往来物関連情報(柱)

■『近世蔵版目録集成』(全3輯+別冊索引)が完結しました (2006/1)

 編集で約1年半がかり、企画・構想段階から数えると約2年かけた本集成が、このほどようやく完結を迎えました。

 「近世蔵版目録集成(往来物編)」の編集を終えて


●構想・企画から編集作業まで

 これまで数万点の刊本の調査をしてきましたが、その中で常に気になっていたのが、刊本にしばしば見られる書籍広告の数々でした。広告の性格上、過大なPRや事実と異なる記載など、資料的な限界もありますが、書籍広告でしか得られない情報も決して少なくありません。実際に、私の学位論文『近世の女筆手本─女文をめぐる諸問題─』でも、書籍広告は大いに活用させてもらいました。
 そこで、いつか、この書籍広告を影印で集めて、索引を付けてみたら、有益な(少なくとも私には)資料になると思い、密かに構想を練り企画書をまとめたところ、縁あって、岩田書院の岩田博さんの目に止めて頂き、刊行の運びとなりました。
 『国書総目録』を見ても分かるように、江戸期の刊本は無数に存在し、その広告を一通り集めることは困難極まりないため、とりあえず私の手元にある約5000冊の刊本(往来物がほとんど)を中心に広告を集めることとし、他分野の刊本についてもシリーズ化していく願いも込めて、今回刊行分を特に「往来物編」としました。往来物に的を絞ることで、想定される読者対象に対してどのような書籍がPRされたのかという興味深いテーマも見えてくるでしょうし、他分野の刊本における広告との違いも明らかになるメリットもあると考えました。
 実際の編集作業はいたって地味なもので、所蔵本のうち広告を掲載するものとそうでないものを分別し、さらに1頁1頁スキャナーで画像をパソコンに取り組んでいきました。正確に数えていませんが、全部で2000点近くの画像から、明らかな重複分などを除いて、最終的に
 1輯 383頁(正徳〜寛政期、および年代不明で江戸中期と思われるもの)
 2輯 527頁(享和〜天保期)
 3輯 401頁(弘化期以降、および年代不明で江戸後期と思われるもの)
合計で1311頁(書籍広告741点)を収録することができました。この間、次々と入手した和本からも画像を取り込み、プリントアウトして比較検討した画像は1600コマを越えましたが、全く同じものや状態の良くないものなどを除いて1311コマに絞りました。類似広告の比較検討作業は慣れるまでは大変で、各広告の通し番号も、作業途中で増補・削除を繰り返したために、年代順のナンバリング作業を何度も行わなければなりませんでした。
 さらに別冊の索引(書名索引・板元名索引)作りは、難読漢字や破損による判読不明箇所も多く、困難を極めました。
 大きな誤算がいくつかありました。一つは、往来物に出てくる広告なので、大体書名も分かり切っているし、大したことはないだろう…と高をくくっていましたが、そんなことはありませんでした。絵本や生活関連書、家庭医学書、また、儒教経典から仏教書、それに戯作等々の通俗書など、ありとあらゆるジャンルの本が紛れ込んでおり、とりわけ苦労したのが仏教関連書で、どう読むのか(呉音読みなど)の判断もままならず、『国書総目録』や『古典籍総合目録』で逐一チェックするという作業に膨大な時間が費やされました。俳書や戯作などもなかなか読みにくい書名が数多く出てきます。
 また、その書名には未刊のものも多く、『国書総目録』にも出てこない場合があります。ある程度想像できるものは良いですが、そうでないものは不本意ながら音読みで処理。中には、なんと読むのか分からない漢字もあり、書名の読み不明とせざる得ないものも2、3生じてしまいました。
 さらに誤算だったのが、そのような書名の多さです。全3巻分で入力した書名は約1万2600件、板元は約1480件でした。書名は先ほど申し上げた書名の読みの入力作業が極めて大変でした。やはり1万件を超すと相当の作業になります。一方、板元は数が少ないながら、異称(通称・屋号・堂号・雅号等)が多く、これもまた『近世書林板元総覧』(青裳堂書店)との格闘の連続で、「もう二度とやりたくない…」と思いたくなるような作業でしたが、決して無駄ではありませんでした。

●本集成で発掘された多数の板元
 例えば、『近世書林板元総覧』は江戸時代の板元調査には不可欠の基本文献で、本当によく調べてありますが、それでも漏れがかなり見つかりました。修正すべき箇所も多々あり、手元の『近世書林板元総覧』にも随所に朱筆を入れています。
 例えば、次の27書肆は『近世書林板元総覧』に全く記載されていない板元です。
  *秋田屋源之助[大坂]
  *伊勢屋正兵衛[京都]
  *礒嶋宇右衛門[京都]
  *稲田金幸堂( → 菊屋幸三郎・金幸堂)[江戸]
  *梅沢猪三郎(梅沢伊三郎か)[江戸]
  *近江屋伊兵衛[京都]
  *大坂屋富次郎[江戸]
  *鹿嶋屋清介[大坂]
  *上総屋吉左衛門[江戸]
  *雁金屋新助[越後白根町]
  *吉文字屋源重郎(吉文字屋源十郎か)[大坂]
  *鴻池屋卯吉[大坂]
  *青雲堂( → 茗荷屋弥兵衛)[水戸]
  *清光楼( → 藤屋宗兵衛)[江戸]
  *西村清右衛門[京都]
  *能勢儀兵衛[京都]
  *平井文蔵(炭屋文蔵か)[京都]
  *文台屋源治郎[京都]
  *宝雅堂[越後柏崎]
  *蓬莱堂[松本]
  *茗荷屋弥兵衛(青雲堂)[水戸]
  *村田屋彦太郎[江戸]
  *森川儀右衛門[伊勢]
  *安井嘉市郎[大坂]
  *安井清蔵[大坂]
  *山口屋又一郎(山口屋又一か)[大坂]
  *米田清左衛門[大坂]
 つまり、今回収録したたった741点の広告から27人の新たな板元が判明したことになります。およそ3.6%です。この種の板元広告は往来物に限らず集めれば数万点の規模で収集可能でしょう。仮に2万点の書籍広告を集めれば、可能性として720人の新たな板元が見つかるかもしれない確率です。
 いずれにしても、この種の作業は、やはり大勢で取りかからないと本当の実態解明は難しい…と感じた次第です。

●視点を持って見れば、面白い発見も
 このたび刷了となった各冊を改めて眺めていくと、研究のヒントや面白い発見が色々出てきます。書籍広告を単独で見ていてもそれなりの資料性がありますが、往来物という限られたジャンルの書籍広告であっても多数集めることで初めて気付く事柄もあります。同年代あるいは同一板元の広告、年代による広告の変化、蔵版者の変更に伴う広告の修正等々、視点を定めて見ていくとなかなか面白いものです。
 そこで、女子用往来に焦点を絞って本書を眺めてみると、次のようなことが確認できます。

【女筆手本の広告は早い時期から登場】
 往来物に書籍広告が掲載されるのは一般に正徳頃からですが、その早い段階から女子用往来についても広告が掲載されています。その初期のものは「女筆手本」と呼ばれる女性用書道手本で、特に長谷川妙躰の手本の広告が大半です。当時は、女性が自らの著作に雅号を認め、板元も女性筆であることをさかんに宣伝しましたが、江戸時代の出版において女性がその第一線で活躍し、これほど注目された時期はほかにないと思われます。
 例えば、正徳3年の『さゞれ石』の広告(第1輯7頁)には、「筆海子長谷川妙躰正筆板行目録」と題して8点の書目を列挙し、最後に「此外、筆海子正筆追々板行」と記してあります。ここで「正筆」を二度も強調しているあたりは、類書を排除しようという板元の意図が見え隠れしていますし、妙躰という当時流行の女性書道家を抱えることで他の板元と差別化を図っていった様子が窺われます。
 また、これらのうち4書には「近日出来」と付記され予告になっています。このうち3つはその後実際に刊行されたため、時代が下るにしたがって、広告から「近日出来」の文字が消されていきましたが、『女筆続後指南集』だけは何年探しても見つけることができません。諸記録等にも出版された形跡もないため、未刊に終わったものと見なしてほとんど間違いないでしょう。

【未刊の広告も多い】
 このように未刊本の広告も、探せばかなり見つかります。例えば、宝永6年の『しのすゝき』の広告(第1輯6頁)です。これも女筆手本に載っている広告ですが、そこには「男女通用板行目録」と題して、21の書名が並んでいます。京都書肆・植村藤次郎の蔵版書目です。これらのほとんどが往来物ですが、私が実際に目にしたものは『新書学手本』『仮名手本』『女筆しのすゝき』『女筆雲井乃鶴』『女朗詠教訓歌』『女中庸瑪瑙箱』の6冊だけで、見たことのない書名ばかりです。よく見るとそれもそのはずで、末尾に「右、各々近日出来」とあり、冒頭の『筆海専要』以下5点のみに「出来」と明記してありますから、この時点で刊行されていたのはごく一部だったようです。しかし、そのほかの往来にも多く未刊のものが含まれていたと思われます。しかし、未刊であっても出版の企画はなされたわけで、それはそれで意味があることでしょう。
 また、この目録には書道家の名前がない場合でも「玉置流」「寺沢流」「光悦流」などと書流が示されていますので、当時のこの書流を名乗れることができた人は各書流のトップだけだったと思われますから、「寺沢流なら寺沢政辰」のように自ずと筆者が想定できるでしょう。女性の著作には「長谷川(妙躰)筆」「沢田氏(吉)筆」の2名が明記されており、当時もっとも著名な女筆であったことを偲ばせます。

【時代によっても、板元によっても異なる蔵版目録】
 さらに、第1輯15頁、享保5年の『女用智恵鑑』の広告(というよりも女書目録)には「女中書物目録」と銘打って39の書物が並んでいます。女訓書・女子用往来に属するものばかりですが、『和論語』『徒然草』『たが身の上』『いさめ草』など男性にもよく読まれた本も散見されます。説明には「右の書物は聖人・賢女のおしへ、或は日用の重宝、女人常に習ふべし」とあり、女性教養書として主に女訓物、仮名草子、重宝記類が推奨されています。
 このような女性教養書類の目録は女子用往来にしばしば見出すことができます。宝暦12年の『女書札百花香』(第1輯92頁)の「女中日用可翫書目録(じょちゅうにちようもてあそぶべきしょもくろく)」には、『女千載和訓文』以下13点の書名が見え、その半分が絵本類になっています。宝暦頃から急増する絵本類の出版状況を反映しているようです。このうち『絵本諸礼訓』には「おとこ・おんなのしつけがたをくわしくうへに書、手引となす」とありますから、小笠原流礼法を絵解きした男女共通の教養書であったことが分かります。また、未見ですが『小野小町風雅占』という箱入りの本も販売されていたようで、その説明には「わがこゝろにおもふ事を人にうらなはせてしる、なぐさみの本なり」とあり、娯楽の一種としての占い書も含まれることから、同じ女中書物目録でも先の『女用智恵鑑』よりもずっと砕けたラインナップになっていることに気付きます。
 また、明和4年『女庭訓御所文庫』(第1輯109頁)の「女用書物并絵本目録」も京都書肆・菊屋七郎兵衛の扱う女性教養書を一通り載せた目録のようですが、女性礼法書、女訓書、女筆手本、絵本、百人一首のほかに少し変わったところでは、婚礼マニュアルともいうべき実用書である『婚礼仕用罌粟袋』、育児書のベストセラーである『婦人寿草』、また、女性の言葉遣いや会話術を教えた異色の女性礼法書である『女蒙求艶詞』とともに、出版地の京都ではなく『大坂絵図』などが載っています。
 同時期の明和9年『女大学宝箱』の広告「女中の見給ひ益有書物目録」(第1輯138頁以下)は、元祖『女大学宝箱』の板元であり、女子用往来物を主力商品とした柏原屋清右衛門らしく、女性教養書の商品構成が頗る多彩になっています。まず目を引くのが「百人一首」のラインナップが極めて豊富なことです。『万福百人一首』『万宝百人一首』『聖泰百人一首』『万玉百人一首』『美玉百人一首』『宝玉百人一首』『宝莱百人一首』『袖珍百人一首』『万徳百人一首』『大字百人一首』の10種類を載せています。絵本類も20種以上と充実しており、よりどりみどりといった感じです。装丁の違いやサイズの違い、また値段の違いなどのある多品種販売は、裏返せば、購買層が多様化していることを示すものであり、それは江戸の消費生活における成熟度を物語るものでしょう。
 そのほか、女性が読むべきではないという向きもあった『伊勢物語』の関連書も3点もあり、育児関連書では貝原益軒の名著『(和俗)童子訓』や『小児調法記』、芸能関係では『琴の組』『押絵手鑑』『初学和歌式』『萩のしおり(和歌・連歌・俳諧関連書)』『類字仮名遣』、茶道や書画骨董関係の『和漢万宝全書』、家庭医学書の『医道重宝記』『医療袋』、さらに和漢の古銭を紹介した『孔方図鑑(ぜにかがみ)』『珍銭図』など芸能・趣味関係まで手広く扱っていたことが分かります。
 なお、『女大学宝箱』のこの広告は再板本によって微妙に内容が異なり、例えば文政12年板(同147頁)では益軒の『和俗童子訓』『五常訓』とともに官制の教訓書と言うべき『六諭衍義大意』が挙げられているほか、18世紀末から普及した名所図絵類のうち『播州巡覧名所図会』が紹介されており、そこには「大坂よりはりま巡り、宮道及び左右の名所古跡・神社仏閣ことごとく由来をくはしく記し、真景を図に写し旅行のたよりとす」とあります。写実的な風景図や鳥瞰図で人々を魅了した名所図会の特長を「真景」と表現し、単に慰み物としてだけではなく、旅行計画の際のガイドブック(携帯には向きませんが…)としての利用も意識して編集していたのでしょう。この文政板の広告には「右の外、女しつけがたのほんるい、絵本、箱入御進物に相成候本品々」とほかにも進物向きの豪華本など数多く扱っていることを宣伝しています。
 このように、女性をターゲットにした出版も、同時代でも板元によって特色が見られます。

 以上は、本書を一瞥して気付いた事柄であり、本書を詳しく調べたり、広く他の書籍広告にも当たれば、様々な知見が得られるものと確信しています。また、今回は往来物編でしたが、その他のジャンルからも同様の書籍広告を集めて順次シリーズ化し、本集成がさらに充実していきますよう、研究者・読者の皆さんのご支援をいただければ幸甚です。

★「近世蔵版目録集成(往来物編)」
 ・小泉吉永編
 ・岩田書院(TEL:03-3326-3757/メール:info@iwata-shoin.co.jp
 ・第1輯(正徳〜寛政期の蔵版書目を収録)、398頁、定価1万1800円(税別)
 ・第2輯(享和〜天保期の蔵版書目を収録)、548頁、定価1万3800円(税別)
 ・第3輯(弘化期以後の蔵版書目を収録)、 418頁、定価1万1800円(税別)
 ・別冊索引                     124頁、定価 3600円(税別)
 ※詳細は、岩田書院HP http://www.iwata-shoin.co.jp/ をご覧下さい。