嚶鳴館遺草 (おうめいかんいそう)

  (細井平洲作。天保6年(1835)跋・刊。[江戸]嚶鳴館蔵板)

*作者・細井平洲(1728〜1801)は、上杉鷹山の師として知られる江戸中期の儒者。尾張国知多郡平島村の豪農の次男に生まれたことから「平洲」と号した。宝暦元年に師の中西淡淵に従って江戸へ上った後、まもなく私塾を芝神明町に開いた(これが後の「嚶鳴館」)。その後、諸藩経世・教育指導者として活躍し、明和元年に米沢藩に招聘され、鷹山の藩政改革や藩校設立に尽力した。その思想は儒学の流派を問わない折衷学派の立場をとり、実践的な教育を旨とした。


写真は「つらつらふみ」(単行本)と「嚶鳴館遺草」巻5所収の「つらつらふみ」
○「つらつらふみ(君之巻)」 より抜粋

【君之巻】
・ 剣術で有名な者は、折々人に打ち叩かれたからこそ上手になったのでございます。馬術に巧みな者は、折々落馬したために名人になったのでございます。一度も打たれず、一度も落馬せず、稽古修行もなくて達人になったという人は一人もおりません。人君も幼年より、しばしば家臣に諌められ、仕込まれ、折々、赤面なさったような方が、いつでも明君賢将に成られるのでございます。
・ 師匠たる人は、人の問いを待つものでございます。十のうち三つ、四つは知らないことがあっても、残り六つ、七つくらいは弁えていなければ、周囲からの信仰(信用や尊敬)は起こらないので、博学多識はもちろんのことでございます。しかし、単に博学多識で躬行(口で言うことを自ら実践すること)がなけれが、抜き身の名刀を腰に指しているようなもので、いつか必ず怪我をするものでございます。ですから、師匠には「素志素行」を失わない人を登用なさるべきです。「素志」とは、幼年よりの志をいつまでも持ち続ける人のことです。「素行」とは、幼年より平生の行いが正しく、壮年になってもそれが続いている人のことです。このような人が「はえぬきの人」でございます。
・ 総じて、人を育てる心持ちは、「菊好きの菊の育て方」のような方法ではなりません。「百姓の菜大根の作り方」のようにするべきです。「菊好きの菊の育て方」は、花が見事に揃っている菊ばかりを咲かせようと願うために、枝の多いのをもぎとったり、沢山のつぼみを摘み捨てたり、また、伸びたのを縮めたりして、自分の好みの通りにして、咲かせたくない花は花壇に一本も立たせようとしません。これに対して、「百姓の菜大根の作り方」は、一本一株も大事にして、一つの畑の中には良い出来のものもあれば、へぼもあり、大小不揃いでも、それぞれ大事に育てて、良きも悪きもみな食用に活かすものでございます。この二つの育て方の違いをよくよくお心得なさるべきです。人才は、一様ではございません。一概にご自分に合うように育てようという偏った心持ちでは、教えられる人も耐えかねるものでございます。知愚・才不才、それぞれに相応に取り扱って、基本的に正しい人間であれば何かの役に立つであろうという心得のない、見識や度量の狭い人物は師匠には致しがたいものでございます。

★本書は原本が国会図書館、内閣文庫、筑波大、京大、東大、東北大、早大等に所蔵されているほか、翻刻が『日本経済叢書・15』、『日本経済大典・22』、『日本倫理彙編・9』、『平洲全集』に収録されています。架蔵本を原本で読みたい方はデジタル複写をお申し込みください。