日本のマンガ文化を繙(ひもと)くために

 *ガートナー・マヤ(Gartner Maya)さん(ケンブリッジ大学大学院生)に
   伺いました(2005年2月)。
*今回は、まず私への質問から始まりました……
[マヤ] 小泉さんは、どうして往来物に興味を持ったのですか?
── 僕はもともと学校の先生になりたいと思っていたんですよ。でも、教員採用試験に受からなくて、とりあえず御茶ノ水付近の会社に勤めたんですね。ちょうど古本屋街(神保町)が近いので、時々本を探しに行っていたんですね。まだ学校の教員になりたいという夢が捨てきれなくて、社会科の教員なんですが、その関係の資料をあさっていたんですよ。そんな時にたまたま江戸時代の和本を見つけたんですね。それが往来物だったんです。こんな古いものが手に入るのかと思いましてね。くずし字は全く読めませんでしたが、とにかく『庭訓往来』というのを1冊買ったんですよ。
[マヤ] そうなんですか…。
── このようなくずし字を読めたらいいなと思いましてね。『庭訓往来』の活字になったもの(平凡社・東洋文庫)も見つけたので、それと見比べながら読んでみました。最初、くずし字は読めなかったので、マヤさんと同じように、往来物を大学ノートに写して、解読していったんですね。
[マヤ] なるほど…。
── 最初は読むので精一杯でしたが、そのうちに段々内容も分かってきますね。江戸時代の人の考え方ですとか、そういう内容にひかれるようになりましてね。じゃあ、この往来物── おそらく数万種類はあるので、これを全部調べ尽くすのは到底できないでしょうけど── とにかくこの往来物をライフワークにしてみようと思って集め始めたんですね。
[マヤ] すごいですね…。(『女寺子調法記』のコピーを見ながら)こういうのは子ども向けだったんでしょうかね?
── まあ、そうですね。ただし、このような版本の往来物を手にできるというか、買えるのは庶民でもかなり裕福な家庭だったでしょうね。ですから、通常、子ども達が往来物に接するのは、このように印刷された往来物ではなくて、版本の写しですね。つまり、手習師匠が書いてくれた手作りの手本、写本ですね。それは折本になっていたり、半紙を簡単に綴じたものだったんですが。もちろん、紙代は自分(手習い子の各家庭)で負担するんですよ。紙代だけ払って、寺子屋の師匠からそのつど手本を書いてもらって、それを見ながら読み書きの学習をしたんですね。
[マヤ] 子どもというのはいくつぐらいからなんですか?
── 子どもの概念については、よく調べてみないとなんとも言えませんが、手習いをする対象としては、大体、江戸時代では「男女7歳にして席を同じうせず」と言われるように、7歳頃から男女別々の教育が始まったようですが、その頃から読み書きを始めたんですね。短い人は例えば2〜3年で終わり、長い人は5〜6年も学ぶといった感じでした。平均的には現在の小学校とほぼ同じくらいの期間と考えてよいでしょう。江戸時代の教育論を見ていきますと、学習開始年齢にも色々な意見がありまして、5歳、4歳、あるいは3歳くらいから絵本を与えて勉強の動機付けをしたほうがよいといったような意見もあったようです。文字が読めなくてもいいから、絵本を子どもに与えなさいという意見もありました。
[マヤ] どういう方が言ってらしたんですか?
── 例えば、江村北海(1713-88)ですね。『授業編』という本の中で、子どもの手土産とかお年玉に絵本をプレゼントしなさいとすすめています。
[マヤ] ちょうど私が研究したいと思っている分野、やはり子ども向けの絵本について研究したいと思っているので、とても興味深いです。「子ども」というものを定義するうえでも、「何歳から絵本を見なさい」といったような資料があると有難いですね。
── 何歳から子どもかというのは、具体的には少し調べてみないと分かりませんが、子どもに絵を通じて物を教えたりするというのは、中村テキ(りっしんべん+易)斎の『訓蒙図彙(きんもうずい)』(1666年刊)あたりからでしょうね。確か現在のチェコスロバキアの思想家だったと思いますが、J.A.コメニウス(Johann Amos Comenius, 1592-1670)の『世界図絵(Orbis sensualium pictus)』(1658年)というのがあります。これが世界最初の絵解き百科事典あるいは絵解き教科書と言われていて、『訓蒙図彙』はそれとほぼ同じ頃に成立したものです。『訓蒙図彙』の「訓蒙」には基本的に「子どもに教える」という意味が含まれていると思いますが、いずれにしても17世紀の半ばに西洋でも日本でも子どもへの絵解きを試みた出版物が出ています。図解入りの百科事典という点では似ていますが、日本の『訓蒙図彙』は言葉を教えるという意味合いが強くて、しかも一つ一つが単独の図解になっているのに対して、コメニウスの『世界図絵』では1枚にいくつもの絵図を写実的に、大きさの違いが分かるように描かれていて、異なる点も少なくありません。どちらにしても、この頃から絵図を教育的に活用していこうという考えが出始めたのでしょうね。
[マヤ] そうなんですか。
── ええ。子どもというのは、文字が分からなくても絵に興味を示すようになれば、自分から「これは何なの?」「これは何をしているところなの?」という具合に大人に聞くようになりますね。それをきっかけにして、子どもが興味を持ったときに大人が「これは何々だよ」と教える。興味を先にしてそれから教えるというわけですね。このような「絵解き」が積み重なっていくことによって、子どもが色々なことを主体的に学んでいくことを期待したのでしょうね。そのような考え方が、『訓蒙図彙』の後、50年、100年の間に次々と出てきています。
[マヤ] 『訓蒙図彙』は必ず子ども向きの書物ということだったんですか?
── 必ず子ども向きとは断言できないでしょうね。子どもが中心でも、大人も読者に想定されていたと思います。江戸時代には、子ども向けとか大人向けといった境界が明瞭でない書物も多かったように思います。むしろ、学問をする知識人と、学問をしない一般大衆という区別のほうが大きかったんじゃないでしょうか。特に子どもの場合は、「女・子ども」と一括りにされることが多かったようですね。文字が読めない、仮に読めるにしても、学問ではない。学問をしない大人は、子どもと同じ扱いになっていたような気がします。ですから、『訓蒙図彙』も往来物も、基本的には子どもが対象ですが、本格的な学問をしない大人向けでもあったと思います。
[マヤ] そうですか。
── 例えば、江戸中期の往来物に『五十人一首』というのがありますが、その凡例には、子どもといっしょに親も教育していこうという意図がはっきりと示されています。その本は子ども向けの教訓だけれども、子どもが『五十人一首』を読んだり諳んじたりしているのを、大人が側で聞いていても十分役立つと書かれています。つまり、その往来物は、子どもに読ませることを目的にしているけれども、子どもといっしょに大人が読んでも勉強になるよと奨励しているわけですね。そして、その当時子どもに何を教えたかというと、子ども時代に役立つことというよりは、大人になってから役立つことを教えました。ですから、当然、大人が聞いても有益なことが多いですし、要は、子どもを小さな大人と見ているんですね。
[マヤ] そうですね。
── 子どもが成長して社会に出る、そして、生業につく。そして家庭を持ち、やがて子育てをする。そういう生まれてから死ぬまでの生涯にわたって必要な知識や生きていく智恵のようなものを子どものうちに徹底的に教えたのでしょうね。
[マヤ] この「女手習教訓状」(『女寺子調法記』所収)などもそうですね。これを、いくつくらいの女性が学んでいたのか分かりませんが。(女子用往来には)結婚したら夫に従うなどと色々書かれていますね…。
── そうですね。この「女手習教訓状」には、手習いも裁縫もとっても大事なことで、真剣に学んで身につけなくてはいけないよと諭したものですね。
[マヤ] はい、そうです。
── この「女手習教訓状」は、男子用の『手習状(初登山手習教訓書)』を模倣して女性用にアレンジしたものです。その男子用の『手習状』の中に男子が読み書きを学ぶのは「武士が戦場に向かう」のと同じ心構えでなくてはいけないという風に教えています。
[マヤ] そうなんですよ。「女手習教訓状」にもそう書いてあって、読んでいる途中で意味が分からなくなって…(笑)。大体そういうことが書かれているのかなとは思ったんですけど。
── その内容は男子用の『手習状』の真似なんですね。それを女性版にアレンジしたのが「女手習教訓状」で、略して『女手習状』とも言います。
[マヤ] そうでしたら、男性用の方も見た方がいいですね。
── そうですね。『日本教科書大系・往来編』などに活字になっていますから、見比べると良いでしょう。



[マヤ]
(くずし字は)まだ始めたばかりなので苦労します。特に漢字は。
── ええ、大変でしょうね。日本人でもくずし字を読みこなすまでには大変ですからね。日本人でもなかなか読めない字が多いですから。
[マヤ] でも、はまってしまうと、すごく面白いですね。大好きです。
── あの、お母さん(神戸出身の日本人)はこのようなものに興味があるんですか?
[マヤ] いえ、読めないです。見せても分からないと思います(笑)。私はビジュアルなものが好きなんですね。絵とかマンガとか。くずし字の文字にも絵的なものがありますし…。
── 文字の形がですね…。なんか他の外国の方もそのようなことを言っていましたね…。ところで、今度は私の方からいくつかマヤさんにお聞きしたいと思います。まず、江戸時代のものに興味を持ったきっかけはなんだったのですか?
[マヤ] もともと絵本に興味があったんですね。特に日本の絵本にすごく興味がありました。
── それは古い(古典籍の)絵本ですか?
[マヤ] もちろん古い絵本も好きなんですが、まずは現代の日本の絵本に興味を持ちました。小さい頃から日本の絵本が好きでしたし、その後も日本のマンガも好きで、おばあちゃんが日本のアニメやマンガの本を贈ってくれたお陰で日本語も覚えたんですね。
── そうなんですか。特に好きだったものは何ですか?
[マヤ] アニメでいうと「アルプスの少女ハイジ」とか、宮崎駿さんの作品が多いですね。それから(日本語の)字が読めなかったので、母が「マンガだけでも読みなさい」と言うので、それから日本のマンガに興味を持ち始め、そのうちに逆に母から「もう読むな」と言われるほど沢山のマンガを読みました。少年物も、少女物も、そのほか何でもです。
── その当時はイギリスに住んでいたのですか?
[マヤ] アメリカです。
── アメリカのマンガは読んでいなかったんですか?
[マヤ] アメリカのマンガは全然読みませんでした。アメリカのマンガは面白くないんですね。マンガ文化は日本が一番発達していると思います。アメリカのマンガはどれも男の子用で、ヒーロー物が多いんですね。私には全く面白くなかったですね。日本のマンガのほかに、日本の絵本も親から読んでもらったりしました。そのせいで小さい頃からビジュアル的なものにすごく興味を持っていて、シュタイナースクールにも行きました。そこでは教科書なども自分で作るんですね。シュタイナーというドイツの教育学者の理論に基づく教育で、その学校では教科書はないんですね。自分で作るんです、絵を描きながら。また、クラフトをしたり、縫い物も習いますし…。そのようなことを幼稚園や小学校の頃からやるんですよ。
── その学校は何という学校なんですか?
[マヤ] ワシントンのウオルドフ・スクールという学校です。それで、日本語を学ぶために、土曜日だけ日本人学校の補習校へ行ったんですね。1週間に1回ですが、小学1年生から入って学びました。漢字も習いましたし、教科書も日本と同じ物を勉強しました。
── バイリンガルの教育を受けてきたわけですね。
[マヤ] はい、そうです。日本人学校とはいえ、子どもなので、そこではマンガが流行りますね。そこで色々な日本のマンガのことを知りました。その影響から、大学に入ってからも美術史を専攻しました。
── 大学はどちらですか?
[マヤ] ロンドン大学のソアース(School of Oriental and African Studies)校です。日本語、中国語、韓国語など言葉に強い学校で、卒業生はそれぞれの言葉が話せるようになります。それからアジアとアフリカの美術史を専門に学べる学校で、私は美術史学科に入りました。その中でも日本美術史と韓国美術史を中心に勉強しました。それで、卒業論文は日本美術史を選びました。
── どんな内容の論文だったのですか?
[マヤ] 高畑勲さんもご著書の中で「マンガの原点は平安時代の絵巻物にあった」とおっしゃっているんですが、私も、平安時代の絵巻物から現代に続くマンガの流れについてまとめてみました。
── 例えば、どのような点が平安から現代に連なっているんですか?
[マヤ] 一つはストーリーの展開ですね。アメリカなどと比べると、日本のマンガはストーリーマンガが発達しているんですね。アメリカはバットマンとかスーパーマンといったヒーローマンガが多いんですが、日本のマンガは違っていて、起承転結といいますか、ストーリーがちゃんと続いて終わるんですね。このようなストーリー性のほかに、例えば雲が出てきたり、時間の経過を表すためのちょっとした工夫があるんですね。これは絵巻物にも出てきますね。
── なるほど。僕も以前に往来物の挿絵について学会で発表したことがあるんですよ。その中で、やはり日本の場合は絵巻物もそうですが、右から左に向かって展開していきますね。これは全部時間の経過ですね。
[マヤ] はい、そうです。
── そうすると、全部「進む」は右から左に向かって描かれます。左から右に描かれたのは向こうからやってくるという構図ですね。それを念頭に置いて絵図を読んでいくと結構面白いですね。ですから内容の挿絵の構図が何となく似てきますね。ですけどパソコンなどでは「進む」のボタンは右向きになっていて、以前、江戸時代の出版物を画像で収録したCD-ROMを作成した時に、画像をコマ送りする機能について、「進む」のアイコンの向きが画像と逆向きになるので、プログラマーと議論したことがありましたが、結局、パソコンの世界では「進む」は右向きだということで押し切られてしまいましたけど…(笑)。
[マヤ] なるほど…。
── 江戸時代への関心はどの辺からでしょうか?
[マヤ] 論文のテーマは、現代のマンガに残っている伝統的な絵巻物の影響といったものです。そして、どうして日本のマンガが世界の中でも独特なのかということについてですね。その論文をまとめる時に、江戸時代のものも沢山調べました。江戸時代の浮世絵とか漫画ですね。
── 好きな画家はいますか?
[マヤ] 北斎、広重…。でも、全体的にどれも好きですね。それぞれ違っていてみんな好きですね。有名じゃない画家の作品も好きですし…。そして、岩波書店から『近世子どもの絵本』というシリーズが出ておりまして、図書館でこのような文献に出会って江戸時代の絵図に興味を持ちました。とにかく、現代でも絵本の活動は、世界的に見ても日本が一番活発だと思います。
── そうすると、日本の絵本の文化というのは、非常に独特であって、非常に成熟しているということなんですね。
[マヤ] そうだと思います。マンガの影響もあって、日本人はどんな人でもイラストレーションに関心を示しますし、とにかく日本の視覚文化そのものがすごく発達していると思います。子ども向けの絵本でも大人も見ますし、興味を示しますし…。100頁もある絵本専門誌(『MOE』)が毎月刊行されている国はほかにないと思います。絵本雑誌が売れる国は日本以外にないんじゃないでしょうか。そして、ロンドン大学の在学中に、大阪大学に1年間留学しまして、その時は国際児童文学会館をたびたび訪れて絵本を見ていて、大学院でも絵本の研究をしたいと思いました。そして、大学を卒業した後、1年間だけ出版社で働いて…。実は出版社の入社試験を受けた同じ年にケンブリッジ大学も受験して、両方とも合格したんですね。そこでどちらかというと仕事の経験がなかったので、せっかくだからお仕事を1年間やってから大学院に戻ろうと思いました。その後、ロンドン大学の先生の紹介で、ケンブリッジ大学に江戸時代の研究で有名なコーニツキー(Kornicki)先生のもとで勉強しようと思ってケンブリッジに入学したんです。
── 学部は?
[マヤ] 東洋学科です。去年(2004年)の10月に入学して、今年の10月で卒業なんです。
── それで、今、論文をまとめるために往来物などを研究しているというわけなんですね。
[マヤ] はい、そうです。
── それで、「女手習教訓状」に興味を持ったのはなぜですか?
[マヤ] 実はそれはコーニツキー先生のお陰なんですね。絵本を研究したいといっても、あまり江戸時代の絵本を研究している人がいないので、まず、子どもとは何か。そして、江戸時代の子どもにはどういう教育をしていたのかを学ぶ必要があるということで、先生が「僕も(往来物に)興味があるから、いっしょに勉強しましょう」ということで、往来物を使って、くずし字を毎週毎週勉強してきました。もともと先生のご専門は江戸時代の本なので、江戸時代にどういう本屋さんがあって、どういう動きがあったのかといった研究でしたが、最近、往来物にも興味を持ち始めたんですね。
── じゃあ、往来物倶楽部もご覧になるようにすすめてください(笑)。
[マヤ] 実は、研究仲間の女性がいて、彼女が往来物倶楽部のホームページを見つけてくれて、先生に紹介したんです。それを私が横で聞いていて、私も往来物倶楽部のウェブサイトを見るようになったんです。
── そうだったんですか。くずし字は大学院に入ってから始めたんですね。ということは、去年の10月から……。まだ半年も経っていないのに、こんなに読めるんですね。驚きました。どうやって勉強したんですか?
[マヤ] 先生に教えて頂くだけでなく、とりあえず沢山読むようにしました。
── 例えば、活字になっているものもありますが、そのようなものを見比べながらくずし字を覚えていったのですか?
[マヤ] 最初はそうしていましたが、途中からは先生といっしょにということで、往来物を家に持って帰って、読めるだけ読んで、それを授業に持っていって、先生に直してもらいながらどんどん読んでいくといった感じです。週に2時間あるので、その時は先生とマンツーマンで教えて頂けるんです。
── それにしても早いですね。大したものですね。
[マヤ] すごく楽しくて。視覚的なものが好きなので、見るのが楽しくて…。昔から視覚的なメモリーはすごくいいんですよ。場所を覚えていたり、絵を覚えていたり、その記憶力はすごくいいんです。だから、くずし字も覚えやすかったんだと思います。
── とにかく、今後は10月に向けて論文を仕上げないといけないんですね。
[マヤ] はい。8月までに仕上げるんですが、その前に4月までに3つの論文を書かないといけません。
── 3つというのはどんなテーマを予定していますか?
[マヤ] この3本は単位をもらうためのものですが、一つは「女手習状」、もう一つは「子ども絵本」、それから「江戸時代の子ども」についてですね。最後のテーマが一番手こずっています。
── それでは、その論文にむけて、ぜひご研究に頑張って頂きたいと思います。私も参考文献の紹介など、できる限り応援したいと思います。今日は楽しいお話をありがとうございました。

マヤさんは、1979年生まれの25歳。大変若くしてこのような研究を志していることにも驚きましたが、初めてお電話を頂いた時に、あまりの日本語の美しさから、本当に本人なのか耳を疑うほどでした。聞くと、お母さんが日本人とのこと。大学ノートに自力で解読した「女手習教訓状」の翻字を見て、往来物の勉強を始めた当時のことを思い出しました。その姿勢に感銘を受け、仙台板の『女手習状』を1冊プレゼントしたところ、大変喜んで頂きました。彼女の研究成果を期待したいと思います。