往時の雰囲気伝える原本の魅力

  *中江和恵さん(東京都/東京家政大・和光大非常勤講師)に伺いました(2004年1月)。
──往来物との出会いは、どのような感じでしたか?
[中江] もう30年前ですが、私を指導して下さっていた山住正己先生が、江戸時代を中心に子育てに関する文献を集めるんだけど、手伝ってくれないかと言われまして…。
──平凡社・東洋文庫の『子育ての書』 3冊本ですね。
[中江] はい。初めは江戸時代の本とか、往来物の原本を見るなんて全く考えもしなかったんですね。江戸時代に出されている子育て書が、色々な研究書や思想史の本などに部分的に引用されているんですが、それをずっとチェックして、原本を『国書総目録』で調べてみて、活字(翻刻)がない場合には原本に当たらなくちゃいけないということになったんです。当時、江戸時代の本なんて見たこともなかったんですけども、とにかく原本のコピーを手に入れて…というように、仕事として関わったので、どんどん急いで進めなくてはいけなかったんですね。
──なるほど。
[中江] それで、編集者(平凡社)の方と一緒に、原本を所蔵している、例えば謙堂文庫の石川松太郎先生の所へ伺ってお借りして、片っ端からコピーしたんですね。その時に初めて原本を見たんですね。それで、ぱっと見て、すぐに出版社がコピーしたので、本物をゆっくり触る時間もありませんでしたね。
──そうですか。
[中江] コピーしたものから実際に翻字するのは私の仕事でしたから、辞書をひきながらコピーの原文を次々読んでいったということで、原本そのものには触れる機会はなかったんですね。旅行で京都などに行きますと、古書店によっては往来物などの和本が山積みしてあったりするんですけど、良い物はすごく高いですし、自分の研究に関係のある資料はなかなか入手できそうにありませんでしたし、結構売ってはいるんだなと思った程度でした。私は非常勤講師の仕事はしてましたけれども、ずっと子育てをしていて一人で自由に出歩く時間がない状態が10年以上続きましたし、自分が出せるお金で往来物などの原本が買えるとは考えてもいなかったんですね。
──なるほど。

[中江]
 専任の仕事であれば、研究費などで色々購入しようという気にもなったかもしれませんが、非常勤ですし、今ある本だけでも置き場所に困っていて捨てたいくらいですし、和本などを買うという発想もなかったんですね。ところが、たまたま、小泉さんのホームページ(往来物市場)を見ましたら、「え〜っ、こんな値段で買えるのかしら…」と初めて知りまして、それで早速…
──例の2冊をご購入下さったんですね。一つは合本科往来の『童訓往来新大成』でしたね。あれはやはり色々な記事が入っている点に興味を持たれたんですか?
[中江] ええ、そうですね。内容も、「実語教・童子教」などの基本的なものが一通り入っているということと、小泉さんが書かれた『往来物解題辞典』ですね。あのデータもホームページで公開していらっしゃるので、それも参考にしてみました。それでお願いしたんですね。そうしたら、本当に内容が豊富で、基本的な往来物がほとんど入っていますし、それから、ちょっと痛んでいましたけど、あの値段なら仕方ないんですが、中味が読めればあれで十分だなと思いました。
──それから、もう一つの『国づくし』ですが、中江さんがなぜあの本を希望されたのかは、不思議な気がしたんですが、どうしてなんですか?
[中江] ちょっと秘密に属するかな…(笑)。
──今興味があって、調べているということですね。あの『国づくし』は改正版もありますからね。チェックした方が良いかもしれませんね。
[中江] そうですか。結構読まれたものですか?
──そうですね。初版が出てから数年後に、改正版が出ています。地名などが変わっているはずです。
[中江] 同じ人の著作ですか?
──著者は同じ、西野古海です。詳しいことは『往来物解題辞典』を見て頂くと分かると思います。明治初年は府県名も随分変更がありましたから、この種の往来物には改訂が多かったはずです。とにかく、原本を見るとやはり違うなとお感じになりますか?
[中江] ええ、やっぱり良いですよね。原本を見ると、雰囲気が伝わってきますし、寺子屋の先生も、あんな本の中から、「この子には『実語教』のこの部分…」っていう風に手本を書いたのかなってイメージや、先生の様子が目に浮かびますよね。楽しいです(笑)。
──『子育ての書』の中に載っている往来物は、確か『養育往来』だけでしたよね?
[中江] 「往来」という名前が付いているのはそれだけでしたね。『養育往来』が果たして子どものテキストとして使われたのかどうかは、私はちょっと疑問に思っていますが。
──そうですか…。僕は、小川保麿の書いた往来物は『養育往来』『孝行往来』『駅路往来』の三つがありますが、やはり子どものテキストとして使われたと思いますよ。もちろん、往来物を購入して読むことのできる人は限られていたでしょうがね。そのような子育てのポイントを子どもに教え込んだのだと思います。往来物自体が子どもと大人がいっしょになって読むという要素がありますから、そんな状況の中で、先ほど(講演中に)お話しした『和俗童子訓』や『女童子訓』の話じゃないですけど、やっぱり、子どもにいきなり「子育ての心得」をぶつけちゃうという考え方──今は分かんなくても、きっと分かる時期が来る、その時にこれを知っていて良かったと思える──そんな親心で、子どもの先──親である自分が生きているかどうか分からないけど、その時にきっと役に立つはずだと、先を見越して心得を授けるということがあって、それはすごいことだなと思うんですね。
[中江] 確かにすごいですね。今日のお話
(*朝霞市博物館での小泉の講演)の、7歳から15歳で嫁ぐまで、娘に毎日『和俗童子訓』を読ませたという話は驚きました。まぁ『養育往来』は、内容が本当にずっと江戸時代に蓄積されてきた子育ての心得を並べたような感じですよね…
──そうですね。
[中江] それにしてもすごいですね、ああやって新たな往来物を次々探していらっしゃて…。
──やっぱり、足で稼ぐというんですかね、地方に行ったら必ずその土地の古本屋を回ったり、「なんか面白い往来物ないですか?」って聞いたりしましてね、特別出してきてくれる主人もいますし、毎度、通っていると、私が欲しそうな物を取っておいてくれたりするんですね。それは、全部が全部僕に売るためじゃなくて、「この本、面白そうだなと思って買ったんだけど、どんなもんですか」と言って、僕に見て欲しいという場合もあります。
[中江] そうやって集めてくださったものを、あのようにインターネットで安く譲って頂いたり…
──往来物市場に出品しているものだけじゃなくって、デジタル複写という形で、私の持っている和本全て提供していますから。
[中江] そうですか。
──ええ。研究仲間の先生からも、一般の図書館でマイクロ撮影して紙焼きするよりもはるかに安いので、研究費複写して欲しいものがあるけど、大丈夫ですか?って問い合わせしてくる人もいますが、「構いませんよ」って答えています。せっかく集めた資料が地震や火事で消滅するのが一番こわいことですから、できるだけ多くの往来物をデジタル化して分散させれば、その方が後世に残る確立が高くなる訳ですし、僕としてはその方が有難いと思っています。やっぱり、これを伝えていかなくちゃいけないと思いますしね。私の過失で大事な文化遺産を消失させてしまってはとんでもないことだと思うんですね。それはともかくとして、最後に、今後の抱負のようなものをお聞かせ頂ければと思います。
[中江] 抱負ですか? やっぱり、これまで通り、少しずつ研究を続けていくことしかありませんよね。ただ、江戸時代とか特定の時代に限定するのではなく、常に現代の自分たちの悩みとか、現代の教育問題などを研究の出発点にしていきいたいですね。
──往来物もぜひ役立てて頂ければと思います(笑)。
[中江]はい、それはそれで…(笑)
──研究素材の一つとして…
[中江]はい、そうですね。
──今日は、どうもありがとうございました。

日本教育史ならだれでも一度は繙く 『子育ての書』。その著者であり、最近も『江戸の子育て』(文春新書)を出された中江和恵先生とお話する機会を得ました。私の朝霞市博物館での講演会にもいらっしゃり、先生の方から「せっかくの機会ですからお会いしましょう」とお声をかけて頂きました。色々な方とお会いすることで、自分の研究の課題や新たな目標が見出せることはとても有難いことだと思います。特に 「現代の私たちの生活」を研究の起点にするというスタンスを忘れてはならないことを教えて頂きました。