NEW156〜160  → 次頁へ目次へ


NEW156 〈婦人教訓〉女今川以呂波文 (おんないまがわいろはぶみ)
【作者】北尾辰信(仁右衛門・雪坑斎)作・画。【年代】明和3年(1766)刊。[大阪]糸屋市兵衛板。【分類】女子用。【概要】大本1冊。明和2年(1765)刊『〈教訓日用調法〉女七宝操庫』の改題本(序文に「女七宝操庫」と明記)。『七ッいろは』†にならって女子の心得となるべき金言・俚諺などをイロハ順に7語(7行)ずつ書き出した教訓。例えば冒頭「イ」項では、「古をかゞみとして」「今の世の手本とすべし」「徒に月日を送るべからず」「命は義によつて軽といへ共」「色ゆへにすつる事」「賤ものゝしわざなり」「幾許(いくばく)の親の恩を思べし」と7行(各行の第1音が「い」で始まる)で心得を記す。また末尾「京」項では、「京に田舎有。鄙に都はづかしき賢女こそ多かめれ」と述べ、「婦人の十等(孝・母儀・賢明・仁・智・貞順・節義・功・弁・容)」を諭す。本文をやや小字・7行・付訓で記す。巻頭に「源頼朝公御台所」「蒲生氏郷北の方」「庄左衛門が妻」の故事、また、頭書に「三十六歌仙」「六歌仙絵抄」「色紙短冊」「立春吉書始」「七夕詩歌づくし」「四季の文章」「文封じやう」「小笠原流折形図」「婚礼心得之事」「宿瘤之故事」「女中嗜薬の方」「穢物おとしやう」「女中の名よせ」「十二支」「女中御所詞」「女中要字集」「男女相姓之事」「十二支ゆめうらなひ」を掲げる。
★本書の先行書である『女七宝操庫』の刊本はまだ発見されていないが、本書からある程度推測可能である。『女今川』と称して通常の『女今川』と全く無縁のもので、書名の付け方にも研究の余地がある。



NEW157 女手ならひ教訓の書 (おんなてならいきょうくんのしょ)
【作者】川当節叟作。【年代】享保17年(1732)刊。[江戸]平野屋善六板。【分類】女子用。【概要】異称『女手習状』。大本2巻2冊。『初登山手習教訓書(手習状)』にならって、手習いの心得を綴った女子教訓書で、同題の享保元年(1716)刊本(江見屋吉右衛門板)とは別内容。「夫、今のめでたき御代に住ながら、物書事のかなはねば、人に一ッのきずにして、常に不自ゆうのみならず、人の中へ出し時、姿容(かたち)はうるはしく目出たく成長(そだて)られし身も、よみ書事のかなはねば…」と起筆して、「…万(よろず)の事をしる事も、是、手習の益なれば、筆とる事におこたらず、万賢く身を修め、つかふ者にも慈悲ふかく、身の養生を常にして、息災なるが孝行ぞ。千代万代の末ながく、子たち孫達はんじやうし、めで度栄へ給ふべし」と結ぶ文章で、手習いの徳や文盲の不幸について縷々諭す。本文を大字・四行・付訓で記す。頭書には「師をゑらむべき事」「文書やうぶんしやうの事」「わき付上中下の事」「ふみふうじやうの事」「もくろく書やうの事」「女の名、しやうによりてよしあしの事」「折かた品々の事」「七夕うたづくし」「いしやうをたつ時のもん」「こよみを見る事」(以上上巻)「しうげんの法式」「男女あい性」「ことばつかひの事」「しよくもつくいあわせ」「よろづやうじやう」「くわいにん心もちの事」「くわい人(懐妊)よきしよくもつ」などの記事や挿絵を掲げる。本書は、後に元文5年(1740)刊『女文章艶姿』の後半に合綴されたが、その際、作者名や板元名が削除された。
★従来から書籍目録等で存在が知られていたが、作者の記載に異同があり、詳細が分からない点が多かった。今回、初めて原本を確認することが出来た。享保期以前の往来物には、未発見のものもまだまだ多い。



NEW158 文車 〈女筆〉 (ふみぐるま)
【作者】吉田半兵衛画か。【年代】宝永6年(1709)刊。[大阪]秋田屋市兵衛(大野木市兵衛・宝文堂)板、また別に[大阪]大野木市兵衛板(宝永7年板)あり。【分類】女子用。【概要】異称『ふみくるま〈女筆〉』『ふ見車〈女筆〉』『女筆文車』。大本3巻3冊。貞享5年(1688)刊『当流女文章』の下巻末の記事を削除した改題本。上巻には「新年祝儀に呉服を贈る文」以下9通、中巻には「婚礼祝儀状」以下9通、下巻には「昨晩の訪問についての文」以下6通の合計24通を収録。また、『当流女文章』の改題本には本書のほかに『〈当流絵抄〉万宝女文』があるが、付録記事などの関係から『〈当流絵抄〉万宝女文』の方が先行書と思われる。なお、本書の解題にあたって題簽題に「女筆」と小書きされたのは、女筆手本であることを強調した結果か。いずれにしても、筆跡・挿絵が豊富な女筆手本類として特異な存在である。
★従来、早大文学部所蔵の宝永6年板のみが知られていたが、今回、その再刊本である宝永7年板を入手した。女筆手本も書名を次々変えていくケースが多いので、未発見の女筆手本の多くもこのような改題本や改訂本と考えられる。



NEW159 浅香山 (あさかやま)
【作者】滕正義(三楽翁・蒙斎)編・跋。【年代】明和元年(1764)跋。明和4年刊。[京都]新屋平次郎板。【分類】女子用。【概要】大本1冊。17歳で病死した編者の娘の遺筆を上梓したもの。全文散らし書きの女筆手本で、「春のはじめの御ことぶき、松のみどりもいまひとしほ色そひ、呉竹のよをこめて、御めでたく祝入まいらせ候」で始まる新年状以下24通と和歌1首を認める。四季折々の風景を愛でたり、感想を伝えたりする例文、また、時候の挨拶や相手を見舞う例文が大半で、一部に、平産祝儀状や諸用件の手紙(草紙や歌書の借用等)を含む。冒頭には将来を期待されながら夭折した作者への賛辞が「初草のまだうらわかき齢にて、かばかり優れる筆のすさみ、生さきもゆかしく、猶年月を重ねれば、つゐには此道にほまれをうる類にもや成なん」と記されている。なお、元禄15年(1702)刊『浅香山』とは別内容である。
★本書は全く未知の女筆手本であった。跋文によれば、書筆を志した女性が道半ばで夭逝したため、その遺稿を出版したという。裕福な家庭の子女であろうが、無名の作者に対する追善出版の例は往来物では珍しい。



NEW160 雲井のかり (くもいのかり)
【作者】宮南耕斎書。【年代】天明8年(1788)刊。[大阪]浅野弥兵衛(藤屋弥兵衛)ほか板。【分類】女子用。【概要】書名は『大阪出版書籍目録』等による(冒頭に「はるあきの雲井のかりもとゞまらず…」の和歌を掲げる)。大本1冊。散らし書きと並べ書きの女子消息文を集めた男筆女用手本。巻頭に2首の和歌を散らし書きで掲げ、続いて、「あらたまりぬるこのはるの御ことぶき、千里もおなじ御ことゝかぎりなふ祝ひまいらせ候…」で始まる新年状以下、五節句祝儀や四季贈答の手紙を中心に、伊勢参宮から帰国の報告、婚礼祝儀、移転後間もない人からの挨拶、五月雨の徒然に出す手紙、蛍見の誘引、平産祝儀、娘への小袖拝領のお礼など合計29通を収録する。このうち7通が並べ書き、22通が散らし書きである。また、『源氏物語』賢木巻や須磨巻から引用した例文4通と比較的長文の雅文2通を含む。
★本書は男筆の女用手本だが、従来から存在が知られつつも原本を見出せないでいた。18世紀後半になると、女性用の書道手本は必ずしも女性である必要が無くなっていったようで、女性書家の女筆手本が衰退する一方で、男性書道家の女性用手本が増えていく。