貝原先生家訓 (かいばらせんせいかくん)

  (貝原益軒(篤信・柔斎・損軒)作。赤松勲(蘭室・大業・太郎兵衛)序。貞享3年(1686)作。寛政5年(1793)序。寛政6年1月刊。[大阪]播磨屋新兵衛板)

*益軒が子孫のために綴ったとされる家訓で、「聖学須勤」「幼児須教」「士業勿怠」の3章20カ条から成る。まず「聖学須勤」では、聖人の教えを学び努める志を立てる「聖学」の大意や、己を誇り人を侮る「矜」は「天下の悪徳」であり、逆に智を開き善に進むための徳たる「謙」は「天下の美徳」であると説く。また「幼児須教」では「随年教法」など『和俗童子訓』同様の教育論を展開し、「小児ははやく教べし」「後には善事をおしへても移らず」と述べ、小児には偽りを教えたり、脅して臆病の癖を付けさせたりしてはならないこと、年齢と性質に応じた具体的な教育方法(読み・書き・算盤、諸芸等)や先祖崇拝などについて教える。さらに「士業勿怠」では、武士の職分や日常生活での基本的心得(倹約、文武両道、忠孝勤倹)を諭す。後文で、貝原家では15歳になったら以上の家訓を代々相伝すべきことを述べる。なお、本書は益軒作ではなく、後人による偽作とする説もある。


写真は、寛政6年板の表紙と本文冒頭
○「幼児須教(幼児すべからく教ゆべし)」 より抜粋

・子どもが初めて飯を食い、物を話すようになり、人の顔を見て喜怒の様子が分かるようになった頃から、いつも絶え間なく教えれば、少しずつおとなしくなって、戒めやすくなるものだ。だから、子どもは早く教育しないといけない。教育が遅れて悪い癖がついてからは改めることが難しい。悪事を多く聞き慣れてからは、善事を教えても良い方に移ることはない。物事を偽ること、おごり高ぶって我が侭をすることは、早く戒めて決して許してはいけない。

・大抵子どもが悪くなるのは、父母や乳母、側に使える人々が人道を知らないために、子どもの本性を損なってしまうからである。泣く子を黙らせようと、「これをやろう、あれをあげよう」となだめすだけで実行しなければ、それは子どもに偽りを教えることである。また、恐ろしい話などで子どもを脅かしてばかりいると、やがて子どもは臆病の癖がつく。武士の子どもには特に注意しなくてはいけない。

・幼時の教えは、繁雑であってはならない。煩労だと学問がいやになる。難しく教えて、子どもの気持ちをくじいてはいけない。子どもの年齢や性質に合わないことを強制してはならない。年頃に応じた教育をすべきである。その子どもの生まれ付きをわきまえて、過ぎたるは抑え、足らざるは補って、中庸にかなうようにせよ。子どもを教えるには「義方の教え」をモットーにし、「姑息の愛」を排除せよ。子どもの怠り・気随(我が侭)を許さず、私欲を増長させてはならない。

・武士は用事が繁雑なので、一芸一材に秀でているだけでは役に立たない。年齢とともに広く文芸を学ばなくてはならない。文芸は、和礼(単に礼儀作法だけでなく、書札礼や茶礼も含まれる)、書法・文字の学問、算数等である。余力があれば、和歌、本朝の故実・典故、医薬・養生の術も併せ学ぶがよい。詩は日本古来のものではないので、その才能がない者は作ってはならない。学問の功を費やし、心を苦しめ、拙い詩でもその拙さに気づかず、人から非難されるだけで意味がない。また、武芸では、剣術・槍・騎射・鉄砲・拳法などである。

・学問をするには、良き師・良き友を選ぶことが重要である。師友が良くないと、学んでも後々無益となり、一生道を知ることがない。よくよく師友を吟味すべきである。諸芸もまた同様である。

※以下、年代別教育法(随年教法)に触れるが、その要点を掲げておく。
【6歳】 初めて数字と仮名を教える。「いろは」は有益でない。「あいうえお」の五十音で教えよ。
【7歳】 初めて『孝経』を読ませ、孝悌忠信・礼儀廉恥の道理を教え、五常・五倫・六紀・四端・七情・六芸・四民等の名目(名数関連の語彙)を多く教えよ。ただし一度に多く教えてはいけない。少しずつ教えて十分に覚えさせよ。子どもに書物を読ませるポイントはすべてこの要領である。
【8歳】 古人はこの年に小学に入門した。初めて『論語』を読ませよ。幼時にも相応の礼儀を教え、辞譲の心を身につけさせる。また、和礼を教え、漢字の草書を習わせよ。
【10歳】 『小学』を読ませ、そのうち義理が分かりやすく、大切な部分を説き教え、漢字を習わせよ。
【11歳】 この年から「四書」「五経」等を読ませ、文武の芸能を習わせよ。
──以下省略。

★本書は原本が国会図書館・筑波大学・東大・東北大等に所蔵されているほか、影印が『近世育児書集成』に、翻刻が『日本教育文庫・家訓篇』『益軒十訓(有朋堂文庫)』に収録されています。架蔵の原本を読みたい方はデジタル複写をお申し込みください。