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NEW106 古版字尽(童蒙字尽カ) (こはんじづくし *仮称)
寛永21年2月刊。京都・さうしや(草紙屋)太郎左衛門板。もと中本2巻2冊であったものを1冊に合本してある。上・下巻とも6丁半で、各巻の末尾に刊記を付す。原題簽を逸するが、『寛文書籍目録』によれば、本書に該当する字尽系の往来は『万字尽』または『童蒙字尽』で、現存する前者の系統とは内容が大幅に異なるため、未発見の後者に該当するものと思われる。内容は、上巻に「平安城東西南北町小路之字尽」「洛外名所字尽」「名木之字尽」「草木のな」を、下巻に「坊主名字尽」「名字尽」「魚之字尽」を収録する。本文を大字・五行・付訓で記す。
★寛永21年の字尽系往来はその存在は知られていたが初めて見た。刊本では最古の字尽系往来であり、所載語彙や語彙の配列にも独特なものがあり、他の字尽系往来との研究が俟たれるところである。



NEW107 童子節用集 (どうじせつようしゅう)
明和7年6月刊。江戸・村田屋治郎兵衛板。中本1冊。元禄頃刊の『節用集〈両点〉字尽入』の改題本。『節用集』から庶民通行の基本語を抽出した往来で、「稲光・稲荷・異国・陰陽・一周忌・市場・晩鐘(いりあい)・生見玉・従弟・妹・医師・音信…」以下、イロハ引きにした各語彙を大字・五行・付訓(語彙の左右に音訓を施した両点形式)で記すが、割注等は一切ない。うち、末尾「京」の部を「師九陌・横竪小路・一条・正親町・土御門…」で始まる「京町尽」にしてある。前付に「天満宮略縁起」「士農工商」、後付に「不成就日」「願成就日」「十干事」「十二支」を掲げる。なお、本書同様の往来(前付のみ異なる)に江戸後期刊『〈両点〉節用集』である。
★節用集を簡略化した往来物は、江戸時代中期から色々なものが登場するが、本書は初めて見た。


NEW108 〈天野先生〉商売往来 (しょうばいおうらい *仮称)
小型の折本1帖。弘化3年1月書。末尾に「御医天野先生書」と記すため、医師の天野某が筆者したものである。「商売之躰は其品多けれど、先その大略をすこし挙て、呉服太物、紙屋・茶屋、書肆・薬店に鉄炮屋、茶碗鉢屋に膳椀屋、酒造・肴屋・菓子所、雪駄傘、木履見世…」で始まる七五調の文章で、まず諸商売を列挙し、全ての商売に共通する「正路に本づきて、和順に家業勤みよ」などの商人心得を最初に述べるのが特徴。起床後の開店準備、接客態度、商売のあらましや商いの基本について綴り、「…家業大事に怠らず、惟一心に勤めなば、天神地祇の御冥助に、家富栄う末ぞ目出度」と結ぶ。
★江戸時代には、片手間に手習い師匠を勤めた医師もさほど珍しくはなかったと思われるが、本書のように独自の往来を著す者もいた。流布本の『商売往来』では、必要な語彙を多数列挙したのちに、商人心得に触れるが、全編にわたって本書は商人心得を重視した内容となっている。



NEW109 当用諸文章 (とうようしょぶんしょう)
横本1冊。文化3年3月、玄考堂書。江戸・花屋久次郎板。「年始の状・同返事」から「日待のいわゐ」までの96題108通を収録した用文章。まず、五節句や年中行事に伴う書状、続いて、移徒・棟上・転宅・婿取・婚礼・入婿・平産・元服等の各種祝儀状や、「長夜友招」「徒然友招」等の交際・招待等の手紙、さらに「奉公人肝煎頼」「留守居頼」「手跡指南頼」その他の依頼状、また、「留守見舞」「湯治見舞」「疱瘡見舞」等の見舞状等までを載せる。本文を大字・6行・付訓で記す。
★表紙欠で状態が良くないが、未見のため購入。



NEW110 誰がためぞや (たがためぞや)
半紙本1冊。文政10年5月、中田吉五郎富義作。片山賢跋。写真は原本の重写本で、万延元年4月、古雪庵眉雪書。末尾の書き入れから、平尾登季女の旧蔵書と分かる。雑司ヶ谷の片山家から、本所の岡田氏へ嫁ぐ「お琴」の嫁入に際して書かれた女訓書で、まず冒頭で今回の婚姻が一見偶然であるかのようだが、実際はこの世に生まれ落ちた時からの宿縁であり、「神の引き合わせ」としたうえで、男女の別を正しくすること、また、生涯腹を立てないように心掛けることが女性の第一の勤めであること、その勤めとは何事もいやなことを堪え辛抱することであると諭し、以下、具体的な奉公の仕方や、小姑・舅・姑との応対や様々な状況での心の持ちようや生活心得を縷々説いた後、これらを守れば、「神仏の冥感を蒙り、行末長く、家内安全に、子孫繁昌うたがひなし」と結ぶ。
★『国書総目録』によれば、天保7年写本(国会図書館蔵)があるという。跋文を書いた片山氏はお琴の兄という。