「あ〜もう!間に合わない!!」
藤田圭子は走りながら嘆いた。
黒く細いズボンに白いパーカーというラフな格好。
スニーカーが地面を蹴る度にセミロングの髪が大きく揺れていた。
「ったく!今日はバイト休みなのに!」
あせっているせいか、圭子は大声でぼやいた。
と、その時、圭子の横を走り去ったバイクが道路に残った雨水を跳ねていった。
「きゃっ!!」
圭子は立ち止まり、おそるおそる自分の服を見た。
案の定、白いパーカーは雨水で黒くなっていた。
「も〜最悪〜」
圭子は泣き出したくなってきた。
圭子は23才、今年大学を卒業したが就職できず、フリーターをしている。
事の発端は昨日の夜だった。
アパートで双子の姉、良子と二人暮らしをしている圭子は、ファーストフードのバイトから帰り、部屋でお気に入りのパンクを聴いていた。
その時、良子が圭子の部屋に入ってきた。
「ど・・・どうしたの?良子・・・」
布団を体に巻いて現れた良子の姿に圭子は驚いた。
「風邪ひいた・・・」
「え〜?じゃあ暖かくして寝なよ〜」
だが圭子の言うことを聴いていないのか、良子は圭子の横に腰を下ろした。
「あんた、明日バイトないよね?」
良子がそう言った瞬間、圭子は嫌な予感がした。
「私の代役してくんない?」
予感的中。
圭子がファーストフードとファミレスのバイトを掛け持ちして地道に稼いでいるのに対し、良子は一回で高収入のバイトをしていた。
風俗やキャバクラで働いているわけではなく、TVやCMでのエキストラや広告のモデルをやっている。
圭子はこれまでに何回か良子と偽って仕事をしている。
「嫌よ!」
圭子はきっぱりと断る。
「圭子ちゃ〜ん、誰のおかげでこれを買うことができたのかな〜?」
良子の手には圭子お気に入りの服が握られていた。
この服は圭子が探しに探した物で、やっとの思いで見つけた時にはプレミアがついていた。
持ち金が足りなかった圭子は、一緒にいた良子に借金して念願の一着を手に入れることができた。
「だから、来週バイト代が入るから・・・」
言いかけた圭子の顔の前に手を出して制止する良子。
「返さなくていいよ」
良子が両手を広げ、全部の指を立てる。
「明日の仕事はこんなに入るの」
続いて良子は指三本だけ立たせた。
「こんだけあげるから!」
圭子はしばし悩んだ末、良子の指をもう一本立たせて、
「これならやる」
と言った。
圭子が三分遅刻して到着した所は、オープンを一ヶ月後に控えたフィットネスクラブ。
「(広告のモデルか・・・)」
そう思い、中に入る圭子。
良子からは仕事の内容は聞かされていない。
「あっ、待ってたわよ、藤田さん」
そう声をかけてきたのはどうやら責任者らしい。
遅刻してきたにもかかわらず文句一つ言われなかった。
渡された名刺には『猫闘 代表 片山明美』と書かれていた。
「じゃあ、早速だけど、これに着替えて」
そう言って渡されたレオタードを持って更衣室へ向かう圭子は名刺の『闘』の字が妙に気になっていた。
そしてその思いはレオタードを着た瞬間、さらに強くなった。
どう見ても露出度が高すぎる、圭子は決して胸が大きいというわけではないのだが、普通に立っているだけで胸の谷間が確認できるし、股の部分はすごいハイレグだった。
色は体の側面に黒のラインが入った赤一色で、それを着た圭子は思わず呟いた。
「露出の激しい女子プロレスラーみたい・・・」
再び嫌な予感がしてきた。
着替えた圭子は明美に促され、ジムで体を動かした。
その様子がビデオカメラや写真に収められていった。
「はいっ、もういいわよ」
圭子の白い肌にうっすらと汗がうかんだところで、明美が声をかける。
「体は温まった?」
「はい?」
終わりだと思っていた圭子は明美の問いに首を傾げた。
「じゃあ、10分後に隣で始めるからね」
圭子の返事を勘違いした明美はスタッフ共々どこかへ行ってしまった。
そして10分後、圭子は隣のトレーニングルームに入った。
「予感的中・・・」
部屋にはボクササイズに使うであろうロープが四本張られたリングがあり、そのまわりではスタッフ達が慌ただしく撮影の準備をしていた。
「あなたが藤田良子さん?」
背後から声をかけられた圭子が振り返ると、長い黒髪の前髪を眉のところで切り揃えている日本人形の様な美女が立っていた。
身長は170センチくらい、細い体を圭子と同じようにレオタードで包んでいた。
違う部分といえば、圭子が赤なのに対し、その女が着ているのは黒で横には白のラインが入っていた。
「あっ・・・はい、藤田良子です」
良子になりすました圭子は返事をした。
「私は萩原恵、今日はお手柔らかにね」
恵はそう行って圭子に握手を求めた。
圭子は慌てて手をだした。
「きゃっ!!」
恵の差し出した右手には、肩から手の甲にかけて蛇の入れ墨が施されていた。
驚いた圭子がよほど面白かったのか、恵は腹を抱えて笑いだした。
笑っている恵を見ていくらか気持ちがほぐれたのか、圭子も笑いだした。
「準備はいい?二人共」
リングの方から明美の声がする。
圭子はもう今から何をするのかわかっていた。
今から自分はこの恵と闘うのだ。
初対面の人間と、何の理由もなく。
嫌だ、しかしここまで来たらもう後戻りはできない。
やってやる。
勝とうが負けようが、家に帰ったら良子をお仕置きしてやる。
そして、もう一本指を立たせてやる。
そんなことを考えていたら圭子は何だか楽しくなってきていた。
様々な思いを交錯させながら圭子はリングに上がった。
そういえば良子は格闘技が好きだったな。
よくTVやビデオ見て騒いでいたっけ。
まさか自分も闘ってみたいと思ってたなんて。
これもビデオになるんだろうな。
良子はこれを見ても騒いでくれるかな。
圭子の頭にビデオを見て騒いでいる良子の姿が浮かんできたが、ゴングの音によって掻き消された。
圭子はTVで見たプロレスラーがやっていた様に、リングを回りながら恵を観察した。
「(身長差は約10センチ、体重はほぼ同じ・・・うわぁ、恵さん胸大きいな〜)」
恵も圭子を観察していた。
「(リーチは私の方がありそうだけど、力はほぼ互角と見てよさそうね・・・可愛い娘ね)」
恵は舌なめずりすると、右手を伸ばし力比べに誘った。
蛇の入れ墨が圭子に向かって伸びてくる。
圭子は左手を出し、次いで右手も出した。
恵も左手を出し、二人はガッチリと四つに組み合った。
「(思った通り、力は互角ね・・・)」
恵の予想は当たっていた。
「(えっと、この次は・・・)」
圭子は前に見たプロレスを思い出しながら闘うつもりらしく、恵の腹に蹴りをいれた。
「きゃあっ!」
腹をおさえて苦しむ恵の髪を掴んで、圭子はロープに振った。
「(で、返ってきたところにラリアートと・・・)」
圭子はそこまで考えていたのだが、恵は正面からロープにぶつかり、倒れた。
「あれ・・・?」
予定外の事にとまどいながらも、圭子は恵に近づいていった。
そして、ゆっくりと上体を起こす恵の首に手をまわし、スリーパーホールドをかけた。
「あうっ・・・」
「(もしかしたら、勝てるかも・・・)」
恵の苦悶の声を聴いた圭子はそう思った。
「(あっ、恵さんの髪、いい匂い・・・)」
圭子が鼻先をかすめる髪の匂いに気をとられ、締める力が緩んだ瞬間、恵はスリーパーから抜け出した。
立ち上がった恵は圭子から距離をとる。
「やってくれるじゃない、子猫ちゃん」
そう言った恵の目は、まるで獲物を狙う蛇のようだった。
ふりだしにもどった圭子は慎重に恵の出方を窺った。
恵は素足を引きずるようにして除々に距離を詰めてくる。
警戒した圭子は両手を顔の前に出し、ファイティングポーズをとった。
恵はある程度まで近づくと猛烈な勢いでタックルしてきた。
「わわわわわ!!」
恵は見事に圭子の下半身を捕らえ、圭子は手をバタつかせながら倒れた。
恵は仰向けに倒れている圭子をうつぶせの状態にすると、腰の上に座り、圭子の両足を掴み力一杯絞り上げた。
「きゃあああああっ、痛い、痛い!!」
圭子はマットを手でバンバン叩き叫ぶが、恵の力は弱まらない。
それどころか、その力は強くなる一方だった。
「ああああああ!!」
苦しむ圭子の視界にカメラが入ってきた。
「(よ・・・良子・・・そうだ良子が見るんだ・・・こんなに早く負けたら・・・合わす顔が無いよね・・・)」
圭子は必死に足を動かした。
突然大きく動き出した圭子の足は恵の手から逃れ、圭子は一瞬の安息を手に入れた。
「そうでなくちゃ楽しくないよね」
恵は立ち上がると圭子を立たせ、ロープに腕を絡ませた。
そして圭子の胸もとに手を入れると、レオタードを一気に引き裂いた。
「えっ・・・?きゃああああああ!!」
一瞬圭子は何をされたのか理解できず、自分の胸が姿を現しているのに気づき悲鳴をあげた。
「フフフ・・・可愛いのね・・・」
恵は顔を真っ赤にして胸を隠す圭子を見て言った。
圭子にとって幸いだったのは、股の方まで破られていない事と、スタッフが全員女性だった事だろう。
「このっ!!」
圭子は胸を隠すのをやめ、恵の顔を平手打ちした。
すぐさま恵も圭子の顔を平手打ちした。
「痛いわねー!!」
圭子が恵に掴みかかっていき、二人はもつれ合う様に、リング内を転げ回った。
動きが止まった時、圭子は恵の腹の上に座っていた。
圭子はお返しとばかりに、恵のレオタードをはぎ取った。
「きゃっ!」
恵は軽く悲鳴をあげたが、隠す様子はなかった。
続けて圭子は恵の大きな胸を上から揉み始めた。
いや、揉むというより、握り潰すといったほうが正しいだろう。
「くううう・・・はあっ・・・」
恵の顔が苦痛に歪む。
恵の大きな胸の柔らかさが圭子に伝わってくる。
恵も負けじと圭子の胸を揉み出した。
「あっ・・・う〜ん・・・」
圭子が悩ましげな声をあげた。
「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・」
二人の闘いは既に30分を超えていた。
全裸で闘う二人の胸には、力一杯握った為、指の跡がくっきりと赤くなって残っていた。
「そらっ!!」
恵のキックが圭子の体を打つ。
「きゃっ!!」
膝をついた圭子にさらに追い打ちのキックが決まる。
恵は倒れた圭子の髪を掴むと、後頭部を何度もマットに叩きつけた。
「あっ!きゃっ!くっ!」
だが圭子は恵の腹を蹴り、倒すと右足首を掴んでねじった。
「うわあああああああ!!」
恵が叫び声をあげる。
時間が経つにつれ、二人の闘いは激しくなっていった。
圭子は足首から手を離すと、立ち上がり、恵の髪を引っ張った。
「あ・・・うう・・・」
二人の体力は限界に近かった。
体はアチコチ赤くなり、髪は汗で頬にへばり付いていた。
「おああっ!!」
恵は力を振り絞り、圭子の足を殴った。
「うあああああっ!!」
圭子は足をおさえてうずくまった。
「ハァ・・・ハァ・・・終わりよ、子猫ちゃん」
恵はうずくまっている圭子をうつぶせに寝かすと、腰の上に乗り、首に手をかけ、一気に反らせた。
「やああああああああっ!!」
キャメルクラッチが見事に極まり、圭子の目から涙が流れ出してきた。
圭子の耳にミシミシと骨のきしむ音が聴こえてくるようだった。
「これでフィニッシュじゃないわよ・・・」
恵は圭子の耳元で囁くと技を解き、圭子を仰向けにした。
「(な・・・何を・・・するつもりなの・・・)」
圭子の顔は涙と汗でぐしゃぐしゃになっている。
恵はその圭子の顔の上に座った。
「んぐぐぐぐぐぐぐぐ!!」
恵の尻に鼻と口を塞がれた圭子は、全身を大きくバタつかせて抜け出そうとしたが、逃れられなかった。
「終わりよ!子猫ちゃん!!」
恵がそう言った直後、圭子の足が後頭部に直撃し、恵は圭子の上から退いた。
「くはっ・・・ゲホッ、ゲホッ・・・」
恵から解放された圭子が酸素を取り入れ、咳き込んだ。
そして恵の方を見た圭子の目の前には、大きな胸があった。
「なっ・・・んんんんんんんんんっ!!」
驚く圭子の頭に手をまわした恵は、圭子の顔を自分の胸に押し付けた。
「んー!んー!んんんんんっ!!」
再び鼻と口を塞がれた圭子は、恵の体を叩き、脱出を試みるが、顔をおさえる力は弱くなる事はなかった。
「(このままじゃ・・・負け・・・ちゃう・・・助けて・・・誰か・・・助けて・・・死んじゃうよぉ・・・)」
圭子の頭の中に良子の顔がうかんできた。
「(良子・・・私、負けちゃった・・・みたい、でも・・・こういうのって・・・何か・・・楽しいよ・・・今度・・・良子もやって・・・み・・・な・・・)」
圭子は恵の胸に顔を埋めてグッタリしていた。
抵抗していた手はダラリとなり、動かなくなった。
恵は圭子をそっとマットに横たえた。
「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・」
恵の激しい息遣いだけが聴こえてくる。
こうして激闘42分、圭子は恵の前に敗れ去った。
「良子ちゃん、大丈夫?」
圭子が目を開けると、心配そうな顔をした恵と明美がいた。
圭子が意識を失ってからそんなに時間が経っていないのか、恵は裸のままで、汗も乾いていなかった。
「良かった、今、良子ちゃんの妹さんが迎えに来てくれるから、まだ休んでて」
「私が妹の圭子ですけど・・・」
明美に言われた圭子は思わずそう口走ってしまった。
「えっ?」
明美と恵の反応を見て、圭子は『しまった』と思った。
慌てて事情を説明する圭子。
「ふふ、そういう事だったの別にいいのよ。しかし双子だったとはねぇ、写真と比べても見分けがつかないわけだ」
「すいません」
明美の言葉に頭を下げる圭子。
「圭子ちゃん、今お仕事は?」
「フリーターですけど・・・」
明美の問いに答える圭子。
「もし今日、恵ちゃんと闘ったのが楽しかったら、うちで選手登録してみない?」
明美がそう言い終えると、良子が迎えに来た。
そして二人は明美に登録について説明してもらい『猫闘』に選手登録をした。
「お疲れ様」
フィットネスクラブを出ると、恵が圭子と良子を待っていた。
「今日はありがとうございました」
圭子が頭を下げ、恵と握手する。
「私はこれで3回目だけど、あんなに楽しかったのは初めてよ」
「私もすごく楽しかったです」
圭子は顔に満面の笑みを浮かべて言った。
「今度は本当の良子ちゃんと闘ってみたいわね」
「その時は宜しくお願いし・・・わっ!!」
恵の差し出した右手を握ろうとした良子は、圭子と同じく蛇の入れ墨に驚いた。
「アハハハハハハッ!!」
圭子が笑い出したのをきっかけに、良子と恵も笑い出す。
良子と恵の対戦は、この三ヶ月後に行われ、その半年後に圭子と良子による双子の姉妹対決が行われた。