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大工の子は大工
  (寿福庵真鏡編。春亭・柳川重信画。文政6年(1823)〜弘化4年(1847)刊 『主従心得草』。[江戸]和泉屋庄次郎板)*挿絵は5編上巻
大工の子は大工となり、畳刺しの子は畳刺しとなる。古着や煙草屋の手代も多く、その縁あってその商売をするものであることを示した図。
*本文でも、「人は馴れ習うものに自然と移っていくものである。それゆえ、大工の子は大工、畳刺しの子は畳刺しとなる。どの職業に限らず、大方は見慣れ聞き慣れた事をするものであり、古着屋の手代は古着屋となり、煙草屋の手代は煙草屋となるように、大抵その縁を引くものである。これらは馴れ習った事をするため、大いに結構なことである。誰でももともと同じ人であるが、学び習うことによってその道の妙を得るため、たかく良い事を学ぶべきである。猿に芸を教えればよく覚え、人の歌に合わせて上手に踊るようになるものである。これは特別な理由があるわけではないし、分別があるわけでもない。習い馴れた結果、芸をするのである。人間も良いことを学び習ったならば、出来ないということはないはずである。万が一、出来ないとしたら、それは禽獣にも劣るのではないだろうか。