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NEW111 童子今川 (どうじいまがわ)
大本1冊。江戸中期、仙台・本屋治右衛門板。柱に『童子今川』、首題に『今時登山児童手習制詞条々』と記す。「一、不達文筆而、諸道終不得自由事」以下23カ条および後文からなる文章で、手習いの心得を綴った往来。本文を大字・7行・無訓で記し、前半部頭書に挿絵を施す。なお、本書後半部には、元は別々であった元禄頃刊『菅原親王願書』(元禄10年と明記)、および江戸中期刊『頼義勢揃状』の2本を合綴してあり、『童子今川』も江戸中期(享保頃か)刊行であろう。
★本書は『手習制詞壁書』『新今川童子教訓条々』『寺子今川状』『教訓幼今川』などの異称を持つが、大半が合本科往来の頭書等に含まれるもので、単独刊本は稀である。古くは享保7年刊の『童訓往来新大成』に収録されているが、本書はそれとほぼ同年代のもので、その成立過程を探るうえで重要と思われる。寡聞ながら他の所蔵を知らない。



NEW112 実語教童子教絵抄 (*仮称 じつごきょうどうじきょうえしょう)
半紙本1冊。貞享5年9月、京都・万屋彦三郎板。『実語教童子教』本文中の任意の語句に略注ならびに挿絵を頭書に施した絵抄本。本文との対応関係を丸付き文字の「い・ろ・は…」で示し、例えば冒頭の「山高きが故に貴からず、樹有るをもって貴しとす」に対する略注を、「(い) 山は高きばかりにて木のなきは用なし。ひくしといふ共、たくさんに木のあるをたつとしといふなり」のように掲げる。また、跋文には「絵は幼童の持あそびむべ成かな。『童子教』、猶いとけなきを導引の舟橋、首書(かしらがき)は絵のことはりなり…」と、童蒙教育における挿絵の効用を強調する。
★いわゆる「いろは引き」の絵抄本で、『実語教童子教』にはよく見られるものだが、従来の最古本は元禄初年であった。今回、発見した貞享5年板はさらに遡る最古本として貴重であろう。



NEW113 増補偏冠之書 (ぞうほへんかんむりのしょ)
筆者不明。明和8年8月書。大本1冊。内題に『増補偏冠褒貶書(ぞうほへんかんむりほうへんしょ)』と記す。「聞●(言+兄)大唐人の言葉に、賢き人を誉るには這箇聡明怜悧といふ。鈍者を譏るには這箇●(豈+犬)東西といふ…」と起筆する文章の所々に漢字の部首名を織り込んだ特異な往来。例えば「…今、大和の人の言葉に利根の人を誉るには「あの人は禾(のぎへん)じや」と利のじの旁、●(りっとう)を除け、愚鈍のものを譏るには、「此者は金(かねへん)じや」と鈍の屯をとり、利・鈍と言はで沙汰するは浜の真砂の悪る…」のように実際の慣用句を紹介したり、「夫れにんべん(人間)と生れては、善方(かたへん)を師とたのみ、がくもんに精を入、昼は日(にちへん)の影を惜しみ…」のように、漢字の偏・冠・旁・沓などの名称を適宜織り込んだ戯文仕立てにしたりする。本文を大字・6行・所々付訓で記す。
★何気なく立ち寄った古書店で購入した1冊。ありふれた写本と思いきや、感じの部首を教えたユニークな往来であった。明和期というのも比較的古く、考えてみると、全文1通の文章の中に多様な部首を盛り込んだ往来は他にあまり例がない。



NEW114 芳墨集 (ほうぼくしゅう)
大本1冊。尾崎敬孝(玄慎)書。安永5年2月、土橋惟益跋・刊。「改年之吉祥不可有尽期候。大樹公、亜相御方愈御雄健…」で始まる新年祝儀状以下、武家公用向け書状など14通を収録。本文を大字・4行・無訓で記す。なお、末尾の跋文のみ陰刻になっている。
★状態が今一つながら、初見の往来である。既に発見されている『尾崎氏消息』の巻末広告にも「尾崎芳墨集」の書名が見え、尾崎氏の手本は未発見のものを含め少なくとも3種刊行されたと推定される。



NEW115 古版用文章 (*仮称 こはんようぶんしょう)
大本上下2巻合1冊。上巻20丁、下巻28丁(消息文の部20丁+「瀟湘八景」の部8丁)。消息例文は概ね四季贈答の短文で、各通とも1丁(2頁)構成である。本文を大字3行・付訓の堂々たる筆遣いで綴る。
★逸題のため、仮に「古版用文章」とした。表紙欠で状態があまり良くないが、初めて見た往来である。和紙や文字の雰囲気などから確実に江戸前期の刊行と分かる。江戸初期の手本は、大字で伸びやかな字配りのものが多い。