『いろは短歌』から見た「読書する女性」像

 *板坂則子さん (東京都・専修大学教授) に伺いました (2004年7月)。
──今日は、昨年の公開講座(専修大学「文学の森」)で先生がご講演なさったお話(江戸の夫婦いさかい─いろは短歌─)や『いろは短歌』についてお聞かせ頂ければと思います。
[板坂] この講演では「いろは短歌」を中心に採り上げていますが、私の興味は、直接『いろは短歌』から入ったのではなくて、「女性の読書」をちょっと考えてみようと思ったのですね。それで、女性の読書の風景を調べていくうちに、『いろは短歌』の稿本を偶然に入手しまして、ある場面から二つの興味が重なったのです。これが『いろは短歌』の稿本ですけど、この中で面白いのがこの丁なんです。これは女性が寝ころんで読書をしている場面ですね。読んでいるのは草双紙です。
──ええ、そうですね。
[板坂] 夫はその横で算盤勘定をしています。誠実な夫が一生懸命働いている傍らで、妻は女中相手に「この本は面白い」とか、「歌舞伎へ行くから」などと散々贅沢で自堕落なことを言って、女中に呆れられています。『いろは短歌』の定型というのは御存知のように、一組の夫婦が誕生して、その後、離縁状を出されて妻は帰っていく、その時に、イロハの文字を頭に置いた五七調の韻文ですね。それを妻に添えて夫は離縁するわけです。それを受けた妻方の仲人がそれに対する反歌をやはりイロハを頭においた短歌で返すというように、本来のものは夫が離縁する妻に付けた短歌と妻方からの返歌で成り立っていますね。私がざっと見つけただけで、この基礎的なスタイルに終始するものとして、7種類の『いろは短歌』があるんですが…。
──そうですか、そんなにありますか…。
[板坂] はい。この7種類の版木は全て新たに彫り直していますが、画組も含めてほぼ定型なんですね。これはこれで幕末まで出されています。ところが、草双紙が発達した時代から、このパロディ作、つまり定型をくずしたものが登場します。このパロディ作にも色々なものがありますが、パロディ作には当代性、すなわち(その当時の)「現代」を書き込むわけです。
──なるほど。
[板坂] そこが定型と違う点です。当時の「現代」ですから、悪女の型も変わってきます。そして、その悪女の型の中に「本を読む女」というのが出て来たのが、先ほどお見せした歌川国丸画、森治刊の『いろは短歌』(刊本はあるが、『国書総目録』未記載。刊年未詳)なのです。

──本を読むのは「悪女」だと…。

[板坂] 他にも、ちょっとふしだらな女性の読書図は、草双紙や浮世絵などに数多く見られます。ただその本というのはもちろん女訓書ではなく、草双紙系ですね。草双紙というのは、軽い娯楽読み物ですから、それらを読みふける女たちにも怠け者のイメージが着くようですね。もっと以前、草双紙が出る前にも女性の読書図は見られますが、それらの多くは、優雅に読書する遊女像ですね。
──読書する女性は遊女?
[板坂] はい。つまり、女性の読書で『源氏』『伊勢』というのはプラス評価と同時にマイナス評価も大きいわけでして、あの手のものを教養として読むのは遊女が多いんですね。ですから、一般の女性の中での日常生活における読書イメージはそれほどないのではないか…と思います。それが江戸の末期になりますと、女性の日常生活に娯楽としての読書が入り込んでくるわけですが、イメージとして読書する女性は芸者であったり、寡婦が本を読んで暇つぶしをしていたりというように、「勉強」という捉え方からは離れているわけです。もっとも明治になって、今度は女学生が椅子に座って読書する図が「勉強」として出てきますが、この時の本は一気に変わって英書になりますね。それに対して江戸期では、たとえば春画の中にも本を読んでいる図がけっこう見られます。
──そうですか。
[板坂] 春本を見て興奮しながら二人でセックスしているとかですね…。としますと、江戸後期において、読者の中に女性が大きな地位を占めるようになるのですが、その頃には女性の読書というのは実はそれほど良いイメージでは見られていない、ということが見えてきます。このことは日本だけではありませんで、ヨーロッパでも女性を対象とした小説の流行とともに、共通する非難が社会の中に見られます。つまり、それは女を堕落させるものとして見られているんですね。
──そうですか。
[板坂] このような研究を今、進めている途中です。それで、この傾向は現代にも続いていまして、日本の読書人口を考えますと、女性の方が多いですね。この構図は江戸時代に始まっていて、合巻の時代、つまり文化の中頃(1810年前後)から読者の中心が数量的には女性となっていきます。しかし、その時に読者層の中心が女性だからといって、女性が勤勉に見られるかというと、どうもそうではない。で、それが現代にもずっと続いているんじゃないかと思うんですね。こんなに女性と読者が付くというのはある意味で特殊な国で、高級本と通俗書の境が曖昧な点も世界的に見て珍しいのではないでしょうか。
──そうかもしれませんね。
[板坂] このような読書をめぐる特殊性というのは、その辺に根ざしているのかな…というようなことをやってます、はい(笑)。
──なるほど。テーマとしてはとても面白く興味深いので、先生のご研究の成果をこれからも教えて頂きたいと思いますが、女子用往来などを読んでいましても、確かに『源氏物語』『伊勢物語』を完全に否定する論と、読み方を弁えれば良いとする論の二つがあるように思いますね。
[板坂] 『源氏物語』は、一方で誨淫(みだらなことを教える)の書であると同時に、天皇を中心とした文化の書として憧れのものでもあるので、扱いは難しいですね。それとは別に、一般大衆の本音と建前の部分もあって、女訓書というのは数多く出ていますけれども、果たしてどこまで真剣に読まれたかという疑問がありますね。
──その点は色々な方からも言われますが、最近入手した本で『童子訓』というものがあります。これは貝原益軒の『和俗童子訓』の一節(教女子法)を抜き書きしたものですが、その序文を読んで驚いたのですが、子どもの時に母親から『和俗童子訓』を教授されて、特に女性の指針とすべき「教女子法」の部分については手習師匠に手本を書いてもらって、これを生涯の座右の書としなさいと母親から言われて、それを生涯守り通したんですね。嫁入り先にも持っていき、事あるたびに何度も何度も繰り返し読み、ついには全部丸暗記してしまい、自分の心を見つめる指針としてきた、そのお陰で孫ができる年になっても幸せな生涯を送ることが出来た、そこで、この本の由来や経緯を序文として新たに書き加えた…というようなことが書いてあります。
[板坂] 例えば只野真葛(1763〜1825、江戸中期仙台藩医・工藤平助の娘)をはじめ、我が身を律することがとても厳しかった女性たちもいます。社会の中の身分階層が今と違いますから、自分がエリート層だと思う人と、そうでない人の差はものすごく大きかったようですね。儒者の周辺の人や武家の人々は、家の中で誰もいなくても大半は禁欲的な生活を送っている。そのような人と、それ以外の人たちでは、本に対する姿勢も自ずと異なっていたと思いますよ。それから、往来物も草双紙もそうなんですけど、江戸時代の本というのは一代で捨てるという感覚はありません。娯楽の本でも三代くらい保存するのは当たり前ですね。そのような本を初めて手に取った時はすごく感動しますね。
──そうですね。私も経験があります。
[板坂] 本には100年の命があるのだ!ってね。あっという間に本が消えてしまう今の方が、異常なのかもしれません。自分の親や祖先が持っていた本を持つのは当たり前…。
──そうですね。消費するものじゃなくって、家財というか財産ですね。
[板坂] ですから、本に対する感覚は現在と全く違うと思います。
──ところで、これからも『いろは短歌』系の資料を追求していかれるわけでしょうか。
[板坂] 読書、そして本って何だろうということは考えていきたいので、これからも追っていくだろうと思います。現代に繋がる読書、そして読者の問題として見ていきたいのです。
──このような草双紙では「何でもありの世界」が多かったのかなと思いますが…。とにかく、また、往来物でお役に立つようなことがあれば、おっしゃってください。今日は、本当にありがとうございました。

女性の読書、女性と書物との関係について興味深いご指摘もあり、この方面の関心が大いに触発されるインタビューでした。色々な書物の記事や絵図、様々な記録類等から、より立体的な「読書する女性」像に迫れるのではないかと感じました。私自身も一つの研究テーマとして意識し続けたいと思います。