100系カフェテリア2

営業面から見た100系カフェテリア

   営業開始の頃のカフェテリアでは小パック積めされた商品を中心に200種に及ぶ飲食物が所狭しと並べられ、当初こそは食べ物を選べる楽しさもあってカフェテリアは好評を博しました。
 しかしその後は列車の高速化や駅売店の充実化、バブル崩壊の影響などの社会状況の変化により、積み込み商品内容にも変化が見られ、小パック積め商品に替ってお弁当やワゴン販売品が並べられるに過ぎなくなりました。本来の意味でのカフェテリアはこのパック積め商品の積み込みが行われなくなった時点で終焉を迎えていたと解すべきなのでしょう。
 なおカフェテリア全盛期のグリーン車ではカフェテリアの商品から食事セットにしたものをトレーに載せてシートサービスが行われていました。当時は食堂車の連結された列車も多数あったことからせっかくのこれらのサービスも食堂車と比較されると見劣りしたようです。しかし、列車供食体制がワゴンサービスのみになってしまった今の時代にもしも残っていれば、駅弁とは違った付加価値のあるシートサービスとして受け入れられたかもしれません。

00年5月頃のSPS担当営業列車
カフェテリア末期は陳列される商品も写真のようにお弁当やお土産ものが中心でしたが、いかにきれいに沢山並べてあるかのように見えるかはクルーのセンス次第でした。

写真は編成番号不詳ですが、柱形態からG32〜45編成(8・9次車)であることがわかります。

01年9月頃のJD担当営業列車
JD担当列車では電子レンジ調整品のたこやきなども売られていました。
G5編成

100系G編成使用の定期ひかり号では必ずカフェテリアの営業がありました。また臨時列車でも時刻表にカフェテリアマークが表示された列車では営業がありました。しかしSPSの場合は時刻表にカフェテリアマークが無い臨時列車でも乗務するクルーの人数や列車の混雑度合いなどからチーフパーサーの判断でワゴン販売品の一部をショーケースに並べてカフェテリアを営業するケースが数多く見られました。
写真は03年5月3日運転の9313A=G32
ワゴン販売品が中心とはいえ、商品を並べると結構売れていました。

   カフェテリアの担当営業会社は当初JR東海の子会社であるSPS((株)パッセンジャーズ・サービス)のみでしたが、100系の数も増えてくるとJD((株)ジェイダイナー東海)や帝国ホテル担当(帝国ホテルは後に列車食堂事業自体から撤退)の列車も登場し、定期のひかり号を中心に営業が行われました。当初臨時列車でもカフェテリアの営業がある列車もありましたが、その後定期列車のみの営業になりました。なおこだま号ではカフェテリアの営業は行われませんでした。
 カフェテリア時代を築いたSPS担当のカフェテリアは担当する100系ひかり号が300系に置き換わったことにより00年9月22日の3252A(下りは9月21日の3211A)を最後に姿を消しました。
 JD担当列車は東京発着(119A・131A・112A・118A)に関しては01年10月改正で姿を消しましたが、名古屋ー博多間の179A・174Aが最後の定期100系ひかり号としてその後も残り、品川新駅開業を前にした03年08月22日の179A(G4編成)を最後にカフェテリアの営業は消滅しました。
(注)SPSとJDは02年10月に合併してJRCPになりましたが、クルーの運用は03年の品川開業までは基本的に合併前と同じでした。


  • 100系カフェテリアへ
  • 100系新幹線電車のページへ
  • 食堂車のページへ
  • 新幹線TOPページへ