その日は雨が降っていた、大した量ではないが、気にならない程度でもない中途半端な雨が。その中を一人の少女が走っている。その少女は、鬱陶しくまとわり付く髪を振り払い、その雨から逃れられる場所を探していた。
「あー、冷たい、まったく、急に降るんだから」
無駄だと分かっていながら、空に文句を言い、やっと見つけたコンビニに入っていった。
「いらっしゃいませ」
店員の声を聞きながら、見知った顔を探すが、同じ学校の制服はちらほら見えても、特に知り合いは見つからず、雑誌でも読もうかとそのコーナーに進んでいった。
(読んだ事があるのばっかりかぁ)
2、3冊手に取って見てみるも、それ以上興味を引く記事は見つからない。仕方なくそれを棚に戻して立ち去ろうとしたその時。
「ちょっと、冷たいじゃない」
横で雑誌を読んでいた女子高生がそう怒鳴ってきた。よく見てみれば、自分の身体にはまだ水滴が残っていた。それが当たったのだろう。
「あ、ごめん」
その態度に少し怒りを感じながらも、自分の非を認め、素直に謝る、しかし、相手の怒りはそれだけで収まりはしなかった様だ。
「ごめんじゃないわよ、もっと丁寧に謝れないの?」
さすがに堪忍袋の緒が切れたのか、少女も言い返す。
「ちゃんと謝ったじゃない、それとも、聞こえなかったの?」
「もうちょっと丁寧に謝りなさいって言ってるのよ」
ただの口喧嘩とは思えないほどの迫力に、周りにいた人間は少し距離を置き始めた。
「お、お客様、店内での・・・・」
おろおろとするばかりの年配の店員が慌てて仲裁に入るが、その険悪な雰囲気に気圧され、後の言葉が繋がらなかった。
「迷惑みたいだから、場所を変えましょうか?」
「そうね、決着は着けないといけないわね」
そう言って二人はそのコンビニを後にした。
外はまだ雨が降っていたが、二人は濡れるのを気にせず、人気の無い木の生い茂った公園にやってきていた。
「濡れるのが嫌だったんじゃないの?」
「あなたみたいな人間が嫌いなだけよ」
完全に水を吸った制服が重く、その冷たさが身体の熱を奪う。だが、相手が雨の中にいるのに自分だけ濡れない所にいるのは負けたような気がして嫌だ。そんな馬鹿らしい理由で相手を牽制し合い、雨の中佇んでいる。
「で、話し合おう、とはしていないみたいね」
「そっちこそ、今にも殴ろうとしてるじゃない」
「どうなっても、知らないよ」
「どうにかなるのは、あなたの方よ」
二人は我先にと殴りかかった。少女が足を踏み出す毎に泥水が飛び散り、何度かそれが顔にもかかった、そうしている内に雨は激しさを増し、視界を遮る。
(な、意外と強い)
(嘘、何で倒れないの?)
不安、焦り、そして雨が二人から余裕を奪っていく。
「倒れろぉ」
やけくそ気味に、片方の少女が足払いをかけ、泥の中にもう一人の少女を引き倒す。しかし、その倒された少女も負けじと、足を掴んで道ずれにした。
「こ、は、離せ」
「っつ、だったら、その手を先に離しなさいよ」
泥まみれになりながらも、互いの髪や制服を掴み、地面に押し付ける。周りに人がいなかったのがせめてもの救いだろう。そのスカートはめくれ、ずり落ち、上もめくれ上がって、見方によればかなり危ない格好で絡み合っている。
「この、っあ、や」
上を取ろうとしていた少女の動きが、一瞬止まり、変な声を出す。
「なにを、っはん」
それに反応したようにもう一人にも同じような声が出た。それは、寒さで感覚の殆ど無くなった二人にとっては、完全に不意打ちであり、感覚が無かったから今まで気付かなかっただけではあるだろうが、絶対にあるはずが無いと思っていた感じだった。
((嘘、何で私、こんな事をしていて感じてるの?))
計らずとも同じ時に同じ事を考えてしまい、全く同じ時に動きを止めてしまった。
「ねえ、このままここで決着を着けてもいいけど、もっとちゃんとした形で決着を着けない?」
「ちゃんとした形って?」
動きが一瞬といえ止まってしまい、最初の勢いが削がれたのか、二人はゆっくりと離れて立ち上がる。
「例えば、どっかのリングとか」
「リングって、プロレスでもするつもり?」
「あなたがしたいんならそれでもいいけど、私、場所なら心当たりがあるの」
「じゃあ、そこで決着を着けようっていうの?」
「そうよ、どう?」
「いいけど、仲間を呼ぶのは無しよ」
「そんな事、するわけ無いじゃない」
少女は心外なとばかりに気を悪くする。
「じゃあ、場所と時間は任せるわ、あ、私は高円寺ゆかり、あなたは?」
「私は、川村、川村美佳よ、それじゃあ、場所が取れたら連絡するわ」
二人はそれを合図に違う方向に歩き出した。が、すぐに同じように
『こんな格好でどうやって帰ろう・・・・』
と呟いたが。
「・・・・・と言うわけなのよ、だからさ、あなたの同好会のリング、貸してくれない?」
「美佳、もうちょっと考えて行動しなよ」
当然ながら、呆れた様子で、美佳とそっくりな容姿の少女、美樹が食事の手を止めて言ってきた。
「大体、本当に使えるか確認もせずに安請け合いするから、使えるわけないのに」
「でも、見つからなかった、って言ったら逃げたみたいじゃない」
「それはそうだけど」
何やら真剣に思案している美樹、どう言っても姉が引き下がらないのは分かっている為、違う場所が無いかと考えるが、全く思い浮かばない。
「じゃあ、私が立ち会うから、それなら何とかなる、と思うけど」
「うーん、でも、それだといちゃもん付けられそうなんだよね」
『仲間を呼ぶのは無し』と言われている手前、自分と殆ど同じ顔の美樹がいるだけで言い訳を与えてしまう、そうなるのは望むべき事ではないが、それ以外に方法は無い、今度は美佳が悩む番だ。
「それなら、向こうにも一人立会人を出してもらったら?」
「んー、やっぱりそれしか無いかなぁ、ってヤバ、遅刻する」
結局、悩むのを止め、急いで朝食に取り掛かった。
「何であんなのにこんなお嬢様学校の知り合いがいるのよ」
美佳に指定された高校に足を運ぶと、そこは有名なお嬢様学校、成績が特に良いわけでもないゆかりには、天の上の存在にも感じられた。もっとも、ゆかりにはそこについて、かなり偏った知識しか無いのだが。
「でも、何でここにリングがあるんだろうね?」
ゆかりの後ろに引っ付いてきた少女が疑わしそうに言う。彼女は、ゆかりの妹でめぐみ、公正を期すため、とか何とかで一人付き添い、もといセコンドを付けろとの指示で、適当な人間が見つからなかったので引っ張ってきた。相手がそれなりに強い人間を連れてきて、そっちも二人だから、と二人掛りで来たらこの娘では少し難しいが、その心配は特に無いだろう、とも考えている。
「さあ、あると言うんだからあるんでしょ、さ、行くわよ」
大げさに肩をすくめ、指定された場所、体育館に足を運ぶ。
「本当にあったよ」
少し脱力しながら、目の前のリングを見る。どうせちょっとしたマットか何かだと思っていたゆかりだったが、完全な形のプロレスのリング、それがドンと設置されている様はこれ以上無い違和感を感じさせている。
「いらっしゃい、よく逃げずに来たわね」
そのリングの影で分からなかったが、既に美佳は来ていた。
「それはね、それより、よくこんなリングを借りれたわね」
「妹がここのプロレス同好会に入っているのよ」
それを聞いて、ゆかりの頭の中で今まで存在したこの学校のイメージは完全に、音を立てて崩壊した。
「まあ、そんな物よね、現実は」
「何をぶつぶつ言ってるの、さっさと着替えてきなさいよ」
「分かったわよ、で、更衣室はどこなの?」
「あの部屋を使えばいいらしいよ」
「じゃあ、水着でいいよね」
そう言って、持ってきたバッグを肩に掛け、ゆかりはその指差された部屋に入っていった。
「ん、あなたは?」
そこでようやくゆかりの後ろにいためぐみに美佳の注意が向く。
「あ、私は高円寺めぐみって言います」
「高円寺、って事は姉妹なの?」
「そうなんですよ、顔とか似てるって良く言われるんですけど」
「確かに、似てるわね」
その長身の少女、(美佳よりいくらか身長が高い)を見て、それよりも背が高い彼女の姉との身長差に不安がよぎる。柔道二段といっても、水着では掴む所が殆ど無いし、相手も場慣れしている感じだ。
(なるようになるか)
始まりが始まりだったにも関わらず、不思議と相手が憎く感じられない。ある意味似た者同士、だからか、喧嘩のはずが、楽しみにさえ思えてくる。
「着替えたけど、いつ始めるの?」
水着、青系の明るいワンピースに身を包んだゆかりがドアを開けて出てくる。それは、長身で細身のゆかりに良く合い、身体の線が色の濃淡ではっきりと出る。
「へえ、馬子にも衣装ってのはこの事か」
思わず見とれていた美佳が、取り繕う様に冷やかす。
「誰がよ、それより、あなたは着替えなくてもいいの?」
「下に着込んでるのよ」
そう言って着ていたジャージの前を少し開いて、赤いセパレート水着をチラッと見せる。
「ふーん、で、いつ始まるのよ」
「まあまあ、もう少し待ってよ、今、美樹が確認に行ってるから」
「美樹って、それと何を確認するの?」
「ここを使ってる時に誰も入って来ないようにね」
ガチャリという音と、それに続き、鉄製の扉が重い音を立てて開く。薄暗い中に差し込んだ日差しに皆その目を覆った。
「美佳、今から一時間の間なら使えるよ、片付けも考えるとそれ以降は無理みたい」
扉を開けて入ってきた少女は、開口一番そう告げた。
「そ、ご苦労様」
どうやらこの少女が美樹らしい、美佳とそっくりの顔をしている。
「でも、大怪我するような真似はしないでね、ただでさえ他校の生徒が使ってるんだから、問題が起こったら私が責任を取らされるのよ」
何か前科があるような口振りで美佳に注意する美樹、気が小さいというよりも、二人を心配している様子だ。
「大丈夫、大丈夫、すぐに終わらすから」
「あなたが負けて?」
「あなたを倒して、よ」
そして、二人はリングに上がる。
「どちらかがギブアップするまででいいよね」
「望む所よ」
そのまま二人とも半身に構えて向かい合った。じりじりと間合いを詰めるゆかり、それに対し、自分の有利な間合いを確保しようとする美佳、息を飲む展開に、二人の観客にすら緊張が感じられる。
「はっ」
「っわ」
大きく一歩踏み込んだ美佳の小外刈り、もとい足払いのローキックはゆかりのバランスを崩しはしたが、大きく跳び退ってすぐに逃れられる。
「ちっ」
舌打ちをして、有利な状況の内に次の攻撃をしようともう一度踏み込むが、投げを狙うのが見え見えだった為、素早い蹴りで動きを止められる。
「ふぅ」
その攻撃から冷静に逃れたゆかりは、更なる追撃が無いのを確認して、軽く息を吐く。今まであまり味わった事の無い緊張感だ。少し気を抜けば投げられ、下手をすればそこで勝負は付いていただろう。
「今度は、こっちから行くよ」
力強く踏み込んだゆかりが、右手を前に突き出し、美佳の胸を狙う。だが、それは肩口に当たり、そのまま腕を取られた。
(まずい)
必死で蹴りを出し、逃れようとするも、美佳はそれに耐え、手を離しはしなかった。
「このっ」
残った左手で右手を掴んでいる腕を掴み返し、捻りあげる。
「っく、んのぉ」
痛みに顔をしかめたが、強引な力技でゆかりを押し倒した。そのまま寝技で締め上ようとするが、一足早く、ゆかりの足が美佳の胴体に絡みつく。
「どう、苦しい?」
そのまま強く締め上げるゆかりだが、入りが甘く、ダメージは殆ど期待出来ない。結局、体力の損得を考え、これ以上締め上げても無駄と判断し、一度仕切り直す。
「意外とねばるじゃない」
美佳が額の汗を拭って言う。
「私の方が優勢よ」
同じ様に汗を振り払ったゆかりが答える。これまでは互角、そろそろ体力勝負になって来た。
「どうしたの、私が怖いの?」
近付くと逃げるゆかりを美佳が挑発する。ゆかりが距離を置くのは美佳の投げを警戒してであり、リーチの長い自分の利点を生かす為でもあった。
「ふっ、はぁ」
美佳が突然笑ったように見え、次の瞬間、その身体が沈み込み、十分に溜めた力でマットを蹴ってゆかりに足から飛んでいく。
「ドロップキック!?」
次も投げで来ると思っていたゆかりは、意外な攻撃をもろに胸に喰らい吹っ飛ぶ。
「っつ、どう?」
高く飛びすぎたせいか、着地に失敗して痛がりながらも、足の裏が捕らえた確かな手応えに満足している美佳、それに対し、ゆかりは頭を振って意識をはっきりさせようとしていた。
(今!)
その好機を逃さず、飛び掛って腕を取る。
「させるか」
腕を曲げ、関節技を防ごうとするゆかり、だが、そう簡単にはいかなかった。
「甘い!!」
その曲げた腕を押すようにして、何やら複雑な形に極める。
「う、わああああああ」
信じられない激痛に、思わず叫び声が出る。
「どう、ギブ?」
「誰が、するかぁ」
無理して身体を捻り、美佳の顔面に強烈なパンチを入れる。その代わり、極められた右腕が痛む。
「このぉ」
鼻に当たったらしく、涙が滲み、それを覆った指の隙間からポタポタと赤い雫が落ちる。そのまま攻撃しようと腕を顔の高さまで上げるが、視界がぼやけ、照準が定まらない。そこをゆかりの蹴りが捉える。
「うあああ」
ボディへの強烈な一撃に、前のめりに倒れこむ美佳、だが、髪を掴まれ、そのまま倒れる事はなかった。
「今、ギブすればもう許してあげるよ」
その言葉に、美佳は血の混じった唾を吐き、無言でゆかりの腹を殴って答える。
「っく、んのぉ」
不完全な一撃に、多少よろけただけのゆかりは、すぐに体勢を立て直し、そのまま膝蹴りで返す。二度、三度と繰り返すと、さすがの美佳もぐったりとする。その隙に大技を決めて一気に優勢に、と考え、美佳の身体を抱え上げようとする。外見からは意外なほど鍛えられたゆかりには、そのまま抱え上げて落とすぐらい、簡単な事、のはずだったが、右腕に走る激痛のせいで不完全な形となり、自分ごと斜めに倒れた。
「あぐう」
「っつあ」
不完全ながらも、落ちた拍子に右肩を強打した美佳、そして、ゆかりの右腕は美佳の下敷きになって更に悪化した。それからすぐに、二人は揃ってよろよろと起き上がる。始まって十分程、どちらも右腕がいつもの様には使えず、体力も底が見えてきていた。
「まだ、やるの?」
リングの外にいるめぐみが心配そうに呟く。美樹も、時間や二人の様子、それらからこれ以上続ける事の危険性を考え、いつでも飛び掛れるよう身構え、最悪、自分の身体を割り込ませ、二人を引き離す事も考えていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、は、はぁ」
「はぁ、はぁ、ふ、、はぁ、はぁ」
汗が際限無く流れ落ち、べったり張り付いた水着は気持ち悪い。だが、こんな状態にも関わらず、どちらも気を抜かず、いや、こんな状態だからこそ、一撃で決着が着く事も考え、油断無く身構えていた。
「はっ」
「やっ」
殆ど同時に踏み込み、共に腕を取り合う。どちらも左手にしか力が入らず、右手は動きはするが力が無い。そして、そのまま上手投げのような形で共に倒れた。
「っぐ、っああ」
倒れた状態から先に動き、上を取ったのは美佳、その左拳がゆかりの胸元と顔に連続でめり込む。だが、すぐに身体を揺すって美佳を払い落としたゆかりが上になり、お返しとばかりに顔面に一撃、更に首を絞め始める。
「っぎ、ひ、っくのけぇ」
「はぐぁっ、っつ、うっせぇ」
上下が何度も入れ替わっての殴り合い、次第に痛みも忘れたのか、痛めた右腕にも共に力が入っていた。このままいけば決着が着く、その時、右腕を大きく振りかぶった二人の間に割り込んだ人がいた。
「ああっ」
二人の拳を同時に受け、苦しんでいる少女は、美樹、遂に見かねた美樹が二人を止めるべく間に入っていたのだ。少し遅れながらも、めぐみもリングに上がり、苦しむ美樹を介抱する。
「どうして、どうして邪魔をするの、もう少しで勝てたのに」
妹に邪魔された事と、止めをさせず、決着が着かなかった事に苛立ち、怒鳴りつける美佳、ゆかりも目の前の二人を睨み付けている。
「ごほっ、だって、これ以上やったら冗談じゃすまないよ」
「冗談じゃ無い、本気よ、あなたは本気の勝負に割り込んだのよ」
「それに、怪我、血がたくさん出てる、どっちにしろ一旦止めないと」
よろよろと立ち上がりながら、美佳をリングから降ろそうとする美樹、反対側ではゆかりもめぐみに引き摺られるようにしてリングを降りていた。その間には、赤い絵の具を塗りたくったように、汗と血の混じった跡が残った。
「意外と怪我は少ないね、ちょっと唇を切って、鼻血も出たからかな、見た目の割に無事だったみたいか、でも右の肩は腫れが酷いよ、動かせるのが不思議な位」
てきぱきと美佳の傷の具合を診ていく美樹、傷口を見る為に水着をずらし、無事かどうか、簡単に診断する。
「大丈夫?」
リングの反対側ではめぐみがゆかりの怪我を診ている。心配そうに、痣や出血の場所を調べていく。その結果、二人が出した答えは『やめさせた方が良い』と一致した。それを告げると、二人は猛反対し、『まだやれる』と同じ様に言い放ち、強引にリングに上がろうとするも、疲労と怪我で、共に押さえ込まれ、その場はあきらめるしかなかった。結局、勝負はまた付かなかった。
「あの時、邪魔が入らなかったら」
そうしたら自分が勝っていた、という言葉を美佳は寸前で飲み込む。あの体育館での事から早くも一週間が経とうとしていた。美佳の怪我も少し残っているだけで、右腕の痣も消え、体調は万全に戻っていたが、心は晴れなかった。あれ以来、ゆかりとは一度も会っていないし、こっちから呼び出すのも何か嫌だった。だからか、『自分が勝っていた』と自分に言い聞かせ、中途半端に終わった決着を自分の中だけで完結させようとしている。だが、それも無駄な努力にすぎなかった。日に日に自分が絶対に勝てたという自信は薄れ、負けたかもしれないと不安になる。気が付けば、美佳は外に飛び出していた。もう暗く、青白い満月が照らすだけの夜だった。
「はぁ、はぁ、」
息を切らせて走って来たのは公園、その木々の中で、あの日の事を考える。どっちが勝っていたかは分からない。場所を変えようと提案したのは負けそうだったからかもしれない。もし、あのまま続けていたら、そこで首を振ってその考えを振り払う。その時、後ろの茂みがガサッと音を立てたような気がして、慌てて振りかえると、そこにはゆかりが立てっていた。
「どうして、ここに?」
何となくではあったが、その答えは聞くまでもなく分かっていた。簡単な事だ、自分も同じなのだから。
「どうするの?」
問いかけには答えず、ゆかりは何の脈絡もない問いかけを返してくる。
「やるに決まってるでしょ」
「そう、じゃあ、始めましょうか」
偶然、というにはあまりに出来すぎた舞台だったが、二人は何の躊躇いもなく身構えた。
「今度は、ちゃんと決着、着けようか」
「じゃあ、小細工は抜きでいきましょう」
今までで最も無造作に、二人はその距離を縮める。手の届く範囲に入っても、お互いに手を出さない。やがて、50センチほどの間合いを空けた二人は、同時にその腕を振り、互いに相手の頬を思いっきり張った。
パァンッ
という音が一瞬の時間差を置いて重なる。
「っつ」
「っくぅ」
どちらも涙目になりながらも、相手を睨み付け、もう一度、だが、今度も相打ちに終わる。それからは、相手の身体を掴んで殴り、蹴る。静まり返った公園に、その鈍い音だけが響いていた。
「っのぉ」
美佳の膝がゆかりの腹に入れば、
「っはぁ」
ゆかりの肘が美佳のこめかみを打つ。どちらも譲らず、信じられないほど長い時間、そうして殴り合っていた。せっかく直りかけた傷は開き、何箇所かに血が見えたが、どちらも止めようとはしなかった。そして、どちらも一度も倒れはしなかった。最後の瞬間以外は。
「っはぁ、はぁ、はぁ、また、相打ちか」
「っふ、はぁ、は、ふぁ、はぁ、いいじゃない、決着は、今度着ければ」
「はぁ、はぁ、今度って」
「はぁ、は、何回でもすればいいのよ、決着が着くまで」
「はあ、じゃあ、今度は首を洗って待ってなさいよ」
「そっちこそ、ビックリするくらい強くなって見せるから」
「それじゃあ」
「また、この場所で」
二人は、そう約束を交わし、再戦を誓った。ただ、殴り合い、掴み合いでその服はボロボロになり、
『どうやって帰ろう』
と同時に呟いたが。
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