集・紀貫之を徹底的に批難(※)しようとした正岡子規が「この歌はいかに?」といわれて、くしくも「この歌ばかりは趣味ある面白き歌に候」と誉めた有名な歌。 (※)貫之は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候(これありそうろう)。『歌よみに与ふる書』 |
大意: 恋しさのあまり恋人(妻)の所に行こうとすると、冬の夜は川風が寒く千鳥が鳴いている。 |
その他にも「鳥の歌」はたくさん出てくるが、
鴨(かも)・鴛鴦(おしどり)・烏(からす)・燕(つばめ、「つばくらめ」とも)・雀(すずめ)・鷹(たか)・雉(きじ、「きぎす」とも)・鶏(にわとり)・山鳥など。
ただ「ほととぎす」の時にも指摘したように、平安時代にはれっきとした「鳥類学」は確立していないため、時々誤解をよぶことになる。
たとえば、「鴛鴦夫婦」。鴛鴦は一年もするとペアを代えるという。芸能人の「鴛鴦夫婦」といわれる人がしばしば離婚するのはこのためか?
極め付けが、「古今伝授三鳥(さんちょう)」といわれる三つの鳥。
ほとんど何の鳥だかわからないのだがモノの本によると(以下、呼子鳥、百千鳥、稲負鳥の順に)・・
古今・春上#29 題知らず |
読人しらず※ |
遠近(をちこち)の たぎつも知らぬ 山中に おぼつかなくも 呼子鳥かな | |
※一説(藤原公任『三十六人撰』)に、作者:猿丸太夫とも |
大意: 右も左もわからないような山中に、おぼつかなく人をよぶような鳴き声をする呼子鳥だなぁ。 |
呼子鳥は「万葉集」にもみられる。 |
その他の「呼子鳥」の歌 大和には 鳴きてか来らむ 呼子鳥 象(きさ)の中山 呼びぞ越ゆなる(万葉・巻1#70、高市黒人) こぬ人を 待ちかね山の 呼子鳥 おなじこころに あはれとぞきく(詞花・春#47、太皇太后宮肥後) |
古今・春上#28 題知らず |
読人しらず |
百千鳥 囀(さへづ)る春は ものごとに あらたまれども われぞふりゆく | |
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大意: 百千鳥が囀る春は何事も新たまるが、私は年をとってゆく。 |
百千鳥も「万葉集」にもみられる。 |
その他の「百千鳥」の歌 わが門の 榎(え)の実もり喫(は)む 百千鳥 千鳥は来(く)れど 君そ来まさぬ(万葉・巻16#3872、作者未詳) 声絶えず さへづれ野辺の 百千鳥 のこりすくなき 春にやはあらぬ(後拾遺・春下#160、藤原長能(ながとふ) |
古今・秋下#306 詞書「是貞親王の家の歌合の歌」 |
壬生忠岑 |
山田もる 秋のかりいほに おく露は 稲負鳥の 涙なりけり | |
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大意: 山田の番をする秋の仮庵に降りる露は、稲負鳥の涙ということに気づいた。 彼が「夜離(よがれ:男が飽きて夜訪ねることがまれになること)」して、独り寝を嘆く女性の「閨怨の歌」と解するのが適当か。 |
逢ふことを 稲負鳥 教へずは 人を恋路に まどはざらまし
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大意: 男女の契りを稲負鳥が教えなかったら、人間を恋の煩悩で惑わせなかっただろうに・・ |
室町中期以降、歌道のバイブルとも思われる「古今集」を師匠から弟子へという形で秘伝として伝授すること=「古今伝授」といって、訳もなくもてはやすことに。
名前もその生態もわからず、ただ、古今伝授の三鳥を読み込めばそれなりの歌として聞こえるのが不思議だ。
このばかばかしい作歌を数百年も飽きずに、手を替え品を替え繰り返すのが王朝和歌の味わい。
最後にもっともばかばかしい「鳥の歌」で・・
古今・春上#4 詞書「二条のきさきの春のはじめの御歌」 |
二条后 |
雪のうちに 春はきにけり うぐひす(鶯)の 氷れる涙 いまやとくらむ | |
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大意: 雪がまだ残るのに立春をむかえた。春になれば氷がとけるように、鶯の涙も氷解するのだろうか? |
鶯が涙を流して泣く(鳴く?)のだろうか?
[追伸]
おっと、本論忘れてました。ホームページを作成している管理人の方がみえましたら、このシールを張って「野鳥保護」にご協力くださいとのこと。