Thunder Shot Jr. (Type-2)

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この頃からオープンホイール・レーシングカーをイメージしたものとなり、多大な影響を受けていました。「第 2 回ジャパンカップ」で中学生と偽って「コンクールデレガンス」に出品(笑)し、「出ていれば優勝?」とささやかれていたように記憶しています。このシャーシで個人的に基礎技術を確立し、その後のものはこれから発展させたものです。

低重心を目的として、「電池落とし」ともよばれる電池の位置を下げる改造は発売当初からすぐやっていました。また、ローラマウントの自作により、前後のローラの距離(ローラベース)をできるだけ短縮していました。

「第 1 回ジャパンカップ」総合優勝者が、ワンウェイホイールにワイドホイールのスポンジタイヤを履かせていたこともあり販売された「ワイドワンウェイホイール」を採用。そのままでは非常に重いゆえ、使い物にならないと考え軽量化、また発売してからその日のうちに思いつき、当時の最大幅 100[mm] にまで拡大した、自称「スーパーワイドワンウェイホイール」を採用していました。