写真左が新勝寺の護摩札(江戸時代後期か)。写真上は『成田名所図会(成田参詣記)』の「寛長僧正護摩を修する図」。
 新勝寺(千葉県成田市)は、真言宗智山派別格大本山で、山号を「成田山」、俗に「成田不動」と呼ばれ、江戸時代後期(文化文政頃)からは江戸庶民の参詣が盛んになった。本尊は、木造不動明王坐像と二童子立像。
 護摩札は、護摩をたいて仏に祈願し、その霊験を宿らせたお札で、この護摩札の中にはさらに本尊を刷り込んだ一枚刷りが入っている。
 残念ながら刊年は不明であるが、江戸後期の往来物の袋綴じ中に保管されてあったもので、江戸後期ないし末期頃の印刷ではないかと思われる。

原寸 縦410mm×横126mm

[参考] 2001年正月三が日の初詣客は過去最多の8875万人で、全国ベスト10は次の通りである。
(1)  明治神宮(東京)  326万人
(2)  成田山新勝寺(千葉)  289万人
(3)  川崎大師(神奈川)  285万人
(4)  伏見稲荷神社(京都)  255万人
(5)  住吉大社(大阪)  243万人
(6)  熱田神宮(愛知)  217万人
(7)  鶴岡八幡宮(神奈川)  198万人
(8)  太宰府天満宮(福岡)  196万人
(9)  大宮氷川神社(埼玉)  183万人
(10)  浅草寺(東京)  171万人

大本山成田山新勝寺ホームページによる縁起
 成田山新勝寺は、天慶3年(940年)寛朝大僧正によって開山されました。
 寛朝大僧正は、朱雀天皇より平将門の乱平定の密勅を受け、弘法大師が敬刻開眼された不動明王を奉持し難波の津の港(現大阪府)より海路を東上して尾垂ヶ浜(千葉県匝嵯郡光町)に上陸、更に陸路を成田の地に至り、乱平定のため平和祈願の護摩を奉修し成満されました。
 大任を果たされた大僧正は再びご尊像とともに都へ帰ろうとしましたが不思議にもご尊像は磐石のごとく微動だにしません、やがて「我が願いは尽くる事なし、永くこの地に留まりて無辺の衆生を利益せん」との霊告が響きました。
 これを聞いた天皇は深く感動され、国司に命じてお堂を建立し「新勝寺」の寺号を授与し、ここに東国鎮護の霊場として「成田山」が開山されました。