長谷川妙躰に魅せられて

 *井上千賀さん(京都府・主婦)に伺いました(2005年8月)

── 長谷川妙躰にご興味があるとのことですが、妙躰と出会ったきっかけは?
[井上] 『源氏物語』を読んでから、なぜか書道を始めようと思い立ったんです。どうせなら自分が書きたいと思う字を習おうとと思い、樋口一葉が荻の舎で学んだ「千蔭流」や、尊円親王を祖とする「御家流」についてネットで調べてみました。その時偶然に辿り着いたのが往来物倶楽部だったと思います。満徳寺(縁切寺満徳寺資料館)で行われた小泉さんの講演資料で初めて妙躰を知りました。
── 初めて妙躰の書を見た時の印象はいかがでしたか?
[井上] 奈良教育大学教育資料館ホームページの「女筆手本類解説」で、初めて妙躰の書(版本)を見た時に、「なんて書いてあるのかさっぱり解らないけど、私はこんなの好き!」と思いました。昔、シュールレアリストの画集で見たデュシャンの大ガラスを思い出したり、アラビア書道にちょっと似てるなとか、なんかJAZZみたいとか…、そんな印象でした。
── 面白いたとえですね…。
[井上] なにしろ読めませんから、あくまでも目で見た感じです。たっぷりと肥えた側筆から命毛一本で引かれたような線まで、あるときは弛ませ、あるときは引き締めながら、筆圧を自由自在に変えて繰り返される右下から左上に向かっての、糸を引くような連綿線。緻密な構成に即興性を併せ持つように見える、大胆にして繊細な散らし書き。同じパッセージがリフレインしているような「まいらせ候」と「かしく 」。私は初心者なので、妙躰の『女筆指南集』のほんのさわりの数頁を真似て書いてみました。似ても似つかないものになりますけど、楽しいですね。
── 私も、かつては往来物を、大学ノートに筆ペンなどで臨書した経験がありますが、文字のくずし方とか、文字の配置や大きさだとか、あらためて自分で書いてみると、色々な発見がありませんか?
[井上] 単体の大字をちょっと書いてみただけなので大した発見には至りませんでしたが…。まず放ち書きが少ないということ。それとさっき連綿線と言いましたけど、次の文字への気持ちのつながりのみで紙面に線として現れないこともある筆脈がほとんどと言っていいほど露わになっていること。私が指摘するまでも無いことですが、妙躰の書の最大の特徴だと思います。これを自由自在に駆使できるようになるのは至難の業でしょうね。それから、そこに書いてある内容が時候の挨拶や季節を織り込んだ手紙文であったり、教訓文だということも驚きでした。今で言う所の実用書道でありながら、これだけの芸術性を備えているとは! そのギャップがたまりません。

── 先日、往来物市場で、妙躰の直筆本をご購入頂きましたが、実際に妙躰の手沢本を手にしたご感想はいかがでしたか?

[井上] 実際手にして表紙をめくった時、思わず息を呑みました。二百数十年前に彼女の筆がこの紙の上を走り、それを大切な御手本として学んだ「田中てふ」という女性がいて、それが今私の手元にある…。京に思いを馳せながら、それぞれの自己実現に向かってひたすら修行に励んだ女性達の息吹に触れられたようで、それが私にとっては感動的でした。
── 往来物トークでも既に妙躰の書について、パスカルグリオレ先生も述べておられますね。その記事に共鳴されたそうですね…
[井上] 「共鳴」というのはおこがましいかもしれませんが、「書を見てそれが書かれたときの肉体の動きを想像してみる」という所ですか。料紙に書くとき、条幅を書くとき、懐紙に走り書きするときもそれぞれ運動の形は違いますよね。先生は「優雅な動き」とおっしゃっていますが、腕を軸として手首の回転も加えて上下左右360度、優雅でありながらも、かなり激しい運筆の動きだったと想像します。本当、現場に居合わせて一部始終目撃出来ないのが残念です(笑)。私は着物を着ることが多いので思うのですが、袖は邪魔にならなかったのか、たすきがけはしていなかったのかとかそういう所も気になりますね。
── なるほど。それは実際に着物を召される方のご意見ですね…
[井上] あと書と匂いの関係。焚き染められた香+体臭で個性になるという点ですね。とっさの行為、書きたてのほやほやならそれに墨の香りも加わるかもしれません。いずれにしても、こういう繊細な美的感覚に関するお話は読んでいて気持ちがいいですね。視覚、臭覚それと触覚。選んだ紙の質や種類、手触りの差が書き手それぞれの性格や教養を表す。『源氏物語』にも沢山の例があります。ごわごわの楮紙に書かれた末摘花の文に源氏があきれたりとか…。
── そんな繊細な美的感興が妙躰研究の出発点だったんですね。今後、妙躰をどのように追求していきたいのでしょうか。その辺の抱負をお聞かせ下さい。
[井上] 繊細だなんて…、本人はいたってがさつな人間に出来ております(笑)。妙躰研究なんてとんでもない。小泉さんの論文も、吉田豊氏の「女筆入門」も、今回のインタビューのお話を頂いてから、慌てて目を通したぐらいですから。小泉さんの論文に紹介されていましたが、女筆手本『錦乃梅』にある妙躰の言葉「…惣じて手先の芸は、手の内のれんま、心のあんばいにて見事を顕はす事に候へば、只草紙となく白紙となく、毎日おこたらず数へん習ふにしくはなく候。一へんにても多く手ならひいたし候程、紙あたり、筆ひやうし、心と手先とに自然と備はり候…」という言葉に尽きます。教室に行く前の晩に慌ててまとめ書きしているのではいつまでたって上達しませんよね。少し大きな目標かもしれませんが、妙躰のように「点画のはり合わせありて、しかも太き所にもたるるところ無く、細き所にぬかりたる弱み無き生字」が書けるようになりたいと思います。

── 目指すは、妙躰流の復活といいますか、現代版の妙躰流ですね…。
[井上] いや、そこまでは…(笑)。彼女の精神を鑑として、私ももっと真摯に書と向き合わなければということです。それから、パソコンとスキャナーを使って妙躰の手本から集字帖を作るのもやってみたいです。
── それは面白いアイデアですね。私は、女筆手本特有のくずし字を大学ノートにかき集めたりしましたが、スキャナーで集めて出版したら面白いんじゃないかと、かねがね考えていたんですね。妙躰だけでなく他の江戸時代の女流書家の集字帖はいつか実現したいですね。
[井上] ぜひ実現して下さい。絶対売れますよ。くずし字をもっと読めるようになって、焼芋をかじりながら横になって草双紙や読本をめくれるぐらいになりたいですね。それから、妙躰を始め、女筆の時代を生きた女流書家達の群像を、伝説の天才漫画家一ノ関圭氏にぜひ描いてもらいたいものです。彼女の筆によって描き出される女流書家達の姿はさぞや生き生きとした物になるでしょう。それから最後にお聞きしたいのですが、今回購入させていただいた直筆手本は、小泉さんがお持ちの直筆手本と同じ物なのでしょうか? また、この手本についての解説や解題は発表されているんですか?
── 私の持っている直筆手本と対になるものですが、全体で2巻だったのか3巻だったのかは分かりません。四季の風物などを認めた散らし書き手本という点では同様のものですが、内容は異なります。ですから、井上さんにお譲りする前に全冊をデジタル画像化しておきました。2冊揃いで入手しましたが、私は1冊で十分なので、ほかの方にお譲りしようと思って往来物市場に出品した次第です。状態は私の手元の方が良いのですが、先ほど触れられていた「田中てふ」という女性の署名は井上さんの方にしか記載されていませんので、その点では井上さんの本の方が貴重かもしれません。それからこの手沢本についてはまだ解説等は書いていません。井上さんが書論という観点からご研究なさって発表してはいかがですか?
[井上] はい。これからの私のライフワークにするつもりです…と言えたら格好いいのですが。なにしろ私の読解力は原文の解説があって初めて文字の書かれた書として鑑賞できるという段階ですので、どういう言葉が書かれているのか判読出来るのは一体いつのことやら…。いずれにしても、私の自筆手本は表紙が不完全なので、ちゃんと修理して、末永く家宝にしたいと思います。それから、小泉さん始めパスカル先生や他の方々の更なるご研究の成果によって今後、妙躰や他の女流書家達を研究のテーマに取り上げる学生さんや外国人研究者、彼女達の書からインスピレーションやヒントを得て創作の手がかりとする人達(書に限らず他のアートや音楽などまで含めて)が沢山出てくればいいなと思います。
── 大切にしてくださる方にお譲りできて光栄です。今後とも往来物倶楽部・往来物市場をよろしくお願いいたします。本日は、貴重なお話をありがとうございました。

井上さんは、最初、「自分は研究者ではないので…」と、インタビューを躊躇されて」いましたが、今回のお話の中にも、これまで気付かなかった視点があり、色々な方とのトークの大切さを改めて知りました。