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Club Desire]

 

 

 

Collapse

 

 

 

「裕美さん、行くわよ!」

インターホンで何やら受け答えしていた佳奈は、凄むように裕美を睨みつけながら声を掛けた。

緊張と怯えを入り交えた表情の裕美は、黙って頷くとソファーから立ち上がった。

 

「あゆみと美穂子・・

 いいわ、貴方には由美子とゆう子の分までしっかりと償ってもらうわ!」

通路を歩きながら佳奈が言うと、裕美は困惑したような表情で身を硬くした。

 

 

 

《 赤コーナー、裕美、高校教師・・・

  青コーナー、佳奈、Desireスタッフ・・・ 》

 

リングに上がった二人がそれぞれのコーナーを背にして立つと、いつものように静かなアナウンスが入った。

佳奈は相手を見下したような余裕綽々の表情で、腕組みをしながら裕美を見つめている。

だが対する裕美は、なぜか怯えたような硬い表情で佳奈を見つめていた。

県立公園の駐車場に停めた車の中で裕美が佳奈から暴行されたことなど知る由も無い観衆達は、いつもなら気合十分で相手を睨みつける裕美がそのような態度を取ることに唯ならぬ気配を感じながらも、期待を込めてリング上を見守っていた。

 

 

 カン

 

いつものように静かにゴングが鳴った。

まずは佳奈が、ゆっくりとコーナーから離れてリング中央へと向かった。

いくら暗示を掛けて恐怖心を植込んでいるとは言え、半年以上も裕美の担当をしている佳奈にとって、裕美の実力は決して侮れるものではない。

佳奈は慎重に歩を進めながら、威圧感を与えるかのように裕美の目をじっと見詰めていた。

 

「ほらっ、何やってるの?」

リング中央まで進み出た佳奈が、いつまでもコーナーから動かない裕美に向かって苛立たしげに声を掛けると、蛇に睨まれた蛙のごとく身動ぎ一つしなかった裕美は、まるで誘蛾灯に誘い込まれる虫のように佳奈に近づいて行った。

怯えるように佳奈に近づいて行った裕美は、それでも意を決したのか、佳奈をひと睨みすると、立ち止まって軽く膝を曲げるように構えた。

 

「貴方には私を倒すことなんて無理よ!」

裕美が立ち止まると、佳奈は暗示を掛けるように囁きながら近づいてきた。

顔に怯えの表情を浮かべた裕美は、それでも佳奈が射程距離に入ると同時に、鋭いローキックを立て続けに3発浴びせた。

すると、それまで余裕を保っていた佳奈の表情が、一変して険しいものになった。

 

「このやろー!」

佳奈は叫び声を上げて裕美に掴み掛かると、荒々しく裕美の髪を掴んだ。

 

「あっ、きゃっ・・」

髪を掴まれ乱暴に振り回される裕美は、小さな悲鳴を上げながら佳奈の腕を掴んで必死に振り解こうとするが、佳奈は逃げようと態勢を崩す裕美に追い討ちをかけるかのように、その太股めがけて膝蹴りを何発も入れてきた。

 

「あっ、あんっ、あんっ・・・」

髪に加えて太股を襲う痛みに、裕美は顔を歪めながら、それでもなんとか逃げようと必死にもがいた。

すると佳奈は、ここぞとばかりに体重を掛けて裕美を押し倒し、そのままマウントポジションを取ってしまった。

 

「あんっ、くそっ・・・」

押し倒されて一瞬怯んだ裕美は、それでも直ぐに気を取り直すと、佳奈の右腕をさっと掴み、下から三角締めの態勢に持っていこうと素早く身体を丸めた。

 

「うっ、くそっ・・」

佳奈は慌てて腕を引っ込めると、裕美から逃げるように素早く立ち上がった。

そして、まだ仰向けでひっくり返ったままの裕美に、踏みつけるような蹴りを何発も何発も入れた。

 

 

ドスッ ドスッ ドスッ・・

 

「あっ、あうっ、あんっ、あっ・・・」

 

これには裕美も堪らず、素早くうつ伏せになって身体を丸めるようにして、佳奈の蹴りから受けるダメージが少なくなるように構えた。

すると佳奈は、裕美の背中に跨るようにしながら髪の毛を鷲掴みにして、そのまま力を込めて引張った。

 

「きゃぁ、痛ーーっ・・・」

裕美は大きな悲鳴を上げると、思わず両手で頭を押さえた。

すると佳奈は、待ってましたとばかりに裕美の背中に腰を下ろし、鋭角に立てた自分の膝に裕美の両肩を引っ掛けた。

 

「あぁぁぁぁぁっ・・・」

キャメルクラッチを極められた裕美の悲鳴が、リング上に響き渡った。

佳奈は満足げな表情を浮かべると、裕美の顎の下に回した左腕を右肘に挟むように引っ掛けた。

 

 

「もう少し、その色っぽい悲鳴を上げていてね・・」

佳奈は前屈みになると、裕美の耳元で囁いた。

だが、そんな佳奈の言葉など耳に入らぬかのように、裕美の悲鳴は止まる事を知らない。

すると佳奈は、不敵な笑みを浮かべながら、今にも泣き出しそうな顔で悲鳴を上げる裕美の顔を覗き込むように再び囁いた。

「お客様があなたの悲鳴に満足したら、丸裸にひん剥いてあげるから・・」

 

「あぁぁぁぁぁぁっ・・・」

裕美が一段と甲高い悲鳴を上げると、満足げな表情の佳奈はキャメルクラッチを解いて、素早く三角締めの体勢に持っていこうと裕美の右腕を掴んで自らマットに背をつけた。

 

「あっ、きゃっ・・・」

か細い悲鳴を上げる裕美。

だが、金鷲杯の一歩手前までいった百戦錬磨の裕美のこと・・

すかさず佳奈の脇腹を膝で蹴るように押え付けると、勢い良く利き腕を引っ込めて、後ろに転がるように逃げた。

そして素早く立ち上がると、肩を解すように軽く回しながら、佳奈が立ち上がって来るのに構えた。

 

 

「この前も言ったでしょ・・

 貴方は今日このリングで、泣き叫びながら私に許しを乞うのよ!」

催眠術が効いているにも拘わらずしぶとく抵抗する裕美に、佳奈は苛立ちを隠しきれないような表情で言った。

だが一方の裕美は、やや怯えたような表情をしながらも、隙の無い構えで佳奈との間合いを慎重に取っている。

佳奈は軽くステップを踏みながら、裕美との間合いを詰め始めた。

 

 

「そりゃっ!」

 

 バシッ バシッ バシッ・・

 

佳奈は一声気合を入れたかと思うと、素早く裕美に近づいて、その腰めがけてミドルキックを立て続けに放った。

 

「あっ、あっ、あっ・・・」

 

佳奈のほっそりとした脚が腰に叩き込まれる度に、裕美の口からは苦しげな呻き声が零れた。

 

 

 バシッ バシッ バシッ・・

 

佳奈のミドルキックが、何発も何発も裕美の腰にヒットした。

裕美は立っているのがやっとのような状態で、それでも佳奈の蹴りを耐え続けている。

 

 

「そりゃっ!」

 

佳奈はここぞとばかりに、裕美の横顔めがけてハイキックを放った。

だが次の瞬間、裕美の目がキラっと光ったかと思うと、横顔に迫り来る佳奈の右脚をガシっと掴んでいた。

 

 

「そーりゃっ!」

裕美は掛声と共に、足を掴んだ一本背負いともドラゴンスクリューともつかないような投げで、佳奈の身体を宙に舞わせていた。

 

「きゃぁ・・」

思わず悲鳴を上げる佳奈。

その佳奈の身体がマットに叩きつけられると同時に、裕美は素早く起き上がり、すかさず佳奈の髪を鷲掴みにして無理矢理引き摺り起こした。

 

「あぁぁぁぁっ・・」

髪の毛を引っ張られた佳奈が、悲鳴を上げながら立ち上がってきた。

すると裕美は、右腕で佳奈の頭を締め上げるように脇にぎゅっと抱えた。

そして、胸元から鳩尾にかけて、何度も膝をめり込ませた。

 

 ドスッ ドスッ ドスッ・・

 

「ぐっ、ぐぁっ、がっ・・」

佳奈の苦しげな呻き声が、リング上に響き渡る。

だが裕美は容赦する事無く、何度も何度も佳奈に膝蹴りを食らわせた。

 

「ぐぁっ、がはっ、ぐぁっ・・」

苦しげな呻き声を上げて膝蹴りに耐えている佳奈も、実はじっとチャンスを窺っていた。

 

 ドスッ ドスッ ドスッ・・

 

「ぐぁっ・・」

(ちくしょー!)

苦しげにぎゅっと瞑っていた佳奈の目が、カッと見開かれた。

 

「このやろー!」

佳奈は突然叫び声を上げると、裕美の腰にしがみついて、そのまま一気にコーナーまで押していった。

 

「あっ・・・」

一瞬の隙を衝かれた裕美は、背中をコーナーポストに押し付けられた瞬間に小さな声を上げた。

だが直ぐに気を取り直すと、佳奈の背中に肘を叩きつけながら、再びお腹めがけて膝蹴りを叩き込んだ。

 

 ドスッ ボコッ ドスッ ボコッ・・

 

「ぐぇっ、ぐぁっ、ごぁっ・・」

再び、佳奈の苦しげな呻き声がリング上に響き渡った。

裕美は素早く身体を入れ替えると、佳奈の両肩を掴んでコーナーポストに押し付けるようにしながら、佳奈の鳩尾めがけて高く持ち上げた膝を渾身の力で叩き込んだ。

 

 ドスッ

 

「がはっ・・」

 

佳奈はひときわ高い呻き声を上げると、口の端から涎を垂らしながらその場に崩れ落ちてしまった。

 

 

(もう無理かな?)

裕美は、荒い息遣いで自分の足元に崩れ落ちている佳奈を見下ろした。

すると佳奈は、裕美の思いに反撥するかのごとく、立ち上がろうと手足を動かし始めた。

 

(佳奈さんがその気なら・・・)

裕美は一瞬躊躇した自分に言い聞かせるように頷くと、屈み込んで佳奈の髪の毛を鷲掴みにした。

佳奈を引き摺り起こした裕美は、左手で佳奈の右の手首をぎゅっと握り締めると、腰を落としながらくるっと回るように素早く佳奈の懐に入って、そのまま爪先立ちになるくらいまで一気に腰を伸ばした。

 

 

「そらっ!」

「きゃぁぁぁぁっ・・」

 

ドスン

 

教科書に出てくるくらい奇麗な一本背負いに、佳奈の体は宙を舞いながらマットに叩き付けられた。

 

「うぅぅぅっ・・」

受け身も取れずに背中を強かマットに打ちつけた佳奈は、一瞬息が詰まったのか、パクパクと口を大きく開けて喘ぎながら、背中を持ち上げるように仰け反りながら苦しんでいる。

 

 

「まだまだ!」

裕美はまるで乱取りでもしているかのように声を掛けると、佳奈の髪を掴んで引き摺り起こして、再び一本背負いで佳奈をマットに叩き付けた。

 

ドスン

 

「あうっ・・」

呻き声と共に、またもや腰を持ち上げて苦しむ佳奈。

だが裕美は、そんな佳奈を見下ろしながらも容赦する事無く、三度、髪の毛を掴んで無理矢理引っ張るように引き摺り起こした。

そして今度は、自分の身体を預けながら、腰投げで佳奈をマットに叩きつけた。

 

 ズダーン

 

「あうっ・・」

 

脇腹からマットに叩きつけられた衝撃と、上から圧し掛かるように自分の身体を押し潰す裕美に、佳奈はぎゅっと目を瞑り、苦しげな呻き声を上げた。

 

 

「そやっ!」

裕美は掛け声をかけながら佳奈の右腕を掴むと、素早く袈裟固めで佳奈を押さえ込んだ。

だが、何度もマットに叩き付けられて痛みが麻痺してしまったのか、佳奈は苦しみに耐えながらも、すかさず裕美の髪を引っ張ると絞り出すように囁いた。

 

「裕美さん、始めに教えてあげたでしょ!

 柔道じゃないんだから、袈裟固めなんか掛けたって・・」

ところが裕美は先程までとは違い、佳奈の言葉に反応を示さなかった。

それどころか、髪を引っ張られてるのにも拘らず、袈裟固めが崩れないように頭を下げていった。

 

「裕美さん聞いてるの?袈裟固めなんか・・」

佳奈は裕美の髪を掴みなおすと、乱暴に揺さぶった。

「あっ、きゃっ・・」

 

(えっ?)

無理矢理引っ張られた裕美の横顔が目の前に来ると、長い髪に隠れていた裕美の耳が剥き出しになった。

(なにこれ?)

裕美の耳の中に白い異物を見つけた佳奈は、それが何かが判ると力尽きたかのように、髪を引っ張る力を緩めてしまった。

 

(佳奈さん耳栓を見つけたのかな?)

裕美は佳奈の頭を絞めつける右腕により一層の力を加えると、自分の胸で佳奈の胸を押し潰すかのごとく力一杯押さえ込みながら、左手で耳栓を取り外した。

 

「あなた耳栓を・・」

「気がつかなかった?」

「なんでそんな物を・・」

「それはあなたが一番良く判っている筈でしょ?」

 

最大の武器である筈の催眠術が全く効いていない事に、佳奈は狼狽えた。

そして、先程の試合で由美子とゆう子が完膚無きまで叩きのめされた事を考えると、これから自分の身に襲い掛かるであろう仕打ちを想像して、全身に悪寒が走った。

 

「恐いの?」

佳奈の震えが伝わってくると、裕美は優しい声で訊いた。

すると佳奈は、この場をなんとか乗り切ろうとばかりに、再び裕美の長い髪を鷲掴みにして引っ張った。

だが、半年以上『Desire』のリングで闘ってきた裕美は、そんな事ぐらいでは動じなくなっていた。

髪を引っ張られているのを無視すると、小さくフッと息を付いてから、佳奈の右腕を自分の右膝に挟むように引っ掛けた。

 

 

「あなたまで潰したら、真粧美さんどうするかなぁ?」

「えっ?]

 

裕美が小さな声で呟くと、佳奈は一瞬、自分の置かれている状態を忘れて、裕美に返事をしようとした。

だが、次の瞬間・・

 

「ゴメンね!」

裕美は一言呟くと、佳奈の腕を挟んでいる右膝に力を込めた。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁっ・・」

右腕に走る激痛に、佳奈は我に返って悲鳴を上げた。

 

「直ぐに終わるからね!」

優しい言葉とは裏腹に、裕美はテレフォンアームロックで佳奈の右腕を捻り上げた。

 

「あぁぁっ、いやっ、いやっ・・

 あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ・・」

まるで、このまま腕をもぎ取られてしまうのではないかと思えるほどの激痛に、佳奈の口からは涙声の悲鳴が迸り続けた。

 

「あぁぁぁぁっ、あぁぁぁぁっ、あぁぁぁぁぁっ・・」

真っ直ぐに伸ばされた佳奈の肘が、徐々に外側に反り始めると、泣き叫ぶような佳奈の悲鳴がリング上に充満した。

佳奈の肘を中心に、周りの筋肉が小刻みに震えている。

 

プチッ

 

佳奈の肘の辺りから、思いっきり伸ばしたゴムが引っ張る力に耐え切れず、とうとう切れてしまった時ような、湿った小さな音が聞えた。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ・・」

佳奈の口から迸る、この世の終わりとばかりの絶叫が、会場中に響き渡った。

 

(あれ?折れなかった・・・)

自分が想像していたものとは違う音に、裕美は一瞬キョトンとしたが、それでも佳奈の肘を破壊したのが判ると、極めていたテレフォンアームロックを外して静かに立ち上がった。

 

 

「あうっ、あうっ、あうっ・・」

佳奈は左腕で右肘を抱えるように押さえて、マットの上でのた打ち回っている。

裕美は真っ暗な会場を見まわした後、右腕をゆっくりと高く掲げた。

すると会場中からは、割れんばかりの喝采が裕美に向けて送られてきた。

 

 

裕美がマットの上をのた打ち回っている佳奈を見下ろすと、それが合図とばかりに待機していた仁美がリングに上がってきた。

そして素早く佳奈の腕にアイスパックを当てると、介抱するように抱きかかえながら佳奈をリングから降ろした。

仁美に抱えられて佳奈がリングを降りると、裕美は再び会場中を見渡した。

と、その時・・・

 

あんた、自分が何をやったか判ってんの!

 

真粧美の声が会場中に響き渡った。

 

「なに言ってんのよ・・

 私を、わたし達をこんな風にしたのはあんた達の方でしょ!」

裕美も負けじとリング下の真粧美に向かって怒鳴りつけた。

 

「ふざけんじゃないわよ!」

真粧美は怒鳴りつけると、さっと佳奈の方へ視線を走らせてから、再び裕美を睨みつけた。

 

「あんたがやった事は・・

 自分がやった事は、きっちり償ってもらうよ!」

真粧美はさっとスーツを脱ぎ捨てると、SM女王のようなボンテージファッションで素早くリングに上がってきた。

 

「冗談じゃないわよ!

 あんたこそ、わたし達をこんな風にした責任は、きっちりとって貰うからね!」

裕美は間合いをとるかのようにさっと構えると、真粧美を睨みつけた。

 

 

 

「裕美さん、やめた方が良い・・」

佳奈は痛めた右肘にアイスパックを当てながら、かすれるような声で裕美に言った。

 

 

真粧美は『club Desire』を設立した麗華の秘蔵っ子であったが、ある時、クラブの運営をめぐって真粧美と麗華は対立してしまった。

そしてどちらも一歩も引かない事から、真粧美と麗華は『公開処刑』の場で決着をつける事になってしまった。

格闘技プレイbPとしてSMクラブから引き抜かれた麗華であったが、真粧美にはそれを上回る実力があった。

殆ど一方的なリンチに近い格好で闘いが終わった時、余りの痛みと恐怖で精神に異常を来たした麗華は、今だに入院生活を送っているのであった。

 

 

「真粧美さんは私なんかとは比べものにならない程、桁違いに強いのよ!」

佳奈は、真粧美が麗華を廃人にした時の闘いを思い出して、身震いしながら裕美に言った。

だが裕美は、佳奈に一瞥をくれただけで、再び真粧美を睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

リング上で裕美と真粧美が睨み合っている頃、あゆみと美穂子は3階の廊下をまるで泥棒のようにコソコソと歩いていた。

何処で手に入れたのか、あゆみの手にはこの建物の配線系統図が握られている。

 

「どこ行くの?」

美穂子が心配そうな声を上げた時、あゆみは突然立ち止まった。

 

「この部屋だ・・」

「なんなの?」

あゆみは美穂子の問い掛けに答えもせず、扉の横の壁に取り付けられている装置に、プラスチック製の薄いカードキーを刺しこんだ。

 

 カチャ

 

静まりかえった廊下に驚くほど大きな音を立てて、部屋のロックが解除された音が響き渡った。

美穂子は慌てて左右を見渡したが、あゆみはそんな事にはお構いなしに、さっさと扉を開けて部屋の中へ入ってしまった。

 

「その辺のロッカーを片っ端から開けて!」

あゆみは美穂子に命じると、自分は部屋の片隅に置かれているパソコンをいじくり始めた。

 

「開けたよ・・」

「これこれ・・」

美穂子が言うのと同時にあゆみが呟いた。

 

「そのへんに使ってないCDとかMOとか無い?

 あったら何枚かこっちにちょうだい・・」

「何やってんの?」

美穂子が不思議そうな顔で訊くのをよそに、あゆみは画面に表示されているキャットファイトのシーンの中から、観客の一人をピックアップさせた。

 

「チョークポイントって聞いたことがある?」

あゆみは振り向きながら言うと、不思議そうな顔をしている美穂子の後ろのキャビネットを見た。

 

「留学してる時、安全保障の授業で習ったんだけど・・

 直訳すると戦略的閉塞浅海域、つまり浅くなってる海峡の事なんだけど、

 戦争が始まった時には、ここに機雷を撒いたって言っとけば、

 本当に機雷を撒かなくても、同じ効果があるんだって」

「それがどうしたの?」

あゆみが何を言いたいのだかさっぱり判らない美穂子は、戸惑った顔で未開封のCDを何枚かあゆみに渡した。

それを受け取ったあゆみは、中から未使用のCDを取り出して鞄に入れると、CDを包んでいたセロファンをキーボードの横に無造作に置いた。

 

「機雷が有るかもしれなかったら、空母や潜水艦は慎重に進まなきゃならないでしょ?

 これも一緒、客の顔写真を持ってかれたと思ったら、迂闊な事は出来なくなるでしょ!」

 

あゆみは平然と言ってのけると、鞄の中からゴーグルのような物を取り出して美穂子に渡した。

そして美穂子の背中を押すように促しながら部屋から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

あゆみたちがコソ泥のように動き回っている間に、リング上では裕美と真粧美の闘いが始まっていた。

佳奈との一戦を終えたばかりの所為なのか、それとも真粧美の実力が相当なものなのか、一方的に真粧美が技を繰り出して、裕美はこれを躱すのがやっとのような状態が続いていた。

 

 

「あんたがいくら柔道二段か知らないけど・・

 佳奈に勝ったくらいで、この真粧美様に勝てるとでも思ってんの!」

 

真粧美は裕美に向かって罵るように言い放つと、太股めがけてローキックを立て続けに3発入れた。

 

 バシッ バシッ バシッ

 

「あっ、あっ、あっ・・・」

 

姿勢を崩しながらも膝を上げて、真粧美のローキックを必死にカットする裕美。

すると真粧美は、そんな裕美を嘲笑うかのように、高い位置への蹴りを繰り出してきた。

横顔めがけて飛んでくる真粧美の脚に思わず怯みそうになる裕美だが、素早く腕を立ててこれをブロックした。

そして目にも止まらぬ速さで真粧美の足首を掴むと、不安定な態勢の真粧美を、ドラゴンスクリューとも一本背負いともつかないような格好で投げ飛ばした。

 

「うわぁっ・・・」

 

だが真粧美とて投げられっぱなしでは無かった。

素早く身体を丸めると、思いっきり手を伸ばして裕美の髪を鷲掴みにした。

 

「きゃっ・・・」

 

真粧美を投げ飛ばした筈の裕美だったが、髪の毛を掴まれてそのまま巻き込まれるように真粧美の上に無様な格好で折り重なるように倒れ込んでしまった。

 

「くっそー!このやろー!」

倒れても裕美の髪の毛を離さない真粧美は、空いている方の手で素早く裕美の腕を掴むと身体を更に一層ぎゅっと丸めて、自分の上に圧し掛かる裕美に三角締めを掛けようと両脚を絡めてきた。

 

「あっ、きゃっ・・・」

引き摺り込まれるような三角締めが極まりそうになると、裕美は慌てて真粧美の顔面に拳を叩き込んだ。

 

「がっ・・」

鼻っ柱を殴られた真粧美は、一瞬怯んだかと思うと、裕美を放して逃げるように転がっていった。

真粧美から解放された裕美は素早く立ち上がると、軽くステップを踏むように小刻みに身体を動かしながら柔道のように構えた。

 

「ちくしょー!このやろー!」

鬼のような形相で立ち上がってきた真粧美。

その鼻からは、一条の赤い筋が滴り落ちていた。

 

「てめー!ぶっ殺す!」

真粧美は裕美を睨み付けながら一言呟くと、次の瞬間、目にも止まらぬ速さで、裕美の下半身めがけて勢い良く飛び掛った。

 

「きゃっ・・」

慎重に構えていたものの、まさかこの場面でタックルなどしてくるとは露ほど思っても見なかった裕美は、不意を衝かれてあっけなくひっくり返ってしまった。

真粧美は素早く立ち上がると、まだ仰向けにひっくり返っている裕美の脚を掴んで、自分の両脚を絡めるように後ろ向きに倒れていった。

 

「あっ・・」

危うくヒールホールド極まりそうになるところを間一髪で逃れた裕美は、転がりながら真粧美から離れると、素早く立ち上がって、またしても柔道のように構えた。

と、その瞬間・・

 

「このやろー!」

真粧美は叫びながら駆け寄ってくると、跳びつきながら裕美の腕をがっしりと掴んだ。

 

「きゃっ」

小さな悲鳴を上げながらも、裕美は腰を落として倒れまいと懸命に堪えた。

すると真粧美は、まるでサーカスのように身体を持ち上げて、裕美の腕に両脚を絡めて締め上げた。

 

「あんたの腕も壊してやる!」

跳びつき腕拉ぎが綺麗に極まると、真粧美は残忍な顔つきで言った。

ところが裕美は、極め技を掛けられているにも拘わらず、ちょっと顔を顰めただけで真粧美に言い返した。

 

「跳びつき腕拉ぎね・・・」

裕美は然も感心したような口調で言った。

 

「いろんな技を知ってるみたいだけど、貴方のは所詮格闘技プレイ・・・

 プレイの域を脱していないのよ!」

「んだとぉ、このやろー!」

裕美の言葉に、真粧美は怒り心頭の表情で毒づいた。

 

「いきがってもダメよ・・・

 この際だから、貴方に格闘技プレイと本当の格闘技の違いを教えてあげるわね!」

裕美も真粧美の真似をして残忍そうな表情を浮かべた。

 

「なのを・・」

真粧美は言い返し掛けた。

だがその言葉が終わらないうちに、裕美は真粧美の髪を鷲掴みにして、その身体をちょっと持ち上げたかと思うと、そのままマットに叩きつけた。

そして真粧美が悲鳴も呻き声も上げないうちに、畳み掛けるように真粧美の顔面に膝をめり込ませた。

 

「ぐはっ・・」

跳びつき腕拉ぎを掛けたまま、ぶら下るように裕美の腕を極めていた真粧美は、裕美の膝が鼻っ柱を直撃すると、マットに叩きつけられてもぎゅっと掴んで離さなかった裕美の腕を思わず離して、両手で顔面を覆った。

 

「ぐっ、がはっ・・」

苦しげな呻き声を上げる真粧美の手の隙間からは、真っ赤な鼻血が滴り落ちている。

その様子を見下ろすように眺めていた裕美は、小さくフッと溜息とも気合ともつかないような息を吐くと、真粧美の左腕を顔面から引き剥がすように掴んで持ち上げて、お尻から倒れ込みながらその腕に両脚を絡めた。

 

 

「がっ、くっ・・」

一瞬、何が起こったのか判らない真粧美が、呻き声とも悲鳴とも取れない声を上げると、裕美は両脚で真粧美の身体を押さえつけながら、ぎゅっと掴んでいる左腕を思いっきり伸ばすように引っ張った。

 

「あぁぁぁっ、あぁぁぁぁっ・・」

これまた教科書に出てくるように腕拉ぎが綺麗に極まると、真粧美の口から大きな悲鳴が上がった。

 

(この後どうなるんだろう?)

いつもなら、ここまで極まると審判に肩を叩かれて試合終了になるので、腕拉ぎの本当の威力を知らない裕美は、期待と不安が入混じったような感覚で、少しずつ力を加えていった。

 

「あぁぁぁぁぁっ、あぁぁぁぁぁぁっ・・」

するとそれに呼応するかのように、真粧美の悲鳴も徐々に高まっていった。

それでも真粧美は、上半身を左に傾けて必死にクラッチを切ろうと右腕を伸ばしてきている。

 

「真粧美さん、もう少しよ・・・」

裕美は、もう少しでクラッチが切れるとも腕が壊れるともどっちにでも取れるような言葉を発すると、右の踵を真粧美の顔面に叩き込んでから、腰が持ち上がるくらい思いっきり仰け反った。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ・・」

再び上半身が仰向けになると、真粧美は足踏みするように両脚でマットをバタバタと叩きながら、頭を左右に大きく振って、会場中に響き渡るくらい大きな悲鳴を上げた。

 

(どこまで・・・)

裕美が自問しかけたとき、裕美の腕にゴムを引き千切ったような感触と、『プチッ』という湿った音が聞こえた。

 

 

「がぁぁぁぁぁっ、がぁぁぁぁぁぁっ・・」

裕美が腕拉ぎを外して立ち上がると、真粧美は大きな悲鳴を上げながら肘を押さえてマットの上でのた打ち回っていた。

 

(こんなもんなんだ・・・)

初めて腕拉ぎを最後まで極めた裕美は、予想のほかあっけなく腕が壊れるのにちょっと驚いた様子で、のた打ち回る真粧美を見下ろした。

 

「あうっ、あうっ、あうっ・・」

真粧美はボロボロと涙を零しながら、マットの上を転がっている。

 

(ちょっと可哀想だな・・・

 でも、どうせやるんだったら・・・)

 

裕美は、一瞬躊躇した自分に言い聞かせるように頷くと、のた打ち回る真粧美の鳩尾に狙いを定めて、ジャンピングニードロップを叩き込んだ。

 

「ぐえっ」

真粧美は苦しげな呻き声を上げると、思わず右手でお腹を押さえた。

すると裕美は、待ってましたと言わんばかりの表情で、今度は真粧美の胸元めがけてエルボードロップを叩き込んだ。

 

 

 

(私は麗華さんや真粧美さんみたいに強くないから、これだけで済んだのかも・・)

一歩間違ったら自分が同じ目に遭ってたかもしれないと身震いしながら、佳奈はリング下で裕美と真粧美の闘いを真剣な表情で見詰ていた。

そして、裕美がエルボーからそのまま起き上がらずに袈裟固めに移行していくと、成す術もなく押さえ込まれていく真粧美の姿が、『公開処刑』の場で徹底的に叩き潰された麗華の姿とダブって見え始めた。

(あぁ、真粧美さんも・・)

 

 

(この技が一番簡単に・・・)

柔道の有段者で袈裟固めの体勢に持っていくのはお手のものの裕美にとって、テレフォンアームロックは一番簡単に移行できる関節技だった。

既に真粧美の左腕は破壊しているので、今度は佳奈のときのように髪の毛を引っ張られる事も無く、無抵抗と言っても過言ではないような状態で、裕美は真粧美の右腕を自分の膝に挟んだ。

 

(二度あることは三度ある・・・)

この1時間ちょっとの間に、佳奈の右腕、真粧美の左腕と立て続けに破壊してきた裕美は、極あたり前のように、真粧美の右腕を挟んでいる右脚に力を込めた。

 

 

「そやっ!」

 

プチッ

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ・・」

 

左腕と同じように右肘の靭帯まで破壊されてしまった真粧美は、裕美の鼓膜が破れんばかりの大きな悲鳴を上げた。

裕美は満足げな笑みを浮かべながら、ロックを外して立ち上がった。

と、その瞬間、リングを照らしているスポットライトが消えた。

そして、それに呼応するかのように、会場中の照明も、非常口を示すものまで含めて全部消えてしまった。

突然会場中が真っ暗になると、慌てた観客たちがざわめき始めた。

 

 

 

「裕美さん、早く!」

「こっち、こっち・・・」

 

いきなり真っ暗になって観客と同じように狼狽えている佳奈の耳に、会場のざわめきに隠れるような囁き声が聞こえた。

佳奈が声のした方向に頭を向けると、赤い小さな光が、反対側のコーナーの近くと思しき場所に、一瞬だけチラっと見えた。

次の瞬間・・

 

 

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ・・」

 

騒々しい観客たちのざわめきが一瞬にして静まり返るほどの真粧美の絶叫が、会場中に響き渡った。

佳奈は傷めた右肘が許す限りのスピードでリングに這い上がった。

だがリング上も真っ暗なので、爪先で探るように慎重に真粧美の元へと近づいて行くしかなかった。

佳奈の爪先が真粧美の脹脛と思しき場所を触った瞬間、リングを照らすスポットライトがいきなり灯いて、リング上を真昼のように明るく照らした。

 

 

「お願い、もうやめて・・

 もうやめて・・

 お願いやめて、お願いだから・・」

 

するとそこには、お尻の下に水溜まりを作った真粧美が、力無く泣きながら哀願している姿しか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年が変わって2ヶ月が過ぎ、そろそろ桜の芽が出始める頃。

 

(あれっ?何だろう?)

期末テストの答案を鞄に詰めた裕美は、バス停のちょっと先に見たことも無い外国製の高級車が、黒塗りの国産セダン車に前後を挟まれて止まっているのを見つけた。

裕美が警戒しながらも興味ありげに窺いながら高級車の横を通りかかると、高級車のドアが静かに開いて中からダークグレーのスーツを着た中年の男性が降りてきた。

すると、それが合図でもあるかのように、前後を挟む国産車からスーツ姿の目つきの悪い男達が飛び出してきて、裕美と中年男性を取り囲むように外側を向いて立った。

突然の事に、裕美は硬直したようにその場に立ち尽くすと、高級車から降りてきた男性が微笑ながら近づいてきた。

 

「笠原裕美さんですね?」

辛うじて頷くのが精一杯の裕美。

 

「わたくし、森山栄之助の秘書をやらせて頂いております内田と申します。

 実は、森山が笠原様にどうしてもお話したいことがあると申しますので、

 突然ですが、声を掛けさせて頂きました」

 

政治に疎い裕美でも知っているほど有名な政治家の名前を出されて、裕美は戸惑いながらも自分達を取り囲むダークスーツの男達を見回した。

 

「あの方達は、森山を警護して下さるの警察の方ですので心配要りませんよ」

内田と名乗った男性は、裕美を高級外車に導いた。

裕美が恐る恐る乗り込むと、ドアが外側から静かに閉められた。

 

 

「驚かせて済まなかったのお・・

 時間が無いので前置きは無しじゃ・・

 儂も真粧美たちにあれをやらせておったひとりじゃ・・・

 あんたには悪い事をしたと思っておるのだが・・・」

初老の男性が静かな口調で話し掛けてきた。

 

「・・だが、あんたにも考えてもらいたい。

 教師と言う聖職の身でありながら、秘密クラブで地下プロレスまがいの

 事をやって、相手の娘に大怪我を負わせたのだぞ。

 そんなあんたが、これからも教壇に立ち続ける資格が有ると思うかね?」

老人の言葉が途切れた。

 

 

「佳奈は儂の隠し子なんじゃ・・」

老人が再び話し始めた。

裕美は黙って聞き続けることしか出来なかった。

「・・若気の至りで、秘書との間に出来たのが佳奈なんじゃ。

 そのときの秘書、佳奈の本当の母親の名前は山崎良恵・・」

裕美の身体がビクっとなった。

 

(山崎良恵ってお母さんの旧姓・・・

 お母さん、結婚前に政治家の秘書をやっていたって言ってたけど・・

 なんで?どうしてお母さんの名前が出てくるの・・・)

 

「・・・はあんたに良く似た、気の強い娘じゃった。

 儂が堕ろせと言うのも聞かず、どうしても産むと言い張った・・」

老人は話しつづけたが、裕美はそれを上の空で聞いていた。

 

 

「・・あんたにも、考えておいて貰いたい!」

老人は別れ際にそう言うと、3台の車は凄いスピードで走り去っていった。

歩道に突っ立って車を見送る裕美の頭の中では、たった一つの言葉が際限なく繰り返されていた。

(佳奈さんは私のお姉さん?佳奈さんは私の・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(なんで裕美が居ないんだろう?)

体育館で整列しているあゆみは、裕美の姿を探した。

(遅刻?まさかね・・でも、もう卒業式が始まっちゃう・・・)

 

《起立!》

 ガタガタ ガタガタ

《校歌斉唱!》

 

裕美の姿が見当たらないまま、あゆみの卒業式が始まった。

 

 

卒業証書を受取り、来賓の祝辞も終わった後、3年2組の前の担任の大竹が静かに壇上へ上がった。

 

《ここで、残念なお知らせがあります

 3年2組の笠原先生は、ご家庭の事情で突然の事なのですが、

 1週間前に旭ヶ丘高校をお辞めになりました・・》

 

(なんで?どうゆうこと・・裕美、そんな事、一言も言ってなかった・・・)

 

《・・笠原先生からお預かりしたお手紙を、代読させて頂きます

 『3年2組のみんな、そして卒業生の皆さん、本日はまことに・・ 》

 

 

 

「おい、山田のヤツ見てみろよ!」

「アイツでも、泣く事あるんだ・・」

「でも山田のヤツ、ずいぶん笠原先生をイビってたんじゃねーのか?」

「ジセキノネンってやつですか?」

 

斜め後ろの男子生徒がひそひそと囁くのが判っても、あゆみにはどうでもいい事だった。

 

(なんでよ・・なんで何にも言ってくれなかったのよ・・・)

 

大竹が裕美からの手紙を読み進むうち、あゆみの目からは大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちていた。

 

(どうして何にも言ってくれなかったのよ・・)

 

 

《 ・・Boys and Girls be Ambitious!!

  笠原裕美』・・以上です 》

 

大竹は一礼をすると、壇上から降りていった。

あゆみの目から零れ落ちる涙は、止まることを知らなかった。

 

 

 

その後、あゆみは必死になって裕美を探した。

マンションの管理人から聞き出した転居先にも行った。

理恵に教えてもらった裕美の実家にも行った。

市役所のコンピュータに侵入して、転居先になっている住所にも行ってみた。

しかし、何処を訪ねてみても裕美の姿はおろか、関係のありそうなことは何一つ出てこなかった。

そうこうしているうちに半月以上が経ち、あゆみは大学生になった。

美穂子が通う大学に入学したあゆみは、再び陸上競技に専念するようになっていた。

 

 

そんなある日・・

 

「山田さん、昔インターハイで入賞したかなんだか知らないけど、

 貴方新入生なんだから、ちゃんと片付けやりなさいよ!」

美穂子と一緒にいつまでも走り込みをしていると、上級生が怖い顔であゆみに注意した。

「わかってます!」

あゆみが睨み返すように言うと、その上級生はそれ以上何も言わずに行ってしまった。

 

「あんなやつ・・・」

「あゆみ・・」

あゆみがポツリと言うと、美穂子が心配そうな顔であゆみの肩を掴んだ。

「大丈夫、もうあそこは無いんだから・・・

 さ、片付け片付け・・」

あゆみは穏やかな表情に戻ると、他の新入生と一緒に片付けをする為、部室の方に走り出した。

 

 

 

 

裕美たちに【clubDesire】を壊滅状態にまで追い込まれた佳奈は、仁美と共に離散しかけたスポンサーを繋ぎとめて、新たな組織を作り上げていた。

 

(裕美さんじゃないけど・・・

 私も女同士の闘いの中に身を置くことが好きになったのかなあ・・)

 

県庁所在地を走るバイパス沿いに新たな事務所を構えた佳奈は、窓の下を走る車を見ながらぼんやりと考え込んでいた。

 

 

「佳奈さん、あの娘じゃないかしら?」

「多分ね」

声を掛けられた佳奈は、我に帰ると新人に微笑み返した。

「呼んできましょうか?」

「ダメ!今、声を掛けたら惚けて逃げちゃう・・

 店に入ってくるまでは待って!」

新人が頷くと、佳奈は道路の反対側で立ち尽くす少女を見つめた。

 

 

 

(どうしよう・・・どうしよう・・・)

由美香はもう30分以上、ポシェットから小さく折り畳んだ紙を出してはため息をついてしまう事を繰り返していた。

(ミドリのことを絶対にとっちめてやりたいけど・・どうしよう・・・)

 

 ピヨッ ピヨッ ピヨッ・・・

 

横断歩道が青になると、鳥の鳴き声のような警告音があたりに響いた。

由美香はその音につられる様に、無意識のうちに横断歩道を渡り始めた。

 

 

 

「決心したみたい・・今、横断歩道を渡り出した・・」

「じゃあ、下で待ってます」

佳奈の言葉に、新人は化粧品メーカーの直売店を装った1階へと降りていった。

 

 

 

「あのぉ・・・これなんですけど・・」

由美香は化粧品店に入ると、近くに居た店員に声を掛けた。

「こちらへどうぞ・・」

店員に導かれるまま、由美香は相談コーナーのようなブースに入った。

ブースの中には、20代前半の整った顔立ちをした女性が、にこやかに微笑ながら座っていた。

「野村由美香さんですね?」

折り畳んだ紙を手に、黙って頷く由美香。

 

 

 

「わたくし、野村さんの担当をさせて頂く、笠原裕美と申します」

 

 

 

                              The end

 

 

 

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