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尻の大きい女
  (寿福庵真鏡編。春亭・柳川重信画。文政6年(1823)〜弘化4年(1847)刊 『主従心得草』。[江戸]和泉屋庄次郎板)*挿絵は後編(2編)上巻
裏店の女房たち4、5人が寄り集まって、ありとあらゆる譏り話をする。一人の女房が「お前さんの向かい側のおかみさんのお尻はやたらにでかいね。あんな大きな尻は見たことがない。ところで、尻の大きな女を「棚尻」というのはどうしてだろうねえ」と言うと、別の女房が「棚尻」の講釈を始める。「どこの家にも勝手や流し元に棚が無いと、物の片付きが悪いじゃないか。勝手や流し元は女が司る場所だから「棚尻」と言うんだよ。それから、女の尻は大きく出っ張っていて棚に似ているから「棚尻」と呼ぶという話だよ」…。だが、彼女たちが自分の不器量は、「棚尻」ではないが棚に上げて、「あそこかみさんは棚尻だ」などと批判するのは大きな料簡違いであろう。「人の尻見て我が尻直せ」とは、このようなことを言うのである…というのが本当の講釈であろう。
*この挿絵の前後には裏店の女房たちの寄合話についての話題をいくつか載せている。時は天保3年(1832)7月、たまたま作者が江戸のある裏店の前を通りがかった時のエピソードをもとに教訓話を展開しており、こんな話も載せている。
 一人の女房が「お宅のお隣の娘ももう27、8歳にもなるでしょうに嫁入りの口がないのは、もしや、ろくろ首なのでは…」と切り出すので、「まあそんな所でしょう」と答えると、もう二度目の話には「あの娘はろくろ首だから…」ということになってしまう。しかし、本当はろくろ首でも何でもない。器量の良い娘で、とても堅実な女なので、「下手な所に嫁入りしてはいけない。二度、三度嫁入りしては世間に顔向けできない」という気持ちから、「実直な男でなければ決して嫁に行くまい」と見合わせているのだ。世間一般の女のように男が少しばかり頼むと、すぐに首を縦に振るような女ではないのである。貞女ゆえに嫁入りを見合わせているのに、女房たちはそれをろくろ首にしてしまった…。
 さらに、夫婦の心得として、このような一節を載せる。
 川柳の発句にも「目についた女房、今は鼻につき」などとあるように、初めて女房を見た時には「良い女だ。どうか女房になって欲しい」とあれこれ手を尽くしたり人に頼んだりして結婚し、所帯をもって一つ家の中にいっしょに過ごしてしばらくすると、色々と相手の垢も見えてきて、また、次第に自分の心も変わってしまって、以前は大切にした女房を、今では鼻であしらい、粗末にするようになるという意味である。これは人間としては大いに良くないことで、夫婦はいつまでも仲良く暮らすべきである。賢人や君子の心というものはいつまでも変わらないものだが、小人・愚者の心は時々変わってしまい、当てにならないものである。