一枚の口絵から無尽蔵の研究テーマ

 *鍛治宏介さん (京都大学大学院博士課程) に伺いました (2004年4月)。
── 鍛治さんとの出会いは、京都民科歴史部会の会誌『新しい歴史学のために』(第252号)の抜刷(「仁徳聖帝故事の展開 ―江戸時代天皇像の一側面―」)をお送り頂いたのが最初でしたね。
[鍛治] ええ。あの論文は、江戸時代の天皇像の一端を解明しようと思って、仁徳聖帝故事の記紀から江戸時代に至るまでの文学・芸能作品における継承や、江戸時代の往来物などの教養書などにおける展開を検討したもので、往来物では特に「百姓往来」を取り上げて、その付録記事に出てくる仁徳聖帝故事について言及しました。
── 往来物には色々な研究材料がありますので、単に日本教育史のみならず、あらゆるジャンルの方に活用して頂きたいと常々思っていますので、鍛治さんのご厚意が嬉しかったのと同時に、一体どんな内容なのか興味をそそられましたね。
[鍛治] 私が専門としております日本史では、横田冬彦さんや若尾政希さんといった方々を中心に、読書論や書物を扱った新しい研究が進んでおりますし、日本文学の分野でも、作品の背後に存在する書肆に注目した研究が近年多く行われております。自分の研究はそういう一連の流れの中に位置づくものだとは思っています。
── とにかく、早速論文を拝見して、「百姓往来」に出てくる仁徳天皇の絵図に注目した点は面白いと思いました。ただ、仁徳天皇の故事についても、絵図で言えば江戸時代の絵本類とか、記事で言えば例えば 『倭論語』の巻二「人皇并親王部」にも神武天皇を始め色々な天皇・親王の記事(言葉)が紹介されていますので、そのような書物を通して庶民の天皇像が出来上がっていった点も探ると面白いかもしれないと思いました。
[鍛治] そうですね。他の往来物も含めた教養書での仁徳聖帝故事の検討、仁徳と他の天皇との比較が拙稿では欠けていることは重々認識しております。比較という点では、当然、楠正成など江戸時代において理想的為政者と捉えられていた他の人物との比較も必要ですが、これらは今後の課題ですね。例えば歴史系の往来物でも、仁徳は挿絵入りで紹介される歴史上の代表人物と扱われている例もありますし、他の挿絵になってる人物との比較という方法も可能かとは考えています。

── それから、往来物に関しては、寺子屋では大半の子どもがこのような刊本で学んだのではなく、師匠が書いた筆写本で読み書きを覚えたと思いますので、その際、「仁徳天皇故事」の記事がどのように伝えられたのかは、なかなか調べるのが難しいでしょうが、気になる点です。

[鍛治] ご指摘の通り、往来物のモノ自体が実際に手習い教育の中でどのように使われていたのかについても、当然、検討が必要だと認識しています。私としては「ある情報が刊本に載っている」ことを、そのまま「その情報が当時の社会に広く認知されていた」こととして単純に扱ってはいけないと考えております。書物の分析には、モノ自体の分析はもちろん、その生産過程、流通過程、受容過程についての検討も不可欠であり、そのような作業を通して初めて、その書物にかかれている情報の意味を問題にできると考えています。拙稿でいえば、受容過程の分析という点で、実際に仁徳聖帝故事を載せた「百姓往来」がどのように読まれ、使われていたのかということへの検討の必要があるでしょうが、今回は分析の主眼がそこにはなかったために、そういった分析はほとんど手つかずで単純な議論になってしまいました。
── 「そこが知りたい!!」、でも、なかなか調べる手だてがない。ある意味で、無い物ねだりかもしれませんが(笑)。
[鍛治] 実際、自治体史の調査などで個人の家の文書を調査していますと、出てくる手習い用の手本は、折手本または美濃判の写本が多いですね。江戸時代の手習いの様子を描いた絵画などを見ていても、基本的に折手本を使っていたみたいですし、おそらく手習いの現場で仁徳聖帝故事の載った往来物が、現代の教科書のように使われることはほとんどなかったんじゃないでしょうか。ただ、今回の論文のために行った百姓往来の板本調査では、仁徳の顔に髭を落書きしたものもありましたし、裏表紙に所有者の名前と年齢が書き込みされており、明らかに子どもが使ったと思われる痕跡が残った本もよく見かけました。
── 手習い本は原則写本ですが、かといって、子どもが刊本を読まなかったとは考えにくいですね。写本も多くは手習師匠が書いたお手本でしょうが、子ども自身が臨書したものもありますので、その辺は注意しておく必要はあるでしょうね。
[鍛治] いずれにしても「受容の形態」には、少なくとも二つのパターンがあったと思います。一つは、手習い師匠が刊本を購入、或いは、貸本屋から借りたものから、文章だけを抜書して手本を作成したものを、手習いの現場で子供が使用する、その際に仁徳の映像の記憶は手習い師匠個人のものにとどまる(仁徳聖帝故事は手習いの現場などで手習い子に広まる可能性はある)。もう一つは、子供自体が読書用の本として読む(親から買い与えられる、師匠から褒美として貰う、誰かから譲り受ける等々、様々なルートが想定できる)。それぞれの受容形態で、聖帝故事の受け止め方は当然違ってくるわけで、その点もきちんと分析しなくてはいけなかったのですが、今回は大雑把な議論に終始してしまいました。それから、生産過程の分析も不可欠だと思います。往来物の生産過程における書肆の役割は重要なもので、特に私が分析した口絵や頭書、跡付けに載る付録記事の類については、注釈の類を除けば、基本的に書肆が勝手に付けているモノではないかと類推してます。「百姓往来」の本文自体が頭書の記事に載っていたりする例もありますし、おそらく書肆は自分が板木を所有している先行する出版物のなかから適宜必要だと思う記事をとってきて、付け加えているのではないかと考えております。
── その辺の状況は、実にいい加減といいますか、書肆の都合の良いように行われていたでしょうね。色々な版木を寄せ集めて新しい書名で出版することは多々ありました。その際、記事の重複や、下手をすると記事の一部が欠けてしまってもお構いなしで出版する書肆もかなり多かったようですね。
[鍛治] 江戸時代の版権に関する研究も最近進んでおりますし、先学に学びながら、往来物の制作過程と書肆との関わりについては、いずれ調べたいと思っています。それから、「百姓往来」の口絵に載る仁徳聖帝故事が当時の社会にどの様に受け入れられていたかという問題を考えるには、先ほど述べましたようにその流通過程、つまり「百姓往来」の流通状況も問題になってくるということで、論文を書くにあたり、「百姓往来」の板本調査を全国で行いました。実はこの論文の元になったのは学部生の時に書いた卒論でして、その調査に力を入れていたのは 1995〜6年のことです。当時は、まだネットもほとんど普及しておらず、大学図書館などでもOPACをネット上で公開していないところも多くあり、NACSIS Webcatなども公開してませんでした。小泉さんのホームページや東京学芸大や奈良教育大のようなサイトでの往来物の写真公開も行われていませんでした。『国書総目録』や『日本教科書大系』をきっかけに、私が所属しております京大や近隣の図書館、国会図書館等で、国書に収録されていない図書館の蔵書目録や、文書目録の類を片端から調査して「百姓往来」を探し出して、実際に調査に行くという手法をとりました。広島の三次市立図書館や東京の日本大学、玉川大学、東京学芸大学、筑波大学、謙堂文庫といった往来物コレクションとして著名な所はもちろん、珍しいところでは、高知の牧野植物園の中にある牧野文庫や、飛騨の高山市郷土館、富山の高岡市立図書館など全国あちこちに出かけました。
── 相当精力的に回られましたね。私が往来物を本格的に調べた時も、まずは『国書総目録』などの目録類にあたりましたね。1年ほど図書館にかよって『国書総目録』『古典籍総合目録』から、往来物のデータを全部筆写したら、分厚いノートで7冊にもなりましたね。大変でしたが、往来物を把握するうえで、相当良い勉強になりましたね。とにかく、百姓往来の板種については、ぜひ、改めてご教示頂ければと思います。
[鍛治] 「百姓往来」の刊本調査のデータについては不完全なものですが、系統などをある程度揃えて分析できましたならば、またご紹介させて頂きたいと思います。それから、以前から思っているのですが、国文学研究資料館を中心に文学研究者によっても各地の文庫の調査などは進んでおりますが、それとは別に、全国の市町村の自治体史の編纂の際に、家の文書を調査する際に、典籍が出てくることが多くあります。最初に言いましたように、日本史の分野では近年書籍史料への注目が高まってはいるのですが、そのような調査で作られた目録は、刊行されずに自治体史編纂室レベルでの公開に留まっているものも多くありますし、たとえ文書目録として公刊されていてもその公開の範囲は狭く、他分野の人も気軽にアクセスできる共通の情報となっていません。そういった個人の蔵書の中には国書に載っていないような版がみつかることもありますし、江戸時代における書物の普及状態を表す史料としては、近代以降の移動が想定される図書館や個人コレクションより、重要なものだと思われます。そのような情報を集積し、いかに共有財産としていくか、つまり次代の国書総目録に、日本史学がどう貢献できるかということも、書物に関心を持つ日本史研究者の端くれとして、考えていかなくてはいけないと思います。
── いずれにしても、江戸時代の庶民が天皇に対して具体的なイメージを持っていたかどうかは、さらに深くご研究されるとよいと思います。今後のご研究に期待したいと思います。

鍛治さんとのトークを通して、少し初心に戻ったような気がします。私が往来物の研究を始めた当初は、確かにインターネットの情報はなく、原本か関係文献での調査が主体でした。しかし、原本には活字や影印では分からない情報が多々あります。結局は当時の地道な調査や研究の方が自分の血肉になっているのではないかと思います。「見たい」「知りたい」「極めたい」という情熱だけで手当たり次第に調査した頃が懐かしく感じられました。