丙午明弁 (へいごめいべん)

  (池田義信(渓斎英泉・楓川市隠)作。千島竹渓序。弘化2年(1845)作・序・刊)

*池田義信(渓斎英泉)は、寛政3年(1791)生まれ、嘉永元年(1848)没の絵師・戯作者。著作は極めて多く、往来物も相当手掛けている。
*本書序文によれば、普通の病気なら医者が治せるが、丙午の迷信のような俗病は医者では治せないため、この迷信を一掃するために本書を著したとする。丙午の俗説を否定し、単なる迷信であること諭した啓蒙書である。

○本文より抜粋・要旨

・世俗に、丙午生まれの男子は成人してから運勢が悪く、丙午生まれの女子は嫁いでから夫を害すると言い、この迷信があまねく流布しており、その真偽事実をわきまえずにただただ丙午を恐れるというのはどうしてなのであろうか。その俗説のために、娘を嫁がせるにも午年の前の巳年から縁談を結ぼうとせず良い嫁入り口を失い、かえって、不幸な縁談にかかって一生を棒に振る。これは、丙午に子どもが生まれることを嫌うからである。そのため、男女とも本当の年を隠したり、生まれ年を変え、その虚に乗じて坊主や巫女などが祈祷・呪い等によって愚昧の者をたぶらかし、金銭を貪り、欺き取る者もいる。
・かつて享保11年や天明6年の丙午の年にも妊娠した婦人が、他人の嘲りを恥じて流子薬(ながしぐすり)を服用し誤って命を失った者が多かったと聞いている。甚だしい場合には生まれてきたわが子を殺してしまうことすらあったという。実に嘆かわしく、憐れむべきことであり、その愚鈍さ・浅はかさは悲しむべきである。
・男女とも生まれ年の善悪は関係がない。例えば、『百人一首』にも入っている在原業平も天長3年丙午年の生まれだが、和歌に秀でて今日までその名が知られている。足利尊氏は徳治元年丙午年に生まれたが、強運でついに天下の将軍となった。ほかにも、文禄11年の丙午年に江戸城が築かれたが、その繁栄ははかることも出来ない。このようにめでたい年であるから、妊娠中の女性は安心して平産するがよい。末頼もしき子どもが生まれると知るがよい。
・とにかく生まれ年の善悪によって干支を嫌うことは生涯の障りであり、丙午の妄説にたぶらかされることは愚かなことである。禁忌といえども、悪日に善事をなせば吉日であり、吉日でも悪事をなせば悪日である。このような俗説に迷う者は、小悪に隔てられて大善を失うことが多い。よくよくわきまえ慎むべきである。


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