本状は、明治34〜36年に京都府立農学校(現在の京都府立大学の前身で、京都府立農学校としての名称は明治34年9月25日から明治37年3月末まで)が使用した「運動会案内状」である。
 年月日の「明治三十」の後が空欄になっていることから、数年間にわたって使用できるように、一度に印刷したものらしい。冒頭には「来る十一月一日本校記念日…」とあるように、運動会の実施日と場所(桂橋北磧)は決まっていたのであろう。
 差出人の名前も 「運動会長・佐藤義長」と予め印刷されているのは同校の校長であろうか。
 ちなみに、本状は、安政5年刊 『年中用文章』という往来物に挟まっていたもので、明治後期にも用文章などの往来物がごく日常的に使用されていた様子を窺わせる。

●面白いのは末尾の2行。「ご来場の節はこの案内状を持参ください」という旨の追伸文はもっともだが、その後に、「運動会当日には男子は洋服、羽織、又は袴を着用ください」と、男子のみ服装が指定されているのが面白い。

●故・佐藤秀夫先生の 『学校ことはじめ事典』 によれば、運動会は修学旅行と並んで、日本独特の学校行事といえる。その起源は明治7年(1874)に海軍兵学寮が英国海軍士官の指導で導入したアスレチック・スポーツ(競闘遊戯)というが、様々な競技種目で1日を楽しむような行事は日本独特の学校文化である。古くは札幌農学校の「力芸会」(明治11年=1878)、東京大学の「運動会」(明治18年=1885)などで、エリート学校でのスポーツ・レクリエーションという性格が強かったが、1880年代後半以降の兵式体操奨励や、日清戦争に向けて戦意高揚策として急速に小学校に普及した。


■原寸 : 縦133o×横90mm。