往来物の個別研究はこれから

 *綿抜豊昭さん(筑波大学教授・博士(文学))に伺いました (2004年2月)。
── 今日の綿抜さんのご講演(「往来物の挿図」/福生市立中央図書館・郷土資料室にて)を聞かせて頂いて、往来物の絵図の面白さと難しさを再確認できたような気がします。
[綿抜] 往来物については小泉さんが中心でなさった『往来物解題辞典』や、大空社時代に出版された数々の影印資料ですね──「往来物大系」ですとか「江戸時代女性文庫」ですとか、一連の資料が揃ってきたお陰で、ようやく往来物の個別研究の機が熟してきた所だと思うんですね。うちの大学にも、往来物の絵図を分類して研究している学生がいます。着物の柄にはどんなものが多いとか、香道に関する記事や絵図にはどのような傾向があるとかというようにですね。
── 数年前に、教育史学会で往来物の絵図の資料性について発表したことがあって、その時にも話したんですけど、画像のデータベース化が必要でも、その基本となるフォーマットを確立せずに、バラバラで進めると後で困りはしないかという危惧がありますね。データベースの拠り所を決めていく必要があるんじゃないかと思うんですね。
[綿抜] その必要はありますね。私が往来物に興味を持ったのは挿絵が中心ですが、往来物の挿図にはいい加減なものや間違ったものもあります。ですけど、当時の人々はそれを通して色々なことを学んでいったことには変わりがありませんね。当時の人たちがどう考えていたかを知る一つの手がかりになりますし、挿絵だけでも研究していくと奥が深いと思います。

── 綿抜さんのご研究で、「和歌三神」の挿図にはいくつかのパターンがあるということを初めて知りました。「ある型は上方、別の型は関東で広まったものじゃないか…」というご指摘もなかなか面白いと思いましたが、そのような究明にも、数多くの画像のデータベース化が非常に有効だと思います。特定のテーマについてでも、まずは綿抜さんが先鞭をつけてはいかがでしょうか(笑)。
[綿抜] いえいえ、私にはとても…。そこまでは手が回らないと思いますが、まずは、往来物の面白さを多くの人に知って頂くためには、絵図というのは興味を持ちやすいですし、何かそのような面白い所だけでも紹介した本があったら良いんじゃないかと思います。小泉さんに何か書いて頂くと良いんじゃ…。
── 私もそんな本をいつか書きたいと思っていますが、今のところチャンスがなくて…(笑)。それから、往来物の絵図の難しさという点ですが、全く綿抜さんのお話の通りで、その絵図がいったいいつ頃から登場したのかという、初出の確定も非常に難しい点だと思います。「和歌三神」の話が出たついでですが、それを載せている「百人一首」などは最たる例ではないでしょうか。前付記事、百人一首の本文、後付記事などが、いわば本屋の気まぐれによって、増補されたり、割愛されたり、組み替えられたりと、「何でもあり」の世界ですね。最初の刊行年との関係などお構いなしに、再刊の刊記に変わったりという具合で、刊記の信頼性もさることながら、同じ書名で、内容が少しずつ異なるといった現象が日常茶飯のように行われていますね。
[綿抜] そうですね。前付と本文の内容が重複したり、途中で切れていたりなど、製本のいい加減さも感じますね。
── そのことで思い出しましたが、先日、石門心学書の叢書である「あつめ草」というのを購入したんですね。これまでもいくつかセットを所有していたので、比べてみたら、初編なら初編、二編なら二編と同じ編なのに、収録されている内容が三者三様なんですね。ということは、印刷のたびに「あつめ草」の各編の内容が異なっていたらしいんですね。これでは目録に「あつめ草」とあっても、原本を見ないと同じかどうか全く判断できませんね。

[綿抜] そうなんですか。私も今度注意してみたいと思います。ところで、小泉さんの蔵書はかなりの冊数だと思いますが、原本を探すのは大変じゃありませんか。例えば年代別に並べるとか、すぐに探せるように何か工夫されているんですか。
── 大したことはしていません。大本・半紙本・中本・小本・特大本といった本の大きさで揃えていかないと効率よく収納できませんので、まずは往来物のジャンル──古往来、語彙科往来、消息科往来、教訓科往来…などに分類した後、大きさを揃えて重ねているだけです。
[綿抜] それでも、すぐに探せるものですか。
── そうですね。全部が全部じゃありませんが、どれも自分の目で吟味して購入していますので、1冊1冊の顔といいますか本の表情、つまり、表紙の色、厚さ、装丁の感じ、痛みの程度などを何となく覚えていて、平積みされていても、サッと探し出すことができるんですね。
[綿抜] そうですか…。いずれにしても、往来物の個別研究はこれからでしょうね。私の知人にも往来物を研究している先生が何人かいるんですが、ほとんど同じ年代ですね。同世代の研究者が往来物に関心を持って研究していくことは嬉しいですね。
── そうですね。往来物には色々な研究の切り口があると思いますし、そもそも膨大な数があって、その全体像すら十分把握されていませんね。一人で研究しようとしても限界があります。私も謙堂文庫を始め色々な大学の蔵書で随分勉強させて頂きましたので、自分の蔵書も大勢の方に利用して頂いて、往来物の研究が進めば本望と思っています。
[綿抜] 私も何かご協力できればと思います。ホームページは案外「オタク」的なものが多いんですが、往来物倶楽部は広い視点から往来物を捉えて、膨大な情報提供をされていてとても参考になります。学生にも、往来物を調べる時には『往来物解題辞典』と往来物倶楽部を必ずチェックするようにと言っています。
── それはありがとうございます。往来物をもっと多くの方に知って頂いて、この研究をますます盛んにしていくためにも、綿抜さんにはぜひお力添えを頂ければと思います。これからもよろしくお願いします。

綿抜さんは、本来は連歌の研究がご専門ですが、連歌の神様である天神様や天神信仰の普及を調べていくうちに往来物にご興味を持ったそうです。往来物は色々な研究の切り口があること、そこに書かれている内容は低俗なものも多いものの、一般庶民がそこから様々な情報を得ており、社会的な共通認識の形成に無視できない影響力を持った点などで、意見が合いました。同世代の研究者として、異なる観点から往来物を共に究明していきたいと思います。