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NEW096 〈沢田〉商売往来〈并〉官名 (しょうばいおうらい ならびに かんめい)
 沢田泉山(北広堂・沢田正勝)書。慶応頃刊。著者蔵版。彫工・岡埜常吉(川越)。大本一冊。数少ない埼玉県内の地方版往来物。今回、泉山筆の『江戸往来(自遣往来)』『隅田川往来』とともに一挙に3点を入手したが、このうち『商売往来』と『隅田川往来』は泉山筆の新発見の往来である。泉山の往来物はいずれも表紙共紙で刷外題の簡易なもので、表題の形式もほとんど同じで角書に「澤田」と明記するのが特徴である。また、詳しく調べていないが、手本の内容や筆跡が坂川暘谷と類似するため、暘谷に師事していたものとも思われる。
★沢田泉山は、入間郡北野村(現・所沢市)で大規模な寺子屋「北広堂」を経営していた幕末〜明治初年の教育者である。門人は約1600人に及び、幕末の寺子屋には常時200人の寺子がいたという。通学圏内は61カ村、現在の埼玉県南部から東京都北部に及んでいた。明治初年、学制以後は、小学校「狭山学校」を創立した。衆議院議長を務めた粕谷義三も泉山の門弟だった。
 なお、今回の発見で、泉山が自費出版した往来物は次の7点(うち1点は一枚刷り)となった(★は家蔵本)。
  慶応元年 『近郷村名』
  慶応2年 『隅田川往来』 ★
  慶応3年 『江戸往来(自遣往来)』 ★
  刊年不明 『風雅帖』  『当用并名頭』 ★  『商売往来并官名』 ★  『近郷村名(一枚刷)』 ★



NEW097 万字尽 (よろずじづくし *仮称)
 作者不明。江戸前期(慶安4年以前)刊。[京都か]水野庄左衛門板。大本一冊(全16丁)。年代が明らかなものでは最古本に属する『万字尽』。内容は「万うをづくし」「万鳥づくし」「万木名づくし」「万花名づくし」「獣づくし」「八百屋物づくし」「万虫づくし」の7編を収録する。従来から知られる『万字尽』では、東京学芸大所蔵の元禄頃『〈新板〉万字尽』に酷似しており、同書のもとになったものとして万字頃刊『累用字尽』の存在が指摘されていたが、さらに古い版と見られる本書の発見によって、逆に『累用字尽』が『万字尽』の影響下に成立した可能性も否定できなくなった。
★古書店の表に二束三文で売られていたもの。表紙はとれ状態は良くないが、幸いなことに本文はほぼ完全で、有難いことに、写真のような「慶安四辛卯歳五月三日、松山・鈴木氏東風主」の書き入れがあり、明らかにこれよりも古い出版であることが判明した。版元の水野庄左衛門については不明だが、『近世書林板元総覧』には、明暦頃の京都書肆・水野庄右衛門が載っているので、あるいは「庄右衛門」の誤記かもしれない。いずれにしても京都書肆と思われる。



NEW098 七ッいろは (ななついろは)
 作者不明。元禄10年刊。[江戸]本問屋喜右衛門板。本書は、最古本ではないが数少ない江戸前期板で、新たに発見された版である。最古本の明暦3年板(謙堂文庫蔵)、万治2年板(玉川大学蔵)、寛文2年板(『国書総目録』)に次いで古い。
★焦げ茶色表紙に数丁の小冊子で、古状短篇型に同形式の版本が数多くあり、元禄頃の刊行と推定していたが、本書はそれを裏付ける点でも重要である。いずれにしても江戸前期刊行の『七ついろは』は伝本が極めて少ない。



NEW099 桜見づくし (さくらみづくし)
 江戸後期書か。大本一冊。「抑、天下の静ひつの御代して国民豊也事、千秋万歳たのしみ…」と起筆して、戸隠山、九頭竜大権現、海津城から善光寺周辺までの名所旧跡を盛り込みながら綴った文章で、同地方の地名や風景・故事などを紹介した往来。末尾を「…あらおもしろや、花見かな、為日後(後日か)仍而如件」と結ぶ。
★末尾に「信州更級郡吉原村、宮下健(建)治郎」と記す。



NEW100 〈万民必用〉状通案紙 (じょうつうあんし)
 宮南耕斎書。寛政8年刊。[大阪]名倉又兵衛ほか板。半紙本一冊。「人を引合せ頼遣す状」から「縁引合せの礼状」までの76通を収録した用文章。例文に際立った特徴はないが、各例文に、用語や用例、書簡作法等についてのワンポイントアドバイスを付すのが特徴(例えば、冒頭の例文には「余寒、残寒に同じ。某は何の如し。懇意、入魂と同じ。委、又、委細とも、品々有べし」と注記する。
★『〈享保以後〉大阪出版書籍目録』149頁に、「状通案紙、一冊/筆者、宮南耕斎/板元、河内屋太助/出願、寛政七年十一月/許可、寛政七年十二月」と記す。本書は寛政8年1月の刊行と明記するので、前年の暮れ出願の手続きと印刷の手配をしておき、翌年正月に出版したのであろう。『大阪出版書籍目録』には、まだ未発見の往来物も多く残されているが、本書のように一つ一つ空白を埋めていくしかあるまい。