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NEW211 慎独いろは雑寄 (しんどくいろはざっき)
【作者】某治雄作・序。【年代】江戸後期書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。自序によれば「学は、人に交らざる先、不断独を慎にあり」との考えから、慎独のための心得をイロハ教訓歌に読んだもの。「(い)いづれにも正直なれば曇りなし、礼と敬とを左右に握りて」「(ろ)論孟の聖意を不断わすれずば、六経とても何を尋ん」「(は)端々の雑書を的とするならば、多の実を失ふとしれ」などのような教訓歌四八首を掲げる。本文をやや小字・八行・無訓で記し、余白の随所に儒書からの引用や説明を細字で付記する。
★タイトルからして自己の修養のために書き記したものと思われるが、いろは教訓歌の一種として掲げた。



NEW212 馬鹿者状 (ばかものじょう)
【作者】不明。【年代】明和六年(一七六九)書。【分類】教訓科。【概要】異称『馬鹿者状之事』。大本一冊。「抑、其京に見苦敷事、荒々語而聞せ申。散と短気之人振、朝碁、朝鞠、朝尺八、野山之丈を数寄而、川瀬瀬利、博奕、双六、身之保布(希カ)、物鳴者之為癖、悪口、更に一言言而は長座敷…」で始まる文章で、馬鹿者と呼ぶにふさわしい愚かな行為を列挙し戒めとした往来。本文を大字・四行・付訓で記す。
★このような書名を初めて聞いたが、明らかに往来物である。



NEW213 〈首藤〉 書札文集 (しょさつぶんしゅう)
【作者】神原重五郎(嘉重)書。【年代】宝永三年(一七〇六)刊。[江戸]万屋清兵衛板。【分類】消息科。【概要】横本一冊。首藤又右衛門門弟の神原氏が著した横本の書道手本。「陽春之御慶賀不可有休期御座候」で始まる「新年祝儀状」以下五六通の準漢文体書簡と、二通の散らし書き和文書簡を収録する。内容は武家の公私にわたるが、多くが将軍家・幕府宛ての祝儀状や礼状で、五節祝儀、年頭儀式、参勤交代、普請御用、日光社参、参府・登場・御目見得、元服、暇願い、霊廟造営ならびに法事、献上品披露、切支丹宗門改め、家督相続、将軍宣下、加増、出産、旅先からの安否連絡など雑多な例文も含む。本文を大字・七行・無訓で記す。

★首藤流の往来物は珍しく、数える程しか見つかっていない。



NEW214 女要訓和歌文庫 (おんなようくんわかぶんこ)
【作者】桃江舎漁舟作・跋。長谷川光信画。【年代】寛保三年(一七四三)刊。[大阪]河内屋八三郎板。【分類】女子用。【概要】大本一冊。『栄花物語』と『源氏物語』帚木巻前半部の「雨夜品定」をモチーフにした異色の女子用往来。本文欄には『栄花物語』の各巻(「月のゑん」〜「むらさき野」までの全四〇巻)に因んだ和歌と挿絵および大意を掲げ、頭書に「十二月女用文章」「文ふうじやうの事」「月の替名」「七夕の詩歌」「色紙短冊寸法并書様」「諸病妙薬集」「染ものひでん」「しみものおとしやう」「百人一首」などを載せる。前付には「赤染衛門家形之図」「摂津名寄八鳥和歌」「伊勢両宮二見の図」「御参宮みやめぐりの事」「婦六徳温公家話」「〈和歌詠方〉唐土三美人」「婦の五等」「紫式部以呂波歌」「名歌称号六女」「酒色財気之図」「〈女中雨夜品定大意〉女万要品鏡」「男山八幡放生会之図」「放生会之由来」「歌がるた取やうの事」「女中艶美之方」「十種香聞事」「雛・犬張子・阿末加津(天児)乃事」「貝ほゝゐの事」「三十六歌仙」「源氏香之図」「男女相生の歌花形六十図」「一代守本尊」「手の筋見やう」などを載せるが、この「女万要品鏡」は、のちにこの部分のみを抽出して、延享元年に『女訓万要品鏡』(横本)と題して出版されたものである。なお巻末に「仮名遣口伝」「蓬莱の図」を掲げる。
★『栄花物語』を題材にした女子用往来は本書のみであろう。



NEW215 七福神文章 (しちふくじんぶんしょう)
【作者】溝渕佐八書。【年代】嘉永七年(一八五四)書。【分類】教訓科。【概要】特大本一冊。扉に「西宮蛭子三郎より大黒天え相贈候書面」とあるように、西宮蛭子と大黒天との間でやりとりした往復文の体裁で綴った戯文の手習本。蛭子三郎からの往状は「其後者、御物遠奉存候。余程暖ニ相成候所、益御安静ニ而、日々宝物御手入御繁多被成御座候哉与珍重之御儀ニ奉存候…」と起筆する。正月に氏子や七福神が参集した際に、弁財天の美しいことを誉めた氏子の言葉に毘沙門天が憤り、氏子へ罰を与えると言い出したことに端を発する。困った蛭子が仲間(他の七福神)に相談を持ちかけた結果、布袋宅にて懇親の酒宴を催したいと大黒天に持ちかける。それに対する返状は「御紙面拝誦仕候。然者、毘沙門天憤之儀、有之申出、明晩布袋方へ御寄合之由…」で始まる文章で、酒宴への参加を承諾し、弁財天へあまり気にしないように伝えて欲しいと頼む。本文を大字・三行・無訓で記す。
★ふざけた内容の往来物も時々ある。七福神のやりとりがユーモラスで、学んで楽しい手習本だったであろう。別掲の『高松詣』と同じ所から出てきたもの。