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NEW296 百候往来 (ひゃっこうおうらい)
【作者】不明。【年代】貞享四年(一六八七)刊。[大阪]伏見屋又左衛門板。【分類】消息科。【概要】大本二巻二冊。上方の上層庶民が営む日常生活に題材を求めた一三双・二六通の消息文例より成る往来。上巻は、「新春を賀し祝品を贈る・同返事」「留守に参上して託した依頼・同返事」「相伴に加えられたことへの礼・同返事」「関東に旅立つ人に遣わす・同返事」「書物一軸の恩借を願う・同返事」「墨跡手本の拝見を願う・同返事」「散策に同道を誘う・同返事」の一四通。下巻は、「親類となった人に遣わす・同返事」「懸物墨跡の拝見を願う・同返事」「散策に同道を誘う・同返事」「来客接待の手伝いを申し出る・同返事」「返事の延引を詫び指図を願う・同返事」「奉公人肝入りの依頼・同返事」の一二通。本文を大字・四行・ほとんど付訓で記す。書名の『百候』は、収録書状のほとんどが「候」文体であることに由来する。特に注意すべきは、「一筆致啓上、啓達、啓入候。新春、年甫、改暦、年始之御慶賀、御吉慶、御嘉例、御佳事、重畳目出度、珍重、不可有尽期…」(第一状)のように、各状に消息用語・類語をいくつも併記する点である。享保一七年(一七三二)作『〈広沢先生〉消息往来』†によって全文一通の消息文中に書簡用語を列挙するという基本形式が成立し、安永七年(一七七八)刊『累語文章往来(消息往来)』が夥しく流布したが、本書はその源流となった点で重要である。
★『百候往来』はこれまで唯一の個人蔵本があったが刊記がなく、書籍目録から貞享頃と推定されていたが、今回、初めて刊記の入ったものが発見され、貞享4年初刊と判明した。



NEW297 〈新板大字〉大成古状揃 (たいせいこじょうぞろえ)
古状揃(刊本)‖【作者】不明。【年代】江戸前期作。万治元年(一六五八)刊。[京都]山本長兵衛板。【分類】歴史科。【概要】江戸初期刊本を始めほとんどが大本一冊。近世の初頭、中世以来、「寺」における手習い教科書として用いられてきた『今川状』†を中心に、『腰越状』†『含状(義経含状)』†『弁慶状』†『直実送状』『経盛返状』(以上二状を合わせて『熊谷状』†とも)『曽我状』†『大坂状』†などの古状・擬古状や、『初登山手習教訓書(手習状)』†『風月往来』†などを組み合わせて出版した往来物。近世期を通じて最も流布した往来物の一つ。早くより慶安二年(一六四九)板の存在が指摘されてきたが今のところ確証はない。水谷不倒は慶安五年・松会市郎兵衛刊行の絵入り『古状揃』を見た模様であるが、刊年を明記した現存最古本は万治元年・山本長兵衛板『
〈新板大字〉大成古状揃』(母利本・小泉本)である。後世に流布した一般的な『古状揃』と比較すると、本書の構成と配列は特異で、順に明暦四年(一六五八)六月刊記の「今川状」、万治元年(一六五八)一一月刊記の「弁慶状」「義経含状」、同年同月刊記の「直実送状」「経盛返状」「曽我状」「同返状」、同年同月刊記の「初登山手習教訓書(手習状)」「義経腰越状」の四本(九状)を収録する(本文を大字・五行・付訓で記す)。従来、刊本初期の『古状揃』が「今川状」「手習状」「義経含状」「弁慶状」「熊谷状」「経盛返状」「大坂状」「同返状」「腰越状」とされてきたが、この万治板の存在は『古状揃』の成立に関して重要な示唆を与えるものであろう。ただし、寛永一九年(一六四二)、京都・安田十兵衛板の『今川状並腰越状』や『手習状並含状』などのように二種の古状を組み合わせた単行版はさらに早くから出版されており、初期『古状揃』には、これらを便宜的に合本したものと、単行版・合本いずれにも製本できるように最初から企図されたものの両方があったのであろう。元禄期頃までに出版されたと思われる古状揃は、ほとんどが柱刻に、それぞれの単行版本来の書名と丁付を別々に持っており、近世中期以後の古状揃の丁付が通しで付けられているのと好対照をなす。また、上方板と江戸板では、「大坂状」と「曽我状」のどちらを含むかについての傾向の相違も指摘されている。なお、東京大学国語研究室に「腰越状」「大坂状」「同返状」の三本を収録した慶安二年七月写本が存する。
★万治板古状揃は現在、刊本の最古本で、本書は江戸中期(享保頃)の後印であるが、原装題簽付きの美本である。刊記が随所に見られ、古状単編を合本した様子が分かる初期の古状揃である。



NEW298 尾崎鎌倉往来〈附筆塚之石文〉 (おざきかまくらおうらい)
【作者】尾崎敬孝(広安・伴右衛門)作・書。尾崎定利(尾海堂)跋。【年代】天明四年(一七八四)跋・刊。[江戸]藤木久市(金華堂・玉海堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『尾崎鎌倉往来〈附筆塚之石文〉』。大本一冊。「春色融和続候之間悠々鎌倉致歴覧罷帰候…」で始まる文章で、鎌倉の起源や、源氏ゆかりの鶴ヶ岡八幡宮を始めとする同地の名所旧跡・神社仏閣を歴訪して、それぞれの由来や景趣を記した往来。本文を大字・三行・無訓で記し、本文末尾に「右一章者、鎌倉之旅行を編て筆を耕畢。尾崎敬孝」と付記する。また、続いて天明四年二月の門人・尾崎定利跋文(陽刻)と、「筆塚牌之文」、すなわち安永一〇年(一七八一)に江戸芝三縁山中茅野天満宮境内に尾崎敬孝が建立した筆塚の碑文(陰刻)を掲げる。
★『鎌倉往来』は稀覯書ながら従来から知られていた往来である。ただし、今回、初めて原装本が見つかり、題簽題が判明した。長年探していた往来物の一つである。



NEW299 隅田川詣〈并年中和歌〉 (すみだがわもうで)
【作者】禿箒子作。溝口庄司書。【年代】宝暦四年(一七五四)刊。[江戸]辻村五兵衛板。【分類】地理科。【概要】異称『角田川往来』『須美多川往来』『隅田川』『隅田川詣』。初刊本は大本か(
現存最古の明和二年(一七六五)刊『隅田川詣〈并年中和歌〉』(華山堂書)は大本)。「昨日は御庭前之花に戯れ、流石に永き春の日黄昏早きと惜み候。然者、其節御物語申候隅田川まふでの事、旧たる気色一日御同伴申度候…」(明和二年板)と書き始め、梅柳山木母寺の梅若忌(旧暦三月一五日)に際して隅田川一帯を散策する計画を奨める一通の女文形式で、江戸・両国橋から亀戸天満宮・永代島八幡宮までの隅田川周辺の名所旧跡・神社仏閣を紹介した往来。『江戸出版書目』等によれば溝口庄司筆の宝暦四年板が最古本だが未発見。明和二年(一七六五)板『隅田川詣〈并年中和歌〉』は、本文が大字・三行・無訓の陰刻手本で、末尾に各月の異名と年中和歌(各月一首の散らし書き)を添え、現存本に刊記はないが『江戸出版書目』によれば江戸書肆・美濃屋平七板という。なお、本書の作者・禿箒子と溝口庄司を同一視する説もあるが信じ難い。また、前記の明和八年板以後、明和九年刊『〈@山〉隅田川往来』(江戸・雁金屋義助板)など、手本・読本ともに種々の板種が誕生し流布した。
★『隅田川往来』は板種が多いが、本書は現存最古本である。宝暦板は未発見だが、いつの日にか見つかるかも知れない。



NEW300 〈新編〉用文章指南大成 (ようぶんしょうしなんたいせい)
【作者】不明。【年代】元禄二年(一六八九)刊。[京都]小佐治半右衛門(小佐治宗貞・金屋半右衛門・整文堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『新編用文章指南』。大本三巻三冊。書名のように「童蒙初心のために」編まれ、書簡用語についての豊富な略注や替え文章を載せた先駆的な用文章の一つ。上巻に「年始に遣書札之事」から「元服之所え遣状之事・同返事」までの二〇通、中巻に「知人に成度思ひて遣書札之事」から「雪のふりたるに遣状之事・同返事」までの二二通、下巻に「久敷逢ざる人に遣書札之事」から「年之暮に遣書札之事・同返事」までの一二通の合計五四通を収録する。本文を大字・五行・付訓(所々左訓も施す)で記し、頭書に各例文に対する言い替え表現を上・中・下別に記載し、稀に故実その他の補注を付す。また、下巻巻末に「書札書様之事」「月之異名字尽」「日之異名字尽」「名字尽」「家名字尽」「人名字尽」「同法体名字尽」「衣服并魚鳥字尽」等の記事を載せる。なお、本書が浮世草子へ影響を与えたとする指摘もある。なお、本書の一部を改編したものに宝永四年(一七〇七)刊『
〈新編〉用文章指南大成』三巻本がある。この改編版は元禄板下巻末尾(「当流書札かきやう(書札書様之事)」以下)を削除し、新たに「手形之案文」を加え、その頭書に「名字尽」「衣服之類」「器財之類」「鳥類」などの語彙集と書簡作法関連記事を収録したものである。
★用文章も書名や付き物を色々と変えて何度も刊行されるケースがあり、本書もその一例である。