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NEW151 〈新板〉女筆手本 (にょひつてほん)
江戸前期(万治頃)刊。刊行者不明。大本。下巻のみ存(上下2冊本と推定される)。従来、『〈新板〉女手本〈かはり〉』(上下2冊本で異板数種あり)の書名で確認されていたものである。そのいずれかの版と同板の可能性もあるが、『女手本』の題簽に「かはり」と付記するため、本書がその先行書と思われる。これまで発見されている『女手本』には刊記を持つものがなく板元は不明だが、宝永元年の改訂版(書名不明、上巻のみ存、本文に異同あり)が京都書肆・和泉屋茂兵衛から刊行されており、その他の状況から考えても、京都板であろう。ここに掲げた『女筆手本』は下巻1丁〜21丁までで、「上巳節句祝儀状」から「歳暮祝儀礼状」までを収録する。
★刊本最初の書籍目録『寛文年間書目』より、「女筆手本」の書名が見えるが、この書名を持つ女筆手本類が複数存在したことは分かるが、その一つは『寛文10年書目』で「小野通」筆の2冊本である可能性が高いが、上記の『女筆手本』は小野通の筆跡ではない。『延宝3年書目』では、3種の「女筆手本」が掲載されている。本書の影響を受けた女筆手本は多く、宝永頃まで刊行されていることから、かなり初期から存在したものと思われるものの、それを裏付ける証拠に今一つ欠ける。しかし、上記写真のように、明暦あるいは万治といってもおかしくない装丁である。



NEW152 用文章 (ようぶんしょう *仮称)
大本。上下2巻か。現存するのは下巻1冊のみ。寛文8年刊。京都・長谷川市郎兵衛板。こちらは刊年が明らかだが、書名が分からない。「○○用文章」のような書名であったと考えられる。ちなみに、本書の直後に編まれた『寛文10年間書目』初めて登場する書名で本書に相当する可能性のある書名は、「九重文章」「天神文章」「必用文章」「愚文章」「文玉文章」「秘要文章」などがある。内容はいずれも短文で、例えば下巻冒頭の一通は、「京都御知音中得(へ)御状被遣度候者、御認可被成候。御逗留之中、慥相届可申候」を三行で綴る。他の例文も全て三行ずつ(半丁に2通)掲載するのが特徴である。短文ながら、類別の単語を意識的に盛り込んだ例文もあり、消息用語と日常語の双方を学習できるように工夫されている。
★先に掲げたように寛文頃の往来物は未発見のものがかなりある。特にこの手の用文章に未発見が多いことは、用文章の成立史解明のネックになっており、本書と前後して、圧倒的な普及を示した『新用文章(新板用文章)』の普及を的確に知るためにも、周辺の用文章の解明が期待される。



NEW153 〈四時贈答〉女用文章 (おんなようぶんしょう)
大本1冊。安政6年刊。江戸・蔦屋吉蔵(紅英堂)板。「東都・浅井先生」書。見返および巻頭3丁(目次および前付)が色刷りになっている。本文は頭書が2段のいわゆる「三階板」で、多様な記事や挿絵を掲げるのが特徴。本文は「正月の文」から「火事見舞いの文」までの41通を載せる。頭書の記事で特徴的なものは、「養蚕のはじめならびに図」「衣更の記」「慶賀和歌絵抄」「諸紋形切様秘伝」「同折形の図」「官位装束の図」「女官装束の図」「男女一代守本尊」「婦人一代鑑」「女子たしなみ草」「夫婦相生記」「まじない秘伝」「万対名の事」「ゆめはんじ」「教訓いろは歌」「薫もの銘尽」「名掛香方組」「教訓発句絵抄」などがある。
★本書は従来から存在が知られており、宮教大等に所蔵が確認されていたが、今回、原本を初めて見た。



NEW154 海陽地下往来 (かいようじげおうらい)
慶応2年6月、信正書(村田駒吉のために書いた手習い本)。「信正」は本書の作者であろうか。本文末尾に「海陽之御規式地下諸沙汰往来」と記す。「陽春の之慶賀富貴万福、於に今、雖事旧候、尚亦、不可有休期候。先以、年始之御規式、正月元日御家老・御年寄・御組頭・御組外通之御歴々中、小身之御組附・新御組之御面々…」と城中における新年の儀式から書き始めて(『江戸往来』等に似る)、防府(山口県防府市)周辺の地理や年中行事、社会風俗等を記した往来。地理科とも社会科とも見ることができよう。
★まさに本書が書かれた慶応2年の1月に坂本龍馬の仲介で薩長同盟が結ばれ、長州藩と薩摩藩が倒幕に動き出した。同年6月に、第二次長州征伐が起こり、薩長連合軍が幕府軍を破って勝利を収めている。そのような状況下で使われた手習い本だが、本書には関連する記述が全く見られない。



NEW155 農人往来 (のうにんおうらい)
享和3年書。江州神崎郡新村・尾中岩治郎が使用した手習い本。同名の往来に、文化8年刊『農人往来』があるが、掲載書は全くの別内容で、文化8年刊本よりも7年先に書かれている。表紙に「享和三年戊亥孟夏、与之」と記す。内容は、「夫、倩思ふに百姓は其家業雖賤、四民之内之第一也。其故、如何となれば、日夜、粮之種を貯置、土を耕し、耘草、種を蒔棄而、実を令倍々…」と筆を起こし、農業の重要性や農耕および年貢のあらましを述べる。所々で農作物や農事全般に関する用語を列挙するとともに、若干の百姓の心掛けに触れて結ぶ。末尾に「右、農人往来は、農家之童子之一助にもやと書れ侍り」の一文を付す。
なお、本書後半部に「商売往来」を収録する。
★『商売往来』は、農村部でもよく使用されており、むしろ農業型の往来を習わなくても、「商売往来」だけは習ったという農村部の庶民子弟も少なくなかった。