『託静(たくじょう)三訓』は、江戸時代後期の浄土宗の僧侶・託静(隆円)の説教を、弟子が聞き書きして出版した三つの教訓書の総称で、篤志家が無料で配布したもの(施印本)である。初めに、文政10年『再縁訓』、文政12年『衣食訓(えじきくん)』、文政13年『老人訓』の順に各単行本が刊行され、その後、これらを一冊に合本した『託静三訓』(写真右から2冊目)も天保頃に出版された。右端の『孝行和讃』は託静の作ではないが、その跋文を託静が書いている。
  下記のように、いずれの著作も人生において、だれもが遭遇すべき問題、いわば現世での生活上の問題を通じて、よりよき来世へ導こうとしたものである。託静自身が述べているように、仏教の徒である託静が儒書などから引用したり、世俗的な教訓を説いたことについては、これを「法中いらざる俗間の世話」として厳しく批判する者も少なくなかったが、彼は政治規範や世俗倫理に沿った教えを展開していった。
  託静は、宝暦9年に京都北野に生まれ、その年に父を失っており、9歳で出家、さらに江戸へ出て増上寺でも学び、38歳の時に京都・専念寺第17世住職となった。その後、天保5年に76年の生涯を閉じるまで、専念寺を拠点に布教・出版活動等で東奔西走したという。専念寺での30年有余年で、実に5000回以上の説教を行った事実が、その活動ぶりよく物語っている。

再縁訓 *本文写真
 
 配偶者が死んでも夫婦の縁が切れないことから、再婚に際しては墓前で亡くなった相手に再婚の許しを請うなど、亡き夫や妻の霊魂を大切にすべきことを諭す。

衣食訓 *本文写真
 
 信者からその子弟の「生涯の為になる教えを」と求められて、託静が語った教訓で、『古文前集』に出てくる「蚕婦の詩」と「憫農の詩」を敷衍したもので、衣食を生産する者の艱難辛苦を強調し、その報恩としての家業出精や質素倹約を諭している。例えば、絹の衣服1着で約3000個の命(繭)を殺生していることなどを引いて具体的に述べる。

老人訓 *本文写真
 
 誰もが迎える「老い」の問題に焦点を当てて、特に「死」というものを直視し、死後の魂が永遠に安住するための仏道修行を勧めた教訓である。注目すべき点は、宗派や宗旨の違いから対立することは「仏法をもって修羅の業をなすこと」にほかならないと厳しく批判し、いかなる宗教であろうと、自分にふさわしい方法で一心不乱に修行すべきことを第一義としている。江戸時代中期以降は、「諸宗僧侶法度」などにより他宗との対立、いわゆる「宗論」が法制上でも禁止されていたため、これに呼応したためとも思われる。