えらそうな、独り言・・・ Dee's Zuihitu   アルファベットエッセイ A B C D E F G H I J K L M N O P Q R S T U V W X Y Z   特別読み切り「SKYLINEの恋人  

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i××××(あい××)     Deeの本名のイニシャルはD.Aである   つまり名字は「あ」から始まる名前である   さらに二文字目は「い」である   ゆえに幼いころから出席番号はほとんど1番であった・・・   しかもめずらしい名前らしく、親戚以外で会ったことがない!   おかげでいろいろな苦労を味わってしまう・・・   例えば電話である・・・      「もしもし、あい××ですけど・・・」      「は?あ△××さんですか??」   「いえ、あい××ですけど・・・」      「あ、あ○××さんですね」   「いえ、あ・い・×・×・なんですけど」      「あぁ、あい××さんね」     ってなことはしょっちゅうである   さらに面倒なのはハンコを買う時である   そのへんのハンコ屋さんには認め印がないことが多い   というよりも、まず置いていないといっていいだろう   ハンコ屋さんや文具店の店先にある、カラカラ回す認め印なら   8000種以下なら絶対といっていいほどない!!   10000種で運が良ければあるかも、12000種ならある可能性があり   15000種ならありそう・・・といった具合である   同じ「あい」の漢字を使う名前が40種ほどあっても、「あい××」だけないってこともあるほどだ   苦労する・・・(苦笑)     出席番号がほとんど1番ってことも、けっこうめんどくさいものだ   小学校から専門学校までで、1番以外だったことは2回だけである   しかも1回は転校のため、1番最後になったからだ   つまり、自分より前に人がいたのはタダの1回だけってことだ   出席番号が1番で困るのは主に一学期のクラス替え直後である   当然、受け持ったばかりの担任教師は生徒の顔や名前など全部は知らない   クラスメートも然りである   つまり、まっさきに顔と名前を覚えられてしまう・・・   そのうえ、日直、週番、ナントカ当番なんてものは一番始めにいいつけられてしまう   授業で当てられるのもそうだ!   ハタメイワクこのうえない   人はありふれた名前よりめずらしい名前をありがたがるが   それはそれでいろいろと苦労があるものなのだ  
inbou(びんぼう)     のっけから、暗いネタで恐縮だ・・・(苦笑)     あなたはびんぼうというのをご存じだろうか??   いや、びんぼうという言葉の意味なら誰もが知っているであろう   そうではなくて、びんぼうというものを味わったことがどれほどあるかという話である     Deeの家はむかしひどいびんぼうであった   お金に苦労するびんぼうである   その日の食べる物を買うお金がすでにないのだ!   そのころ両親はかなり苦労したそうだ・・・   幼いながらに「うちはお金がないから・・・」ということを認識していた   だから贅沢品はガマンである・・・   高校もお金のかからない公立校にいくのがあたりまえだと思っていたくらいだ   いまは父親の事業が成功してそこそこ余裕のある生活になったが(といっても自立したから関係ないが)   幼い頃はびんぼうだった・・・     あなたは野山で山菜や野草をつんで食べた経験があるだろうか?   ふつうはそういうことは趣味や楽しみでやるものだ   しかし、うちは違った・・・食べる物が買えないのだ!   だから仕方なく外にはえてる食べられる草をつんでくるのだ!   おかずがそれなのだ!それしかないのだ!   そんな生活・・・それがびんぼうである   お金に苦労したことがない人にそんな生活が想像できるだろうか・・・   想像はできるかもしれないが、そのみじめな気持ちは理解するのはむずかしいかも知れない・・・   それがびんぼうである  
(シーディー)     DeeはけっこうたくさんCDを持っている   アルバム&マキシシングルが368枚、シングルが159枚もあるのだ(2000.1.27現在)   これでも音楽ファン仲間のなかでは少ないほうである   ほとんどは女性ボーカルもののCDである   男性アーチストはアルバムが少しとシングルくらいだな(笑)   しかもほとんど邦楽だ   というより、洋楽は4枚しかない(苦笑)   こういうことを書いていると、むかしから買い集めてるような印象だが   95年まではアルバムが30枚ほどしかなかった   つまり、ここ4年ほどで買いまくったのである(笑)   そのうちHPにもアップしたいが・・・(苦笑)   しかし、追っかけているアーチストはかなりマイナー路線が多い   ヒットチャートランキングのトップ10に入ってくる人のは少ない・・・   ラジオの音楽番組のトップ50くらいに入るのが半分くらいあるかどうかであろうか・・・   たいていの人はうちのCDラックを見ても「誰?こいつ??」ってな感じだろう(爆)   いつも「こんなマイナーなやつどこでチェックしてるん??」などと聞かれることが多いが   べつに特別なことはしていない   新人や新曲などのチェックはおもにFMラジオからである   一応、音楽情報誌も買ってはいるが、たったの1冊だけだ   それだけで十分である   あとはCDショップに出向く   最近の大手ショップでは機械による試聴ができるのでこれもチェックだ!   この程度で十分情報は集まるものだ   ふつうの音楽ファンであれば(なにをもってふつうというのかはわからんが・・・)   Deeの持っているCDのアーティストはけっこう知っているはずだ   ただ、Deeは売れていないものも手広く追っかけているだけなのである   特に新人の発掘は面白い!   テレビ番組のランキングやドラマ、CMのタイアップでブレイクする曲などを聴いている人たちは   そこには出てこない曲を知らないだけである   最近はデビューしても売れずに細々とやっているアーチストが   ドラマやCMのタイアップで大ブレイク!!ってのもある   そのとたんにライブのチケットがとれなくなって、最初から追っかけてたファンががっかりする   ということも最近は多い・・・   なんだか最近の音楽の売れ方に少しギモンを抱いているが、それはまたの機会にしよう  
ee(ディー)     やっぱ、DはDeeだろう(爆)   チャットに出はじめのころ、ハンドルネームの由来をよく聞かれた   RX−7に乗ってるのか?とか、バンパイアハンターなのか?などなど(爆)<ネタ的にツライものがあるな・・・( ̄▽ ̄;   理由は単純だ!ただ単に自分のイニシャルからである   初めてチャットというものにエントリーしようと思いたったとき   さぁ、ハンドルはなににしようか?と考えた   まぁ、とりあえず無難にイニシャルにでもしとこうと・・・   しかしである、ただ単に「D」だけではあまりにも味気ない   そこで、読みをそこなうことなく、名前らしく「ee」をつけたのだ   Dee誕生の瞬間である   だが、Deeは初めて入ったチャットにいきなりハマってしまった( ̄□ ̄;)   気づいた時にはもう、ハンドルは定着してしまっていた   「とりあえず」「暫定的」なハンドルはみごとに固定されてしまったのだ   まぁ、自分でも気に入っているハンドルなので結果オーライといっとこうか・・・  
mpty(エンプティー)     エンプティーとは、からっぽということだ   からっぽといえば、ガス欠である   Deeはむかし、高校生のころは原チャリでよくガス欠したもんだ   ガソリンを買うこづかいが少なかったからだ   だが、車は原チャリと違う・・・   ガス欠になったらおおごとだ!   原チャリのように押してスタンドまで歩くというわけにはいかない   だから車でガス欠などというハズカシイことなどやったことがあるわけが・・・   あるんだなぁこれが(^^;   しかしあの時は自分のせいではない   だまされたのだ・・・     それはむかし、まだDeeが神様を信じていたころ(いつだ?)のことだ   とある山奥の国民宿舎で居候のような生活をしていたころ   そこに住み込んでいる学生時代からの悪友にたのまれ、ふもとの村まで出かけることになった   彼の軽トラを借りて一人で出かけるDee・・・   出かけ際に彼に聞く      「これ、ガソリンだいじょぶか?」   そう、彼の軽トラはガソリンメーターが壊れている、残量がわからない・・・      「だいじょぶだよ、村までの往復なら楽勝さ!」   彼の言葉を信じて出かけるDee・・・   ふもとの村までは県道で約40分だが、未舗装の林道なら峠をこえて30分だ   村までは無事に着いた   用事をすませて、帰路につくDee・・・   行きとおなじ林道に入る   未舗装でガードレールもないような道をパリダカばりのテクで軽トラをあやつるDee・・・   あと数分で県道に出るぞ   あれ?エンジンの音がヘン・・・   踏み込んでも回転が落ちつかん   まさか・・・( ̄▽ ̄;   ヤバイ!!   とにかく県道まで持ってくれ!!(><)     ・・・なんとか県道までは出れた   しかし、県道といってもすれ違いも苦しいような山道   しかもその日は平日、通る車もめっきり少ない   とうとう、あと数キロを残して軽トラは息絶えた・・・   軽トラを脇に寄せてトボトボ歩くDee      「フザケンナヨ・・・あのヤロウ・・・」   そこから、山の集落(といっても国民宿舎と林業事務所と民家が一軒だけだ)までは歩いても30分はあるだろうか・・・   と、そこに車が一台来た!!   Dee初めてのヒッチハイクである(爆)      「ガス欠したんです、この先の集落まで乗せてくれませんか??」   なさけないことこの上ない・・・   やっとのことで戻れたDeeは開口一番、叫んだ!!      「てめぇ!!ふざけんなぁぁぁぁぁぁ」   ヤツは笑っていた      「あれ??ダメだったぁ?おっかしいなぁ、計算まちがったかな??」   おまえ、小学校からやりなおせ!!     Dee、夏の日の思い出である(笑)    
ujitubo(ふじつぼ)     身の毛もよだつ話をひとつ・・・     フジツボというのをご存知だろうか?   カスタムマフラーのメーカーではない(爆)   海の岩場などにひっついている山型の貝のような生き物である   波がかぶる所に多く、穴のあいた中から触手を出したりするアレである   小さい物は米粒ほどであるが、大きいものは直径4cm、高さ3cmくらいにはなろうか・・・     さて、海で岩場を裸足で歩いていると、つい切り傷を作ってしまうことがある   あとからヒリヒリ痛いものだ   しかし、その傷もすっかり癒えたころである   なんだか時々歩くときヒザがみょうにギシギシする・・・   ちょっと痛みもともなう・・・   なんだろうなぁと気にはするが、たいしたことはないのでしばらくほってしまう・・・   そのうちだんだん痛みが強くなってくる   なんだか痛みがひどくなった   時として歩けなくなるほど痛い!!   観念してついに医者に出向くことになる   医者が言うには手術が必要だという   そして切開手術で開かれたヒザのお皿の骨の内側に・・・     ビッシリとはえているフジツボが・・・     どうかな?   鳥肌がたったかな?(爆)     夏の日の身の毛もよだつお話でした   
eta(げた)     Deeはそのむかし下駄を愛用していた   といっても中学、高校のころのことだ   Deeの家では、家族はみな下駄が好きで   家族で出かけるとき全員が下駄を履いていたこともあるほどだ(笑)   Deeが愛用していた下駄は10cm以上ある高下駄で、よく応援団や柔道家が履いているアレだ!!(爆)   天狗が履いているようなイメージもあるな・・・   けっこう重みもあるが、履くと背が高くなったようないい気分を味わえる   最近のポックリねえちゃんよりずっと先をいってたな(爆)   身長が低いDeeにはもってこいだ!(自爆)   その下駄をカラ〜ン、コロ〜ンとならして商店街を練り歩く!!   近所ではけっこう有名だったらしい・・・   しかも真冬でも裸足で下駄だ   これが不思議と寒くない   木のぬくもりであろうか・・・   先人の知恵なのか?文化として受け継がれてくるにはいろいろ根拠があるようだ   しかし、これがまたよくこけたなぁ(苦笑)   最近、ポックリねえちゃんがよくこけて怪我をしているらしいが   気持ちはよくわかるなぁ・・・   つい、走ったりしたとたんにこけてしまうのだ   足をひねったり、走ってる途中で脱げたり(爆)   けっこう履きこなすには苦労がいる   最近めっきり下駄を履いている人を見なくなったが   さみしいかぎりである   また履いてみようかなぁ・・・   
iasobi(ひあそび)     Hが火遊びってのはなかなか意味深だなぁ(笑)   でも、みんなが期待してるような内容ではないのであしからず(爆)     Deeはアウトドアな人間ってこともあってか、焚き火が大好きである   冬場はシーズン(?)ってこともあって焚き火は恒例行事である(笑)   しかし、夏場のクソ暑いさなかにやる焚き火もなかなかである      そのむかし、究極の焚き火にでくわした強烈な思い出がある・・・   それはたしか、8年ほど前のことだが   Deeがまだ学生のころ、相棒である悪友と富士山のまわりにドライブに行ったときのこと   本栖湖のほとりに車を止めて付近をぶらぶら歩いていたら、林の中に火の粉があがっているのに気づいた   「まさか、野火じゃないだろうなぁ?」   悪友と近づくDee・・・   そこで見たのは、ものすごい焚き火だった   1本が鉄道の枕木ほどの材木がうずたかく積まれていて火柱が上がっている   木にはタールのような黒ずみがあり、金属のくずも付いているようだ・・・   上がっている火柱は5mに達するほどの高さで   その炎は青、そして赤紫の光が渦巻いていた・・・   「すげぇ・・・」   あっけにとられるDeeと悪友・・・   まさに圧巻と言うべき究極の焚き火であった   二人は瞳の中に炎を燃やして心に誓った   「おれ達も、いつかこんな焚き火をやってやる!!」   あぶない二人組である・・・(自爆)     焚き火といえばバーベキューを連想するが   野外で火をおこすのはシロウトさんにはけっこうむずかしいものらしい   Deeはむかし山奥の国民宿舎で居候をしていたが   そこはマスの養魚場があり、渓流釣りや釣り堀もやっていて、バーベキューのお客も来るのだ   夏休みともなると、家族連れや若者の団体さんが大挙してやってくる   これが面白いことに、なかなか火をおこせないグループがいる(笑)   がんばってるのはわかるが、ぜんぜん火がつかないのだ   焚き火のイロハがわかっていないらしい・・・(笑)   太い薪や炭にいきなり火をつけようとしている・・・そりゃムリだって(苦笑)   煙ばっかり出て、涙を流しながら焚き火と格闘している・・・(笑)   1時間もかけてやっと焚き火らしくなったりしている   おいらがやれば、ものの5分でバッチリなのに(笑)   やっぱ焚き火は手際よく!!ってのがお約束でしょう(爆)      もひとつ、焚き火に関するエピソードを・・・   Deeが学生の時、長野の山の中で学校の合宿があった   キャンプ合宿だったのだが、同じキャンプ場に小学校の団体さん(林間学校ってヤツだろう)が来ていた   そいつらは夜にキャンプファイヤーをやっていた   これがけっこうな焚き火で、角材を1m四方の井げたに組んだヤツだ   2mほどの火柱があがっていたろうか・・・   キャンプファイヤーも終わり、焚き火も小さくなっていた   引率の先生方が焚き火の後始末をしていた・・・   火は消え、小学校の団体はどっかに(宿舎があったのだろう)引き上げていった   その後、鎮火したキャンプファイヤーの跡に近づくDeeと悪友   ぐるりと焚き火の跡をながめた二人は顔を見合わせてニヤリ・・・   その5分後、みごとにあがった2mの火柱!!(爆)     みなさん、火の始末はちゃんとしましょうね(核爆)   
ce Hockey(アイスホッケー)     実はDeeはアイスホッケーが好きだ   日本では実業団6チームが日本リーグとして毎年リーグ戦(90試合くらい)を行っている   Deeは毎シーズン、5〜6戦くらいは観戦に行っていたが   昨シーズンは結局1試合も行けなかったな・・・     アイスホッケーは日本ではマイナーなスポーツであろう   いつ、どこで、どんなチームが試合を行っているか知っている人はごく少ない   スポーツニュースでも取り上げられないこともしばしばだ   まぁ、去年の長野オリンピックの時は話題にはなったが・・・   アイスホッケーファンだと言うと人はみな驚くものだ   まぁ、無理もないか・・・     アイスホッケーはけっこう面白いぞ!!   いや、べつにここで宣伝しようというのではないが・・・(苦笑)      アイスホッケーの醍醐味はまず、そのスピード感だな   スケートしながらプレーするわけだから、人がただ走るよりはだんぜん速い!!   パック(球ではないぞ)のスピードもしかりである   シュート時のパックのスピードは百数十キロから二百キロ近くに達する・・・まさに弾丸だ   慣れない人が試合を見に行っても、選手とパックを追うだけで、なにがなんだかわからないだろう     さらにアイスホッケーの魅力はその競技特有のルールだろう   まず、めまぐるしい選手交代だ   アイスホッケーではキーパー以外の選手はフォワード3人とバックス2人の5人であるが   同じ5人がリンク上に続けて出場しているのは通常、約1分間だ   選手交代は試合中はいつでも可能で、常に選手が入れ替わり立ち替わり交代していく   だいたい5人一組のセットが4セットでまわっていき、ベンチにはいるのは2人のキーパーを含む22人が普通だ   その交代劇が試合を盛り上げるのだ     次に特徴的なのはオフサイドのルールだ   オフサイドというとサッカーやラグビーにもあるので分かると思うが、アイスホッケーのはちょっとちがう   サッカーやラグビーのオフサイドラインは選手の位置によって決まる、つまり状況によって変わるわけだが   アイスホッケーの場合はすでにリンクにオフサイドラインが引いてある!解りやすい!!   サッカーなどの場合・・・    「あれがオフサイドかよぉ!!」とか「え??なんだったの、今の??オフサイドだったの??」   などと解りにくい時があるが、アイスホッケーは一目瞭然である     そして、最大の特徴であり、最大の魅力はパワープレーだろう!!   アイスホッケーではファウルがあるとペナルティーで選手が一定時間退場となる   つまり、2分間とか、5分間とかを少ない人数で戦うのだ   退場となった選手はペナルティーボックスに入る ←Deeの掲示板の名前の由来はここからきているのだ!!   人数が多いチームはパワープレーとなり、得点のチャンスとなるのだ   ひどいときは2人がぶちこまれ、5人対3人での攻防となることも・・・これはすでにイジメに近い(爆)      アイスホッケーは20分間を1ピリオドとして15分間のハーフタイムをはさむ3ピリオド、60分間行う   バスケットと同じでプレー中断時は時計が止まるので、1試合はだいたい2時間ほどかかる   リンク際での観戦になるので寒い!!しかし白熱した応援になるので終わる頃には汗をかいているほどだ   来シーズンはたくさん観戦したいものだ   興味がある人や、実はおれもファンだ!というあなた!来シーズンはアイスホッケー観戦オフをやろう!(爆)  
yoba(じょうば)     馬に乗ってきた!   Deeに乗馬??そりゃ馬に念仏だろうって??ほっといてくれっ(><)   まだ3回目でしかも1年に1回のペースだ(爆)   しかし、なかなかどうしてちゃんと落馬せずに乗れている   けっこうむいているらしい、いや本当だ   なぜならDeeは体重が軽い!馬の負担が少ないらしいのだ   そのうえ体が柔らかい 馬の背中のうえで揺られてもバランスがいいらしいのだ   ふつうの人は3回くらいではおいらのようには乗れないらしい   並足、早足、蹴早足・・・おいらはのみこみがいいらしい・・・   インストラクターのお兄ちゃんが誉めていたそうだ     馬に乗ると気分がいい 目線が高いので眺めがいい   自分の指示どおりに馬が曲がったり止まったりすると、なんだかエラくなったような気がするのだ   まぁ、ほんとは馬に乗せていただいてるのだが・・・(爆)   わずか1時間のレッスンだが、降りたら汗だくになっていた   見た目よりハードなのだ     馬は人を見るという話がある   でもとりあえず馬にはキラワレなかった・・・(^^)   しかし、初心者をバカにするのはほんとうらしい   ヘタクソのいうことをきかなかったりするらしい   まぁ、たいがいはちゃんと合図が出来ていなくて馬に伝わっていないのが原因であろう     駆け足で走れたらさぞや気分がいいだろうなぁ   ただ、めちゃくちゃ疲れることだけは確かだろう(爆)  
akky(カッキー)     DeeはKakkyファンである   Kakkyとは、かのアーチスト、柿原朱美嬢である   なに??柿原朱美を知らない??   いかんなぁ、そんなことじゃ・・・   くわしくはこちらを参照してくれたまえ(爆)<Kakkyのオフィシャルサイトだ!!   Deeは93年にKakkyに出会い、いきなり熱狂的なファンになった(爆)   アルバムを買いあさって、毎日聴きまくっていた   ラジオ番組がはじまると、毎週ラジオに釘付けになり、ファックス投稿の嵐!!   ファンクラブができると速攻で入会し、イベントには行きまくって、ほとんど「おっかけ」状態であった( ̄▽ ̄;   ファンクラブやイベントを通じて知り合いになったKakky freakの友達とはいまでも強い絆でむすばれている(笑)     Kakkyのどこがいいのかとよく聞かれる その質問には「Kakkyの曲を聴け!!」という   聞いてみればいいのだ 気に入るか気に入らないかはその人次第だからな     Kakkyはほかのアーチストやボーカリストによく曲を提供している   有名なところでは今井美樹だな 今井美樹ファンのあなた!そこにあるアルバムの作曲者をよ〜く見てみよう   Kakkyの名前があるはずだ ほら!いい曲でしょ?(爆)     気になったそこのあなた!!今すぐCDショップに行って、店員さんに「柿原朱美のCDありますか?」と聞くのだ!!   そして共にKakky freaksの仲間になりましょう(爆)     余談だが、ファンクラブではKakkyのことを「Kakki」と表記している   だが、Deeはファンクラブができる前からラジオの投稿ファックスに「Kakky」と書いてきた   だから、いまだに「Kakky」なのだ  
eft(レフト)     言わずと知れた「左」のことだ   まぁふつうはレフトといえば野球の外野手を連想するか・・・   そうではなく「左きき」の話である     Deeは実は左ききである   これは物心ついたときからだ 気が付いたら左手を使っていた   なにをするにもまず左手である   おさない時は親に厳しく矯正されそうになった   そのせいで一時、どもり症になったほどだ   しかし左ききはなおらなかった   だが、すべてを左手で使うわけではない   字を書くときは右手だ これだけはなおされた さすがに字は右手で書かないと不都合だ   あと、ハサミも右手だ これはハサミの構造上、右手でないとうまく使えない   それ以外のものはすべて左手で使う 蹴る足も左だ(爆)   ただ、2回ほどやったスノーボードはレギュラースタンスだったが・・・     しかしながら世の中というものはほとんどが右きき用に出来ている   ドアノブ、電話、腕時計、ハサミ、きゅうす、自動改札機、刃物(?)、拳銃(爆)などなど・・・   右ききの人間は気づかないかも知れないが、CDのケースは右きき用に出来ているのだ!   握力のある右手で持ちながら、左手で開ける構造になっているだろう?これはあきらかに右きき用だ!(ホントか?)   と、いうくらい世の中は右きき用に出来ている   したがって左ききは必然的に右手も多く使うハメになる   一般的に左ききには器用な人間が多いといわれる由縁はここにあるのだ   本来はきき手ではない右手も頻繁に使わざるをえない だから右手もそれなりに使えなくてはならないからだ   右ききの人間が左手を使う頻度よりもはるかに必要性は高いのだ   Deeも右手をよく使う 箸などは左手とそん色なく右手で使えるし、物を投げるのは初めは右手で覚えた   バッティングは左右どっちでも打てるし、サッカーでは右でもシュートが可能だ     だが、ここでおもわぬ事を知った   「L」のネタを探して英和辞書をめくっていたら「left」の項目に目が止まった・・・   left------ 左の、左方の・・・左側、左翼、左党・・・ と、ここまではいい   だが、   left-handed------ 左きき、左手でやった(一撃など)・・・ん?????                 不器用な、疑わしい、不誠実な、陰険な、(結婚などが)身分違いの・・・   な、なんだとぉぉぉぉ!!!   これではまさにおれのことじゃん!(自爆)   いや、そうではない!!(素)   こんなことでいいのか??左ききの諸君!!   欧米では左ききはこんなにもしいたげられているのかぁ???しいたけ食べているのかぁ??←オヤジ?(自爆)   そりゃぁ右ききの人間から見れば、左手で箸をもって食事しているのは違和感を持たれるだろうし   なんでも左手でこなしているのは異様な光景かもしれん   しかしだ、我々左きき人間も好きで左手を使っているのではないのだ!!   生まれながらにしての仕方ないことなのだ     なんだか青年の主張じみてきたな・・・(苦笑)     まぁ、左ききは器用な人間という評価もあるようだし、きょうのところはこのくらいで勘弁してやろう!<何様??(自爆)     左ききにはそれなりに苦労が多いのだ   大多数の右ききの諸君!なにとぞご理解を頂きたい m(_ _)m   右隣にすわった左きき君と箸を持つ手がぶつかっても、笑って許してやってくれたまえ   できるだけ左はじにすわるようにするからさ(笑)   
acintosh(マッキントッシュ)     DeeはMacユーザーだ Macを買ってネットを始めてからそろそろ1年と4ヶ月ほどたつな   パソコンを買うときは最初からMacにしようと思っていた   すすめてくれた友達がMacユーザーだったこともあるが   なんとなくMacのほうがマニアックというかアカデミックというか・・・<偏見!(爆)   というか、ウインドウズ全盛のご時世にあって、少数派のMacにひかれたんだな(苦笑)   やはり判官びいきというか、あまのじゃくというか・・・( ̄▽ ̄;   しかし、自分にはMacのほうがウインドウズよりもあっているようだ   なんとなくシンプルな気がする   まぁ、あくまで私自身の勝手な印象だが・・・     だが、やはりまわりにはMacユーザーのほうが少ないな   いや、これでも多い方なのか??   パーセンテージからいうと、もっと少ないものらしい・・・   多いのはiMacユーザーだな あれはやはり売れたしね   知ってるだけで身近に四人いる<iMacユーザー   私もパソコンを買うのがあと数ヶ月遅かったらiMacユーザーだったかも・・・     最近はオールドMacがいい!!   クラシックなんて超かわいい!!   性能二の次で、お飾り用にほしいなぁ(爆)   あーゆーとこがMacの味のあるとこなんだよな     Deeはいわゆるスキルというやつが低い(自爆)   MacのG3なんて宝の持ち腐れだとよくいわれる   いいじゃんかよぉぉぉ(><)おいらの勝手だ!!   好きなようにやらせてくれよぉぉ(;;)   だが、トラブったときに勉強不足を痛感する( ̄▽ ̄;   がんばってもっと使いこなせるようになるぞ!!     今回はウインドウズユーザーには不評なズイヒツになったな(自爆)  
ature(ネイチャー)     Deeは自然が好きだ   自然物全般に興味がある それは動物、植物や自然環境など幅広い   むかしから「野生児」だったこともあるが(爆)   高校のときは生物部に所属し、卒業後も専門学校(いわゆる各種学校ではあるが)で自然環境学科というとこにもいた   「なにやってる学校なの?」とよく聞かれたが、動物学、植物学、生態学、環境科学からアウトドア関連にいたるまで   多種多様なことをやっていたな   と、いうとかっこいいが、そんなたいそうなことでもなかった(苦笑)   まぁ、実習で、丹沢や長野、三宅島から西表島まで行ったりもしたけどね   動植物の調査から自然観察の指導法などいろいろ勉強したね   学校をでてからもバイトやボランティアでいろいろ活動したなぁ   それはいまでも続けているが・・・     フィールドに出ていろいろな物を見たり触れたりすると楽しいものだ   と同時にいろんなルールも守らなくちゃいけないのでけっこうシビアだ   最近、アウトドアでのマナーやルールについていろいろ取りざたされているが   けっこう当たり前のことや常識みたいなものが欠如しているような気もするな   毎年のように迷惑な人々や不幸な事故がマスコミをにぎわしているが   フィールドでのルールを守らないとイタイしっぺ返しをくらったりするのだ     世間では絶滅しそうな生き物や、めずらしい自然をとりあげてありがたがったりしているが   じつは身の回りの身近なとこにあったりするものがけっこう貴重だったり大事だったりもする   都市部では自然が失われているなどどいわれているが、じつはその実態を知らないてきとーな先入観だったりもする   街中のちょっとした公園などでも年間に数十種類の鳥がいたり、虫がいたりすることに気づいている人はごく少ない   東京の山手線の内側のようなところでも年間では20種以上のチョウが見られたりするくらいなのだ   それもりっぱな「自然」であって、前人未踏の山奥や飛行機で何時間もかけて行くような外国の原生林だけが「自然」ではないのだ     ひとくちに「自然」といってもいろいろな「自然」があるものなのだ     かつてはどこでも普通に見ることのできた「朱鷺(トキ)」がいまはもう1羽しかいない   いま、普通にみているスズメやツバメだっていつかそんなことになってしまうかもしれないのだ   珍しいもの、少ないものだけがありがたいわけではないのだ   じつは当たり前の物が当たり前にあるということがいちばん大事なのだ     Deeはそこらへんにいるハトが好きではない   神社や公園にいるあのハトだ   あのハトは「ドバト」といって、じつは戦後に日本に入ってきた外来種であることを知っている人は少ない   レースバトとして持ち込まれたものが野生化したものなのだ   つまり、日本においては原生なネイティブな動物ではないのだ   だから、あのドバトに餌をやって自分は自然保護をやっているつもりでいるような人達がキライなのだ   そう、キライなのはハトそのものではなく、それをありがたがってる「人間」がキライなのだ   まぁ、生き物を大切にする心は否定はしない    しかし、ドバトが増えているおかげで迷惑をこうむっている他の鳥たちもいたりするのだ   最近はフン公害でハトもきらわれているらしが・・・(苦笑)   が、それは人間の都合であって、生き物達の都合を考えていっているわけではない   人間の都合で持ち込まれて、野生化し、人間の都合で餌をやって、増えすぎてフンが汚いからなんとかしろとかゆうのは   あまりにも勝手なもんだなぁ・・・(苦笑)     自然物や生き物に対しての人間とゆうのはかくもムズカシイものなのだな     あなたも身の回りの身近な「自然」について考えてみてはいかがだろうか?  
ut of Standard(アウトオブスタンダード)     規格外品のことである   Deeはこの言葉がなぜか気に入っている   これに対する言葉は、規格品とか汎用品とか量産品というのであろうか   なんとなく特別扱いのような印象がいいな   オリジナルとかプロトタイプのようなものはこの言葉に含まれるものであろう   しかしDeeが好きなのはそんなポジティブなものではなく、規格からはずれた物、一定の約束事からはずれたものという   なんとなくアウトサイダー的なネガティブな印象をもつ言葉でもあるという点だ   あまのじゃくなDeeにはぴったりの言葉だな(自爆)     というとなんかかっこつけのような気もするが、じつはかっこよくもなんともないのだ   規格にのっとってないってことは、規格品のような保証もなにもないということだ   規格品よりも優れているかもしれないし、ただの不良品かもしれないのだ   しかしその可能性を秘めた部分がなんとなくロマンを生むじゃないか   約束事にのっとっているってことは、その約束事にしばられたものでもあるということで   なんとなくツマラナイような印象があるではないか     Deeはよく変なヤツとか変わったヤツとかいわれる   自分でもそれは認識している いわゆるフツーじゃないよな(自爆)   理解しがたいとよく言われてしまう   しかしそれはそれでいいのだ   人間、万人に理解を求めるのはムズカシイものであると思う   ただ、自分は自分であり、こんなヤツもいるんだという認識をしてもらえればそれでいいな   むりに理解を示してもらえなくてもいいのさ     Deeは自分をトクベツな人間だとは思っていない   ただ、ちょこっと特殊な考え方できる人間かなぁという気はする   他人はそんなDeeのことを「ヘン」とか「スゴイ」とか「オモシロイ」とか「カワッテル」さらには「アイツハ頭オカシイ!!」   などなどいろんな評価をしてくれる   それはそれでいいのだ   人それぞれいろんなカチカンや考え方を持っているからね     ただ、いつも思っていることだが、何事も物事を批判したり、評価したり、判断したりするときに   自分がそれを批評したり、評価したり、判断したりする「資格」があるのかどうか、その「判断」を忘れてはいけないと思う   特になにかについて発言したり、意見したりする時には注意が必要だと思う   なにかの現象について「事実」はひとつである それを正確に認識しているかどうかの「判断」も重要だ   人間、思いこみや勘違いでいろんなことを発言してしまうのがいちばんおそろしく、かつ愚かしいことだと思う   特に感情的に物事を判断したり発言したりするのもヤバいな   感情というものは大事なものではある しかしそれに左右されすぎたり、とらわれすぎるのはやはりキケンなことだろう   感情論もけっこう しかしそれはファクターのひとつであって、それだけで突っ走ってしまうのは愚かしいと言わざるを得ない   できればオトナたるもの、できるだけ冷静でいたいものだな   まぁたまに感情をバクハツさせるのもそれはそれでスッキリするけどね(爆)     なんか話が脱線しているが(自爆)ヘンなヤツがひとりくらいいてもいいよね?って言いたいのさ(懇願)  
ease(ピース)     Deeは平和主義者ではない   と、いきなり否定的発言からだが、こんなことを言うとまた不穏なヤツだと思われそうだな   だが、Deeはけして平和がキライではないし、平和そのものを否定するわけではない   そもそも平和というものの定義とはなんだろう?   なんだかすごくあいまいな物のような気もするし・・・   だいたい平和状態ってのは、単になにも問題や危惧のない、極めて平穏な状態のことを指すのだろうが   それはほったらかしていて生まれるものではないだろう   いろいろな問題や争いなどのネガティブで汚く醜い状態が終わって過ぎ去って、はじめて訪れるもの それが平和状態なのだ   つまり、平和状態が存在するそれらの背景をつねに念頭においておかなければ、人は再び同じあやまちを繰り返してしまうかもしれないのだ   Deeがキライなのはそうしたことを忘れた平和状態への甘えや平和ボケした人間たちなのだと言える     日本はわりと平和な国であるといわれているが、それはただ単に戦争状態でない、治安が悪くないという部分で   海外諸国に比較した結果に過ぎないというだけのことだ   しかし、果たして自分たちは本当に平和のなかにいるのだろうか???   自分こそは平和に生きていると思っている人間でも、その裏でだれかが不幸を強いられていることも多々あるだろう   それは見る角度をかえれば平和状態とは言い難いかもしれない   物事はせまい視野の自己満足でとらえてしまってはキケンな時もあるかもしれないな・・・     「終わり良ければすべて良し」   ってのは時にはとてもヤバイこともある   なんだかんだいって、最後につじつまさえあわせられればいいという発想につながりかねないからだ   物事はその結果も確かに大事である それは否定しない   だが、結果にこだわるあまりにそこに至るまでの過程を度外視してよいというものではない   結果さえよければ、その過程におけるもろもろの問題などを省みるということがないがしろにされてしまう恐れがあるからだ   そこからは反省という言葉の存在は軽んじられてしまうだろう   喉元すぎればなんとやらで、人間は過ぎ去ったことはすぐ記憶の彼方に葬り去られがちだ   結果的に平和になったから、今は平和だから・・・その状態に甘んじて、そこに至るまでの過程をないがしろにしていては   平和であることの意義や喜びを本当に自分のものにできるだろうか???   そんなふうに平和ボケしていては平和の真の意義はとうてい認識できないだろうし   平和状態でなくなった時に初めて平和だったことのありがたみを知ることになるだろう   そのときになって悔やしがっても遅いのだ     Deeが思うに、平和というものはそれほどことさらのようにありがたがるべき物ではないだろう   ごくあたりまえのようにそこにあるべきもののように思う   ただ単に、結果的に平和状態であるに過ぎない といった程度のものであるべきだ   深く考えるべき事は、その平和状態に至った過程を正しく認識し、その上にたって平和状態が存在するということを忘れないことだろう     あるべきものが、あるべき姿で、あるべくして、そこにある   それがあたりまえなのであって、ことさらのようにありがたがることはないのだ   本来、平和とはかくあるべきであろう   何事もそうであるように・・・  
uiz(クイズ)     最近はテレビのクイズ番組も視聴者参加型の番組が少なくなったなぁ   むかしはたくさんあったもんだけどな   クイズ番組自体が減ったのかもしれないな   ひとむかし前はクイズ番組といえば、長寿番組として君臨しているものが多かったもんだが・・・   Deeもクイズ番組が好きでよく見ていたな   出演者が答える前に答えを当てて、自慢げだったものだ(笑)     Deeは以外と雑学に強くてむかしはけっこうクイズには強かったぞ・・・   というとエラそうだが、知らんでもいいようなことばかりよく知っているだけのことだ(自爆)   子供のときは大きくなったら某テレビ局のウルトラクイズに出てやろうと思っていたものだ   絶対ニューヨークにいくぞ!!と思っていたが、出場できる年齢のころには番組は終わっていた(爆)   あのころはクイズ番組の次の日には学校で話題になったもんだ   おれが出てればハワイだったとか、パリに行けただとか、100万円もらえたのにとか・・・(爆)   テレビを見ながら茶の間でも盛り上がったよなぁ・・・     クイズといえば少し前に10回クイズというのが流行った時期があったな   同じ言葉をくりかえして10回言ってもらい、クイズを出す   答えるほうは、くりかえした言葉と似た言葉を正解だと思って言ってしまうが   じつはひっかけであるというアレである     「ピザって10回ゆってみて!」        「ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ」     「じゃぁ、ここは?」といって、肘をさすと        「ひざ!!」     「ばぁ〜か、ひじだよ〜ん(爆笑)」        「なんだよぉ!!( ̄▽ ̄;」   ってな具合でじつにバカバカしい   しかし、なぜかひっかかってしまい、無性にハラがたってしまうのだ   高校生にもなってそんなことにひっかかるのがくやしかったもんだ   だが、このクイズにひっかかるのは科学的に理由がちゃんとあるらしい   くりかえし言葉を口にすることで、脳の中にそれがすりこまれるメカニズムによるものらしい   しかし、能書きはともかく、冷静になればなるほどくやしいものだ   この10回クイズは数年のサイクルで流行る時期がめぐってきているという   最近のデジタルな子供たちにもウケるのだろうか?   いらぬ心配をしてしまうなぁ・・・(^^;   しかし、いつの時代にもこれが流行るようなそんな世の中であってほしいとも願いたいもんだ  
adio(ラジオ)     Deeはラジオをよく聴く   主にFMだ というかAMはほとんど聴かないというほうがはやいな   いちばん頻繁に聴いていたときは、1日のうちでヘッドホーン(インナーイヤー型のだ)をつけてる時間のほうが長かったくらいだ(爆)   最近こそ少なくなったが、1日でだいたい8時間以上聴いていただろうか・・・   通勤時や仕事中の車の中や部屋に帰ってきても聴いていたしな   今でも電車に乗ったり、徒歩での移動の時はラジオを持ち歩いている   バイクに乗ってるときも聴いているくらいだ(危爆)   やっぱり、音楽の情報を仕入れるのにはラジオは必需品だ   新しい曲やアーチストの情報はいちばんだな     FM局のサテライトスタジオにもよく行ったなぁ   渋谷にある某局のサテライトスタジオには毎日のように通っていたくらいだ   DJやパーソナリティーのおねーちゃんに顔を覚えられたりしたもんだ   サテライトスタジオの場合、ゲストのアーチストを間近で見ることができるのも醍醐味だな   渋谷ではいろんなアーチストを見たもんだ   まだ、ブレイクする前のPUFFYなんかも至近距離で見れたくらいだ   あのころはよかった・・・(遠い目)     番組にもよくFAXで投稿した   特にお気に入りのアーチストの番組や、ゲスト出演などの時はガンガン投稿した   番組の常連リスナーになってたりもしたものだ   お気に入りのアーチストがゲスト出演する地方局にまでFAXしたりもしたなぁ・・・番組は聴けないのに(自爆)   あのころはバイタリティーがあったな・・・     最近はラジオを聴く時間も減った   忙しくなったわけではないが、番組の改編が多くて、おもしろかった番組が少なくなってしまったように思う   前はかならず毎回聴く番組があったが、いまはほとんどない   新しい番組に変わってつまらなくなったものが多いのだ   お気に入りのアーチストが出ている番組もなくなったし・・・   聴いている局も変えたりもしている   おもしろい番組がもっと増えないかなぁ・・・     ラジオの聴取率調査はテレビの視聴率調査とちがってラジオに機械が取り付けられているわけではない   調査も2ヶ月に一回、1週間が普通だ それもアンケート形式らしい   だからほんとうに厳密なデータなのか疑わしいもんだ・・・(偏見??)   なんであんなつまんない番組が続くのか不可解な番組だってあるよなぁ(辛口??)     しかし、デジタルな世の中になってもラジオはなくなってほしくないな  
elect(セレクト)     人は長い人生のなかで選択肢をつきつけられる状況がある   それはささいなことであったり、人生の岐路に立たされるような重要なこともあるだろう   たとえば好むと好まざるとにかかわらず、不本意な選択を余儀なくされるような状況に追い込まれることだってあるかもしれない   そんなときに人は迷うのだ   いつもたくさんの選択肢が用意されているとは限らない   限られたなかで選ばざるを得ないときもあるだろう   そういう状況で人はなにを思うのだろうか?・・・   しかし、あとから「あぁ、あのときあっちを選んでいれば・・・」なんて思ってももう遅いのだ   自分が誤った選択をしてしまっても、悔やんでももう過ぎ去ったことはかえってはこない   「もしも・・・」や「たら・れば」のような後ろ向きな話はしてもしょうがない   だが反省は常に必要であり、重要だ   過ぎ去ったことでも、省みて先への肥やしにしなくては失敗がムダになってしまう   まぁそれでも過ちをくりかえしてしまうものだけどねぇ・・・(苦笑)     かくいうDeeもいままでいろんな選択を強いられてきた   だが、いつでも「この選択に間違いはなかった!!」と思ってきた   というと、なんでも正しい選択をしてきたように聞こえるかもしれないが、失敗も多々あった(自爆)   しかし、間違いであったかなかったかは結果に対しての評価ではないのだ   もし失敗した選択であっても、それを勉強し、自分の糧にできたかどうかという点において「これでもよかったのだ」と思うのだ   その過程を経ることが選択したことの意義になると思うのだ     なにかについて選択しなければならない状況に置かれたときは、大いに悩めばいい   考えて、考えて、考えぬいて選ぶのもいいだろう   なにも考えずに直感で選ぶのもいいだろう   考える時間も余裕もないかもしれない   しかし、常に自信をもって選択に臨みたいもんだ   結果にかかわらず、いつも「この選択は間違っていなかった」と思える選択ができるようでありたいな   そうすれば、おのずと正しい選択に近づくものではないかなとも思える   まぁ、そうはいいながらも自分だってなかなかそんなふうにはいかなかったりもするんだが・・・(自爆)     だけど、いまでも自信をもって言える   「あの選択は間違ってなかった」ってね  
ruth(トゥルース)     真実とはなにか?   これはけっこう永遠のテーマといわれたりする   しかし、かなりムズカシイ話であろう   あまりにも真実を追い求めるあまりに、地獄のような苦しみに陥ったりする人さえいるほどだ   真実がなにかわからないと、海よりも深く悩んだりする人もいる   人をそこまでも惑わせる「真実」とはなんなのだろうか? 真実はひとつであるといわれる それはほんとうだろうか?   だれもが「これこそは真実である」と主張する しかし、それでさえも食い違いが生じる なぜだろう?     ここにひとつの例え話がある     深夜、ひと気のないある有名宝石店に窃盗グループが侵入した 4人組だ   狙うは支配人室に飾ってある時価数千万円の宝石だ   うまく侵入したが、警報装置が鳴るまで10分間しかない その間に仕事をすませなければ・・・   4人が宝石に近づこうとしたとき、傍らのテーブルの上にあるものに気づいた   そこにあったものはなんと札束だった 帯封のしてある10束が10個もある!!   4人は顔を見合わせた まさか1億円か???   子分のひとりが言った「親分、ありゃぁ1億円あるぜ あっちをいただきましょうよ」   しかし別の子分が言った「まてよ、ありゃぁワナかもしれねぇ それに全部ホンモノとはかぎらねぇ 札が見えてるのは一番上だけじゃねぇか」   「じゃ、ホントは10万しかないってことか??近づくと警報が鳴る仕掛けとか??」   「そうにちげぇねぇよ」   2人の話を聞いていた親分は言った「あめぇなぁそれは あれは全部ニセ札にきまってんだろ!!ワナに決まってらぁ」   しかしもう1人の子分が言った「いやぁ、おいらにはホンモノに見えますぜ あっちをいただきましょうよ」   最初の子分も言った「ワナだとしても半分くらいはホンモノですよ あっちのほうが宝石よりてっとりばやいですぜ」   親分は声をあらげて言った「じゃぁ、てめぇらがとってこいよ!!近づいたとたんにお巡りが飛んでくるぞ!!」   子分はみな首をふりながら後ずさりしている   「オレの言うことに間違いない!!ありゃぁ全部ニセモノだ!!」親分は譲らない   「まぁ、どうせ一番上の10枚くらいさ」2番目の子分もそう思っている   「でもホンモノに見えるよなぁ・・・」3番目の子分はあきらめきれない   「半分くらいはホンモノかも・・・」最初の子分も譲りたくないらしい   などと押し問答しているうちに警報が鳴った!!そう、10分経ってしまったのだ( ̄□ ̄;)   「ヤベェ逃げろ!!」親分は叫ぶ しかしドアが開かない ロックがかかってしまったのだ   4人は捕まった なんともまぬけだ しかし刑務所の中で4人ともそれぞれ思っていた   「オレの考えこそ正しかったのに」ってね     この話の場合、現象はひとつである テーブルの上に「1億円くらいの札束に見える物」があった これは「事実」である   しかし、そこに直面した4人の思惑はそれぞれちがった4通りになった しかも自分の考えこそが「真実」であると思っている   つまりひとつの「事実」に対して、4つの「真実」が生まれてしまったのだ   で、「事実」はどうだったのだろうか??つまりそこにあった物はいったいなんだったのか??   答えを得るのはカンタンだ 手にとって数えてみれば明らかだ   しかし、4人は「事実」を確かめられなかった それを知るすべはもうない 「事実」を正しく認識することはできない   だからこの先ずっと自分の考えこそが「真実」であると思い続けることになるわけである   彼ら4人にとっては自分の考えこそが「真実」なのだ 「事実」を確認できない以上、だれもそれを否定することはできないのだ   と同時に、こいつの言ってることこそがホントウの「真実」だと言い切ることもできないのだ     いかがだろうか?   人はなにがしかの現象に直面するとき、ひとつの「事実」に対して、そこに関わる人間の数だけいろいろな思惑が生じる   その判断はその人間のカチカンや考え方、立場、推察力や分析力などによっていろいろ変わってしまうものだ   そのうえで「真実」はなにかと考えたり、ましてや「真実」を主張するといったことは非常にムズカシイものであろう   なによりもそこにある「事実」を正確に認識していなければ正確な判断は下せない   だが、自分が認識した「事実」だって正確に認識できたかどうかもアヤシイことすらあるのだ   自分の判断が正しいか間違ってるかなど、他人が見ればまたぜんぜん違って見えたりすることだってよくあることなのだ   ましてや「事実」の認識を怠っていては、その「真実」はマヤカシにしか過ぎないと思われても仕方がないであろう   マヤカシの「真実」に振り回され、苦悩するなどということは、これほど愚かしいことはない   勘違いや思いこみによって生み出されたマヤカシの「真実」によって「事実」を見失ってはイケナイ   ホントウの「真実」とは正確な「事実」の認識のもとに生まれるのだ   いや、「真実」はひとそれぞれでもいいだろう だが、「事実」の認識だけはひとつだ   マヤカシの「真実」にしばられ、突っ走るのもいいだろう それもあなたの人生だ 好きにすればいい   だが、まわりや他人を巻き込むようなキケンはできるだけ避けたほうが賢明な生き方だな   また、そのような状況に巻き込まれないような自己防衛も考えていかなくちゃな     平穏無事に生きていくのはたいへんなことだなぁ( ̄▽ ̄;     え?けっきょく札束はいくらあったのかって??   「事実」はひとつだけだよ あなたの目で「真実」を確認したらいかかが?(笑)  
mbrella(アンブレラ)     Deeは傘がキライだ   いつのころからかわからないが、傘をさして歩くのがイヤなのだ   さらに雨が止んだあとに閉じた傘を持って歩くのはもっとイヤだ!   だからどんなに天気予報で雨が降るといっていても、出がけに降っていなければ傘を持たずに出かけていたもんだ   まぁ、社会人になってからはそうもいかなくなってしまったが・・・   だが、今でも帰りがけに濡れてしまってもかまわないようなときは、傘を持たずに出かけることもある   まったくDeeのあまのじゃくぶりにも困ったものだ(自爆)     傘がキライな理由はいろいろある   まず、傘を持つことで手がふさがってしまう   Deeは外で手がふさがることを嫌う なんとなくイヤなのだ 無防備な要素が増える気がして・・・   さらに、長い柄物を持つとつい振り回してしまいたくなる衝動に駆られるのだ(危)   以上2点のキケンな要素が大きな理由だ(自爆)     そしてDeeは雨に濡れるのが実は好きなのだ   しかし、どこかに出かけるのにずぶ濡れで行くわけにはいかない   だからいやいやながら傘をさすわけだ   それがうっとおしいのだ   雨に濡れながら歩くのはじつに気分がいい   まぁ寒い季節はちとツライが・・・(^^;   雨に濡れながら歩く・・・じつにナチュラルでいいではないか   なんとなく雨の日ってのも好きなんだな あの雰囲気というか、雨の日特有の匂いとかが・・・     Deeは一時期とても大きい傘を持っていたことがあった それは学生のころだが   ゴルフの時などに使う、普通の傘よりもふたまわりほど大きなあの傘だ   サーキットでレースクィーンがさしてるようなアレだ!   あの傘はよかった 傘さしてますぅぅぅぅ!!傘持ってますぅぅぅぅ!!って感じがして(爆)   どうせイヤな傘をさすんだから、思い切ってそれくらい大きな傘をさしてやろうって意気込みだった(自爆)   あの傘では濡れることはなかったが、当然目立った   人混みの中ではけっこうメイワクにもなっていた( ̄▽ ̄;   しかし、しばらくその大きな傘を持ち歩いていたな・・・   閉じたその傘を持って歩いているDeeの姿を見て友人は、     「キケンだ!キケンすぎる!」   などといっていたもんだ いまにも振り回しそうなオーラを放っていたそうだ(自爆)     「こいつは雨よけよりも護身用に持っているんだ!」   と応戦していたのだ(自爆)←やはりキケン極まりない   いまはあの傘は車載用になっているが、なかなか便利だったなぁ     ちょうどいま、これを書いている外で雨が降っている   そういえば、もうすぐ2月だな 2月の雨といえば・・・   あ、これはまたの機会にするか  
ideo Camera(ビデオカメラ)     Deeは以前8mmビデオカメラを使っていた   学生のころからいろんなところに出かけたり、イベントのときなどにいろいろ撮っていた   学校の合宿などのときもバカ騒ぎ映像を撮っていたもんだ(自爆)   しかし、Deeが使っていた8mmカメラはまだ出はじめの古いタイプで   ファインダーはモノクロ、もちろん手ブレ補正などという便利なものはついていないころだ   だから最初のころは、できあがった映像は構図もいいかげんなうえ、ブレブレの映像で   長時間みていると船酔いになるようなお粗末なものだった( ̄▽ ̄;   撮りかたもだらだらと撮りっぱなしで、見ていてけっこう飽き飽きするようなものだった   でも、そんなものでも記録として残っているとけっこう楽しいものだった   そのうちに回数をかさねてくると、だんだん撮り慣れてきた   手ブレも少なくなり、撮影も要所をつかんで、見るときのことを考えつつ、構図や構成を考えられるようになった   友達とキャンプに出かけたときの映像などは、ひさびさに見るとなかなかに楽しいものだ     いまはデジタルビデオなども普及し、ビデオカメラもそれほどめずらしくなくなってきたが   むかしはビデオ撮影をする事自体がめずらしかった   まだSonyから「パスポートサイズ」なる8mmカメラが発売されたばかりのころだ   だからDeeのまわりの人間もビデオに撮られるということに慣れていなかったので   撮ってるほうはけっこうおもしろかった   まず、いきなりカメラを向けるとたいていの人が動きをとめてしまう   困惑して、とまってしまうのだ どうしていいかわからなくなってしまうらしい(笑)   ビデオなんだから動けってば!!(^^;   写真じゃないんだから直立不動になられてもねぇ・・・( ̄▽ ̄;     だから最初のうちは撮りながら、いろいろ注文をつけていた     「はい!もっと動いてぇ!!」   など、いま考えるとアホくさいな( ̄▽ ̄;   そのうち、カメラを向けながらいろいろ質問をするといいということに気がついた   それだとたいていいろんなリアクションがかえってくる     カメラを向けるとけっこう人それぞれ性格がでるものだ   頼みもしないのに、しゃべりまくるヤツとか、なにか芸を始めるヤツ、わけもなく踊りだすヤツとか・・・   多いのはとにかく笑うヤツだ! なにかとニコニコするのだ 日本人だなぁ(笑)     いまはビデオカメラが手元からなくなったので、しばらく撮影をしていないが   そのうちまた余裕ができたら買いたいと思っている   そのときまで首洗って待っとけよ!!<誰がだ??(爆)  
akasa(わかさ)     若さとはなんだろう?   Deeはわりと見た目が若いと言われる 実年令よりも年下に見られがちだ   というか、年令を言うとびっくりされることが多い(苦笑)   ガキっぽいだけだろうとか、おこちゃまなんじゃんとかいう意見もあるが(爆)   それは否めない部分も大いにある(自爆)   しかしそれは見た目であって、思考や意見などはむかしから年寄りくさいと言われることが多かった   顔に似合わず古いこと言うねぇ!とか、若者らしくない意見だねぇ!とか言われたもんだ( ̄▽ ̄;   若いのにしっかりしてるという評価をいただいたこともあるが・・・   だからむかしからなにかとリーダー的立場やご意見番的立場に立たされることが多かった   自分自身ではそんな役割はむいてないと思っているのだが、なぜだかやらされてしまう   こまったもんだ(^^;     まぁ、確かに小さいころからオトナっぽい意見を持っていたり、いっちょまえの主張したりしていたのは事実のようだ   というのも、その年令(小中学生のころ)の割にオトナと接する機会が多かったことが理由であろう   それは小学生のころから合気道の道場に通っていたからだな   オトナに混じって稽古していたし、道場ではオトナもコドモも関係ないからだ   コドモといえども、オトナと接する機会をどれほど持っているかで、そのへんの差が着くものらしい   それに加え、体が小さいということも関係ありそうだ   背の順で並ぶといつも一番前だったDeeは体が小さい、背が低いということにコンプレックスを持っていたと思う   それは負の方向ではなく、体が小さいということで負けたくないというものだったように思う   体力のハンデを思考や意見で上回ろうと思っていたようだ   が、そんなDeeも中学生のころまでは割とフツウ(なにをもってフツウというのかわからんが)のコドモだったと思う   今のような性格が確立されたのは高校に入ってからだ   体育会系のキビシイ上下関係がキライなDeeは、先輩後輩関係のフランクな文化部で年上や年下の人間とうまくやっていた   上下関係などいうものは必要最低限な部分をわきまえていればいいわけで、あとは楽しくやればいいじゃないかと思っていた   だから先輩とも後輩ともいい関係を持てていた   とくに後輩連中とはよくつるんで遊んでいたもんだ   よく、年下や後輩のことをコドモあつかいするような人間が多いようだが   Deeはそんなことはなかった    同じ人間、1年や2年ぽっち生まれ年が違うくらいでオトナやコドモの差が出ようはずがない   そりゃぁ性格や資質に差は出るだろうけどねぇ・・・     人間には3通りの年齢があると思う   まず実年齢 これは言うまでもなく生まれてから生きてきた時間だ   次に精神年齢 よく言われるものだ ネットでも精神年齢を鑑定するHPなどがにぎわっている   考え方や意見、言動などがどれだけおこちゃまかじじくさいかなどだな(爆)   だが、精神年齢もその時々によって変わることもふつうだ   やけにじじくさいこともあったり、いきなりおこちゃまじみたりする人っているでしょ??(爆)   でも実際にその人間の資質をあらわすのには重要だ   もうひとつは見た目の年齢である   が、これは実年齢か、精神年齢かどっちかと一致していることが多いように思う   Deeは人に言わせるとこの3つがバラバラなんだそうだ(自爆)   どれもまったく一致しないヘンなヤツなんだってさ( ̄▽ ̄;   3つともバランスよく一致しているのが理想なオトナなんだろうなぁ・・・     人はいつからオトナになるのだろう?   その区切りはどこから付くのだろう??   日本の法律では二十歳になるとオトナあつかいされる 成人式をむかえるといっぱしのオトナとしてあつかわれる   しかし、二十歳の人間なんてまだまだコドモっぽいなぁ(爆) ま、もちろんオトナっぽい人もいるが・・・(^^;   Deeはいまだに自分がオトナであるとは思っていない   いつも「いつになったら自分はオトナになれるんだろう??」という疑問を持っている   その時点で自分はまだオトナになっていないのだろうと思う   だから若く見えるのかな?(爆)   自分がオトナであると自覚した時点からだんだん若さが減っていくのであろうか??     そんなDeeもとうとう30歳になった   だんだん体力的にも精神的にも10代や20代前半のころのような勢いがなくなってきたことは否めない   最近とくに衰えを感じることが多い( ̄▽ ̄;   仕事仲間の若い子たちを見てるとひしひしと感じてしまう イカンなぁ(^^;     でもまだまだ若いつもりでがんばらなくちゃね   さすがにもう「ガクセイさんですか?」ってのはキツイが   「20代ですよねぇ?」くらいはまだしばらく言ってもらいたいもんだね(爆)  
’mas(クリスマス)     Xってのはネタがないよなぁ(^^;   ってわけで、クリスマスの話です   が、人生ウラ街道を歩いてきたDeeにはそんなにロマンチ〜なクリスマスネタなどないんだよなぁ(自爆)     クリスマスの時期になると街や繁華街ではイルミネーションやハデな飾りつけ、セールなどでにぎわうものだ   ご多分に漏れずDeeの家でも子供の頃は家族でクリスマスパーティーなんぞをやっていたものだ   たしか中学にあがるころからやらなくなったような気がするが・・・   そのころからは友だち連中とパーティーやイベントじみたことをやるようになっていた気がする   だが、中学高校のころはヤロウ連中しかいないさみしい集まりだったようだ(爆)     あまのじゃくなDeeはじつはクリスマスの街のにぎわいが好きではない   クリスマスをお祝いしたり、パーティーをやったりしてはしゃぐのはキライではないが   なんだか街中浮かれ気分でどこもかしこもクリスマス気分になっている、幸福感ただよう空気がニガテなのだ   なんとなく自分には場違いのような気持ちになるのだ   「ふんっ、みんな仏教徒のクセしやがって・・・」   などと卑屈な気分になったものだ ← ひがみ根性?(自爆)   ま、1年に1度くらいは街中がそんな気分にひたっているのも悪くはないと思うけどね   みんなキリスト教徒でなかろうとも、本来の意味がうすれてしまってても、国民全員が楽しみにしてるイベントがあってもいいかな   その日1日くらいは家族や、大事な誰かのことを想い、プレゼントなどを用意して、楽しい時を過ごす   じつに平和でいいな   誰かの歌にあった、   「クリスチャンでもないのに・・・そう思っていたけれど クリスマスはやさしい気持ちになるための日だね」   そういう日があってもいいか     クリスマスといえば毎年恒例のものがある   それはリース作りだ   むかし山で居候だったころ、山の杉の葉っぱでリースを作るということをおぼえた   芯になる輪っかに杉の葉っぱを巻き付けていくのだ   それにヒイラギの葉っぱをつけたり、木の実やリボン、ベルなどをかざりつけるのだ   最近はヨコハマの山で材料をとってきて作っている   毎年プレゼントにつかったり、かざったりしている   希望者がいれば売ったりもしていた   誕生日がクリスマスに近いKakky(K参照)には毎年贈っている   今年はいっぱい作って儲けようかなぁ(笑)     むかしテレビで「クリスマスキャロル」というミュージカル映画を見た   チャールズ・ディケンズの原作は知っていたが、なかなかの出来だった   ミュージカルがキライなDeeもあれはまた見たいなぁと思うほどだった   クリスマスはラブラブカップルのイベントくらいにしか考えていない諸君!   あの映画を見て、本来の意味について考えてみてはどうかね?(笑)  
okohama(ヨコハマ)     Deeはヨコハマに住んでいる 独り暮らしだ もうすぐ3年になる   それまでは世田谷の実家に住んでいた   引っ越ししたときに何度か周りの人間から聞かれた   なんでヨコハマなの??って   当時勤めていた会社は都内にあった 世田谷からヨコハマに移ると通勤が遠くなる   ふつうはこの選択にはギモンを持つだろうな   部屋を契約した不動産屋のオッチャンにも言われたさ(^^;   ヨコハマを選んだ理由は、ヨコハマ市民になりたかったからだ   Deeはむかしからヨコハマにあこがれていた   いつかはヨコハマに住みたいと思っていたのだ   なぜかはよくわからない ただ、なんとなくヨコハマってかっこいいなぁと勝手に思っていただけだ(自爆)   まぁ理由はそんな単純なものだけではない   以前から神奈川県でいろいろな活動をしていたDeeはヨコハマに出向くことが多かった   知り合いや仲間もたくさんいるし、神奈川県の中ではヨコハマが一番便利だ   で、ヨコハマ市を選んだわけだ     部屋を探すときも広いヨコハマの中でこの近辺にしようと最初から決めていた   最大の理由は高台だということだ   Deeは部屋を選ぶ条件に高台の上だということをあげた   それはラジオの受信に条件がいいからだ 生活の中でラジオを聴くことが多いDeeにはこの条件は外せない   加えて無線の条件もいいからだ 今は活動休止しているが、Deeはアマチュア無線をやっているのだ   だから高台というのが一番の条件になった 今の場所は高台のてっぺんにある   同時に建物の高い位置の部屋というのも条件にあげた   次に車の便がいいというのも大きな理由だ   今の場所は3つの有料道路の合流点にあり、大きな幹線道路にもすぐに出られる   どこへ行くにも便利だ 車で出かけることの多いDeeにはいい条件だ   それにいちおう通勤のことも考えていないわけではなかった(苦笑)   最寄り駅はけっして近くないが、バスで10分程度で出られるし、歩いても25分弱だ   通勤時間も実家からとは20分くらいしか差がなかった そのくらいは許容範囲だった   そういう条件で今の場所を選んだ     引っ越そうと決めたとき、この近辺の不動産屋を歩きまわって探したものだ   だが、なかなか条件に合う部屋がなく、2ヶ月あまりも週末ごとに探し回ったものだった   でようやく探しあてたのが今の部屋だ   しかし、この部屋は不動産広告や紹介してもらったものではない   たまたま通りがかったときに、「あの部屋いいなぁ」と目を付けたのだ   で、アパートの前の管理不動産の看板を見て連絡したのだ「空いてませんか?」ってね   だが、最初に電話したときは空いていないと断られた   その3週間後、また通りがかったら「空室あり」の看板があった 速攻で電話したことはいうまでもない   めでたく契約にこぎつけた 前に電話したことを担当者も覚えていたようだ   2部屋にセパレートの風呂とトイレ、4階建ての3階の部屋、広めのベランダと余裕の収納・・・これ以上ない条件だった   家賃はけっして安くないが、同じ条件なら相場より少し安めだ   いまでもとても気に入っている(^^)     ヨコハマってのはじつにいい街だ   海もあるし、都会だ   だが、港町ヨコハマのイメージが強いが、ちゃんと山やイナカもある!(爆)   海から離れるとけっこうな丘陵地なのだ   Deeもヨコハマの山の中で元気に活動しているのだ(笑)     Deeは「ヨコハマ」とカタカナで表記している   「横浜」ってのも好きではあるが、なんとなく「ヨコハマ」ってのが気に入っている   そう、ヨコハマに対してのこだわりには「なんとなく」っていう気持ちがある   「なんとなく」いいのだ   理屈や根拠のないこだわりで今もヨコハマに住み続けるDeeなのであった(笑)     みなさんもヨコハマに遊びに来てはいかが??  
elkova(ゼルコーヴァ)     ゼルコーヴァという言葉を聞いたことがあるだろか?   どこかで耳にしたかも?・・・という人もいるのではないだろうか   これはもともと学名である だからたぶんラテン語なのではないだろうか   ラテン語なんて知ってるはずないじゃん!って思ったあなた じつはそうでもないかもよ   この言葉はじつは街路樹などでよく見るケヤキの木の学名であるのだ   そう思ったら聞いたことはないだろうか?   「ゼルコーバアベニュー」なんてシャレた名前の通りがあったような・・・   そう、年末のシーズンになると有名な通りでケヤキのイルミネーションで話題にあがることもあるかと思う   Deeはそんな名前がちまたで聞かれるようになるずっと前からケヤキの学名を知っていた   初めて知ったときに、かっこいい響きだなぁと思っていたものだ   だからなにかのときに使ってやろうと思っていたのだ   しかしそれから数年後、テレビのニュース番組でこの言葉を耳にした   画面からはイルミネーションに飾られたケヤキ並木が映っていた   しまった、先を越された( ̄▽ ̄;   先に商標登録をしておけば、儲かったかもしれないのに・・・(爆)   だが、この名称が一般に広く浸透することはなかったようだ(苦笑)   なかなか響きのいいかっこいい言葉なのにねぇ・・・     このように基本的に生物にはすべて学名がつけられていて、学会などで新種を発表すると、かならず学名をつけることになっているのだ   そのなかでも植物や動物などの学名にはけっこうかっこいいものがある   基本的にはラテン語、もしくはギリシャ語を使うことになっていて、その他に固有名詞などをアルファベットでつけることもあるようだ   学名は二名式という決まりがあって、属名と種名をつける いわゆる名字と名前のようなものだ   その名付け方にもいろいろと決まりがあるようだ   くわしくは知らないが、アルファベットで2文字以上、26文字以内でつけることになっているらしい   しかもどんな生物でも属名はかぶってはいけないらしい   新しい属を見つけると命名に苦労することもあるらしい ま、新属ってのはめったにでないらしいが・・・   ゼルコーヴァというのはケヤキの属名だ   人間の場合は「ホモ」属の「サピエンス」種ということになるわけだ   鳥のトキなどは「ニッポニア」属の「ニッポン」種だ 種名に国名があてられているなんて なんておこがましい(爆)     学名もいろいろ調べてみると、かっこいいおもしろい響きの言葉がけっこうあるものだ   言葉というものはおもしろいものだなぁ       ってわけで、アルファベットから派生した言葉をネタにしたズイヒツはおしまいです   最後はくしくも、言葉のおもしろさをあつかったネタになったなぁ   いろいろと好き勝手に言いたい放題の内容だったが、いかがだったのだろうか?   え゛?アルファベットの次は50音だって??( ̄▽ ̄;   そりゃキツイよなぁ   ま、それはまたの機会ってことで   では、(^.^)/~~~  

  SKYLINEの恋人
 
  とうとう長年乗ってきたお嬢ことSKYLINEとお別れする日がきた
  ほんとに別れがたい相棒だった
  いろんなところにも行ったし、何度も危ない目にもあった
  いっしょに死にそうになったことも1度や2度ではない(自爆)
  この10年間、ずっといっしょに生活してきたし、おれのすべてを知っていると言っても過言ではない
 
  最初にお嬢に出会ったのは忘れもしない10年前、90年の夏だった あの日のことははっきりおぼえている
  中古の車を探していたら、知り合いの修理工に良い出物があるからと見に行ったのだ
  そこに置かれていたお嬢を見て、おれはなんか感じるものがあった
  ひとまわり試乗してみて、もどってくるころにはもう決めていた こいつを相棒に決めようと
  それから10年、お嬢のメーターは20万9千kmを超えていた
  買ったときは中古で2万1千kmだったから、自分で19万km近く乗った計算だ
  試しに乗せた人を思い出して数えてみた おぼえてるだけで200人近かった
  忘れてる人や、思い出せない人もいるだろうから、250人くらいはいるんじゃないだろうか
  車の中に寝泊まりしたこともたくさんあった たぶん合計すると3ヶ月間くらいは車で生活した計算になるだろう
  ほんとうにいろんな思い出のつまった車だった
 
  お嬢の走りはなかなかだった
  かなり過酷な使い方をしたこともあったが、ちゃんと走ってくれた
  2000cc ツインカムのNAエンジンは、素直でいい吹け上がりだった
  自分の走りにとても合っていた気がする ま、こいつで走りをおぼえたということもあるだろうが・・・
  FRのハンドリングに日産独自のHICAS機構 これが小気味よい走りだった
  いつも山道のワインディングを走るときは、こいつを選んでよかったと思ったもんだ
  そのうえ、未舗装のダートをバリバリドリドリ走ったりしたこともあった ほとんどラリーだ(爆)
  あのころは「この車は乗用車の皮をかぶったジープだ!」と公言していた(自爆)
  よく走ってくれたよなぁ・・・
  おれはどっちかっていうと、ドリフトよりもグリップ走行派だった ま、テクがなかったといえばそれまでだが (^_^;)
  それでも長年乗り続けていたのでお嬢のクセもおれの運転のクセもお互いに知り尽くしていたので
  過酷な条件でもけっこう走れたもんだ
  遠出もたくさんした 一時期はしょっちゅう大阪とかに出向いていた
  あのころはお嬢を酷使したな なにせ夜中の東名ランで名古屋まで3時間をきるという暴挙(危)
  大阪までも最短4時間40分という無謀極まりない記録 ( ̄▽ ̄;
  よく走ったよなぁ・・・ほんとに信頼できる相棒だったからできたんだろうな
 
  そんなお嬢もいつもで元気いっぱいというわけではなかった いろいろとトラブルがあった
  パンクもあったし、ダートでタイヤが裂けたこともあった
  クラッチがすべってどうしようもなくなったり、5速に入らなくなったりしたこともあった
  吸気レギュレーターの故障、冷却水パイプの破損、右前輪ブレーキ故障、フロントロアアームのがたつき
  フロントガラスのヒビ、パワステのオイル漏れ&油圧故障・・・
  特に、製造後10年たった98年ころはもう満身創痍の状態だった
  ショックやサスペンションはヘタリまくっていて、足回りは最悪状態だった
  で、その他のこまごましたとこを含めて40万円かけて補修した それでかなり生き返ったもんだ
  大きい故障も多々あったが、たいていは自走してなんとか帰って来れた
  しかしただの1度だけお嬢をおいて帰らざるをえない状況に陥ったことがあった
  オルタネーターの故障のときだ さすがにこればかりはムリだった
  途中で電圧が異常に下がっていることに気付いた めちゃ焦った すぐにオルタネーターの故障だとわかった
  とにかく走れるだけ走って、途中のディーラーに飛び込んでお嬢をあずけたのだ
  あのときばかりは電圧計のありがたみがしみた
  ただ、お嬢を置いて電車でとぼとぼ帰るのはとてもさみしかったねぇ
 
  とても愛着のある車だったから、乗れるかぎりずっと乗り続けていたかった
  でも、そんなお嬢にもかげりが見えてきたのは99年のことだった
  以前からあったミッションからの異音がだんだん大きくなってきた カウンターギアの摩耗だった
  ふつうに走っているぶんには支障はないが、いつ大きくトラブるかわからない状況だった
  こまかい修理をしたばっかりだったし、いろいろな事情からすぐには買い換えはむずかしかった
  なによりも、愛着があり過ぎて手放す気になれず、けっきょくなんとか現在まで乗ってきた
  が、さすがにもう限界だった なによりこれ以上お嬢にムリを強いるのはツラくなってきた
  ハンドルを切るたびに悲鳴が聞こえ、ギアチェンジのたびにうなりをあげる ときどきエンジンも咳きこむようになってきた
  追い打ちをかけるように発生したフロントロアアームのがたつき、フロントガラスのヒビ割れ、スピーカーの破損
  もう満身創痍なんてもんじゃない
  年が明けて2月には車検だ 整備してあと数年乗るにはかなりの金額をかけなきゃいけない 車検費用もかかる
  どう見積もっても100万近い金額がかかるのだ
  もう楽にしてやったほうがいいんだろうな・・・自分に言い聞かせ、お嬢とのお別れを決意した
 
  買い換えを決めてから、仕事の合間にお別れ旅行をしてきた いろんな思い出がある関西への旅だ
  満身創痍のお嬢を気づかって、高速は使わずに一般道と国道のバイパスだけを使ってのロングランだ
  それにずっとお嬢に寝泊まりする旅だ もう最後だからね
  なつかしいところを走り、なつかしい人に乗ってもらい・・・短いけどいい旅だった
  エンジンそのものは調子のいいお嬢 走りはまだまだイケる ロングランでも無難にこなしてくれた
 
  お嬢とのお別れの日 雨が降っていた
  駐車場に停めてあるお嬢に近づき、しばらくじっと見ていた
  乗り込んでエンジンをかける 走りながらお嬢に声をかける
  ありがとう お疲れさま
  お別れの時が来た もう言葉が出てこなかった
  泣くかと思っていたが、不思議と泣かなかった なんかほっとした気持ちだった
  ほんとうにありがとう
 
  「SKYLINEの恋人」というのは、むかしFAX投稿の常連だったラジオ番組でつかっていたラジオネームだ
  この名前がラジオから聞こえるたびに喜んでいたもんだ
  もうこの名前を使うことはないけど、ずっと忘れないでいたいと思う
 
  1990年8月4日から2000年11月1日まで  総走行距離 209390km
  ありがとう SKYLINE
  お疲れさま お嬢
 
                              2000年11月2日 by Dee