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NEW161 名香六十一種名寄文字鎖・風流模様尽 (めいこうろくじゅういっしゅなよせもじぐさり・ふうりゅうもようづくし)
【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】社会科。【概要】大本1冊。前半に「名香六十一種名寄文字鎖」、後半に「風流模様尽」を収録した往来。前者は「名香六十一種名寄文章」「名香尽文字鎖」ともいい、古くは宝暦3年(1753)刊『女朗詠教訓歌』や天明7年(1787)刊『女用続文章』†等に収録されている。「夫、名香のかずかずに、匂ひうえなき蘭奢待、いかにおとらむ法隆寺、逍遙・三吉の・紅塵や、宿之古木の春のはな、ながれ絶せぬ中河と、とくにたえなる法華経は…」のように七五を1句とする各句の前後の音が重なるように続ける文字鎖の形式で名香61種を列挙したもの。後者は「此比都にてはやりまいらせ候しほらしき風流之模様、呉服所より色々取よせ候。御慰に御めにかけまいらせ候…」と起筆して、当時流行の呉服模様を列記したもの。江戸後期写本は本文をやや小字・7行・無訓で記す。
★色々な女子用往来に収録されているので、刊本の写しと思われる。写真左端は「風流模様尽」の冒頭部。



NEW162 源氏づくし (げんじづくし)
【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】社会科。【概要】大本1冊。「おほかたの、うき秋としも桐壺の、消にし後は帚木の、面影だにも空しくて、空蝉の世のはかなさを、うしとはさすか夕顔の…」で始まり、「…後の名もうき船のうち、契りあだなる蜻蛉を、おのがしぞめの手習は、はてもゆかしき夢のうきはし、たゝずみていらせ候。かしく」と結ぶ七五調の文章で、『源氏物語』54帖の巻名を列挙した往来。本文を大字・5行・無訓で記す。
★『源氏物語』を題材にした往来物は多いが、本書と酷似する往来物がいくつかあるので、それらの一異本と見るべきかもしれない。



NEW163 御触書読習 (おふれがきよみならい)
【作者】不明。【年代】江戸中期書か。【分類】社会科。【概要】異称『御触書』。大本1冊。触書等の法令に頻出する要語を列挙した往来。「夫、帝都者、天地開闢、神代之御孫裔ニ而、先、奉始禁裏、仙洞御所、女院、大宮、御所、女御、准后、御所方、親王家、関白、摂家…」で始まり、「…前後不同不弁、他之謗も不憚、童蒙唯荒増之手続書、笑を含ませ可給事如件」と結ぶ文章を大字・4行・ほぼ付訓で記す。
★虫損が多いが何とか判読できる。内容は面白い往来で、触書等で扱う語句を書き連ねた往来である。本書首題には「読み習い」とあって、往来物であることが明快である。



NEW164 五家法令俚諺集解 (ごかほうれいりげんしゅうかい)
【作者】福家正安(温)作・序。細谷寛五書。【年代】文化8年(1811)序。文政9年(1826)書。【分類】社会科。【概要】異称『五家法令里諺集解』。大本2巻2冊。高松藩が天明5年12月に領内に布達した五人組仲間の心得『伍家制令』の童蒙向け解説書。三野元密作、文化7年(1810)刊『〈教訓〉伍家勢以令』に刺激され、あるいはこれを参酌して綴ったものであろう。現存本は上巻のみで、『伍家制令』主文末尾「…万中能可致相談事」までを解説する(但し書き以下が下巻)。上巻は主文を「五人組合」「右組合家業出精仕」「御法度堅相守」「惣而善仕業を進合」「万中能可致相談事」の5段に分け、1段につき数丁に及ぶ懇切丁寧な施注を行う。本文をやや小字・8行(『伍家制令』主文は2行にわたる大字4行程度)・無訓で記す。
★この種の法令解説書書も多数作られたことを推測させる資料である。「五人組」の一員としての庶民教化には、子どもでも理解できる内容で綴ることが望ましかったであろうし、本書はわずか数行の法令の解説に1、2冊を費やす丁寧さである。



NEW165 東照大権現再御座十五カ条・三代将軍様御条目御写 (とうしょうだいごんげんさいござじゅうごかじょう・さんだいしょうぐんさまごじょうもくおんうつし)
【作者】宮入三津治郎書(元治元年写本)。【年代】元治元年(1864)書。【分類】社会科。【概要】特大本1冊。徳川家康が慶長18年(1613)5月に全国の諸宗寺院に対して発した「東照大権現再御座十五カ条(宗門檀那請合之掟)」と、三代将軍・家光が寛永21年(1644)9月の条目(享保9年(1724)に改正)を、大字・4行・無訓で認めた手習い手本。前者は第1条「一、切支丹之法は死を不顧、入火ニ而も不焼、入水にても不溺、死を成仏と立る故ニ、天下の法度厳密なり。実に邪宗也。依之、死を軽んずる者、可遂吟味事」以下の15カ条で、寺請制度の強化や埋葬の統制等により切支丹宗門の取り締まりを図った法令である。『徳川禁令考』所収のものは全14カ条の不完全なもので、特に第10条が本書とは全く異なり、第14条が本書では第14・15条の2カ条に分かれている。後者は、@貞享4年(1687)10月の「諸寺院条目」13カ条、A慶長7年(1602)11月の「引導掟」1カ条、B寛永21年9月に3カ寺(下総の総寧寺・下野の大中寺・武蔵の竜穏寺)から諸国諸寺院に発せられた「引導掟」5カ条、C享保9年2月に寺社奉行が発した「引導掟」附則2カ条からなる。
★このように、色々な法令が手本の教材に使われた。