〈礼学大全〉五倫訓 (ごりんくん)

  (大館天涯(氏晴・明礼堂)作。天保6年(1835)作・序、天保7年刊)

*本書は、江戸中期から後期にかけて活躍した故実家・大館天涯(1756〜1838)晩年の著作、天保7年(1836)の刊行で、見返しに「明礼堂蔵板」とあり「源氏晴印」「天涯」の印が印刷されているように天涯の私家版である。天涯は源義家から数えて25代目の末孫で、百済国の王仁が日本へ伝えた「礼学」を代々実子相続してきたと述べており「礼学の権威」としての自負が感じられるが、事実、大館家は伊勢家と並ぶ武家故実の名門であり、室町幕府の側近として活躍した家柄であった。彼は、武家礼法・庶民礼法ともに小笠原流が一世を風靡した江戸時代にあって、一家相伝の礼学の再興を願った。
*本書巻末附録の「礼学童蒙必用」で、2歳からの挨拶教育などユニークな教育論を展開している。

○本文より抜粋・要旨

・天涯が説く庶民の子育て論は、本書附録「礼学童蒙必用」に詳しい。その冒頭で、農工商の童蒙を賢い善人にするには、まず父母たるものを賢い善人に教育することが先決だと述べている。母を田地、父を農業に譬えれば、田地には上中下の位があり、農業にも巧者と不巧者があり、さらに肥やしにも多少があって、言わばこれらの条件が重なり合って出来る収穫が子どもであるとする。つまり「子どもは全て親がしてきたことの結果である」と説いている。そして、子どもは「父母の志と常の正しき身の行いを、幼き時より手本として成人する故、他の教えを受けずしても、自然と賢き善人に育つものなり」と断言している。親が賢い善人なら、特別な教育は不要だと主張するのである。
 そして興味深いのは、「農工商の童蒙を賢き善人にする礼学」は子どもが二歳の時から始めよとしている点である。二歳から一〇歳前後までの子育てを記した「児育の部」を読んでみよう。
 凡そ小児は湯浴みして汚れ穢れのなきようにすべし。毎朝顔を洗い拭うべし。初めの程は嫌いにても後には慣れて嫌わぬようになるべし。二歳になれば、毎朝、母其の子を抱きながら両手を合わせ、父に御礼することを教うべし。歩くようにもなりては、母にも御礼することを教ゆべし。そのほか祖父・祖母を始め、他人をも見るたびに御礼することを教うべし。爰にして、人生まて出でて始めて頭を下げて人に御礼することを教ゆるなり。
 親は、朝の洗面を含め子どもが清潔にするように気をつけ、まず最初に教えることは、父を始め周囲の者にお礼を言うことであるとする。言葉も話せないうちから幼児にそれを教えるのである。つまり、母親が幼児を抱きながら一緒に感謝の言葉を述べる──そんな習慣をつけて子どもの感謝する心を育てよと教える。三歳以後も同様に、日月への礼拝や挨拶・言葉遣いなど、日々の習慣づけを大切にした育児論を説く。
 三歳になれば、毎朝顔洗い、口すすぎ、日輪に拝することを教え、三日と十五夜は月星に拝することを教え、物言い習う初めには「おとと様、おかか様、おじい様、おばば様、お兄様、お姉様」と美しく言い習わすべし。そのほか言葉づかい、よろずに物言い、美しく言うように、心をつけて教ゆべし。初めより悪しき癖つきしを、後に改め変えんことは難かるべし。悪しき癖は直り難し。故に、其の初めに心をつけて教ゆべし。「三歳八十を定む」と言い、「三つ子の魂百まで」という諺もあれば、三、四歳の時、よくよく教え導き育つべし。
 四歳以後も同様に、知育への若干の配慮をしながらも、やはり、礼拝や挨拶を教えることを子育ての基本にすえている。
 四歳になれば、朝早く起きてご両親を始め、祖父・祖母様へ「お早う御座ります」と敬いて御礼をさすべし。次に、東西南北を教え、そのほか万物の名を見付け次第、その名を言い教ゆべし。
 五歳になれば、朝早く起きて、手水・口すすぎして、ご両親へ例のごとく敬いて御礼して、それより神の棚へ向かい拝礼して「ご両親様のご機嫌良きように守らせたまえ」と敬いて拝し、次に仏壇へ行きて仏を礼し、ご先祖方霊前を敬いて御礼することを教え、寝る時は「お先へ寝まする」と告げて、父母のお免しを受けて寝ることを教え、三度の食事も「御食をいただきます」と御礼して喰うことを教え、七歳になれば、孝行をしては御上よりご褒美を下されしこと、また、親に不孝し、御法度どもを相背く時は、手錠・入牢して、その上、恐ろしきお仕置きあることども、折々言い教え、また、師を頼みて筆の道を教え、その業その業の要用相勤める程に修行さすべし。何程身軽の農工商の子たりとも、人に生まれしことゆえ、『孝経』一巻は師に付き素読習い、追々其の義理を承り明らめ、孝行を励むべし。
 八歳になれば、礼儀・威儀兼備の礼学を男女とも、その親々、師となりて怠りなく教うべし。もし親々世話しき身分なれば、師を撰みて教うべし。今、世に専ら流布する処の和礼家に教える諸礼躾方故実を習えというにはあらじ。
 このように、最低限の読み書き教育には触れるが、礼学に基づく教育を根本としている点で、他の教育論とは違った色彩の主張になっている。故実家ながら、庶民に教える礼法に故実は全く無用であるという考え方である。上記の引用を見ても分かるように、子どもが読んでも理解できる平易な表現で具体的に述べている点も著者・天涯の意図する所であろう。
 さらに注目すべき点は、算盤教育に関してである。
 また、師に付き算盤を習わしむべし。農工商とも、算の道を知らざれば、一日も立つべからず。農家の子なれば、田畑より何程作りだし、幾人の家内、一日諸雑用何程入りて、一カ年何程になる、工商の子も同じことゆえ、倹約を守らざれば暮らし難き等を明らかになるは、算盤を習いし徳なり。農家も頭分の子はなおもって算筆は達者に習いて、検見免割算法、諸帳面類、諸願書等、達者に勤むるほどに修行すべし。然れども、学問に昼夜とも勤むること、また、能筆・算術者に至らんと昼夜修行して、銘々天職たる家業に怠ること、深く教戒すべし。
 このほか、次のような地域別・職業別の心得を記すのも独特である。
○京都・江戸・大坂の工商の子どもは男女とも、『孝経』を学んでその道理を理解し、礼学を習うがよい。その分限によっては、和歌(祝いや雪月花の歌)を習うがよい。女子は琴と三味線の組歌(地歌・箏曲の曲種名。意味の連絡のない歌詞数首を組み合せて、一曲としたもの)だけを習い、名人になろうなどと深入りしてはならない。縫い針、仕立て、また男女とも茶の湯、活花なども少しは習ってもよい。
○城下・市街・在所でも分限に応じて相応の芸は教えておくが良い。国や地域によって女子は蚕を養い絹糸を取り、真綿を伸べ、機を織り、木綿糸を紡ぎ、苧を績み、布木綿を織り、縫い針・洗い濯ぎ・仕立て物は念入りに教えておくが良い。元来、在所の女子には遊芸は無用であるが、今の時代の風俗なので、琴・三味線は少しも習わぬようにとは言い難いが、それも組歌までで十分であり、流行歌は淫乱に移るおそれがある。男子は謡は多少やらせても、浄瑠璃や端唄は堅く禁止せよ。
 このほか「雑事の部」に見える、次のような児童遊戯に関する独自の見解も、作者の数十年の諸国歴訪の経験に基づくもので興味深い。
○凧揚げ、竹輪回し、玉打ち遊び、栄螺打ち(地面にまいた栄螺のふたを別のふたで当てる遊戯)などは良い。気血がめぐって養生にもなる。
○女子の羽子板遊び、手鞠歌遊び、歌かるた取り遊びなどは良い。女子の才智を働かせる助けになる。
○悪い遊びも国や地域によって様々だが、中でも礫打ち遊び、木からの飛び下り遊び、木の枝に縄をかけてぶらぶらと下がる(ブランコ)遊び、正月のしめ縄取りや門松取り、雪国では雪合戦、竹杖馬(竹馬)遊び、犬の咬み合い遊び、橋の欄干での伝え歩きなどは止めさせよ。
○辻宝引き(金品を結んだ紐を引く福引き)、芝居役者の紋付け、絵双六、むべ山たとえかるた(歌かるたを使った賭博)、六道(地上に大路・小路の形を描き、銭を投げて競う子供の遊戯)、穴打ち(地面にあけた穴に周りから銭をうち込み、穴に入った者が銭を獲得する遊戯)などの賭け事は決してさせてはならない。
──これらの記述からは、天涯が諸国で布教活動を行う過程で、各地の民事、すなわち風土・気質・貧富・行政とともに子どもの遊戯を教育者の目でつぶさに見て回った様子がうかがわれ、自ら「当世の上下の人情に熟せり」と自負するのも、あながち誇張ではない。いずれにしても、天涯の二歳から始める挨拶教育等は、小難しい理屈もなく、単刀直入に庶民に訴える実践的な子育て論といえよう。

★本書は、京大・都立中央図・成田図等が所蔵していますが影印や翻刻はありません。架蔵本の原本を読みたい方はデジタル複写をお申し込みください。