我身のため (わがみのため)

  (無極庵真嗣翁(大橋真嗣)編・校・序。文政6年(1823)夏刊。[京都]細野十右衛門ほか板)

*第一冊表紙見返しに「此書は、忠孝の道を専とし、民家日用の務に付て心得となるべき話しを数多集む。人々此書を見てこの教を守り給はゝ、身を修め家をとゝのへ、子孫繁栄の基となるべし。因て、子童のためにひらがなを以てこれを教へ示すもの也」、また、自序に「惣て民家日用の務に付て、それぞれの心得ともなりぬべき道話をかいつらねて十巻とす」とあるように、主に町家童蒙向けに綴った教訓書。ただし無極庵の自作ではなく、京都のある商家の隠居が人々との談話で聞いた好話を書き記した遺稿を無極庵の校訂を経て上梓したものである。第1巻は「神道の全体を信ずる心得」以下5章、第2巻は「子を大切に育て、悪く成ざる様の心得の事」以下7章、第3巻(2分冊)は「奉公人をつかふ心得の事」以下6章を収録する。このうち第2巻序章では、ある人の説として子育ての秘訣を紹介する。子育てが肝要であり、子育ての要点として、まず知恵付きの頃より気随・気侭、不行儀、驕りから遠ざけ、悪あがきする子どもを気丈と勘違いすべきでないと注意する。町家子弟には行儀・礼節・立ち居振る舞いや、手跡・算盤を第一とし、謡い・読書なども教え、15、6歳以後は商売の道をひたすら心懸けさせよと説き、世間では分限を超えた衣食を子どもに与える親がいるが、このような溺愛は子どもに有害であると述べ、また、乳母や子守り女に外で子どもに買い食いなどさせぬようにと注意する。さらに子どもを厳しく育てるのは良いが決して折檻してはならないと述べ、さらに養子や継子の育て方にも触れる。


写真は第1巻見返しおよび2〜4巻の外観、また、2巻の本文冒頭
○第二巻「子を大切に育て、悪しく成らざる様の心得の事」 より抜粋

・中国では15歳以下の小児には『小学』という書を教え、清掃・応対・進退の礼節を習わせ、礼・楽・射・御・書・数の道を学ばせるという。わが国でも相応の家柄の子どもにはこれらの品々を教えるべきである。ただし、町家の子どもにはこのような詳しいことを学ばせる必要はないが、分相応の行儀・礼節・立居振舞などは教えるが良い。特に、手跡と算盤は第一に習わせ、10歳以上からは謡・読み物なども教えるが良い。さらに15、6歳からは、ひたすら商売の道を心懸けさせるべきである。その際、お得意先や下請け職人の所へ行き来させるうちに、世間にも知人が多くできるようになる。この時、心持ちが堅固で大人しい性質の者は問題ないが、もし惰弱で心根が悪い者は、悪友に随順して遊里通いを始め、不埒にも酒を飲み習い、芸妓・遊女にだまされて毎日のように通い出し、次第次第に深入りして、親の目をかすめて店の商品を担保に借金をしたり、金銀を盗んで使い捨てるようになる。この時に及んで説教したり折檻しても、決して直らない。…これらは皆、親が油断して育てた結果である。

・子どもを育てるには、決して奢った事を見せてはならないし、食べ物も淡白な物を食べさせ、粗服を着せるが良い。厚味の食物を食べさせると、脾胃を破り、蛔虫が生じ、衣服を重ねて暖めすぎると、筋肉がしっかりと固くならず、筋骨が弱って病弱になる。

・子育てには、少し厳しい方が良いとはいえ、あまり打擲(体罰)はするべきでない。誤って急所などをたたけば、一命にかかる場合もあり、そうでないとしても、五体不具になる場合もある。それに、折檻すれば、親に親しむ心が薄くなって、恩愛の道が立ち難い。しかしながら、子どもが「手に余る横着者」と人から憎まれ非難されているのに、その親はわが子を良いとばかり思って、拳一つあげずひたすら甘やかして育てるため、悪あがきが増長してついには気随・気侭のいたずら者となる。

・古語に「父教えざれば、子愚なり」と言い、「慈父庭訓の誡めあり」とも言うように、子どもを善へ導くのは父親の役割、子どもを育むのは母親の役割であり、父母の養育教導によって子どもは成長するのであるから、息子も、娘も、その賢愚はその親の育て方次第とわきまえよ。

★本書は原本が東北大・広島大・成田図書館等に所蔵されているほか、影印が『江戸時代女性文庫・54』に収録されています。架蔵の原本を読みたい方はデジタル複写をお申し込みください。