「江戸」から今を考える

 *江藤千文さん(東京都・フリーライター)に伺いました(2006年1月)

── 今回のご著書『お江戸ガールズライフ』を少し読ませて頂きました。かねてより若い女性向きとは聞いていましたが、予想外に奇抜な本なので少々驚きました。例えば、イラストなどもずいぶんと変わっていますよね…。
[江藤] イラストを描いてくださった「おおたうに」さんは、若い女性ファンが多いイラストレーターなんですね。
── あの、女性雑誌などでもよく見かける感じのイラストですね…。
[江藤] ファッション雑誌などにもよく描かれてますし、ご自身のご著書もすごく売れていて、固定ファンがたくさんいらっしゃいます。そんな事もあって「若い女性に江戸に興味を持ってもらえるようなポップな本にしよう」ということで、このような形になりました。
── 初めてにしては上出来では? これは一般向けの本としては切り口も面白いですし、今までにないタイプの本かなと感じましたが…。素人の方に対する「江戸の入口」にという出版意図を十分果たしてくれるのではないでしょうか? 強いて言えば、特定の内容についてさらに知りたいとか、その情報はどんな本に載っているんだろうかという場合のために、出典などの注があっても良いかなという感じはしました。
[江藤] そうですね。ですから、面白く読ませるということと、学術的な部分といいますか、根拠とか典拠という点もものすごく気は使いましたが、それが成功しているかどうかは読者の方のご判断を待ちたいです。
── 例えば、最期の方にオリジナルの双六(蝶世花世出世娘栄双六)なんかも入っていましたけど、あれはご自分のアイデアなんですか?
[江藤] はい。私がラフを書いて、イラストに起こしてもらったんです。双六については色々な資料が出ていますので、それらの中で面白そうなものをヒントにして作りました。

── とにかく女の子の顔がね…。江戸時代というイメージじゃありませんね。そういう意味でも非常にユニークでしょうね(笑)。

[江藤] 確かに、バタ臭い顔をしてますよね(笑)。若い女性には手にとって貰いやすいのではと思います。
── でも、江戸時代というのは少し足を踏み入れると、とても面白そうだなというインパクトはあるんじゃないかと思います。なるほど、こういう言い方もあるのかとか、江戸を面白く紹介する点では色々と参考になりました。私の講演などで使えそうなネタもありましたね。
[江藤] 処女作を書き上げた今思うのは、江戸についてもっともっと勉強したいということです。しばらくは勉強したり、考えてみたいと思っています。江戸は面白いという気持ちがますます募っていて、やってみたいと思うテーマは色々あります。
── 江戸時代に出会ったのは、OLをなさっていた30歳頃だそうですね。
[江藤] ええ。もともとは卒論のテーマとして近松の心中物を選び学んだことがあったんですが、30歳前後で江戸の時代小説を読み始めたのと、文章のライターコースに通い始めたんですね。その時は通販関係の仕事をしていてカタログを作っていたんです。その頃、染織を学んだり日本の古い文化に触れたりしていました。ライターコースは小説を書くというよりも、友達といっしょにやっていたミニコミ誌の原稿を上手に書けるようにと思って通っていたんです。やっているうちに課題を書かなくてはいけないので、それじゃあ、時代小説でも書こうかと思って、そのために江戸について調べ始めたんですね。それが31歳頃のことです。
── やはり、大学時代の学んだことが種となって、江戸への興味が開化したんでしょうか?
[江藤] というよりも、20代頃は「自分らしく生きる」とか「恋も仕事も思い通りにしたい」とか、そういう色々な欲求はありながら実際はうまくいかず煮詰まるということが、きっとあると思うんですが、私も何かやりたいのだけれども、何か息苦しいわと思っている時に、たまたま時代小説に触れて、江戸の世界が面白いと思って、(大学時代に)心中物をやっていた時とは全く違う視点で江戸を見ることができたというのかな…、より身近なものに感じたんです。
── なるほど。
[江藤] 近松をやった時も、例えば心中も百姓一揆も、切腹や島原の乱での殉教も、今では全く考えられないような行動を江戸時代の人たちがとっていることについて、なぜそんなことをするのだろうという素朴な疑問や興味がありました。そして、少し歳を重ねて江戸の深みが分かったというのかな…、若い時には気付かなかったことに出会ったというのか…(笑)。
── そういうのはあるでしょうね。ところで、この本を書こうと思ったきっかけはどんなことでしたか?
[江藤] 2年前にライターを始めて、小説はいつか書きたいと思っていたんですけども、なかなか自分の思うようなものは書けなくって…。その時にたまたま仕事で会った方に、「時代小説が好き」という話をしていたら、「江戸の化粧法って面白いですよね…」と言われて、新聞記事で『都風俗化粧伝(けわいでん)』についてある方が書かれた記事を見せてくださったんですね。それを見て面白いなと思ったので、後で東洋文庫の活字版を読んでみました。それで、最初は「江戸の美容法」というテーマで書こうと思っていました。『都風俗化粧伝』を読んでみて、江戸時代の女性も自分と同じなんだなと感じたんです。
── なるほど。自分をいかに美しく表現するかということですかね…。
[江藤] そうですね。江戸の若い女性たちも、時には笑ってしまうような工夫をしながらでも奇麗になろうとか、そういうことが書いてあるのがとても面白くって…。そうか、江戸に生きていても、奇麗になりたいとか、幸せになりたいとか、根本的な部分は同じなんだと気付いて。『魅惑の江戸ビューティー』というタイトルで企画書を色々な出版社に持って行ったんです。「面白いね」とは言われるんですけれども、なかなかそれでは通らず…。
── 売れる本にはならないというわけですか?
[江藤] やっぱり江戸オタクしか買わないだろうと言われました。でも、私としてはそうではなくって、日本の昔の良さといいますか、ナチュラルなものを使って、こんなにみんな奇麗になろうと努力していたということとや、杉浦日向子さんも言っていますが、限られた条件の中でも、そこで微に入り細に入り、あるこだわりを持って、美しさとか楽しく生きることを追求するといいますか、その姿勢を伝えたかった。とにかく初めてそれまでと違う意味で江戸を身近に感じたのが、江戸の美容法を知った時だったんです。私と同じだと、共感できたんですね。たまたま企画を500人編集者にいっせいに流すというWEB上のシステムがあって、そこに載せてもらったんですが、具体的な形にはなりませんでした。ダメかなと諦めかけていた時に、もう一度惜しい企画を復活させて出してくれる機会があって、たまたま今回の出版社の方が目を留めてくださったんですね。それで、「江戸のアンアン」にしましょうということになったんです。
── 「江戸のアンアン」? なるほど、分かりやすい表現ですね(笑)。
[江藤] 美容法だけだと狭くなってしまうので、江戸の女の子たちは何を着て、何を食べて、何をおしゃべりしていたのかということをぜひ書きましょうかということになったんですね。自分も好きな分野ですし。その時に注目していた古川柳は、五七五…の中にギュッと江戸のエッセンスが詰まっていて、そこに、現代人と同じような喜怒哀楽が出ていて、非常に面白いし、分かりやすいし、それを通してなら伝えられるんじゃないかと思って、こんな形にしたんです。
── 文章の量は多くありませんけど、内容が多岐にわたっていますから、短時間で仕上げるのは大変だったでしょうね。
[江藤] ええ。調べるのは大変でした。
── いずれにしても、「江戸のアンアン」という所期の目的は達成しているんじゃ? 今回の処女作は江藤さん自身を世にPRする第一弾、最初のステップでしょうが、今後はこれとは少し違って学術的な物も書きたいと思っているんですか?
[江藤] そうですね。本当は「今後もアンアン路線で書きたい」と自分の中で思っていたんですけど、ところが書いてみたら、自分の興味はもっと狭いところにあるということに気付いたんですね。例えば、小泉さんが往来物というテーマをお持ちのように…。自分も何か一つテーマを見つけて…。
── もうちょっと絞っていきたいということですね。それは化粧なんですか?
[江藤] 最近、田舎(宮崎県)に帰ったりして、自分の生まれ故郷の古い文献などをあさってみたんですが、高鍋藩のお殿様や武士の行動記録なども残っていて、そういう自分の郷土について調べてみたいとか、古文書がもう少し読めるようになりたいと思っています。とにかく活字になっていない古文書や資料の発掘をしてみたいと思うようになりました。
── 古文書は、どういう資料と出会えるか、未知ですし、その中に面白い発見も沢山あるんじゃないかという楽しみもありますよね。しかし、テーマとしては女性に関する部分に絞っていこうというお考えですか?
[江藤] 今の人たちが見て役に立つものですね。それが結果、女性になるかもしれませんし、それが子育てになるかもしれませんし、商家の掟みたいなものになるかもしれませんし…。とにかくこれまでの「江戸の常識」とは全く別のもの、その証拠として残っている古文書を発掘していきたいと思います。江戸の人々の考え方が一つだと思っているような人に、いやそうではないよと言えるような気がします。そして、もっとみんなが日本の文化とか歴史とかを見直す機会になればと思います。ただ、今回は沢山の先輩方の研究成果を使わせて頂いて書きましたが、これからはオリジナルの資料を見つけて書いていきたいと思っています。
── その点では、古文書は出版された本とも違って、生きた実物の資料ですから、別の魅力がありますね。私も古文書講座の講師を機会に、古文書への関心が一気に広がりましたが、刊本・写本のほかに古文書も視野に入れておきたいですね。
[江藤] ええ。想像力が広がるといいますか、生の江戸が見えてくるような気がします。
── そうですか。デビュー作の産みの苦しみでしょうね。最後に、今回の本の読者は主に若い女性たちだと思いますが、これだけは伝えておきたい、これだけは感じて欲しいということはどんなことですか?
[江藤] 一言ではとても言い切れませんが、別に肩肘張らなくって良いんだよということですかね。
── もっと気軽に江戸を楽しんでほしいと…。
[江藤] ええ。気楽に江戸に触れてほしいというのもありますし、江戸を知ることで、自分が肩の力を抜いて楽に生きるというのかな、楽しく生きるというのを学んだので、そういうことですね。
── あまり現代社会の枠組みでがんじがらめにならないように、もっと心を解放して生きていって欲しいと…。江戸時代の人たちは現代人よりももっと辛い状況の中で、さらりと生きていたんじゃないかと言う感じでしょうかね。
[江藤] そうですね。たとえば江戸では一度ケガしたら絶対に治るという保証はなく死につながるような厳しい状況の中で、ある種、ギリギリの人生だったと思うんですよ。衛生状態だって悪いし、流行病によってもすぐに子どもが死んだりする。『都風俗化粧伝』にも今では考えられないような病気などが沢山出てきて、それなりのストレスが多く、ギリギリの所で生きていたことが分かるんですけど、それでもなおかつカラッと生きることができたに違いない ── それも妄想かもしれませんが、そんな中で緻密な文化を築き上げた江戸の人たちがとても愛おしいですし、私自身もそれを知ることで、現代を見直すことができたと思うので、それを伝えたいです。今の鑑としての江戸ですね。私の場合は、現代を考えていく上での一つの答えが江戸にあったんです。
── そうですか。今日は処女作が出来るまでの経緯や江戸との出会いなど、興味深いお話をありがとうございました。

江藤さんとの出会いは、古文書講座(江戸の女の手紙と作法─江戸時代の女筆手本を読む)でした。江戸に魅せられた理由をお聞きして、共鳴する点が多くありました。今回の出版を機に、江戸への興味や問題意識が一層つのり、さらに研究を深めていきたいとのこと。独自の視点や自ら発掘した資料で、「江戸」を存分に語れる日もそう遠くはないでしょう。○○先生の「生き方上手」ではありませんが、江戸流の生き方上手をお互いに模索したいものです。