和本にはまった、平成生まれの作家

 *香川七海さん(國學院大學1年生・作家)に伺いました(2008年9月)

── 香川さんとの出会いはインターネットでしたね…。私のホームページをご覧になったきっかけは何でしたか?
[香川] 往来物の書名とかで検索しますと、小泉さんのホームページがよく引っかかるんですね。
── 書名というのは、例えば、どんな書名ですか? それとも「往来物」で検索したのですか?
[香川] 大学の資料で出すものがあって、確か『庭訓往来』だったと思います。それから、ご縁があって、たまたま小泉さんから『女庭訓往来』を購入して、どこかで拝見したお名前だと思ったんです。
── なるほど。その時にこの『女庭訓』を落札されたんですね。
[香川] はい。
── これは裏表紙が取れていますが、中味の状態は悪くないですね。それでは、香川さんが往来物を初めて手にしたのが、この『女庭訓往来』だったのですか?
[香川] はい。そうですね。
── その時の感触はどうでしたか?
[香川] 実際に開いてみると、落書きがしてありますね。むしろ、その落書きを見て、昔の人も、今の学生と同じように教科書に落書きしていたんだなあと感じました。
── なんか親しみみたいなものを感じたんですね。

[香川] そのとおりです。そして、もともと、このような和本を使って授業とかしたらいいんじゃないかって、ほかの先生とも話していたんです。
── その「先生」というのはご自分が教わっている先生?
[香川] いえ。私が本を出したことによって、色々な方との繋がりが出来てきて、色々な学校の先生とのご縁があるんです。
── なるほど、色々な教師との接点…。中学校の先生ですか?
[香川] そうです。和本も比較的安価で手に入るとはいっても、実際に原物で授業をやっている学校はほとんどなかったですね。
── そうでしょうね。実は、往来物倶楽部の顧客に、熱心な高校の社会科の先生がいましてね、その方は、授業に原物か、それに近いレプリカ、とにかく「モノ」を使って授業をすることに長年取り組まれています。家の一部屋がまるで倉庫のようになっているとか(笑)。とにかく熱心な先生がいます。
[香川] そこで実際、一つ原物を手にとって話してみようということで購入したわけなんです。
── ということは、もともと学校の、社会科の教員になるということがハッキリしていて、そのために何か役に立つ資料がないかということだったんですね。
[香川] はい。また、大学が史学科なんで、やっぱり史料が必要なんですね。でも、学生のうちで古本を買っているというのも余りないんですね。
── そうかもしれませんね。
[香川] だけど、できるんだったら、自分でもそれをやってみて、原物を色々見た方が研究も進むんじゃないかなと思って…。
── 本当にそうだと思いますね。原物でね…。で、今は、このようなくずし字などは少し勉強しているんですか? 
[香川] 少しずつですね。授業でもありますので。最初は、本当に読みづらいですよね。
── 今、この辺の(と言いながら和本の字を指す)字なんかは、多少読めるようになりましたか?
[香川] そうですね。字引なんかを見ながら、字の形を見ると、確かあの辺にあった字だなという風に少しずつ分かってきましたし、読める字も段々と増えてきました。
── 毎日少しずつやったりという風に、何か心掛けているんですか?
[香川] 授業で出てくることが多いので、その時にやっているという感じです。
── 私はくずし字は独学だったんですが、まず、往来物などの字を大学ノートにくずし字のまま写して書いていきました。そんな風にして、1〜2年くらいでかなり読めるようになりましたね。ですから、香川さんが大学時代からこのように一生懸命やっていれば、大学卒業までには随分と読めるようになっているでしょうね。
[香川] 本当に、気を抜かないように(笑)、頑張っていきたいと思います。高校時代の書道にも、このようなくずし字に近い字体なども出てくるんですよ。でも、字体の意味などは教わりません。本当に能書家のように上手な人は読めるんでしょうけど、中級・下級に人は手本を見て写すだけで、相当にうまく書ける人でも、ふと考えた時に「これ、何て読むんだろう…」という人も結構いました。
── それは書道の先生ですか?
[香川] たまに(書道の)先生にも、また、生徒の方でも。
── 現代の書道を習っている人でも、和本の字はなかなか読めないと思いますよ。これは、くずし字独自の勉強をしないと難しいです。くずし字のパターンが江戸時代の方がはるかに多いですし…
[香川] はい、個人によっても全く筆跡も違いますし…。
── でも、往来物でくずし字を勉強するというのは、一番の近道だと思います。というのは、まず、もともと書道の手本ですから、字が上手に書かれている。それから、ほとんどの字にルビを付けてある。また、難しい漢字がそれほど多くは使われていない。当時の庶民が大体読める言葉で書かれている。難しい語句が含まれていても振り仮名が振ってある。まあ、当時の一つのスタンダートでしょうね。そして、そこに書かれた内容から、当時の庶民の一般教養的なものや考え方なども併せて学ぶことができますし…。
 ところで、このような和本も大分集めたんじゃないんですか?

[香川] ええ、少しずつですけど。
── 家族から「こんなの集めて、どうするの」なんて言われませんか?

[香川] まあ、そこはなんとか。私のおじいさんのうちには古い本が結構あるんですね。昔からのもので、古い方は江戸時代くらいからですかね…。
── 例えば、どんな和本があるんですか? 漢籍類が多いのですか?
[香川] やはり、漢籍が多いですね。
── そのおじいさんの家はもともと農家だったんですか?
[香川] 農家です。
── 庄屋か何か?
[香川] はい、ずっと、土地を持っていたらしいです。「農業の道しるべ」ですとか、その時々に家の主の人がまとめたような本もありますし…。
── それは写本ですか?
[香川] はい、そういうのも多いですし、あと、版本も多いんですけど、表紙が欠けちゃってるのも多いんですね。そのため装丁し直しているので、表紙に書かれた書名が原題かどうかは分からないんですけど。
── そうですか。その家で、どんな時代にどのような本が読まれていたのか、一度、きちんと調べておくと良いでしょうね。
[香川] ええ。ですから、環境的にはそんなに…。古本とか古文書とかがあっても「何?」と言われるような感じではないですね。
── でも、皆さん読めないでしょう…。
[香川] そうですね。ただ、おじいさんは少し読めると思います。くずし字を習ったというので。それで面白いのは、いまだに当時の農業書を持ってきて、「種蒔きはどうだったっけ…」と調べたりしているんですね。それはちょっと、現代にも生きていて、中々いいんじゃないかなと思います。
── 面白いですね。それはご先祖が書いたものですか?
[香川] 多分、先祖が書いたものですね。先祖が、いつ種を蒔くとか、土をかぶせるだとか、指一本分やるだとか、全部、その本に書いてあるんです。
── それはオリジナルなんですかね。ご先祖が経験でまとめたものなんですかね…。
[香川] 未出版だと思います。
── いわゆる農書と言われるものですよね。
[香川] そうですね。そのように実際に使われているのは、価値があるんじゃないかなと思います。
── それじゃ、おじいさんは農業をしているんですか? 米ですか、それとも野菜?
[香川] あの、以前は県庁に務めていたんですよ。それで片手間に色々と作っていたんですよ。お米はやっていません。お米は土地を貸して作っています。主に野菜ですね。やっぱり、作り方などは昔から変わらないそうですね。
── それを実際に農書を参考にして今も作っているんですね。
[香川] はい。「肥料は苗を燃やしたものがよい」とか、そこに書いてあるんです。
── それは面白いですね。江戸の知恵が今も生きているんですね。ということは、そのような環境の中で育ってきたから、抵抗も無く…
[香川] 自然に入って行けたわけですね。たぶん。
── ところで、歴史のというか、学校の先生になりたいと思ったのはいつ頃からなんですか?
[香川] ちょうど高校3年生くらいですね。中学・高校の一貫校だったんですけど、中学の頃は結構、茫漠として学校に行くんですね。ただ学校があるからとか、友達がいるからとかですね。でも、高校が最後になった時に、考えてみたら、学校はすごいなと思って。例えば、文化祭でダンスとか、一人では絶体にやらないようなことも、ほかの人もいるとか学校だから出来るみたいな所があって。
── そうですね…。
[香川] イヤなことも結局出来ちゃうのが学校だなって思えたんで。どうせ働くなら、このような仕事がいいなと思ったんです。
── それで、なるなら社会科の教師、そこで、國學院というふうになったんですか…。ところで、以前に香川さんから頂いた御著書『日暮れの家』がありましたよね。それを拝見してすごいなと思ったんですが、初めて読んだ時、正直言って、香川さんは私と同じ世代か、少し若いくらいかなと思いました。それと、手紙の雰囲気から勝手に女性と思い込んで(笑)。とにかく年代が全く想像と違っていたんですね。
[香川] しかも、性別まで…(笑)。
── それにしても、あの小説を出して、話題にもなったでしょうし、「出る杭は打たれる」のように、逆に色々な批判めいたことも言われたでしょうが。その時の様子を聞きたいと思っていました。
[香川] 結構プラスになったことが多いですね。
── それはどんな事ですか?
[香川] まず出版社に言われたのは、「うちの出版社は小さいので、出してもベストセラーにはなりにくい」ということでした。しかし「出した本を色々な著名人に差し上げていくと、色々と意見を頂けることがあるので、それをぜひやった方が良いですよ」と言われました。そこで、あちこちに献本したんですよ。そしたら、テレビに出られているような作家の方とかから、ちゃんとお返事が来たんですよ。そして、メールをやりとりしたり、そのようにして人との繋がりが出来ていったことが、まずプラスだったと思うんですね。
── なるほど。ほかにはいかがですか。
[香川] まだ下っ端なんですが、一応、肩書きは「作家」ということで、そのようなものがあると便利ですね。色々と身動きがとりやすいですし。
── 「新人賞」は出版直後にもらったんですか。

[香川] はい、そうですね。
── でも、思いがけなかったでしょう。
[香川] そうですね。まったくです、本当。
── ところで、小説の背景になった大正時代は、どのようにしてイメージを膨らませていったんですか。
[香川] まず、ケーブルテレビですね。ふと見ていくと、日活のモノクロ映画などを放映したりしていて、夏休みとか、朝ご飯を食べながら見ていたんですね。見ているだけでも、時代の違いを体験できますね。しゃべり方も違うし、雰囲気も違いますし。それを繰り返していくうちに、多分、イメージがたまっていったんだと思います。
── なるほど。私は小説はちょっと分からないので、とにかく、読んでみて、こういう雰囲気の時代だったのかなって思っちゃいました(笑)。私も生きていない時代ですからね…。香川さんの年代を勝手に想像してしまって…。ほかの人からも、そういうこと言われませんか?
[香川] 言われますね。これはまちがいなく。
── 言われるでしょう。本を書いて賞をもらった頃は高校生だったわけですからね。学校でも話題になりませんでしたか?
[香川] 学校では言わなかったですね。最後まで。ただ、卒業する時には、みんな分かっていたんですが、在学中は内緒にしていて。
── ほかにプラスになったことはありますか?
[香川] うーん。何か書こうという気がすぐに起こりますね。色々と読んでくれる人が回りに増えたんですよ。そういう人が増えたお陰で、色々な出版社の編集者と、仕事とは別にして色々と手紙とかメールとかをやりとりするようになって。
── そうですか。ところで、最初の話に戻りますが、授業で和本を使ってみようというのも、子どもに何かを伝えたい、感動を与えたいということだと思うんですね。私は、学校教育で一番大事なことは、やはり、子どもに感動=きっかけを与えることだと思っているので、授業でそのようなことを心掛けていくことは、とても良い事だと思うんですね。
[香川] で、後は、教員免許を取るだけですね(笑)。理論家というのは実際が危ないですからね。
── いずれにしても、大学に入ったばかりで、これだけ志がはっきりしているのですから、実力もあって、関心のある分野も非常に幅広いので、その中で人間の幅も拡げていけば、きっと素晴らしい先生になるのだろうなと、非常に期待をしています。
[香川] いやぁ、どうでしょう(笑)。
── 実は以前、神保町の某古書店である出来事があったんですね。その店は近世の古典籍でも、近代の文学書でも高級なものばかりなんですが、そこに、地元の私立小学校の女の子たちがガヤガヤと入ってきたんですね。6、7人くらいのグループでしたが、そこに30代くらいの女性の先生が引率して見学に来たんです。小学4、5年生くらいの女子生徒が入ってきて、女性教師が話をし始めたとたんに、子どもの一人が粗相をして、飾ってあった高価な商品がパタンと倒れたんですね。店員も驚いて、「気をつけてくださいよ!」と言うなり、その女性教師が謝ったのか謝らないかも分からないうちに、子ども達に向かって説教を始めたんですね。「いいですか、皆さん。先生はホームルームの時に注意しましたよね。このお店には高価なものが置いてあるから注意しましょう…」って。この話を聞いていて、私は江戸時代のあやまり役のことを思い出したんです。この先生は、一見、子ども達の指導のために話しているようだけども、第三者の大人が聞いていると、全く自己弁護しているようにしか聞こえない。予め指導もしていて、ちゃんとやることやっていますと言わんばかりにね。聞いていて、非常に聞きづらかったんですね。
[香川] そうですね。「あれっ」ていう感じですね…。
── その時、子ども達よりも先生が店員に平謝りして「申し訳ございませんでした」とお詫びして、「私の指導が足りないために、子どもが不始末をしまして」と謝って、店を出てから子ども達に「皆さん、気をつけましょうね」と言えばよかった。しかし、そうじゃなかった。その女性教師は優秀な先生でしょうが、子ども達の心を育てる資質はもしかしたら不足していたのかもしれません。道徳教育というのは、こういう時が一番大事なんで、その時に、子ども以上に先生が謝る、その謝っている姿を見れば、言葉で言わなくても、子ども達は「自分たちは悪いことをした」と思うでしょう。
[香川] そうですね。はい。
── そういう人情がわかったら、それだけすればいいと思う。あとは言わなくても分かる。
[香川] そのとおりだと思います。子どもながらにいろいろと察することができると思いますね。
── 子どもに言葉で言えば分かると思っている。「違うんだよね…」と心の中で思いました。もちろん、私は第三者なので冷静に見ていられるのですけど(笑)。しかし、言葉にならない部分にも教育の作用は当然あるし、むしろ、言葉で説教したことなんて、あまり、子どもに伝わらない事の方が多いと思うんですね。
[香川] はい、よくわかります。
── ですから、そういう部分をもっと勉強してから、教員になって欲しいなと感じたわけです。
[香川] ちょうど小学校の音楽の先生で、岩上先生という先生がいらして、教育に関する本も出されています。その本を卒業してから読んだんですけど、そこに、「私は、授業を終えた後に、子どもが廊下に落ちているゴミをそっと拾って帰って行くような授業をやりたい」と書かれています。授業や音楽を通してとか、何気ないことで道徳を教えていきたいとおっしゃっていて、それがすごく印象に残っていますね。で、研究授業とかで、ほかの先生に話を聞くと、授業中に悪口とかを言っている子がいて、その子に岩上先生が注意したらしいんですよ。そうしたら、「それは道徳の授業でやってください」と言われちゃったらしいですね。今、道徳の授業も普及していますが、逆に危ないんじゃないかなって。道徳は道徳の授業で、ほかは別で、おいおいと。
── そうだと思いますね。道徳は知識じゃないですからね。知識で教えるなら、その授業の時間で良いでしょうが。例えば、正直とはこういうことですよとか、努力とはこのようにすることですよとか、言葉でね、字引を引いた答えのようなことを説明したって、そんなのはちっとも道徳の時間にならないですね。
[香川] それで思うんですけど、例えば偏差値50の学校が2つあったとして、片方は授業に華道とか茶道も入っていて、それプラス勉強で偏差値50というのと、何もしないで勉強だけで偏差値50の学校とでは、将来に人間としての厚みも変わってくるんじゃないかなと思います。華道・茶道のある学校のほうがレベルは高いですよね。限られた時間で勉強しているんですから。朝日新聞などは偏差値、偏差値って煽っているんで、子どもから見ても、ちょっと良くないんじゃないかなって思います。
── また、江戸時代の話に戻しますと、このような江戸時代の本をあさっているのは、一つは将来の授業に使っていけたらという思いがありますね…。
[香川] まだ読めないんですけども、自分で少しずつ見ていくのも大事ですよね。調べながら読んでいても、新しい発見がありますし。
── ほかにはどんな和本を集めたんですか?
[香川] 近世が多いですけど。『長崎見聞録』とかですね。あれは絵入りで読んでいて面白かったですね。それから、自筆の原稿類ですね。でも、学生なんで、徐々に徐々にですね。
── 将来、こんな和本を入手したいとか思っているものがありますか?
[香川] あまり人目についていないような、地方出版ですとか、そういうものを発掘できたらいいなと思っています。結構、このような和本の一冊一冊にドラマがあるんですね。見ていて面白いですよね。
── 端本でも、何でも、中味が面白そうならどんなジャンルでもいいというのなら、探せば、まだまだ沢山ありますし、入手しやすいですから、数多く見るのがいいと思います。いずれにしても、これからが色々な意味で楽しみですね。勉強したいことが沢山ある中でね、非常にうらやましいというか、素晴らしいと思いますね。大学卒業まであと3年半ありますが、その間の研究テーマなどは何か構想がありますか?
[香川] 1、2年次はテーマはあまり与えられないんですね。今まで好きだった歴史でもいいんですけども、まずはまっさらにして、もう一回見つめ直してみてくださいということで、西洋史とか東洋史とか、近世、中世と全部やらされるんですね。そのような中で、最初は中世史をやろうと思っていたんですが、色々なものを受講しているうちに、近世の史料はすぐ手に入りやすくて、結構、今につながっているんですね。日々の暮らしにも使えそうなことが多いなと感じて、今は、近世史専攻でいこうと思っているんですけど。
── 近世は、史料が無尽蔵にありますから、テーマを絞って深く入り込めば入り込むほど、面白い世界が広がっていくと思いますよ。近世の版本と古文書と、そしてできれば、明治との接点のところですね。その辺を視野に入れてやっていかれるといいと思います。
ぜひ、これからも頑張ってください。本日は、ありがとうございました。


香川七海さんは、平成元年生まれの作家で、現役の大学1年生。「格調高い文体」の小説・随想を発表している。小説に『日暮れの家』『麒麟児』『箱のなかの記憶』などがあり、教育に関する論評も発表。高校2年生の時に書いた 『日暮れの家』が日本文学館推薦優秀作品に評定された。メールや手紙を何度もやりとりしているが、語彙の豊富さや言葉づかいなど、とても大学生とは思えなかった。大学1年生から、目的を持って和本蒐集も始め、大学生活をはるかに越えた広い社会の人間関係から、新たな知見や体験でどんどん吸収していく様子は、まさに 「後生畏るべし」である。