現代から江戸へ、江戸から現代へ

 *天野晴子さん(日本女子大学助教授)に伺いました (2004年3月)。
── 今日は往来物との出会いとか、往来物に関する今後の研究テーマなどを伺いたいと思います
[天野] 出会いはやはり大学院の時に石川松太郎先生にご指導頂いた時でしたね。私は最初は往来物を研究するつもりはなくて、消費者教育を学ぼうと思っていたんですね。そもそも本当は高校の教員になろうと思っていて、大学院に行くつもりはなかったのですが、ゼミの先生のすすめで大学院に行くことにしたんですね。しかし当時、日本女子大の家政経済学部には大学院がなかったので、家政学に造詣が深い先生が教育学部にいるから、その先生について消費者教育をやったらどうかと、言われるままに大学院に進んだんですね。
──その先生が石川松太郎先生だったんですね。
[天野] ええ。石川先生は家政学会の食文化研究部会長もされていましたし、奥様も家政学で有名な方ですので…。そういうことで石川先生についたんですが、先生は研究室に往来物を持って来られたり、また、先生のご自宅の往来物、つまり謙堂文庫の資料整理のアルバイトもさせて頂いたんですね。それでも私は消費者教育…と思っていたんですね。しかし、石川先生のご専門に近いのは消費者教育よりは家政教育史、歴史かなと思って、時代も大正〜昭和戦前期に少しさかのぼったんですね(笑)。
──そうだったんですか(笑)。
[天野] でも、まだ江戸にはいっていなかったんですよ(笑)。
──本当は現代をやるつもりだったのが変わっていった…。
[天野] 現代をやるというよりも、私は「大学院に行きなさい」と言われて行ったので、「これがやりたい」というのもはっきりしていませんでした。しかし先生の往来物の整理をしていくうちに結構面白いなと感じまして…。
──その時はまだくずし字は読めなかったんじゃ…。
[天野] 往来物のタイトルとか、付載記事の内容だとかを書き出したりだとか、整理をしていくうちに少しずつ読めるようになりましたし、私はもともとお習字が好きで、仮名のくずし字などは高校の書道の授業でも学んだのである程度読めましたし、大学に入ってからもダブルスクールで書道の専門学校に通ったんですね。筆の持ち方から教わりたくて行ったんですが、皆さん有名な書道家のお弟子さん達が集まっていたりして、筆の持ち方ではなく、いきなり空間の使い方から始まったのでビックリしましたが(笑)。それで、往来物をだんだんやっていくうちに面白いなというのと、それから石川先生が寺子屋や往来物の第一人者だということが段々と分かってきたので…(笑)。
──なるほど(笑)。
[天野] そういうわけで先生の影響もあって、正式にはドクターで往来物…。ですから、現代から大正・昭和戦前期に戻り、ついに江戸時代にさかのぼったという感じなんですね。
──それで博士号は江戸時代の女子消息型往来の研究で取得されましたね…。そのジャンルの往来物をターゲットにしたのも、先生からのアドバイスがあったんですか、それともご自分で「これだな」って思ったんでしょうか?
[天野] 何だったんでしょうね…。その両方だったと思うんですけども。最初は挿絵とかを見て、女性の職業の中に遊女とかが入っていたりして、見ていると女子用往来は面白いわけですが、とにかく眺めていくうちに、それまでの江戸時代の女性のイメージ──何かすごく暗いイメージとは大分かけ離れていることを痛感したんですね。確かに当時の大学の教育史のテキストには「江戸時代の女子教育は暗黒の時代である…」などと書かれていました(笑)。
──確かに…。
[天野] そんなイメージだったのに、往来物を見ていると違うんですね。挿絵とかちょっとして文章から見ていてもどうも違うので、興味を持ったんですね。そしてそれが一番分かるのが消息型往来なので、そちらの方へ関心が向いたような気がしますね。石川先生のお手伝いをさせて頂くうちに、これは面白いと段々とのめり込んでいったんですね。むしろ喜んでやるようになったんですね(笑)。ですから大学院に行き始めた頃は江戸時代をやっている自分の姿は想像もつきませんでしたね。
──そういうものかもしれませんね。僕も往来物を研究するなんて考えてもいませんでしたよね。
[天野] 小泉さんの場合は古本屋で往来物と出会ったんでしたよね…。
──まあ、そうですね(笑)。大学卒業して社会人になって、職場が神田の神保町に近かったので、それでも学校の教員に未練があって、社会科の教員になった時に役立つ資料でもと思って古本屋をあさっているうちに往来物と出会ったんですね。こんな研究するとは夢にも…。
[天野] う〜ん、でも何かそこで響くものがあったんでしょうね。
──やっぱり江戸時代の原本が今も手に入るということが驚きでしたし、よくぞ残っていたなあと感心しましたし…。最初はくずし字も読めませんでしたから、『庭訓往来』の原本を、石川松太郎先生の平凡社東洋文庫『庭訓往来』(活字版)などを見ながら読んでいったんですね。くずし字が少し読めるようになると、今度は中味に入っていきまして、結構良いこと書いてあるなあと思って、心学でも教訓でもね、当時の人たちの生き方とか、日本人の祖先が培ってきたこのような文化をきちんと学ぶ必要があるんじゃないかと思ったりしてね。
[天野] やっぱりきっと何か呼び合うものがあったんでしょうね、往来物を見て…。
──どちらにしても往来物について調べていけば、日本教科書大系などを調べていくと、必ず石川先生や謙堂文庫に行き着きますよね…。親子二代でこんなに膨大な往来物を集められたのか、また、往来物というものがこんなに沢山あるのかと…。謙堂文庫に一度でいいから行ってみたいなあと思ったものです(笑)。謙堂文庫の往来物を見てみたいというのが当初の夢でしたね。いつかきっと…という感じですね(笑)。
[天野] なるほど、そうですか(笑)。私の場合は、石川先生が恐らく高価な往来物をごく普通に大学の研究室に持ってこられて、そこら辺に置いてあるわけですね。それをもったいないとも何とも思わずに、普通のものだと思って扱っていましたね。
──汚いなんて思わなかったですか。
[天野] 最初は少し感じたかもしれませんが、「虫食い」というのを見たこともなかったので、結構面白かったですね。虫食いでくっついた丁をはがしたりするのが面白かったですね。世の中にこんなものがあるんだなあという感じで…(笑)。
──とにかく消息型の女子用往来で論文をまとめられて、学位も頂きましたね。それから少し大学の先生になられてからは往来物からちょっと遠ざかってしまっちゃたんですけど…。
[天野]
ええ。ですから、小泉さんが大空社にいらした頃に「江戸時代女性文庫」の解題などのお仕事を頂いたので、多少なりともつながっていられたので、とても有難かったですね。そのようなことがないと、大学では毎日がものすごく忙しくて、どうしても目先の事に追われてしまって、何か引っ張ってくれるものがないと、本当に江戸時代から離れてしまいますので…。それでも最近は、近世の識字率の研究メンバーに入れて頂いたので、頭の三分の一くらいが江戸時代になっています。
──そうですか。往来物やそれ以外の文献なども調べているんですか?
[天野] 花押とか、文書などの署名ですね。その花押などで識字率が分かるんじゃないかということで、京都とか平戸とかに調べに行っています。
──そうしますと、それは江戸時代じゃなくて、安土桃山時代ですか?
[天野] 江戸時代もちょっといってしまうとみんな判子になってしまって花押を使わなくなるので…。ですから江戸時代の初めかそれ以前でないと花押が残っていないんですね。
──花押を使うのはある程度身分の高い人じゃないんですか?
[天野] そうですね。でも筆軸ですとか、模様みたいものもありますので、それがどこまで花押なのかは判断が分かれるのでしょうけど、それと文字が書けることの関係ですかね、ある程度筆を持って字を書くというのは技術が必要ですから、その辺をどのように解釈していくか、今、みんなで悩んでいる所です。
──花押を今使うといえば、内閣総理大臣などの閣僚が署名する時くらいかなと思いますけど…
[天野] そうです、そうです。
──花押も名前から取って漢字を合成したりとか、色々なものがありますよね。
[天野] ですから、花押とまで行かなくても、自分の印のようなものも含めてですね。
──最初から読んで理解してもらわなくちゃいけないということから考えると、高札などはどうなんでしょうかね。あのような物に使われている文字などはどうなんですかね。
[天野] どうなんでしょうかね。
──研究している人がいるんでしょうかね? あれでも読めない人がもちろんいたと思いますけど、高札の文章などは準漢文体とかではなくて、大体仮名交じり文ですよね。最初から庶民に読ませるのが目的なわけですからね…。大勢に知らせるもの、読んで理解してもらうものが識字率とどんな関係があるのかないのか…。国語学の方の研究では、どなたでしたか名前は忘れましたが、江戸時代の人々が使った漢字の種類はそんなに多くはなく数百種類じゃないかといった研究がありましたね…。そうすると、知らせるための漢字の範囲もおのずと限られていたのかもしれませんね。余計なことですが…。
[天野] でもそういう研究テーマもあり得ますね。とにかく、花押そのものの研究はいっぱいあるんですけど、教育史の視点からの研究はほとんどありませんので。
──面白そうですね。じゃあ、花押をずっと調べているわけですね。
[天野] 花押というか署名ですね。私がやっているというより、科研費の共同研究のメンバーの末席にいるといった方が正しいのですが。門人帳、宗門人別帳とかですね、特に宗門人別帳とかで署名が残っているのはキリシタン関連なので、平戸のものなどに注目した研究がでています。それからあとは起請文ですかね。
──とにかくそのような接点で最近は、江戸時代に近い所をおやりになっているということですね。最後に、往来物に関して将来的な研究テーマはありますか?
[天野] やっぱり女子用往来ですかね。近世の女性の生活とか、性別の役割分担ですとか、ジェンダー関係のことを研究してみたいですね。今は現代人の生活をジェンダーの視点から統計を使ったりして研究していますのでね…。それを江戸時代でもやってみたいですね。
──なるほど。今日は貴重なお時間を頂き、どうも有り難うございました。

天野さんの研究室に行くと、江戸から現代までの資料がびっしり。江戸時代から少し遠ざかっていたとはいえ、いつも書棚には女子用往来などのファイルが並んでいるようです。私が学位論文を書いて審査中の時に、天野さんには色々とアドバイスしてもらいました。往来物の書名を挙げるだけで、色々な話題が展開できる貴重な研究仲間の一人です(もう10年くらいお付き合いさせて頂いていますが、いまだに本人の年齢を知りません)。