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NEW291 新田詣 (にったもうで)
【作者】西村恵風堂書。【年代】明治五年(一八七二)頃書。【分類】地理科。【概要】半紙本。目黒・行人坂から太鼓橋を渡って金毘羅、大鳥大明神、岩屋弁天、蛸薬師、独鈷の滝、目黒不動尊等を参詣し、さらに、碑文谷、法華寺、中延八幡宮、池上本文寺を経由して、矢口村・新田大明神(現・東京都大田区)、十騎大明神、古川薬師、羽田弁天から鈴森八幡宮、御殿山方面へと抜ける沿道の神社仏閣等の名所やその故事来歴を略述した往来。約五〇種の往来物を集めた『諸文集』二巻二冊の下巻に所収。「うち続く春の日並麗かに候まゝ、新田詣と心ざし、夜をこめて宿を出、明渡る横雲に入まの月心細く、気疎き野路をうちわたり…」と起筆し、「…此日の眺望なか筆には尽しがたく候まゝ、猶御目に懸り、御物語申まいらせ候。穴賢」と結ぶ。
★この種の地理科往来は探せば際限なく見つかるであろう。多くの往来物を合本したものにも新発見の往来が含まれることが意外と多い。



NEW292 南街帖 (なんがいじょう)
【作者】西村恵風堂書。【年代】明治五年(一八七二)頃書。【分類】地理科。【概要】半紙本。品川から川崎・厄除け大師に至る沿道の名所旧跡や神社仏閣を風趣や故事来歴を交えつつ紹介した往来。約五〇種の往来物を集めた『諸文集』二巻二冊の下巻に所収。「兼々御語合申候厄除大師御同詣之事、来廿一日頃弥可被思召立哉。道筋之儀者不及申候へ共、先、高輪にかかり万松山泉岳寺に立寄一見可申…」と起筆する参詣予定についての打診の書状形式で、赤穂浪士の墓所として知られる泉岳寺や門前からの江戸湾の眺望に触れ、東禅寺、品川宿、御殿山、東海寺、神明牛頭天王、貴船明神、品川寺、海晏寺、最明寺、来福寺、万福寺、鈴ヶ森八幡宮、古川薬師、羽田弁財天を経て大師河原、川崎宿までのコースを綴り、「…川崎の宿にいたり、しばし労れを休候て、悠々と帰可申候。貴意如何御報待入候。頓首」と結ぶ。
★上記と同じ写本である。ほかにも新発見の往来物が含まれているが、ここでは以上2点を紹介しておく。



NEW293 書札往来 (しょさつおうらい)
【作者】吉本多八(藤原行秀)書。【年代】文政八年(一八二五)書。【分類】消息科。【概要】大本一冊。五節句・中元・八朔・歳暮・婚礼祝儀・安産祝儀・元服祝儀・養子縁組・家督相続・隠居・弔意・自宅招待・暑中見舞い・寒中見舞い・普請祝儀・月見誘引・花見誘引・祈祷・祭礼・饗応・公用による出張・湯治・役職昇進などをテーマにした上中下別の往復文例一六四通を収録した往来。各種例文の高下を「上中下」「天地人」「雪月花」の朱筆で示す。本文をやや小字・七行・無訓で記す。
★手紙における待遇表現を重視した消息科往来である。



NEW294 頼朝富士の巻狩勢揃 (よりともふじのまきがりせいぞろい)
【作者】浅之助書。【年代】文化六年(一八〇九)書。【分類】歴史科。【概要】異称『勢揃』。大本一冊。建久四年(一一九三)五月に源頼朝が富士の裾野辺に多くの御家人を結集させて行った大規模な巻狩の威容を記した往来。「抑、元久(正しくは建久)四年五月下旬の事成ニ、右大将頼朝は富士の御将可有由、梶原平三影時(景時)兼て諚意蒙り、国に触書伝故に、遠国はとふに至迄われもと馳集り、其せい雲霞のごとくなり…」と起筆して、巻狩に参加した御家人衆の名前や領国を順々に列挙し、最後に「惣じて馬上・歩行武者百七拾三万とぞ読あげたり。頼朝は御機げんあさからず。さあらば、打たつものどもと、鷹のすゞ、馬のすゞげうれつそろゑていでられける」と結ぶ。本文を大字・四行・無訓で記す。裏表紙見返しに「梨野村住人、浅之助」と記すので、三河国加茂郡梨野村(現・豊田市)で使用された手習本であろう。
★古状単編往来も色々なものがあり、『太平記』などから抽出したものも多い。逆に、このような軍記物語に登場する書状を抜粋して手習い用に記せば、そのまま往来物となったので、自由に作られたことであろう。



NEW295 農商往来 (のうしょうおうらい)
【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】産業科。【概要】特大本一冊。明治期に数種刊行された同名の往来とは全くの別内容。九・一〇月を除く各月毎の消息文一〇通に農・工・商に関する職業や関連用語を列挙したもの。例えば一月状は、新年の祝儀などの挨拶に続けて子息の嫁迎えに際して新居増築を済ませたことを伝える文面で、住居や家財関連語を列記し、吉方・吉日を選んで新宅への移徙も済ませ「一生之安堵、怡悦」の心境を述べる。続く、二月状ではこれを受けて時候の挨拶や婚礼祝儀を述べた後、今度は娘を嫁に出す側から準備すべき嫁入り道具(衣類・化粧道具等)のあらましを記す。以下、双方でやりとりする手紙の形式で、三月状は穀物・醸造品・和紙・太物、その他日用雑貨、薬種と川普請に関する要語、四月状は小間物・干物・瀬戸物・薬種とその仕入れ先や商取引上の用語、五月状は接客用の諸道具(飾り物・諸芸諸道具・食器・調理具等)・食材・菓子類、六月状は馬具・魚貝類・料理・調味料・酒類・書物(軍書・物語等)、七月状は普請に必要な建築資材・諸職人・樹木・草花と子供の教育(学問・諸芸等)、八月状は諸芸・果物・草花と上方の名所等、一一月状は相場・刀剣細工類・装束装身具・紡績や訴訟関連、一二月状は商売・社会・公民・信仰やその他職業等の用語を盛り込む。本文を大字・五行・無訓で記す。作者不明だが、蔵書印によれば下野国赤見村(現・栃木県佐野市)で使用された手習本である。
★明治期刊行の「農商往来」は色々とあるが本書は江戸期撰作のものと思われ、新種のもの。書名だけでは判断しにくいのが往来物である。手紙文に単語集団を含む点で形式的には『庭訓往来』の流れを汲むが、内容的には『諸職往来』に近い。