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スタジオ・マッチ

 

 

金曜日の夕方、美香はリビングのソファーでひとりポツンと座りながら、見るとは無しに点けっ放しのテレビを眺めていた。

毎週火曜日と金曜日の夕方は、本来ならスウィミングスクールに行っている筈の時間で、事実、今朝も学校の帰りにそのまま寄る心算で、教科書から水着やスポーツタオルまで無理やり詰め込んだカバンを手に家を出たのだが、いくら胸の膨らみが小学生並みとは言え、美香も14歳の中学3年生。

当然の如く、月に一度の訪れものがある。

だから、昼休みに『月に一度のアレ』が始まった事に気がついた美香は、授業が終わると真っ直ぐ家に帰ってきて、憂鬱な気分を紛らわすかのように、テレビを見ていたのであった。

 

 

(・・みんなが話してる『黄昏Friday・Night』って、これだ・・・)

 

クラブ活動にスウィミングスクール、そして週に一度のフィットネスクラブと毎日が忙しい美香は、夕方のテレビ番組など見る機会は滅多に無い。

だからクラスの女子の間で話題になっているこの番組も、興味はあっても未だ見る機会が無かった美香には、いくら『嫌な訪れもの』の所為とは言え、やっと見るチャンスに恵まれたような格好になったわけでもあったのだ。

 

 

画面では、美香と同世代の女子中高生たちが、派手な振り付けで踊りながらヒット曲を歌ったり、最近の流行について各々の意見を活発に述べていたりと、いかにも女子中高生が好みそうな番組構成になっていた。

 

コマーシャルが始まると、美香は台所に行ってミルクとクッキーをお盆に載せ、再びリビングのソファーに座った。

だが、コマーシャルが終わり番組が再開するかに思えたが、テレビ画面はなにやら暗いスタジオを映しているようで真っ暗なままだった。

 

 

「あれっ?なんで・・・」

 

美香が思わず口にした途端、テレビのスピーカーから無理に興奮を押えたような声が聞こえてきた。

 

 

《花も恥らう乙女でも、リングに上がれば何でも出来る・・》

 

スピーカーの声が途切れると同時に、一筋のスポットライトが司会者を浮び上がらせた。

先程までラフな格好をしていた司会者は、いつの間に着替えたのかタキシード姿になっていて、その背後をぼんやりとロープのような物が3本横切っているように見えた。

 

 

《見知らぬあの娘と見知らぬこの娘がリングで激突!

 ガールズ・ファイト!

 

司会者が叫んだ途端、リング上がまるで真昼間のように明るく照らされた。

そしてカメラが引いていくと、リング上には司会者の他に水着姿の少女が二人上がっているのが映し出された。

 

 

《今週もこの時間がやってまいりました。

 乙女達のエンターテイメント、『ガールズ・ファイト!』

 本日の試合は、女子高生対女子中学生のプロレスマッチです。

 実況はわたくし、淵田でお送りいたします。

 さあ、両者レフェリーに招かれて、リング中央へと進み出ます。

 青コーナーからは轟裕子選手、156cm49kg、高校1年生・・

 胸の谷間を強調させるような胸元がきわどい水着をつけるとこなんか、

 さすが高校生といった感じですね・・

 一方の赤コーナーからは横田純子選手、160cm50kg、中学2年生・・

 はち切れんばかりのグラマラスな身体を競泳タイプの水着に包んだ横田選手、

 大勢の観衆の前で水着姿になっている所為か、どことなく恥かしそうな表情を

 浮かべています・・

 それにしても轟選手と横田選手、惜しげも無く曝け出した素肌がすべすべ・・

 わたしにもあんな頃が・・・・・・・・》

 

 

 

(まさか、これって・・・)

 

美香が驚愕の表情を浮かべながらもジッと食い入るように見詰める画面では、女子高生と女子中学生が「きゃーきゃー」悲鳴を上げながら、プロレスと言うよりは取っ組み合いの喧嘩に近い闘いを始めていた。

だが、『黄色い悲鳴を上げながら闘う二人の少女』と言えば聞こえは良いが、じゃれ合うように取っ組み合う画面の中の二人は、悲鳴こそ苦しげに聞こえるが、とても真剣に闘っているようには見えなかった。

 

 

初めて上がったリングで美香は、スパーリングの最中に失神KOという情けない姿を晒してしまった。

『美少女プロレス』という文字に惹かれて行った試合会場では、飛入り参加までしたにも拘らず、あまりの激痛からギブアップも言えずにタップする事でしか降参の意思表示が出来なかった。

 

(悠里ちゃんや月葉ちゃんと比べたら、こんな娘たちは・・・)

 

まだまだ初心者とは言え、そんな激しい闘いを経験した美香にとって、画面に映る少女たちの闘いは歯痒く感じられるほど生温く見えた。

それでも美香が微動だもせずテレビを見続けていると、いつの間に極まったのか、逆エビを掛けられた女子高生があっさりとギブアップしていた。

ゴングが鳴り勝った中学生が嬉しそうに手を高々と上げられても、女子高生の表情は悔しげなものには見えなかった。

そうこうしているうちに、カメラはリング上の少女から実況席のアナウンサーにパーンしていった。

 

 

《ここで番組からのお知らせです

 黄昏Friday・Nightでは、出演者を募集しています

 テレビでスポットライトを浴びたい貴方、リングで闘ってみたい貴方、

 今すぐ0120−○△□−?%&までお電話ください

 携帯メールの方は、tasogare@kantou・・・・

 折り返し応募用紙をお送りします

 尚、スタジオでの観覧希望の・・・》

 

 

(こんな娘たちが相手だったら、私だって・・・)

 

まだまだ初心者とは言え、試合をするからには勝ちたい。

いくら強くない相手と闘って卑怯とかズルいとか言われようとも、試合をするからには勝ち名乗りを上げてみたい。

美香は知らず知らずのうちに、携帯を取り出してメールを送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1ヵ月後・・・

濃い紫色をした競泳用の水着に身を包んだ美香は、関東テレビの第3スタジオにセットされたリングの上に、緊張した面持ちで立っていた。

 

 

(もし相手の娘がメチャクチャ強かったらどうしよう・・・

 何も出来ないうちに一方的にやられちゃったらどうしよう・・・

 リングの上で泣かされちゃったらどうしよう・・・

 気絶するくらい痛い技を掛けられちゃったらどうしよう・・・)

 

試合開始のゴングが近づくにつれ、どんどんマイナス思考になっていく美香。

早鐘を打つように高鳴る心臓は、既に限界かと思われるほどの勢いで、美香の身体中に血液を送り出している。

 

微動だにしない美香が見つめる先には、リング中央にタキシード姿の司会者、その向こう側の対角コーナーには対戦相手の女の子がいる筈だった。

だが、照明の落とされたスタジオ内では、司会者のシルエットがぼんやりと見えるだけで、相手少女の顔どころかその姿までもが闇の中に溶け込んでいるようであった。

 

 

 

《 本番30秒前! 》

 

スタジオ内にアナウンスが鳴り響くと、コナーポストを背に立っている美香は、無意識のうちに両腕を広げて、トップロープに手を掛けた。

水着姿になって辛うじて判る程度にしか膨らんでいない美香の貧乳は、このときばかりはその存在をアピールするように、胸の鼓動に合わせてプルプルと小刻みに震えている。

 

 

《 本番15秒前! 》

 

相手選手を見極めようと目を凝らしてリングの反対側を見詰めていた美香の身体に力が入り、その手はいつしかトップロープをギュッと握り締めていた。

緊張の極限に達しようとしている美香の心臓は、今にも口から飛び出してしまうのではないかと思われるほど、激しく鼓動を続けている。

 

 

《 本番10秒前! 》

 

慌しく動き回っていたスタッフの動きもピタリと止まり、スタジオ内が水を打ったようにシーンと静まり返った。

 

《 8秒前!、7、6、5、4、3・・ 》

 

そして、カウントダウンのようなアナウンスが途切れた途端、美香の耳には司会者が大きく息を吸う音が聞こえた。

 

 

 

《花も恥らう乙女でも、リングに上がれば何でも出来る・・》

 

押し殺したような司会者の声がスタジオ中に響き渡ったかと思うと、テレビで見たのと同じように、一筋のスポットライトが司会者を浮び上がらせた。

 

 

(ピンクの水着・・)

 

真っ白なリングに反射した光が相手選手の下半身を照らすと、美香の視線は知らず知らずのうちに相手の下腹部辺りに釘付けになっていた。

可愛らしいピンクの水着、そしてそこからスラっと伸びた、健康的ではち切れんばかりに若さ溢れる太腿。

それに引き換え、スマートと言えば聞こえは良いが、その実はガリガリに痩せているだけだと、常に同世代の女性に負い目のような劣等感を抱き続けている美香にとって、一見して女らしい身体つきの相手選手の下半身は、それだけで嫉妬を覚えるには十分だった。

 

 

《 見知らぬあの娘と見知らぬこの娘がリングで激突! 》

 

司会者が昂ぶる興奮を押さえきれぬように声を出すと、緊張と恐怖の入り混じった不安感が突如として美香の身体を包み込んだ。

 

そしてそれと同時に、出演者、スタッフ、それに観客と100人近い観衆の目に、ボディラインも露にした水着姿を晒していることに、突如として美香は顔が真っ赤になるのではないかと思われるほどの恥かしさを感じてしまった。

 

 

 

《 ガールズ・ファイト! 》

 

司会者が叫んだ途端、四方八方から強烈なライトが照射され、リング上をまるで昼間のように照らしだした。

 

 

(う、うそ!)

 

強烈なスポットライトを浴びて一瞬目が眩んだ美香は、相手選手の顔が判るなり、驚愕を隠し切れないような表情で固まってしまった。

 

 

(なんで?なんであの娘が・・・)

 

司会者を挟んだ対角線上のコーナーには、『美少女プロレス』という文字に惹かれて観戦しに行った試合会場で、飛び入り参加した美香をリング上で打ち負かした少女が、やはり驚いたような表情で立っていた。

 

そんな事情を知らない司会者は、二人を手招きしてリング中央に来るように促すと、レフェリー役の女子総合格闘家と入れ替わるようにさっさとリングから降りてしまった。

 

 

 

《 今週もこの時間がやってまいりました、乙女達のエンターテイメント・・

  今日は中学生同士のプロレス対決!!

  若々しく初々しい肉体が、白く穢れなきマットで弾けます!

  実況は私、渕田でお送りします・・ 》

 

 

実況席の女子アナが興奮を押し殺したような声で喋り続けるなか、リング中央では月葉と美香がレフェリーを挟んで対峙している。

 

 

「よろしくお願いします」

 

「こ、こちらこそヨロシク・・」

 

思わぬ再開に驚きを隠したような表情で月葉が話し掛けると、美香もオドオドした口調で返事をした。

だが、そのオドオドした口調とは裏腹に、美香の目は月葉を睨みつけていた。

 

 

「今日は良い試合に・・」

 

月葉が言い掛けるのを遮るように、レフェリーが美香の前に立ち塞がると、そのままボディチェックを始めた。

そして美香に続いて月葉のボディチェックが終わると、レフェリーは身振りを交えながら二人の少女に試合上の注意を与えた。

 

 

「二人とも正々堂々と・・

 はい、握手して!

 コーナー!」

 

レフェリーに言われるがまま、月葉と美香は握手をすると、二人はそれぞれのコーナーに分かれた。

 

 

 

《 はぁ、それにしても2人とも本当にすべすべ・・・

  私にもあんな頃が・・・ 》

 

2人が握手してコーナーに向かう間も、間を持たせるように喋り続ける女子アナの声が、会場に流れ続けている。

だが、新人と呼ばれる時期は既に終わってしまった彼女は、リング上でゴングが鳴るのを今や遅しと構える少女たちの倍近い年齢から来る焦りが隠し切れないのか、心の奥底で思った事が、ついつい溜息と共に口から出てきてしまった。

 

 

《 はっ、いけない・・・

  さあ、いよいよゴングです! 》

 

 

 カーン

 

レフェリーが派手なゼスチャーをすると同時に、ゴングの音がスタジオ中に響き渡った。

 

 

「てやー!」

 

ゴングと同時に勢い良く飛び出した美香は、未だコーナー近くにいる月葉めがけて、雄叫びのような叫び声を上げながらドロップキックを叩き込んだ。

 

「きゃぁっ」

 

美香の脚が月葉の胸を直撃した。

 

 

「うぅぅっ・・」

 

ゴングと同時に飛び出してきた美香のドロップキックを交わす間も無く胸に受けてしまった月葉は、そのまま背中からコーナーに叩きつけられると苦しげな呻き声を上げた。

一方の美香は、素早く体勢を整えると、一気に叩き込もうとショルダータックルの構えで月葉に迫っていった。

 

 

「距離をとらなきゃ・・」

 

あまりにも素直に思った事が口から飛び出して来てしまう月葉も、いきなり先制攻撃を喰らったとはいえ、そう易々とはやられっ放しな訳ではない。

とは言うものの、コーナーに追い詰められては『くの一』の利点を生かしたスピードも発揮できない。

 

「えいっ!」

 

何とか間合いを取ろうと、月葉は慣れないキックを何発も繰出してきた。

 

「きゃっ」

 

月葉の射程距離に入る直前で何とか踏み止まった美香は、一転して慎重に間合いを取った。

 

 

「やる?」

 

美香は不敵な笑みを浮かべると、まるで力比べでも誘うかのように両手を掲げながらゆっくりとリング中央まで後退った。

 

 

《 おっとここで齋藤選手が久乃選手に力比べを誘っております。

  久乃選手これに応えるか・・ 》

 

リングアナの興奮した実況など、リング上の二人には届く筈もない。

だが、リング上で闘う二人の発する声や悲鳴は、リングの周りに設置してある集音マイクにしっかり捕えられていた。

 

 

「は、はいっ・・」

 

テレビの視聴者にとって美香に応えているのだかリングアナに応えているのだか判らないような返事をした月葉は、両手を掲げながら美香を追いかけるように慎重に間合いを詰めてきた。

 

 

《 久乃選手の指先が・・今触れた!

  押し合う姿もどこか初々しい久乃選手と齋藤選手、共に中学生です・・ 》

 

 

試合開始早々、一瞬、有利に試合を展開できるかに見えた美香だが、早くも額に薄っすらと汗を滲ませながら、歯を食いしばって全身に力を込めている。

一方の月葉も、同じように額に汗を滲ませながら、苦しげな表情でこれに応えている。

だが、最初に食らったドロップキックの影響が抜けきれないのか、月葉の腕が徐々に返りはじめ、それに合わせたように膝も少しずつ曲がり始めてきていた。

 

 

《 おっと、ここで久乃選手が押され出したか・・

  膝をマットにつけ・・

  額に汗を滲ませている久乃選手、苦しそうな表情だ・・ 》

 

 

リングアナの実況など知る由も無い美香は、月葉の膝がマットにつくと、羨望と嫉妬の入り混じった目でさっきから注目している月葉の胸元めがけて膝を叩き込んだ。

 

「えいっ!」

 

「きゃっ!」

 

 

悲鳴を上げた月葉が僅かに怯むと、美香はこのチャンスを逃してなるものかとばかりに、そのまま全体重を掛けて一気に押し倒そうと力を込めた。

 

 

「このままじゃ・・」

 

今にも押し倒されそうな体勢の月葉の口から、無意識のうちに言葉が飛び出した。

 

 

(そう、このまま押し倒して・・・

 それからマウントポジションをとって・・・)

 

口にこそ出しては言わないが、美香もイメージトレーニングからこのような展開になる事を予想していた。

だからこそ、月葉を押し倒そうとする腕に更なる力を込めたのだが、何故か急にすっぽ抜けたように身体がよろけるのを感じて思わず悲鳴を上げてしまった。

 

「えいっ!」

「きゃっ」

 

 

《 これは・・・

  齋藤選手の押し込む力を利用して・・

  久乃選手、齋藤選手を投げた〜・・

  綺麗なフォームから、えっ!?

  腕ひしぎっ!? 》

 

 

美香に押し込まれた月葉は、咄嗟に美香を投げると、そのまま手を放さず、一気に腕ひしぎに入ろうとした。

 

「きゃっ、だめっ!」

 

美香は慌ててクラッチを切ろうと月葉に圧し掛かると同時に、その勢いで月葉の身体に何度も何度も膝蹴りを入れた。

 

 

「あっ、きゃっ、やっ・・」

 

やはり打撃系の攻撃は苦手なのか、月葉は思わず美香の腕を放してしまった。

すると美香は、そのままの姿勢でから一気に月葉の身体に圧し掛かると、不安定な格好で押さえ込んだ拍子に、つい、叫び声を上げてしまった。

 

「フォール!」

 

 

《 One! 》

 

美香が月葉を押さえ込む横で、レフェリーがカウントを取り始めた。

 

《 Two! 》

 

押さえ込まれた途端ジタバタもがいた月葉だが、気を取り直すと、そのままフーッと全身から力を抜いた。

そして、3度、レフェリーがマットを叩こうとした寸前に、余裕の表情を浮かべながら右肩をスッと上げた。

レフェリーがVの字型を作った右手を高々と掲げると、月葉は冷静な声で呟いた。

 

「まだまだです・・」

 

「くっそー!」

 

美香だってこれで決まると本気で思っていた訳ではない。

だが返された途端、反射的に罵り声を上げると、月葉のお腹をパチンと叩きながら素早く立ち上がった。

 

 

(このヒト、今日はどうしたんだろう?)

 

一息ついて冷静になった月葉には、美香が焦ってる様子が手に取るように判った。

 

「美香さん、どうしたのですか? いったい何が・・」

 

思った事が無意識のうちに口から出てしまう月葉が、戸惑うような口調で語りかけた瞬間、美香は叫び声を上げるや否や、月葉を引き摺り起こそうと、髪を掴んで力任せに引っ張った。

 

 

「このやろー!起きろー!」

 

「きゃっ・・」

 

長い髪を引っ張られて、逆らいきれずに引き摺り起こされた月葉の口からは、可愛い悲鳴が零れた。

 

 

 

(負けたくない!今日は絶対負けたくない!)

 

「そりゃっ!」

 

無意識のうちに気合を入れるような声を発した美香は、その場で飛び上がると、ドロップキックともカンガルーキックともとれないような蹴りを、月葉の胸元に叩き込んだ。

 

 

「あああっ・・」

 

マットに叩きつけられた月葉の口からは、再び痛々しげな悲鳴が漏れる。

だが、今日こそは勝ちたいという思いで一杯の美香には、そんな悲鳴などに構っている余裕もなく、『バカの一つ覚え』のように、マットの横たわる月葉の髪を掴んで引き摺り起こしては、カンガルーキックのように月葉の胸元に蹴りを叩き込むことで精一杯だった。

 

 

《 す、すごい・・

  すごい攻撃です・・

  これほどのラッシュは滅多にお目にかかれません! 》

 

マイクを通さなくても聞こえるほど興奮しきったアナウンサーの声が、スタジオ中の歓声をも打ち負かさんとばかりに、実況席の辺りに響き渡っている。

 

 

引き摺り起こしては蹴りを入れて再びマットに叩きつける美香。

そして、髪の毛を引っ張られて引き摺り起こされては、胸元に蹴りを食らってマットに叩きつけられる月葉。

 

荒削り・・

ラフ・ファイト・・

 

言葉では何とでも言えるが、いくらテクニックに勝っていようと、月葉が劣勢にたたされているのには変わりが無い。

一方、優勢に試合を進めているかに見える美香にしても、このままドロップキックとカンガルーキックが混ざったような蹴りを入れ続けるだけで勝てるとは思っていなかった。

 

両肩をマットに押し付けて3カウントを奪うか、抵抗不能な状態まで技を極めてギブアップを奪うか・・

 

美香が咄嗟にとった行動は後者だった。

 

 

「それっ!」

 

美香は素早く月葉に駆け寄ると、その両脚を掴んで抱え上げると、そのまま逆えびの体勢に持っていこうと、踏ん張りながら上半身を捻った。

 

 

「あっ、だめっ・・」

 

立て続けに何発もカンガルーるキックを喰らってかなりのダメージがあるとはいえ、それでも月葉は反射的に両腕をマットにつけ、ひっくり返されまいと懸命に堪えた。

 

 

「んんんんっ・・」

 

美香は身体中の力を振り絞って、一刻も早く月葉の身体をひっくり返して逆えびを極めようと焦った。

だが、月葉の頑強な抵抗に、美香は顔が真っ赤になるほど力を込めても、そのままでは埒があかないと見るや、今度は両腕に力を込めて月葉の脚をキープしたまま、キュッと引き締まった月葉の脇腹めがけて、何度も何度も自らの細い脚を叩き込んだ。

 

 

「えいっ、えいっ、えいっ・・・」

 

「あっ、あっ、あっ・・」

 

 

《 脇腹にキックの連打!

  速射砲が久乃選手を襲います!

  これは・・・逆エビが極まるかっ!?  》

 

 

アナウンサーの実況に応えるかのように、美香は両腕に力を込めながら、月葉の脇腹を何度も蹴りつけた。

 

「(くっそー、ひっくり返れ!ひっくり返れ・・)

 えいっ、えいっ、えいっ・・」

 

「あっ、あんっ、あんっ・・」

 

可愛い悲鳴を上げながら必死に抵抗する月葉だが、立て続けに蹴りを喰らっている所為か、その可愛らしい身体が小刻みに震え始めていた。

すると美香は、一瞬、月葉の脇腹を蹴るのを止めたかと思うと、突如、反対側にひっくり返そうと、逆向きに力を込めた。

 

 

「それ!」

 

「えっ?・・・きゃあああああっ!!」

 

逆えびを掛けられまいと必死に力を込めて踏ん張っていた方へ、突如として力を加えられた月葉は、驚きと恐怖の悲鳴を上げながら、あっさりとその身体をひっくり返されてしまった。

 

 

「えっ、きゃ、きゃぁぁっ・・・」

 

ところが、月葉があまりにもあっさりとひっくり返った所為で、逆えびを掛けようと渾身の力を込めていた美香も、勢い余って月葉の脚を掴んだまま、引きずり込まれるようにひっくり返ってしまった。

 

 

「くっ、くっそー!(もうちょっとだったのに・・)」

 

美香はそのままの勢いで転がりながらリングの端まで行くと、ロープを掴みながら立ち上がった。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ・・反撃、しなきゃ・・・」

 

幸いにも逆えびは極まらなかったため、美香に遅れながらも直ぐに立ち上がることができた月葉は、カウンターでの反撃でも狙っているかのように、真正面から美香を見つめている。

 

 

 

(あの娘、まだ息が荒い・・今のうちに)

 

「てやーっ!」

 

美香は雄叫びを上げながら、力を込めた腕を水平に伸ばして、ラリアットを狙いながら月葉に向かって突進していった。

 

 

 

《 いよいよフィニッシュか?

  齋藤選手、渾身のラリアッ・・・ えっ? 》

 

フラフラと力無く立ち上がってきたかに見えた月葉だが、その実、美香の動きを完全に見切ってたかのように、迫り来る美香の腕をインパクト直前にキャッチしたかと思うと、そのまま脇固めのように美香の身体をマットに押し付けた。

 

 

《 こ、この技は・・

  久乃選手、齋藤選手の力を巧みに利用して、

  なんと、クロスフェイスロックにもっていきました・・ 》

 

 

「嫌っ、痛ぁぁぁぁぁっ・・・」

 

 

《 齋藤選手、これは苦しそう・・

  脚でマットをバタバタ叩いて、必死に耐えています・・ 》

 

 

 

(この技は、腕ひしぎに巻けず劣らずキツイはず・・

 なのに・・

 この前の時とは、まるで気迫が違う・・)

 

「美香さん、今日はどうして・・」

 

「あぁぁぁっ、痛ぁぁぁぁぁっ・・・」

 

月葉に話し掛けられても、美香は目に涙を浮かべながら必死に耐えている。

 

 

「美香さん、何があったの・・」

 

「やだ、負けたくない、負けたく・・あぁぁぁぁっ・・・」

 

「負けたくないのは、私も同じです・・」

 

 

《 ・・齋藤選手、半身になろうと必死にもがいてます!

  このまま返すことが出来るのか・・

  

  あっと久乃選手、齋藤選手が身体を捻ることに成功した途端、

  自ら技を外して立ち上がってしまった・・ 》

 

 

「うぅぅぅっ・・・」

 

月葉の戒めから解かれたものの、美香はギュッと目を瞑って肩を押さえたまま蹲って、悲鳴とも呻き声ともつかない声を発しているだけだった。

 

 

(もう負けたくない!この娘には負けたくない!)

 

「くっ、くぅっ・・」

 

美香は最後の気力を振り絞って、必死に立ち上がろうとした。

すると、美香の胸の内を見透かしたように、月葉は美香の肩を掴んで引き起こしながら、耳元で囁いた。

 

 

「・・・分かりました。

 美香さんの気持ち、存分にぶつけてきてください・・・」

 

「ちくしょー!」

 

引きずり起こされた途端、美香はいきなり月葉の頬を引っ叩いた。

 

 

「きゃ・・」

 

一瞬、月葉の動きが止まった。

 

「同情なんかするなー!」

 

叫び声を上げた美香は一歩退って間合いを取ったかと思うと、月葉のお腹めがけて力任せに蹴りを入れた。

 

 

「・・・っ!」

 

苦しげな表情を浮かべた月葉は、懸命に踏ん張りながらもよろめくようにお腹を押えて2・3歩後退った。

すると美香は、それを追いかけるように執拗に月葉のお腹に蹴りを入れた。

 

「あ、ぁ・・・それぐらいで・・・

 それくらいで、レスラーが倒れるわけにはいきません! 」

 

身体を折り曲げてお腹を押えながらも、月葉は美香に視線を据えたまま懸命に踏み止まっている。

 

 

(この娘はいろんな技を掛けてきたけど・・

 わたしは、わたしは未だ満足に技のひとつも極めてない・・・)

 

「ちくしょー!このやろー!」

 

美香は叫び声を上げたかと思うと、再びその場でジャンプしながらカンガルーキックとドロップキックの混ざったような蹴りを月葉に叩き込んだ。

 

 

「倒れろー!」

 

「きゃぁぁっ・・」

 

 

またもやマットに叩きつけられた月葉は、さすがに連続の打撃攻撃がきつかったのか、荒い息遣いでお腹を押えて横たわったままで立ち上がってこない。

 

 

「このやろー!起きろー!」

 

美香は月葉の髪をムンズと掴むと、そのまま力任せに引き摺り起こした。

 

 

「いくぞー!」

 

美香は、観客に向かってアピールしているのか自分を鼓舞するために叫んでいるのか判らないような叫び声を上げると、月葉の頭を押し下げてそのまま逆さまに担ぎ上げた。

 

 

「あっ、嫌っ・・」

 

美香がプロレス初心者なのは十分に判っている月葉は、そんな初心者が自分の事を逆さまに抱え上げてる恐怖、即ち、中途半端な形で技を掛けられるかもしれない恐怖と、それにも増して、いくら忍装束のコスチュームではないとは言え、乙女にとって隠しておきたいトコロを白日の下に晒すかのような体勢にされた事に対して、無意識のうちに恥かしげな声を上げてしまった。

 

 

「そーれっ!」

 

 ドスン

 

美香はパイルドライバーとパワーボムがごちゃ混ぜになった体勢で月葉をマットに叩きつけると、そのまま覆い被さるように押さえ込んで叫び声を上げた。

 

「フォール!」

 

 

《 One! 》

 

後頭部を襲った衝撃に、一瞬、頭の中が真っ白になった月葉の横で、レフェリーがカウントを取り始めた。

 

 

《 Two! 》

 

レフェリーの叫び声とマットに伝わる振動から、自らがお尻を突き出したような格好で押さえ込まれていることに気づいた月葉は、慌てて全身に力を込めて、ビクンと身体を跳ね上げた。

 

 

「嫌ぁぁぁっ・・」

 

《 Th・・ 》

 

レフェリーの手が、寸でのところでマットをかすめて横に伸びていった。

 

 

《 おっと・・

  カウント2.9で、久乃選手の肩が上がった・・

  久乃選手、危機一髪・・

  齋藤選手、悔しそうな表情を浮かべていますが・・ 》

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ・・・

 ま、まだ・・」

 

カウント2.9で辛うじてフォールは返したものの、美香から受けたラフ・ファイトで蓄積されたダメージは相当なものなのか、小刻みに身体を震わす月葉は、うつ伏せのままで起き上がる事が出来ない。

 

 

「くっそー!」

 

今度こそ決まると確信していた美香だが、寸でのところで返された腹いせに、ぺチンと月葉のお尻を引っ叩いてから素早く起き上がった。

が、月葉が小刻みに身体を揺らせているだけで起き上がってくる気配を見せないと、素早く月葉の背中に座り込んで、その長い黒髪をムンズと鷲掴みにしてしまった。

 

「いくぞー!」

 

「きゃぁぁっ・・」

「Hear、No!Hear、No!・・」

 

叫び声を上げながら美香が髪の毛を思いっきり引っ張ると、思わず髪を押さえながら口から迸る月葉の悲鳴と、美香の行為を戒めようとするレフェリーの注意で、リング上が騒然となった。

 

 

「それっ!」

 

自分が注意されているのは十分に承知している美香は、髪を引っ張るのは更なる攻撃への1ステップと言わんばかりにレフェリーの注意を無視すると、おもむろに月葉の二の腕を掴んで、そのまま月葉の肩を自分の膝に引っ掛けた。

 

 

「あぁぁぁぁっ・・

 あ、あぁぁぁっ・・」

 

 

《 見事に極まったキャメルクラッチ!

  すごい角度で極まってます!

  汗が浮いて、目がとろんとして・・・

  すごく苦しそう・・・

  久乃選手、耐えられるのでしょうか? 》

 

 

 

リング中央で美香のキャメルクラッチに捕まった月葉は、腕もロクに動かせない状態で、只々悲鳴を上げている。

そんな月葉の悲鳴に心地良さすら感じ始めた美香は、ここぞとばかりに月葉の顎の下に腕を突っ込むと、強引に引き上げながら何度も叫んだ。

 

 

「ギブは?ギブは?」

 

「No、あぁぁぁ・・・ ノ、ォ・・・」

 

懸命にギブアップを拒絶する月葉。

しかし、今にも消え入りそうなその悲鳴は徐々に小さくなり・・・・

 

 

「ぁ、ぁ、ぁ・・・・・」

 

「ギブ?ギブ?」

 

月葉の悲鳴が途切れると、レフェリーは慌てて月葉の右手を取った。

だが、技を掛けるのに必死な美香は、レフェリーのそんな姿など全く目に入らぬかのように、いつまでも月葉に降参を促している。

 

「ギブ?ギブは?」

 

 

絶叫するように降参を促す美香とは対照的に、もはや悲鳴すら途切れたままの月葉の腕を持ち上げていたレフェリーがその手を放すと、月葉の手はスーっと落下していった。

 

『もはやこれまで・・』と、慌ててゴングを要請しようとしたレフェリーだが、一瞬我が目を疑うような表情を見せたかと思うと、その視線は月葉の手から苦しげな表情を浮かべた顔へと移っていった。

 

 

 

「ギ、ギ・・、ギブ・・・・」

 

苦痛に顔を歪めながらも、美香の太腿にタップしながら月葉の口から声が漏れ出ると、レフェリーは大きく手を振ってゴングを要請しながら、未だそれに気付かない美香の肩をポンポンと軽く叩いた。

 

 

 カン、カン、カン、カン・・・

 

 

「えっ?あっ・・・」

 

再びレフェリーに肩を叩かれ、漸くゴングが鳴っているのに気が付くと、美香は慌てて月葉の戒めを解いて、ちょっと戸惑ったような表情を浮かべながら立ち上がった。

 

 

(勝ったの?私が勝ったの?

 やったー!勝った!勝った・・)

 

やっとの事で自分がプロレスの試合に勝った事を確信すると、美香は満面の笑みを浮かべながら、レフェリーに手を取られるまま右腕を高々と掲げて見せた。

 

 

 

《 凄い、凄いです・・・

  見事勝利を収めた齋藤選手、

  そして惜しくも敗れてしまった久乃選手に・・・ 》

 

アナウンサーの実況をかき消すような拍手の中、マットに突っ伏したままぐったりしている月葉に気が付くと、美香は慌てて屈みこんだ。

 

 

「ご、ごめんね・・ だ、大丈夫?」

 

月葉が最後の気力を振り絞って立ち上がろうとすると、慌てて手を差し伸べる美香。

 

「あ、ありがとうございます・・」

 

美香に支えながら寄り添うように立ち上がると、傍目でも判るほど体力的には無理をしているのだが、それでも精一杯の笑顔を美香に向けた。

 

 

「美香さん、良い試合でした・・

 またやりましょうね・・」

 

「うん、またやろう!」

 

言い返したかと思うと、美香は月葉の右腕を取って高々と掲げてみせた。

 

 

「次も負けないよ!」

 

横目で見ながら小さな声で囁いた言葉は、スタジオ中の歓声にかき消されてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スタジオを後にした美香は、未だ覚めやらない高揚感の中で試合のイメージを脳裏に浮かべながら、いつしか反省検討を始めていた。

 

開始直後のラフ・ファイトから力比べ・・

そのまま押していけた筈なのに、テクニックに勝る月葉にあっという間に返されて、そのまま劣勢に立たされて・・

中盤に掛けても蹴りの連打で優勢に立ったと思われたところで、またもや月葉に返されて、そのまま関節技を極められて・・

最後の最後でギブアップを奪ったとはいえ、内容的には素直に喜べないような試合・・

 

 

あのとき腕を取られなかったら・・・

 

あそこでラリアットなんか狙わずに、フライング・ボディアタックみたいな技を仕掛けていったら・・・

 

 

美香の頭の中で、何度も何度も試合のイメージが繰り返されていくと、最後は決まって苦しげな顔で悲鳴を上げる月葉の顔が浮かび上がってきた。

 

 

 

(プロレスって何なの?)

 

いつしか電車のドアに寄りかかって見るとは無しに窓外を流れる風景をぼんやり眺めていた美香は、ひとり自問した。

 

つい最近まで、美香にとってプロレスとはテレビの向こうで野蛮なオトコたちが、蹴って殴って投げ飛ばして相手を痛めつけて勝敗を決める、すなわち相手を負かす競技であった。

 

相手に勝つと言うことは全てのスポーツに共通した目標であるのは美香にも判っている。

スポーツの中にはボクシングのように相手を殴り倒したり、空手のように相手を殴ったり蹴ったりして勝敗を決めるものがあることも美香には判っている。

 

しかし、美香が最近になって始めたプロレスという競技は、相手に勝つ、相手を負かすという目標こそ同じものの、その過程が他の競技とは全然違っていた。

 

たとえばボクシングだったら、一方の選手がダウンしたらレフェリーが割って入ってその選手が立ち上がるまでもう一方の選手に攻撃をさせない。

ところがプロレスは、相手が倒れていようが関係なしに攻撃を続ける。

悲鳴を上げて苦しがっていても、そんな相手にさえ攻撃の手を休めることはしない。

 

そもそも、試合の途中で今にも泣き出しそうな悲鳴を上げる競技なんて、他では見たことも聞いたことも無い。

 

 

初めてリング上で勝ち名乗りを上げることができて本来ならもっと喜んでも当然なのに、逆にプロレスの試合に勝ったからこそ、苦しんでる相手に容赦なく蹴りを入れ、倒れている相手の背中に馬乗りになって更なる悲鳴を上げさせて勝ったからこそ、美香の気持ちは沈んでいた。

 

 

家に帰った美香は努めて明るく振舞っていたが、そんな誤魔化しは母親の久美子には通用しなかった。

夕食を食べ終わり、ひとり自室でベッドに腰掛けながら物思いに耽っていると、久美子が扉をノックしながら声を掛けてきた。

 

 

「美香ちゃんどうしたの?なんか嫌なことでもあったの?」

 

椅子に腰掛けた久美子に訊かれた美香は、ここ何ヶ月か内緒でプロレス主体のフィットネスジムに通っていること、『美少女プロレス工房〜Angel☆Hearts』という団体のリングに上がって試合をして負けたこと、そして今日、関東テレビでスタジオ・マッチをやって相手の娘に悲鳴を上げさせながらギブアップさせて試合に勝ったことを、ポツリポツリと打ち明けると、机の中から『薄謝』と書かれた封筒を取り出した。

 

「こんなもんまで貰って・・・」

 

「すごーい!ファイトマネーも出たんだ・・」

 

「ママ、ちょっと不謹慎じゃない!

 わたしは月葉ちゃん、今日の相手の娘だけど・・

 その月葉ちゃんに悲鳴を上げさせて勝ったんだよ!

 月葉ちゃんを蹴ったり殴ったりして、そのお金を貰ったんだよ・・・」

 

「じゃあ訊くけど、美香ちゃんはなんか後ろめたい事したの?

 人から後ろ指刺されるような事したの?

 そりゃあ確かにその月葉ちゃんって娘には痛い思いをさせたかもしれないけど、

 美香ちゃんだって叩かれたり投げられたりしたんでしょ?」

 

「それはそうだけど・・・」

 

 

普通の母親なら、娘から突然「プロレスやってる」なんて打ち明けられたら相当な動揺を示すだろうし、半狂乱の状態になったとしてもおかしくは無い。

だが久美子は、それをさらりと受け流したどころか、さも当たり前のことのように受け入れた。

 

 

「美香ちゃんたちの年頃だと、そうね・・

 レフェリーがいてルールがあって・・

 そりゃあプロレス技も少しは出るでしょうけど、喧嘩の延長ってとこかな?

 相手に勝つことしか考えなかったでしょ?」

 

「だって試合だもん!

 負けるために試合やる娘なんているわけ無いじゃん!」

 

「そもそもそこから違うのよ・・

 プロレスってスポーツじゃないんだから・・」

 

「スポーツじゃない?

 だって、プロレスって格闘技でしょ?」

 

「プロレスってのはねえ、エンターテイメントなの・・

 生身の身体と身体をぶつけ合って闘う、究極のショーなのよ!」

 

「真剣に闘うんじゃないの?」

 

「そりゃあ勿論、真剣に闘うわよ!

 でもそれだけじゃないの!

 美香ちゃん、攻防って意味分かる?

 攻めて守って、ほら野球でも攻撃と守備があるでしょ?

 プロレスも同じ・・

 相手の技を受けて窮地に陥ってもそれを跳ね返して反撃する・・

 そんな攻防を、生身の身体ひとつで繰り返す・・

 それがプロレスなのよ・・」

 

「でも、女の子同士だよ!

 女の子が痛がったり苦しがったりするのを、わざと見せるの?

 女の子同士が蹴ったり殴ったり投げ飛ばしたりして・・・

 泣きそうな声で悲鳴上げてるのを、わざと見せるの?」

 

「プロレスに男も女も無い・・」

 

途中まで言い掛けた途端、口を噤んでしまった久美子の目は、過ぎ去った青春時代を懐かしむかのように遥か彼方を見詰ていた。

 

「でも、ママ・・・」

 

久美子の沈黙の意味が判らない美香も、それ以上言葉を続ける事が出来なかった。

 

 

(おわり)

 

 

 

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