ただただ楽しく、自由に読む

 *萩野みどりさん/渡辺敬さん (東京都・主婦) に伺いました (2004年5月)。
──今日は、萩野さんが往来物を色々と持って来られましたので、それらを見ながら少しお話を伺っていきたいと思います。
[萩野] これなどは読んでみようかなと思ったのね…(と江戸後期刊行の『世話字往来』を開いて、3人で全文を音読)。

[渡辺] 書名の「世話」っていうのは今まで考えていましたのとちょっと違いましたね…。
──ここで言う「世話」というのは通俗的なという意味で、「世話字」というのは、世間一般で使う言葉(俗語)などを指しますね。そういった俗語や日常語を教えた往来という意味なのでしょうね。ただし中味の中心は教訓です。このような形式の往来物もいくつかありましてね、子どもの悪態などを書き連ねて、こういう子どもであってはいけないよ、このような子どもはやがてこうなるよと戒めたものですね。要するに悪い見本を示した教訓ですね。中にはもっと過激な内容のものもありまして、事実ではありませんが、親を殺してしまった子どもを題材にした『親殺悪輔往来(おやごろしあくすけおうらい)』なんていうものもあります。
[渡辺] ここに書いてあることはよく分かりますし、抵抗もありませんし、そうだなと思うことが多かったですね。
[萩野] 私たちが子どもの頃に教わったことと同じですね。今の子どもだと、ちょっと違うかもしれませんけど。
[渡辺] 今の子どもにはちょっと抵抗があるかもしれませんね。それで、(寺子屋では)これを声を出してみんなで読むわけですか?
──そうですね。みんなで読んだり、師匠の前で読まされたりしたんですね。
[渡辺] これを小学生くらいの子どもが読んだのですか?
──そうですね。寺子屋に入るのはだいたい現在の小学校と同じくらいですね。5、6歳から始まって、家の事情によっては2、3年で終わる子どももいれば、5、6年勉強する子どももいたわけですね。そこから先は商家でしたら丁稚奉公、農家でしたら百姓の仕事を本格的に手伝うといった感じでしたね。もちろん、漢学などさらに高度な学問に進む子どももいたでしょうが…。
[渡辺] 漢学とか蘭学などを学ぶ前に、このような勉強は済ましておくんですね。
[萩野] これは割と庶民的なクラスの子ども達でしょうね。庶民でもこのくらいのことは習っていたということですよね。
──ええ、そうですね。
[萩野] 武士階級は違いますよね。
──武士の子どもも最初(読み書き)はこのような往来物で勉強したんですね。しかし、それは初歩教育でして、さらに「四書五経」といった漢学的な教養を一通り身につけるのが普通だったでしょうね。
[渡辺] 確かに、私(わたくし)たちよりも上の年代の方は、漢籍をよく読んでいましたね…。
──古書展などへ時々行かれると、面白い和本に出会うと思いますよ。ところで萩野さん、今日お持ちしたお茶(茶道)の和本がありましたよね。これは大正頃の写本なのでそんなに古くはないですが…
[渡辺] これ、書いたものなんですか?
──ええ、書いたものです。写本ですね。この本の面白いのは、解説とともに作法の図解が沢山あることなんですね。
[渡辺] これは師匠が茶道のテキストを持っていて、それをお借りして写したのでしょうかね?
──さあ、写したのでしょうかね。そのように元になったものがあるかもしれませんね。各項目に番号が振ってありますし、全体の構成も大系だって書かれているようですからね。誰かが書いてまとめたものには違いないでしょうね。
[渡辺] 自分でこのようなテキストを作ったという可能性もありますよね。
──そうですね。だれかが書き留めたものかもしれませんが、一度はどこかできちんと整理したものでしょうね。
[萩野] これは自分の覚え書きではなく、ちゃんと正しく書いてあるものだと思うんですよ。(しばらくその茶書を読む)

──ところで、2、3人でこのような和本の勉強会を始めるようになったきっかけは何だったのでしょうか? いつ頃からですか?
[萩野] たまたま去年(2003年)の秋に、(日本女子大の)大学卒業50周年だったんですよ。それで、史学科の担当の方が骨折したり、お加減が悪くなったりして…。
[渡辺] お当番の方が具合が悪くなられて、それで、名簿の順番で、萩野さんに来たのを引き受けてくださって、そして、そのほかはずっと断られて、断る方が「それじゃ、あの方を」というので順繰りにきまして、私はWで名簿のおしまいなものですから、ほかにお願いする人がいないんですよ(笑)。
──それはそうですね(笑)。おしまいですから、断るに断れない…。
[渡辺] 行き止まりで…。萩野さんとはクラス会では時々会っていましたけど、いっしょにそういうことをしたのは…。
[萩野] 初めてよね。
[渡辺] ええ、初めてでした。とはいうものの、私たちは途中からバトンタッチしたので、(50周年の)準備はほとんど出来ていて、会議などで何度か萩野さんとご一緒しました。私などはこのような会議にあまり慣れていないので、終わりになると疲れちゃって(笑)、「どこかでお茶を頂いて帰りましょう」ということになって、話をしていると史学科出身なものですから、色々な話が出てきて…。
[萩野] 「こういう本(江戸時代の茶書)も持っているのよ」という話から、すぐでしたね。
[渡辺] それで、いよいよ祝賀会が終わって、「それじゃあ少しお勉強しましょうか」という話になりまして…。
[萩野] それで、『又玄夜話(ゆうげんやわ)抜粋』という和本をいっしょに読み始めたんです。
[萩野] 読んでも意味が分からないこともあってね。何度も何度も戻って読み直すので、なかなか進まなかったんです。
[渡辺] 私ちょっとお習字を習っているのですが、お習字を一緒に習っている友人がいまして、その方は新制高校で定年までずっと国語を教えてきた方なんですが、お習字もできるし、国語も古典もよく分かるので、私たちが読めない所も分かるので丁度良いと、仲間に誘ったんです。それでその本をお見せしたら、「万葉仮名さえ読めればスラスラ読めるでしょ」っておっしゃったんです(笑)。そこで私たちは、平仮名をこの通りに書けばお習字の練習にもなるし、これを写しましょうという話になり、その友人からも書き写すのが良いと言われました。
──それで写したのですか?
[渡辺] 写し始めようと思っているところなんです(一同笑)。
──そうなんですか。その本は一通り読んだのですね?
[渡辺] いえ、おしまいの方はまだ少し残っています。そしたら色々なことが出てきて、奥が深くって、調べれば調べるほど時間がかかって、もう…(笑)。昔の人は本当に奥が深いですね。
[萩野] あの、色んな所に発展していくというか…。
[渡辺] そんなことで、なかなかこればっかりというわけにもいきません…(笑)。でも、本当に色々勉強させて頂きました。でも、このオリジナル本は奇麗ですね。

──これは状態が良いですよね。やはり読んでみて、改めて勉強になることが一杯あるでしょうね…。

[萩野] それでね、私はね、(この本を読んでみて)先生がおっしゃっているのと同じだと…。
──90いくつになるお茶の先生ですね。
[萩野] ええ、97歳です。その先生がおっしゃっているのと同じだということがありますよ。例えば「一心」、心を込めて、お茶は御馳走することが大事なので、心を込めてたてなさいとかですね。虚心になって虚心にたてるとも書いてありますし、その場その場の茶道具の置き方の寸法といいますか、そういうのをきちんとすることも書いてあります。置くべき所に置く、それから、わが身も居るべきところに居るということも、お茶の先生がよくおっしゃることなんですね。
──基本が変わらないということなんでしょうね。
[萩野] ええ、変わらないのでしょうね。
[渡辺] お話をお聞きして、その先生が実際に実践していらっしゃることが、ここに書いてあって、先生がその内容を体得なさっていらっしゃるのを聞いて、また、萩野さんがそういうことをお感じになりながら、それを私に教えて頂いて、本当に面白かったですね。中には、当時の茶道に対する批判もありました。
[萩野] ええ、銘物ものなんかをやたら集めるような輩(やから)は…って書いてあります。家業をほったらかしにしてそういうことにうつつを抜かしてはいけないと書いてあるのね。
──好事家ではいけないということですね。
[渡辺] そうそう。今の茶道にはそういう楽しみもあって、皆さんなすっているようですが…(笑)。それで、私感心したのは例えば物を置く場所でも全部計算されていて…。
[萩野] ちょうど良い場所といいますか…。
[渡辺] ええ。図に書けば本当に幾何学的にきちんと計算されていて、畳の目を基準に幾目のところにという風に決まっているんですね。
[萩野] 置くべき所に寸法違わずとね…。
──少しお茶とは違いますが、手紙などにも、書き出しは握りこぶし一つ分開けて書くといった決まりがありますね。相手の身分によって文字の高さはこうだとか、文字のくずし方はああだとか、色々な細かい約束事がありました。それから「仮名遣い」といいまして、同じ行の中でも下の方で使う仮名のくずし字と、上の方で使う仮名のくずし字を分けていたりとか…。
[渡辺] そうなんですか。
──われわれが単純に文章を書くのと違って、細かい作法なり形式があって、それを踏まえて手紙を書くという感じだったんですね。何だか面倒くさいようですけども、その作法を身につけると、その道理も解ってくるのでしょうね…。最後に、今後の抱負を一言ずつお聞かせ頂ければと思います。萩野さんからいかがでしょうか。
[萩野] あのお茶の本に限らず、こういう古い本を読んでいて、本当に楽しいなと感じます。
[渡辺] 与えられたテキストじゃなくって、こうして古本市へ行って見つけて、それをいっしょに読み合わせて、色々教えて頂くという楽しさがありますね。
[萩野] それから何かにまとめていくということは全然考えていないので…(笑)。
──本当に自由に楽しんでということですね。
[萩野] 単純に古い本に触れて、古い本を読んでいて楽しいんですね。
[渡辺] 私共はこうして年をとっていますので、昔習ったことがよく思い当たるんですね。「ああ、あの時はこうだったんだな」とか、不思議に結びつきます。お茶の本でも、昔習ったことの意味が「そういうことだったんだな」と…。
──そういうことの再確認ができるわけですね。
[渡辺] ええ、本当に。そして、外国のことを勉強するのではなくて、私たちの先祖が江戸時代からもずっと続いているんだなと感じることもあって、とても面白いと思いました。
──これからも、ここに沢山テキストがありますので(笑)、これからも楽しく読み続けていって頂ければと思います。
[渡辺] 日本の国は良い国なんだなという感じもします。
──本当に、日本の江戸時代の文化といいますか、これだけの庶民の文化財が残っている国はありませんから。その豊かな文化を味わわないと、日本人としてもったいないんじゃないかと思いますね。本日は楽しいお話をありがとうございました。

自由で気軽に和本や古典に親しむお二人(70代前半)でした。往来物を読んで、ますます和本に興味を持っていただいた様子でした。会場は、池袋駅に隣接する「メトロポリタンプラザ10F(男女平等推進センター)」で、無料で使えるスペースを予約して、1回2時間程度勉強し、帰りには地下の生鮮食品売り場でお魚を買って帰るそうです。取材の日も萩野さんは午前中はコーラスをやって、その午後に和本の勉強会に来たそうで、とてもイキイキした表情でした。