翁問答 (おきなもんどう)

  (中江藤樹作。寛永18年(1641)作。慶安2年(1649)刊。[京都]勘右衛門板)

*藤樹は、11歳の時に『大学』を学んで感激し、以後は特定の師を持たずに独学で朱子学、陽明学を修めたが、さらに、「孝」を人生の根本原理とする独自の思想を展開した。『翁問答』は、藤樹34歳時の著作で、文字から乞われて仮名書きで認めた問答形式の教訓書で、藤樹自身その成果に必ずしも満足しておらず、本来出版の意図はなかったため、出版直後に絶版とし、その代わりに書肆に『鑑草』の原稿を与えたと言われる。

○徳教について (第1巻より抜粋・現代語訳)
 子孫の教育は幼少の時が肝心である。昔は「胎教」と言って、母の胎内にあるうちから胎児への「母徳の教化」を行った。今時の人は「至理(しり:至極もっともな道理)」を知らないので、幼少の時分には教育がないものと勘違いするのである。「教化」の本質を知らずに、ただ口だけで教えるばかりが教育と思い込んでいるために、このような誤りを犯すのである。
 根本真実の教化とは「徳教」である。口で教えるのではなく、時分の身を正して道を行い、それによって周囲の人間が感化されていくことを「徳教」というのである。これは、あたかも水が物を潤し、火が物を乾かすようなものである。
 国土の方角や水土の風気によって、そこに住む人間の気質は少しずつ違いがあっても、言葉付きには本来、京、田舎の差別はないため、赤子の時から京で育てると、関東で生まれた者も京言葉になるものである。逆に、京生まれの者も関東で育てれば関東言葉になるものである。
 このように、幼い者の心立てや身持ちは、その父母や乳母の心立てや身持ちに見あやかったり聞きあやかるために、父母や乳母の徳教が子孫の教育の根本となるのである。
 従って、乳母の人柄を吟味し、父母の身を修め、心正しくして、親孝行の道を語り聞かせ、また、身に行って、教育の根本を培養すべきである。

★本書は慶安2年を初板として、慶安3年、慶安4年、万治2年、寛文5年、宝永6年、天保2年と何度も再刊されたが、写真はその初板本で所蔵が極めて少ない。また、活字版では、「岩波文庫」「修養文庫」「続々群書類従」「大日本思想全集」「藤樹全書」「藤樹先生全集」「中江藤樹教育説選集」「日本精神文献叢書」「有朋堂文庫」など多数刊行されている。慶安2年板の原本を読みたい方はデジタル複写をご利用ください。