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NEW196 〈猪瀬〉万家日用文通 (商人之部) (ばんかにちようぶんつう) 【作者】猪瀬尚賢書。【年代】嘉永2年(1849)書・刊。[江戸]和泉屋善兵衛(誠格堂)板。【分類】消息科。【概要】大本1冊。本書蔵板目録によれば「平生用便になるべき文言をゑらみ、初心の手本向専らに認られし書」であって、本来「武家方之部」「農家之部」「職人之部」「商人之部」の4部4冊で発行されるものだったが、確認されているのは「商人之部」のみで、他の3部は未刊の可能性もある。「商人之部」は「年頭状」から「見世開祝儀状」までの24通を収録した用文章で、本文を大字・5行・所々付訓で記す。また、巻末に毎月3例ほどの時候の言葉(端作り)を列挙した「時候寒暖之次第」を掲げる。 ★猪瀬尚賢は、もと商家の奉公人で、丁稚小僧で商家に入った頃は、いろはも書けない文盲だったが、後に、努力し、江戸で有数の書道家となり、多くの書道手本を刊行した。いまだに発見されていない刊行物が数点あるが、そのうちの一つが本書だった。 |
NEW197 〈当風消息〉文寿用文福徳海 (ぶんじゅようぶんふくとくかい) 【作者】不明。【年代】文化10年(1813)刊。[江戸]丸屋文右衛門(文寿堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈当要消息〉文寿用文福徳海』『文寿用文』。大本1冊。「年頭祝儀状」から「神事ニ人を迎る状」までの32通を収録した用文章。五節句や四季に関する書状、吉凶事に伴う祝儀状・見舞い状・弔い状等を、大字・5行・概ね付訓(稀に左訓)で記す。巻頭に「天満宮略縁起」「立春吉書始詩歌」、頭書に「近江八景之図并詩歌」「日用躾方指南」「贈答書法認様」「書状封様之図式」「書札端作次第」「敬字上下差別」「文章書替用字」「大日本国尽」「日本広邑地名」「五性名頭字」「片仮名本字」、巻末に「十幹方角相生相剋」「十二支并十二将神名」を掲げる。 ★20年以上往来物を調べてきたが、本書とは全く初めての出会いだった。江戸後期刊本でも新たな発見が多く、江戸時代の出版物の豊富さを痛感する。 |
NEW198 百瀬書札文章 (ももせしょさつぶんしょう) 【作者】百瀬耕元(南谷山人)書。【年代】寛政10年(1798)書・刊。[江戸]前川六左衛門板。【分類】消息科。【概要】大本1冊。「疱瘡回復・酒湯(笹湯)祝儀状」から「駿府到着等を知らせる手紙」までの武家公用書状(準漢文体書簡)8通と、「公方様日光社参の祝儀状」など3通の仮名文を記した百瀬流手本。前者を大字・3行・無訓で、後者を大字・4行・無訓で記す。 ★百瀬流の書道手本も数多いが、未発見のものが時々見つかる。 |
NEW199 櫟寿堂手本 (れきじゅどうてほん) 【作者】水口正運(櫟寿堂・身人部(むとべ)清光)書。紀宗直(若狭守)序。冨田孝和跋。【年代】宝暦12年(1762)序・跋・刊。[京都]額田正三郎ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈御家支流〉水口正運先生筆』。特大本1冊。門人・冨田孝和が櫟寿堂から授かった書道手本を上梓したもの。各種消息文と詩歌から成る大字の手本で、具体的には、@「雑用文」13通、A「書札」6通、B「竪帖」3通、C「かな文(散らし書き)」9通、D「巻物詩歌字賦」10編、E「色紙詩歌字賦」6編、F「古歌之短冊」2編、G「正運居士自詠」3編、H「明衡往来」の抜粋1通を収録する。 ★この往来物も初めて見た。書名すらも聞いたことがなかった。 |
NEW200 鶴秋帖 (かくしゅうじょう) 【作者】大谷永庵書。大路延貞(黙斎)序。【年代】明和8年(1771)書。寛政5年(1793)序・刊。[京都]大文字屋勝助(文盛堂)板。【分類】社会科。【概要】特大本1冊。大路氏の所望により永庵が認めた書道手本。「鶴漸散間秋色少、鯉常趨処晩拝微」「あきゝぬとめにはさやかにみえねども、かぜのをとにぞおどろかれぬる」以下の詩歌68編(漢詩文・和歌とも各34編)を大字・3行(漢詩文)または4行(和歌)・無訓で記す。 ★永庵の書道手本は特大本で写真のような体裁のものがほとんどである。 |