父 兄 訓 (ふけいくん)

  (林子平作。天明6年(1786)序)

*林子平(1738〜93)は。江戸中期の経世家で、海防論の先駆者。江戸に生まれたが、父の不祥事で叔父に養われ、後に、仙台藩士となった兄に従って、仙台へ移った。博識で兵学を好み、領内の各地を回って殖産や学制改革を藩に上書した。安永元年(1772)に蝦夷地に赴き、北辺の形勢を調査し、さらに長崎に行ってオランダ人から海外事情、特にロシアの南下政策について情報収集した。こうして天明6年(1786)には『三国通覧図説』、寛政3年(1791)には有名な『海国兵談』を著して、日本の国防の必要性と方法について説いた。後者は人心を惑わす虚説と幕府から咎められ版木が没収され、子平は蟄居を命ぜられ、不遇のうちに寛政5年(1793)に病死した。

○「父兄訓」 より抜粋・要旨

・ 人々が子を持って安堵し、楽しみに思えるのは、子どもが11〜12歳までである。13、14歳にもなれば、徐々に悪行も覚えて増長していくため、親は安心できなくなり、「子どもは苦労の種である」とか、「子どもに飽き果てた」などと言うようになる。これは何故かと言うと、11〜12歳頃までは天性のままでお金や色欲などの欲情がないために、素直であるからである。この時期までは、何事も父兄に頼って、父兄の命令に従うために齟齬が生じない。しかし、年齢相応に色や金銭の欲情が起こり始めると、「義理」と「恥」を心掛けないと、私利私欲のままに働くようになり、無頼放蕩に陥ってしまう。

・ 愚かな大人の癖として、学問のある親がその子どもを教え導き、その子どもも大人しく文武を身につけているのを見た時に、わが子と比べて見て、わが子が劣っているのを気の毒に思ったり、僻んだり、腹を立てたり、時には自分の子どもを罵って、「だれだれの子どもはお前と同年だが、良い生まれ付きで、文武ともにこなして立派であるのに、どうしてはお前はこのように人柄も悪く、不作法で、万事不埒なのだ。親として情けない…」などと叱ることが多い。これは一見もっとものようだが、極めて無理がある。

・ まず、人の善悪と不実は、ただ父兄の教訓や育て柄によるものだからである。親が子どもの育て方をわきまえずに、自分の子どもを牛馬のように育てておいて、自分の子どもを他人の子どもと比較して、わが子をののしることは親が自分の馬鹿さ加減を露わにしているようなものである。子弟の善悪邪正は、1割くらいは生まれ付きもあるかもしれないが、9割は父兄の教えによるものだ。

・ 子弟を教えようと思うなら、父兄たる人が、読書・手習い・文武の諸芸などを自ら修行すべきである。幼少の者は万事人真似をするものである。これは子どもを叩かずに、身をもって子弟を導くことであり、これを「徳行」という。このようであれば、子弟は叩かなくても心服するものである。

★本書は、『仙台叢書』、『日本教育文庫・訓誡篇』(上)、『林子平全集』2等に収録されています。架蔵本の原本で読みたい方はデジタル複写をお申し込みください。