「う、あう、ぐ、が、が、あ、ぐ、あ、ああああああああああ」
そんな悲鳴が上がり、その悲鳴を上げた少女はグッタリと倒れる。
「みどり、せめて電気アンマだけでももう少し耐えれるようになったら?」
「うう、だって、こんなの耐えれませんよぉ」
その少女、みどりと呼ばれた少女は、倒れたままゆかりを見上げて、そうぼやく。
「本当、こんな事でこれから大丈夫なのかな?」
「はあ、がんばります」
「本当に、一応私の弟子なんだから」
それは、数日前に遡る。
「私を、弟子にして下さい!!」
何のことは無い昼休み、購買で買ったパンを紙パックの牛乳で喉に押し込んでいるゆかりは、いきなりの事に目を白黒させるだけしか出来なかった。近くには誰もおらず、それは不幸中の幸いというか、とりあえず、状況を把握して、そう言って来た少女を物陰に引っ張り込むには十分な時間があった。
「一体何言ってるのよ、人がいたらどうするの!!」
声は抑えているが、自分の目の高さまでしか身長のない少女を脅すには十分だったらしく、ヒッと脅えてその身体を更に縮める。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、つ、つい、ゆかりさんが一人の所を見かけたから」
何度も言葉に詰まりながら、それでも必死に説明しようとする。
「それで、え〜と、誰だっけ?」
「わ、私は、高谷翠〈たかやみどり〉って言います」
「ふ〜ん、それで、弟子にして、って言ったけど、どうしたのよ?」
「私、背もあんまり高くないし、運動神経も良くないから、颯爽としてかっこいいゆかりさんに憧れていたんですよぉ、それで、友達からゆかりさんのことを聞いて」
「なるほど、それで、私が何やってるか知ってるの?」
「プロレス、ですよね?」
恐る恐る尋ねる翠、時々目を伏せながら、上目遣いにゆかりの様子を覗き見る。
「ま、大体はそうね、でも、ちょっと違うわよ」
「どう、違うんですか?」
「それはねぇ・・・・・こういうのもありなの」
その長い手を伸ばし、翠の股間をスカート越しに触る。
「んっ、知ってますよ、その位」
「そう、でも、結構強くて怖い人多いよ、私なんか全然優しい方だし」
「でもっ、私、ゆかりさんの弟子になりたいんですっ!!」
「じゃあ、とりあえず今日の放課後、あなたが耐えられるか、テストするから」
「はいっ、がんばります!!」
そのまま走り去っていく翠を見送ったゆかりは、長く重い溜息を堪える事が出来なかった。
「え〜と、これでいいんですか?」
そう言って、体操服姿の翠がゆかりに問いかける。
「ええ、初めてだったよね、とりあえず十分間やってみようかな」
「それで、何をすればいいんでしょうか?」
「そうね、格闘技の経験は?」
「ありませ〜ん」
「まあ、そうでしょうね、それじゃあ、プロレスとか見る?」
「あんまり見ません」
そこまで聞いて、ゆかりは本当に頭を抱えたくなった。
「まあ、とりあえず私が軽く攻撃するから、それを見て覚えて」
「はい、お願いします」
明るく返してくる翠だが、どこか顔が引き攣っている。まあ、それも無理は無いだろう。何しろ、格闘技の経験も無い少女にとって、今いるプロレスのリングなどは別天地に違いない。そして、その一段高くなった所から眺めるリング下は、奈落の底の様に、実際よりも深く見える。
「怖いんなら、止める?」
「いいえ、大丈夫です」
「そう、なら、遠慮なく」
その場で跳んでのドロップキック、手加減はしたといえ、ゆかりの全体重の乗った蹴りに吹き飛ばされる翠。
「きゃう」
「ほら、そんなんじゃいい的よ、さっさと立ったら?」
「は、はいぃ」
それだけでふらふらになりながらも、何とかファイティングポーズを取る翠。
「本番じゃ、敵は待ってくれないのよ」
翠の顔に、これも手加減はしているが、それなりの速さを持った平手が飛び、高い音を立てる。
「うぅ」
「ほら、少しは反撃したら?」
その髪を掴み、下を向いてしまった顔を自分の方へと向けて言う。
「全く、こんなんじゃ試合にすらならないわよ」
翠の身体をロープに振り、自分もそれを追いかけ、翠の胸元にエルボーを決めた。
「あぐっ」
「これだけやられると悔しいでしょ、だったら反撃しなさい」
「う、やぁっ」
ヤケクソの一撃は、ゆかりにかすりもせず、その目の前を空しく通り過ぎた。
「全然当たってないわよ、そういうのは、こうやってやるの」
フック気味の右の掌打が翠の左胸を捉える。
「うぐっ」
それだけで崩れ落ちる翠、激しく咳きごみ、開きっぱなしの口から涎がリングに落ちる。
「だから、寝てないで反撃する」
「は、はぃ」
よろよろとした力の無いタックルでゆかりの足にしがみ付いて来るが、別に警戒するまでも無いそのか弱い攻撃を長い足で一蹴する。
「本当に才能無いね」
ここまで来るとあきれを通り越してしまい、邪険に扱う気も起きない。そして、翠はそれでもまだ立ち上がろうとしていた。
「とりあえず、怪我だけはしない様に痛めつけてあきらめてもらおうか」
何とかロープを持って立ち上がった翠の前に立ちはだかったゆかりが、その腕を広げて翠を抱きかかえる。
「これは、苦しいよ」
そのままベアハッグで締め上げる。常人以下の体力しかない翠にそれが外せるはずも無く、なす術もなく苦しみながら、ただ体力を消耗していく。
「さあ、ギブアップしなさい、そうしないとこのままじゃ危ないよ」
「うう、しません〜」
「くっ、落ちてもいいの?」
「落ちるって何か分かりませんけど、でもギブアップだけは」
「ちっ」
舌打ちを一つ、それで翠の身体を離す。
「はぁ、はぁ、うう」
「あなた、さっきのでギブしてくれれば、これをしなくて済んだのに」
「はぁ、何です、これって?」
「知らないの、私の得意技?」
そう言って掴まれた両足首を見て、不吉な予感に囚われる。
「ま、まさか」
「そう、電気アンマよ」
次の瞬間、何人もの強敵をリングに沈めてきた必殺の電気アンマが翠に完全に決まった。
「あ・・・が・・・亜グ・・・・・が・・・・・・が・・あ・・・がん・・・・ぐ」
「さあ、今度こそギブしなさい」
「ああ・・・・グ・・・・いや・・・・・しない・・・・・ぜったい・・・・」
「そんな意地張ってもどうにもならないのよ」
「でも・・・・あ・・・・・ああ・・・・・・・あああああああ」
「つっ、だから言ったのに」
その股間に付いたシミと、素足に感じた冷たさに、思わず顔を顰めるゆかり。そのまま小刻みに震える翠を残し、リングを去ろうとすると、突然、その足を何者かに掴まれた。
「何で、もう動けないんじゃあ」
「あう、まだ、ギブアップは、していません」
「そんな事言って、もう立てないんじゃない」
「でも、まだ、終わりじゃありません」
そう言って、必死にしがみ付いてくる。それを振り払うのは簡単だっただろう、だが、そうする気にはどうしてもなれなかった。
「全く、これ以上痛い目に合いたくなかったら、さっさとその手を離しなさい」
「いやです、絶対、離しません」
しっかりと踏ん張っているゆかりが、息も絶え絶えの翠に倒されるはずはないが、それでも、このままでは引き倒されるという恐怖が一瞬脳裏を掠め、慌てて大きく跳び退る。
「くっ、何でそんなに弟子になりたいの?」
「それは・・・・・・憧れていたからです」
「はぁ、それだけの理由でここまで粘るとはね」
「それだけじゃありません、今の私にはそれで全部です」
少しムッとした顔で、ゆかりを睨み付ける翠、その翠に、やれやれといった様子で苦笑して、ゆかりは初めてまともに身構えた。
「ねえ、最後のチャンス、五分後にあなたが立っていられたら弟子にしてあげる、でも、その時に完全に動けなかったら二度と弟子入りしようとは思わない、どう?」
その提案に、しばし考え込んだ翠だが、それを受ける以外に弟子入り出来ないという事は分かっている。だったら、受ける以外の選択肢はありえなかった。
「それじゃあ、あの時計で五分ね」
ゆっくりと翠が立ち上がったのを確認し、それに合わせる様にボクシングのような軽快なフットワークで懐に飛び込む。
「はっ」
顎をアッパーのような打ち上げる掌打が打ち抜き、一瞬翠の意識を奪う。そしてすぐさまその股間に手を添え、抱えあげて背中から叩きつける。
「ぐっ!!」
速攻の連続技に、それだけで起き上がる事が困難なダメージを負う翠。立ち上がることもままならず、もがく翠を嘲笑うかのごとく、ゆかりのエルボードロップがその鳩尾を襲った。
「あがっ!!」
「まだ一分も経ってないよ」
そのまま馬乗りになるゆかり、防御も反撃も出来ない翠は、当然あっさりとその上に乗られ、顔を反射的に庇う。
「そこじゃないのよ」
ゆかりのその手は、固く握られた拳、では無く、軽く曲げられただけで、翠の股間へと伸びた。そしてそれは、顔を庇って何も見えない翠には、身構える事すら許さずにやってきた。
「ああっ・・・・う・・・あ」
「どう、最初に言わなかったっけ、こういうのも『あり』だって」
「ひんっ・・・あ・・・ふぁ・・・・・」
「私も慣れない内は地獄に思えたけど、この程度で音を上げてたら私の弟子にはなれないよ」
まだ強く握る程度でしかなく、別に本格的に攻撃しているのでもない、とは言え、もう限界まで疲労の溜まった翠には本当に地獄に思えた。
「ほら、何かしないと、こっちも狙われるよ」
そう言って、空いた手で、体操服の上から翠の形のいい胸を揉む。しばらくは無抵抗に暴れていた翠も、さすがにこの頃には手でゆかりの手を退けようとするが、悲しいかな、その力では全く歯が立たない。
「それで、こんなのもあるのよ」
一旦立ち上がり、翠の腕を取って腕ひしぎ逆十字、関節が悲鳴を上げる音に、翠は痛みの悲鳴を上げる。しばらくの間そうしていたけれども、これ以上は翠が危ないと判断したゆかりが技を解く。
「はあ、素人相手っていうのが一番疲れるかも」
ぼやきながら、ふらふら立ち上がった翠を見て、とりあえず、その動きに注意する。
「もう四分近いか、そろそろ終わらさないと」
次第に迫ってくるタイムリミットに、ちょっとのあせりを感じ、最後に得意のあれで決めようと、翠に向かって行く。
「これが最後の技よ」
「う、ああ」
なす術もなく引き倒された翠の脳裏に、少し前のあの記憶が蘇る。それは、まだ痛みとして残っていた。実は、ゆかりにそこを触られた時、まだ残っていた痛みにも苦しんでいた。だが、今回のがそれよりも弱い事はまず無いだろう、そして、自分が意識を保ててる事も、万に一つしか残っていないはずであった。
「あ・・ああ・あ・・ああが・・がっ・・・あぐ・・・あ」
「どう、感じる?」
「イ・・・ひい・・・・イあ・・・あ・・・・ん」
ただ振動に言葉も無く苦しむ翠、次第にその悲鳴も聞き取りづらい不明瞭な物へと変化していった。
「さあ、もうすぐ時間よ」
約束の五分にあと三十秒という時、ゆかりは翠を開放した。
「やっぱり、いくらなんでも無理だったか」
まだ翠には、震えるだけで意思が感じられない。
「ちょっとむきになってたかも、またいつか、ちょっとは鍛えて出直しなさい」
そこで、翠の身体が大きくピクリと動いた。
「まさか、動けるの?」
残り十秒、だが、翠はまだ立ち上がれない。
「・・・うう」
残り五秒、何とか頭だけが起き上がり、ロープを掴んで立ち上がろうとする。
残り二秒、その足が身体を支えようと動く。
そして、タイムリミット、ギリギリで手を滑らせた翠がロープにもたれかかる様に倒れていった。
「この場合」
残されたゆかりは一人、何となく呟いていた。
「どっちになるの?」
「あれ、ここは」
包帯が巻かれ、湿布臭い自分の身体に気付き、涙が溢れてくる。
「あ、やっぱり、無理だったんだ」
「それで、無理って何が?」
「えっ、ゆ、ゆかりさん」
「ゆかりさん? 学校とかならともかく、こういう所では『師匠』って呼んでよ」
「そ、それじゃあ」
「う〜ん、翠っていうのも私の弟子っぽくないから、今日からあなたのリングネームは」
そう言って手に持った半紙を広げる。
「じゃ〜ん、『高円寺みどり』どう、カッコいいでしょ」
そこには、思いのほか達筆に、墨で『高円寺みどり』(高円寺ゆかり書)と書かれていた。
「でも、私、立ってなかったんじゃ」
「いや、でもね、ほら、『動けなかったら』二度と弟子入りしようとは考えないでって事だったんだけど、あなた動いてたし、このままじゃ何度でも、それこそ毎日でも弟子入り志願に来そうで、どうせそうなるんならもう弟子入りさせといた方が手っ取り早いじゃない」
そこで照れた様に後ろを向く。
「それに、ちょっと師匠って呼ばれてみたかったし」
「はあ」
「それじゃあ、練習は厳しいよ、それでもやる?」
「はいっ、師匠」
こうして、高谷翠もとい、高円寺みどりはゆかりの弟子となった。
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